第5話

 人の形をした与兵衛は笑顔を芳助へと向ける。


「さてさて、困りましたねー。強い薬混ぜたのですが……」

「それはすみません、効かなかったようです」


 与兵衛はいまだ起きない新橋一郎の夜具を見た。


「面白いお人だ。

 あまり驚かないんですね、琵琶法師というのはそういう人種なのですか?」

「いやいや、私は法師と呼ばれるほど徳もありませぬし、なんだったら師である法師の元から理由をつけて逃げたような身分ですので」


 そういう説明をしている暇はないはずなのに、芳助は自らを法師ではないと弁明する。

 与兵衛の右腕が太くなっていく。

 メキメキと音を立てると丸太のようになっていく。


「これまた、ずいぶんと鍛えましたね。先日逃げた男女も……片方は食べたんですか?」

「どうでしょう、それを聞いてどうするきで?」

「ただの興味本位です、いやはや新月の晩まで待つと思ったのですかね……」

「村民には手は出せないですので、申し訳ありませんが死んでください」



 芳助へ目掛け与兵衛は変化した鬼の手を振り上げる。

 芳助はその攻撃を尻餅を付いてかわした。


 後ろを振り返ると、小さな少女が服を引っ張り助けたのだ。

 鬼となった与兵衛の一撃は床に大きな穴を開ける。

 与兵衛の手が引っかかり、困りましたねと呟くと必死に抜こうとしている。

 

 その間に芳助を助けた少女は廊下から外へと逃げるようにと、必死に指を差していた。


「いやいや、これはありがとございます。

 さて……ではお言葉に甘えてにげましょうかね」


 いまだ寝ている新橋一郎の横にすわると、胸元から紙を出すと丁寧に包みを解いていく。

 中にあったのは丸薬が二つであり、新橋一郎の口へと放り込んだ。


 気付け薬である。

 もっとも、きちんとした薬問屋で買った物ではなく、酒代が欲しいという渡世人から金を貸す代わりに買った物であった。

 材料も謎で、もしかしたら鹿の糞かもしれないと思っている丸薬を飲ませたのだ。


 吐き出さないように顎を押さえる。

 先ほどまで寝ていたはずの顔が赤くなり青くなる、もう一度赤くなった所で突然目を開けた。


「苦いっ! 不味いっ! なんだこれはっ!」


 起きたのを見て芳助はほっとする。

(一応は気付け薬でしたね、よかったよかった)


「おはようございます新橋様」

「お主、某に何を……」


 刀を手に取り詰め寄ろうとする。

 芳助を見ていたはずの新橋一郎は、芳助の背後でうごめく者を見た。

 半身は人間のままであるが、残った半身も鬼の姿へと変わって来ている。


「新橋様がお探しになっている人食い鬼とは、あちらの方でしょうか?」

「なんだあれは……」

「沢谷村の庄屋さんで与兵衛さんでございますよ。

 どうやら人の道を外れてしまい、何かに付け込まれましたかねぇ。あら?」


 芳助の視線が高くあがる。

 どうやら鬼となった与兵衛につかまれ空中に摘まれた。


「いやはや、背は欲しいと思いましたけど、案外高いと怖いですね」

「ば、馬鹿を言っている――――」


 新橋一郎は最後まで言葉を言え無かった。

 目の前で空中に吊らされた芳助の腹から鬼の爪が出ているからだ。


「少し五月蝿い」


 温厚な顔のまま角を生やす与兵衛。

 芳助を自らの爪で串刺しにすると、芳助の体は小さく痙攣しぐったりとなった。

 鬼は力任せに後ろへ放り投げる。


「さて、残るは新橋サマ、アンタ様だけですヨ。

 直ぐに、オワラせますノで」

「芳助っ!」


 新橋一郎は芳助の名前を呼んだ。

 それは、無意識であるが芳助を、仲間と思い心配で名を呼んだのだ。

 人間だった与兵衛が大きな声で喋る。


「無駄ですよ、シンの臓をツイたんでス。

 ああ、男のチはマズいデすネ、大丈夫でス、彼方のシンの臓は妻にささゲマス」


 もはや全てが鬼となった与兵衛の長い爪には、芳助の血が付いていた。

 爪からの血を舐め取り、残りがポタポタと畳みへと雫となり落ちていく。

 新橋一郎は刀を構えるも、カタカタと震えていた。



 ベン……。


 ベンベンベン……。


 どこからとも無く音が鳴る。


 三味線のようで、少し違う力強い音。

 琵琶の音だ。


「人知れず~庄屋の伴侶が病に倒れ~」


 ベンベンベンベン。


「不治の病に薬なく~、旅の男から薬聞く~」


 小さな村でずいぶんと人が良い庄屋がいたそうな。

 誰からも恨まれるような事は無く、病で肉親が居なくなり独り身になった女中と伴侶になった。

 何か悪いか、おてんとう様の嫉妬なのか、奥方は謎の病に倒れこむ。

 八方ふさがりの庄屋の元に、一人の男が金ほしさに偽情報ネタを売る。

 人の生き肝を食わせるのだと、話は聞いたがとても出来はしない。

 妻の体が冷たく無くなったその時に、村から一人の女が出て行った。

 近隣の村で保護された女は酷く錯乱しており、男が食われた鬼を見たと言い始めた。


 

 ベンベンベン。

 唄が終わった。



「へ手な唄ヲ……ソレに、たシかに、臓を」

「芳助……」


 鬼が芳助へと振り返り一歩前に行こうとする。

 すると、少女が鬼がはいているズボンを必死に押さえていた。

 新橋一郎も、鬼もその姿を見た。



「童女……? 何をしておる! 直ぐに逃げるんだっ」

「オヤ、イツノマニ。

 丁度いい、村人デハナイ小さいナリでも食えバ、チカらに成ろう」


 鬼は少女の両手を掴むと軽々と持ち上げる。

 パタパタと足をばたつかせて逃げようとしているが、鬼の手から逃げれないでいた。

 喋る事もせず、必死でイヤイヤと首を振る。


 芳助の声のおかげが、与兵衛の事だろうと思う唄を聞いたからなのか、いつの間にか新橋一郎の体の振るえは止まっていた。

 目つきの悪い細目で鬼を睨む。


「まて、その童女をどうするきだ」


 どうするもこうするも、先ほど食うと言っていたのを新橋一郎は聞いていなかったのか。いや、聞いていたからこそ、聞き直したのかもしれない。


「コロして食ワせる」

「ならぬっ! 不幸な境遇は察した……だが……他に、そうだ薬だ。薬ではどうなのだ!」


 唄が与兵衛の事として、当然薬も試したのだろう、でも治らないからこそこのような結果になったのではないか? と新橋一郎は思うと首を振る。


 新橋一郎が迷っている間に、鬼は少女の手足をありえない方へ曲げた。

 小さな口から声のない悲鳴をだす。


「茜! 今助ける!

 与兵衛よ済まぬ! 某はこれしか知らぬのだ!」


 茜とはだれだ、少女に殺された娘を重ねたのだろう。名も知らぬ少女を茜と呼び、新橋一郎は叫ぶと、鬼を切った。

 頭から体へと一気にふりかぶる切り落としという切り方だ。

 鬼は、少女を畳へと落とす。

 顔が左右にずれていき、その場に二つに割れると崩れ落ちた。

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