第4話
沢谷村へ来て二日半。
芳助と新橋一郎はいまだ庄屋の家で厄介になっていた。
夕方になり、新橋一郎が屋敷へと戻ってきた。その顔は疲れていて、芳助の近くへドシンと音を立てて座る。
何もしていない芳助は隣へすわる新橋一郎へねぎらいの言葉を送る。
「おかえりなさいませ新橋様」
「お主におかえりと言われる筋合いはない」
それもそうなのだが、芳助といえば他に言いようがない。
すぐに人懐っこい村長が部屋へと入ってきた。
「新橋様おかえりなさい」
新橋一郎へと挨拶する、同じ言葉であるが先ほどの芳助への態度と違い、正座して膝に手を置いている。
「うむ、すまないが……本日もよろしく頼む」
侍としての意地はあるのか、頭は下げてはいない。
与兵衛も成れているのか気にも留めた様子もなかった。
「大丈夫ですよ、何日でも居てください。
直ぐに夕餉の準備を手配いたします」
与兵衛は、病気の妻の世話があるからと席を外した。
芳助も新橋一郎も気にも留めた様子も無く頷く。すぐに女中が膳を運んできた。
残された二人は黙々と食べる。
程よく時間が立った頃に女中が膳を下げに来た。代わりに酒を置いていく手際のよさ。
朝夕の膳に、酒まで付いているというのに同じ部屋にいる新橋一郎は普段より渋かった。
(新橋様は不機嫌なご様子だねぇ。どれ)
「新橋様、良ければ気分を変えるために一曲唄いましょうか?」
「いやいい」
そう断られては、芳助もそうですかと、言うしかない。
本日も夕餉の後に出てきた酒をちびちびと飲むだけである。
「お主は何時まで厄介になるつもりだ」
「私ですか? もうそろそろ立とうととは思っていました、まぁあと数日という所ですかね」
新橋一郎に言われなくても、芳助は旅立つ準備は出来ていた。
小さな村で宿という物が無い。
ここに居る間は食事には困らないが、金にもならないのだ。
それに何時までも厄介になっている場合ではない。
襖一枚隔てた廊下をパタパタと小さい足音が通り過ぎていった。
その瞬間新橋一郎が、刀を手に取る。
「何奴!」
一度止まった小さな足音が、逃げるように小さくなる。
「ああ、小さい娘さんですよ。
可愛らしい超柄の着物を着て、見てるだけで笑顔になれる娘です」
「そ、そうか……そんな娘が居たのか……」
「ええ、新橋様はお顔が怖いから、寄って来なかったのかもですね」
「…………愚弄するきか?」
「いえいえ、ですが少し気を張りすぎというか」
新橋一郎の顔が少しだけ緩む。
刀を置くと胡坐になり、温くなった酒を一気に飲み干した。
「まさか、流しの琵琶法師風情に気を使われるとはな」
「いえ、法師ではなくただの弾き語りです」
「ここ数日どうも嫌な視線を感じていてな」
(相変わらず話を聞こうとしませんねー)
「小さな村ですから、それはしかたがないかと」
「そ、そうか……某は明日にでも村を出ようと思う、誰に聞いても人食いの話はしってはいたが、こないだ消えた無法者が流した噂だろうと、それ以上は何もない。怪しい人間も我々以外は見当たらないしな」
それが良いかもしれませんねぇと芳助も相槌を打つ。
二人の会話が途切れた頃、もし、開けますよと声がした。
盆に酒の追加を持って来た与兵衛が襖を開ける。
新橋一郎は丁度良かったと、与兵衛へ向き直った。
「こちらに来て貰えないか?」
「はい、なんでしょうか?」
与兵衛は、そのまま部屋へ入るようにいわれ、二人の前へ座る。
「某は明日立つつもりだ、一つこれを」
白い包みをそっと与兵衛と差し出す。
お金である。
思わず芳助が、もしや小判! と叫んでしまった。
直ぐに新橋一郎がゴホンとわざとらしく咳を出す。
「小判には全然足りないが、宿代として治めて欲しい。お主もいいきかいだ、少しは出したほうが良いのでは?」
「そうですか?」
芳助も自らの懐へと手を突っ込むが、数文しかもって居ない事を思い出す。
「新橋様のお気持ちを考えると、手前風情が横から口を出す事はありません」
「何が言いたい?」
「手前の懐には数文しかないのです、なので、私の気持ちもその包みへと乗せてください」
新橋一郎の手の上へ、芳助は手を重ねた。これで気持ちが一緒に乗りましたと、言い放つのだ。
普通なら大激怒しても仕方がない台詞だ。
しかし、新橋一郎は芳助の真面目くさった顔を見て、ふっと笑った。
「よくもまぁ、それで今まで生きてこれた物だ。
よかろう、お主の分も出そう」
もう一つ包みを出そうとした所で与兵衛が慌ててとめる。
「いえいえいえ、お二人とも、わたくしが好きで泊まって貰っていますので、こちらが貰う事で出来ません」
そこからは、出す、いりませんの押し問答のあと与兵衛が折れた。
新橋一郎が、病状の妻の薬代に充ててくれと言ったのが決めてになった。
包みを一つ受け取り、では代わりにもう一本酒と甘い物でも持って来ますと部屋を出て行く。
昨夜の三倍ほど飲んだ二人は、今はイビキをかいて眠っている。
部屋の中は真っ暗で、隣に同士の顔も見えなかった。
芳助の胸へ重たい衝撃が襲ってきた。
その衝撃の強さで、先ほどまで飲んでいた物を全部吐き出しそうになる。
慌てて飛び起き、手探りで眼鏡を探す。
どんよりとした雲の隙間から一瞬だけ月が顔をみせる、その光で部屋の中が少しだけ明るくなった。
和服姿の少女が笑顔を向けてた。
「おや、貴女でしたか」
芳助が起きた事に喜び、直ぐに隣に寝ている新橋一郎への胸へと体全体をぶつける。
それでも、新橋一郎は起きなく、少女を無造作に跳ね飛ばすと胸の部分をポリポリと書き小さなイビキを掻く。
「そのお侍様は起きませんよ」
少女は芳助の言葉を理解して悲しい顔をした。
何かに気付いたように、芳助の袖を引っ張り始めた。
廊下から気配が伝わる。
音も無く襖がゆっくりと開けられた。
付けた覚えも無い行灯がチリチリと光を灯す。
少女は驚き、新橋一郎の影へと隠れた。
「鬼火という奴でしょうか……」
のん気にその現象を口にする。
人の良さそうな顔の与兵衛が、起きている芳助へと優しい声をかけた。
「おや、起きてしまわれましたか?」
「ええ、少し飲みすぎたらしく厠へと」
「それはいけません」
行灯に灯る鬼火、その光は与兵衛を不気味に照らしてた。
彼の影には角があった……。
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