第9話
芳助の前には、膳が置かれた。いや、四人全員の前に膳がある。
八畳ほどの部屋に、芳助、断庵と座り、向かえ側に花野と権と呼ばれた男性が座っていた。
先ほどの芳助をしかった声ではなく、少し甘えたような声で花野は喋る。
「いやですわ、芳助先生ったら花野を騙して……最初から言って下さればよかったのに。
ささ、一本どうぞ」
花野が芳助の膳から酒瓶を掴むと、酌をし始めた。
「いえ、騙すとかじゃなくて、お話を聞いて……」
「あら、芳助先生ったら、花野が悪いって言うんですか? 心外です、花野は……」
目元を手で押さえる花野を見て、小さく笑う断庵が、
「さて、本題と行こうか」
と言い出した。
三人は断庵へと注目する。
「こっちは、花野。見ての通りの遊女だ。
隣にいるのが八重桜の店主の弟で、材木屋の
芳助がなるほど、と相槌を打つと、断庵は芳助の事も二人に紹介する。
「で、俺の隣に居るのか、妖怪
その説明に芳助は、おもわず咳き込む。
「どうした?」
「ど、どうしたもこうしたも、何時から手前は妖怪祓いになったんですか……」
文句を言う芳助に、花野が、
「あら、芳助先生ちがうんです?」
と聞いてくる。
眼鏡の位置を直すと花野のほうへ向き直った。
「花野さん、手前は別に妖怪祓いで暮らしているわけではなく、流しの琵琶弾きです。ちょっとだけ別の用事で、そういう話に興味があるだけででしてね」
「え、琵琶の腕は下手なのに!? ああ、ごめんなさい……」
「いえ、いいんです」
芳助も花野もお互いに頭を下げる。
その光景に何を満足がしたのが、断庵が、さて、お互いの誤解も解けた事だ、仕事といこうか。と先へと話を強引に進めた。
何一つ解けてはいない。
そう言おうとした芳助だったが、花野からお詫びの酌です。と、酌をされると、言いそびれてしまった。
「では、
兄から聞いた話で……」
権ノ次の兄、遊郭八重桜店主の、
弟夫婦と暮らしている権一は、屋敷の離れで暮らしていた。
ある夜、もうしもうしと呼ぶ声がする。
姿は見えないが綺麗な女性の声と感じた権一は起き上がり声のするほうへと向いた。
四つ指付いた女性が、権一に向かって頭を下げていた。
権一は問うた。
こんな夜更けにどうしました? と。
話を聞くだけでは既におかしな話であるが、権一は気にも留めなかった。
むしろ、お金に困った女が権一の噂を聞いては、借りに来たのかと思ったそうな。
しかし女性は、ご堪忍を……ご堪忍を……と謝るばかり。
権一はさらに問う。
もし、
では、お伝えします。
旦那様から預かり失くした……大事な杯をもって来ました、お受け取りください。
権一は顔を上げずに土下座をしている女勢の手元を見た。
そこには貝で作られた小さな杯がある。
とはいえ、権一は訳もわからない。
受け取るわけには行きませんと、それを返した。
女は、そうですか違う物なんですねと、一言いうと消えていった。
権一は驚いて目を見開いた。
天井が見え、自分が今寝ていたというのが解った。
全ては夢だったのだと……夢と解かると突然体が震えてくる。
吉原に店を構える主人が、怖い夢を見た。そんな事を周りに相談出来るはずも無い、それに吉原は毎日が戦場だ。
何時しか忘れて居た頃にまた同じ夢をみた、前回から半月後の事だった。
夢とは言えやはり怖い、権一はまた断った。
そうですかと、女は消えた所で目が覚める。
やはり相談は出来ない。出来ないが、御祓いには行った。
そこからさらに半月後。
またまた同じ夢を見た。
これは夢だ。
それに坊主に経も唱えてもらった。
何を怖がる事がある。
権一は、ちょっとだけ心に余裕が出てきたのだ。
どうせ、断っても半月後にまた来るのだろうと、だったら受け取ったらどうなるのか? と。
権一は土下座をしている女へと言うた。
おお、これだこれだ。
この杯だ、良く見つけてきたな。震える声ではあるが、はっきり言うた。
女は顔を上げる。
先ほどまでの女性の顔ではなく、目の部分は闇しか無く、手は骨だけに。
ああ、これでまた一つ足りませぬ、一つ足りませぬ、さすれば呪う事ができます。
あーっはーっはっはっはーあーはっはっはっは。
女の
突然の事で夢なら覚めてくれと、権一は頭を抱えた。
一向に覚めない夢、気付くと朝になっていた。
全ては夢、そう夢だったのだと、権一の手には貝で出来た杯があった……。
全てを語った権ノ次。
喉を鳴らしたのは、花野と語りつくした権ノ次で、呆けた顔の芳助は箸を使い煮物をほうばる。
(はて、琵琶の話はどこに出てくるんでしょう……)
芳助の考えをよそに、花野が喋る。
「でね、それから店主の旦那様が寝込んじゃって……熱も下がらないのよ。
今はまだ権ノ次様がお客を連れて来てくれるからいいけど……」
悪い事は重なる物で、店主が不在の八重桜。その売り上げも落ちて来ているのだそうな。
断庵が、芳助の背中を叩く。
食べていた煮物が口から出るが、誰も嫌な顔はしない、むしろすがる顔で芳助を見ていた。
「そこでた! 芳助っお前には早急に解決してもらいたい」
等々最後まで琵琶の話は出なかった。
「あの、断庵さん……び……」
琵琶の話はどこいったんですかね? と聞こうとすると、断庵はニカッと笑う。
「美人、そうだな。花野は美人だろう……」
「やだ、断庵さんったら本当の事を」
び、しか合っていない。
断庵はわざとに話を変えたのだ。
褒められた花野は照れくさそうに、断庵の腕を叩く。
芳助はため息を付いた、断庵に騙されたと思っての事だ。
(ああ、これ手前の探している琵琶の話は出てこないですね……)
ここまで話を聞いて断る事も出来ない、いや、普段ならここまで聞いても断ったりもする芳助であるが、つい花野に見とれて引き受けてしまった。
そう考えると、あながち断庵の指摘も間違いじゃない。
自身でもそれがわかる芳助で、もう一度溜め息とともに善処します。と、いう事意外言葉が出なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます