吉原と花野
第7話
既に沢北村での鬼騒動から半月はたとうとしていた。
新橋一郎とは、あの村の近くで別れた。
よほど怖かったのだろう、お主とはもう金輪際会いたくないと言われ、二股の道で別の道へと歩いていった。
芳助は、あれから肩が凝って仕方ないと言う新橋一郎の背に座敷わらしがしがみ付いているのを見て、黙って見送った。
あの家は、もう継ぐ者もいない。
和尚が村人に事情を説明して、家を焼いた。今後は別な人間が庄屋となるだろう。
普通は家が無くなった座敷わらしは新しい家に行くか消えるだけである、そのどちらも選ばず、名前をつけてまで心配してくれた新橋一郎に憑いて行くのを決めた。
幸いな事に、彼には霊感というのがないらしく、よほどの事が無い限り気付かない。
今頃は別の人食い鬼の噂を探してどこかにいるのだろう。
◇◇◇
季節は夏から秋へと移り変わろうとしていた。
秋風が冷たく感じる夕暮れの時、江戸の一軒の蕎麦屋に芳助の姿はあった。
ベン。
ベンベンベン。
蕎麦屋の隅で琵琶を鳴らし終わった法助が、本日何度目かの頭を下げる。
仕事帰りの職人達が、芳助の前へ小銭を投げてよこした。
芳助はそれを丁寧に集めると、蕎麦屋の主人へと手渡す。
「はいよ、丁度二十文受け取ったよ。
しかし、あんたも金が無いなら稼いでから食いにきな」
「はぁ……腹が減ってまして、とてもとても美味しそうな匂いに釣られてですね」
「褒めてくれるのは嬉しいが、無銭はこまるよ」
蕎麦の値段は八文である、金もないのに二杯と漬物と汁を飲んだのであった。
無賃と聞いて店主は番屋で突き出そうとおもったが、芳助が夕方までここで唄うのでと言うと、しぶしぶ了解したのだ。
結果は上昇で、変わった琵琶弾きがいると何時もの二倍の客が入る。
蕎麦屋の店主は芳助へ客を入れた礼だと言うと饅頭と茶を置いて奥へと行った。
直ぐに野太い声で、
「ごめん!」
という言葉が店内に響く。
別に悪い事をして謝っているわけではなく、これから騒がせたらごめんと言う意味だ。
歳は四十代を過ぎた頃だろう、しわが出来始め、短く剃った頭には白髪も出始めている。
芳助を見つけると、ニカっと白い歯を見せた。
「おったおった、芳助久しぶりだな」
「おや、
断庵と呼ばれた坊主が頷く。
「何やら、下手な琵琶弾きが昼から蕎麦屋にいるって聞いてな、もしもとおもって訪ねたのだ」
「それはそれは」
「店主、
断庵は懐からいくつかの金を出すと、先に店主へと渡した。
どちらかと言えば、細身の芳助と、たくましすぎる坊主を好機な目で見たあとに店主は奥へと引っ込んだ。
直ぐに、酒とつまみを包んだ物を持ってきた。
断庵は芳助の肩へ手を回すといざ行かんと大げさに声を出して蕎麦屋を後にする。
江戸は広い、広いといっても町民が住む場所は狭かった。
二人は人を避けてあるき、薄汚れた道へと入る。
少しだけ石階段を登り断庵はボロになった寺へと芳助を招く。
「相変わらず、
「
「金回りはいいでしょうに」
檀家とは簡単にいうと、その寺を守る人々である。
檀家が金を払い寺を守る、寺も檀家のために墓を守ったり経を上げたりする。
江戸開寺と言う馬鹿馬鹿しい名前なのは、この断庵という男が徳川家が江戸に来た時に、どさくさにまぎれて廃寺を買ったのだ。
仏像さえも無い寺に、向かい合って酒を飲む。
「しかし、芳助よ。江戸に来たのなら、顔ぐらい見せろ」
「いやですよ、面倒事は……」
「まだ、何もいってないぞ?」
「態々探してきたという事はそういう事なんでしょう?」
にやっと笑うと、芳助のからになった
「芳助、おぬしの探し物もみつからんのだろ?」
「探しては居るんですどねー、出来れば一生出てこないほうがありがたいです。
見つかったら帰らないといけませんから」
無茶苦茶な話である。
芳助は適当に旅をしているのではなく、師から探し物を頼まれて……いや、無理に芳助じゃ無くても良かった任務を無理やり請け負って旅をしてるのだ。
なんだったら、現状を手紙で送ると、師から早く帰って来てくださいと逆に催促され、お体に気をつけてと金が包まれる始末である。
だったら探さなければいいじゃないかと思うが、それはそれで真面目に探すという矛盾ぷりだ。流石の芳助も、悪いとおもってあまり手紙は出さない。
断庵が、吉原って知っているか? と尋ねてきた。
「名前だけは……最近出来た所ですよね」
「そこに居る、
空になった猪口を置いて、芳助がまじまじと断庵を見る。
「一応聞きますけど、断庵さんは坊主。
言い方を変えれば住職ですよね、吉原は……」
吉原とは最近できた幕府公認の遊郭所だ。
遊郭所というのは、金を払い女性と一晩過ごす場所、坊主が法事以外でほいほいと行くような場所ではない。
「そういう細かいしがらみに捕われないのが、江戸開寺であり、過去を捨て去るという意味の断庵だ。で、どうする?」
「どうすると言われても、琵琶ですか……」
「そうだ、琵琶だ。
物の怪どもの心を操る琵琶、芳助はそれを探していると小耳に挟んだんだかな」
「言った覚えはないんですけどね」
淡々と答える芳助に、断庵はがっはっはと笑う。
「蛇の道は一本ではないのでな」
「はぁ……知ってしまった以上、調査をしなければなりませんねー」
「そうだろう、そうだろう。
そうおもって今晩会う約束を取り付けてきた」
「はい?」
小さな笛の音が聞こえた。
「さて行くぞ」
「え、いや……もう暗くなりますし」
「吉原じゃ暗くなってからが朝だ」
強引に寺の前に連れて行かれると、言われた通り駕籠が二つ。ご丁寧に、周りから誰が乗っているかわからない上等な駕籠が用意されていた。
断庵は、駕籠屋にじゃぁ頼むと、言うと片方にさっさと乗り込んだ。
一方、頼まれた駕籠屋は戸惑っている芳助を無理やり駕籠に載せ、直ぐにえいさ、ほっさと声を出して走り出した。
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