Brand new day

またたび

Brand new day

 僕はバスに乗っていた。

 そしてとても悲しい気持ちで、窓際に座っていた。


 素晴らしい日になると、二人のブランニューデイが待っていると、思っていた未来……それが急に暗闇に包まれるような心地だった。


 そういえば、と思い出す。

 たしか君と初めて出会ったのはバスだったっけ。あの日、バスの中で出会ったのがきっかけで、お互いに興味を持って、その後も何回か会って、それで、二人恋人になれたんだっけなぁ……と。懐かしい。


『ごめんなさい』


 それと同時に、過去に思い馳せる余裕もなく、今の自分が悲しみに暮れていたことを、物思いにふけていたことを、思い出した。


「次、バス停まります」


 そんなアナウンスとともに、扉の開く音。空いていたバスに、入ってきたのは何人かの女子高生……。

 外が暑いね、などと話している。

 そういえばこんな夏の暑い日だったかな、あの日も。


「ふふ、それでね昨日ね」


「大変だったでしょ、それ」


 楽しそうに喋っている女子高生たち。よく見れば、そのうちの一人は彼女に似ているような……って、ん?

 似ている?

 いや、似ているどころではない。

 あれは、そんな。


「高校生の頃の彼女にそっくりじゃないか……?」


 あんなに瓜二つな人がいるのか?

 いや、でも……どう見てもあれは彼女にしか見えない。


『ごめんなさい、あのね』


 そのとき僕はある言葉がフラッシュバックした。それは、今日の朝に君から聞いたなんとも悲しいフレーズなのである。そして、その瞬間、僕はどうでもよくなった。


 似たような顔の人は世界に三人いると言われてるし、彼女は今は高校生じゃない。あり得ないじゃないか。きっと、未練がましい僕の先入観やらなんやらなんだろう。


「次、バス停まります」


 どうせもう今は……。

 そんなやけくそな気持ちもあって、僕は気分を変えた。その女子高生たちから目を背け、僕は先程同様、窓の外の景色を眺めることに徹し始めたのである。しかし、次こそは、どうしても見ないふりできないことが起きてしまった。


「それであいつふざけてさ」


「いやいや、さすがにそれは嘘でしょ」


 今度は、男子高生数人がバスに乗ってきた。そして、それは僕にとって、どうしても見過ごせない光景だったのである。


「あれは、僕……!?」


 そうして僕はなんとなく気づいた。

 もう、これを他人の空似と片付けるには無理があり過ぎる。

 何故こんなことが起きたかは分からない、分からないが、確実に言えることがあった。


 僕はあの夏の日にタイムトラベルしたんだ。


 そしてあそこにいる彼女と、あそこにいる僕が、想い出にも新しいあの出会うきっかけに、今遭遇しようとしている。


『ごめんなさい、あのね、もう』


 まだ今朝のことがずっと、頭の中でリフレインしている僕は、この現実を受け止めるほどの余裕がなかった。しかし、目の前の状況はそうとしか言えなくて、ただ、ただ、目の前で起こる全てのことを見ていることしかできなかったのである。


 過去の僕は僕の座っている席の近くに、友達と喋りながら立っている。さすがにジロジロと見てしまうと怪しまれるのでしないが、チラッと見ても分かる、やはり僕だ。

 すると、今度は女子高生の方が騒がしい。


「あれ? 今携帯が鳴った音したよね?」


「私かな。ちょっと探してみる」


 彼女が携帯を取り出そうとバックを漁ったとき、バックからハンカチが出てしまった。そのハンカチはひらひらと舞い、過去の僕の立っている周辺に落ちた。しかし、彼女はそれに気づいてなくて、それに気づいた過去の僕はハンカチを拾おうとしている……。


 かつて同じことを経験した僕は、あの日のバスでのことを鮮明に思い出す。


『あっ、これ、ハンカチ落としましたよ』


『本当だ、ありがとうございます! おかげで助かりました! このハンカチ、お気に入りなんです』


『それなら良かった』


 僕はあのとき、ただの善意で行動した。

 決して、それをきっかけに彼女と仲良くしようなんて魂胆はなかった。しかし、彼女が嬉しそうに微笑んだその瞬間、僕は思ったのだ。


 なにか、新しい日が始まるような気がする。

 素晴らしい日、ブランニューデイが、これから待っている気がする……って!


 根拠もないのに、理由もないのに、小さな不安は消え、未来への期待や希望が心の底から湧いてきた、なんとも幸せな気持ちだった。そんな感じだった、気がする。


「あっ、ハンカチ」


 過去の僕はそれに気づいて拾おうとする。

 この頃の僕はずっと未来が不安で、苦しかった。でも、君はこれから本当に素敵な人と出会って、本当に楽しい日々を過ごせるんだよ、と。何故か心が躍った。


 でも。


『ごめんなさい、あのね、もう、二人』


 今朝の彼女の言葉が頭に響く。

 二人とも分かっていた……もう無理なこと。でも苦笑いしながら誤魔化していた。そして限界が、今日訪れただけに過ぎない。ああ、こんなにも幸せそうな二人なのに、いずれは……。


『ごめんなさい、あのね、もう、二人、別れましょう』


 この僕はいつか、今の僕になる。

 そしてバスの中で、こんな寂しい気持ちで外を眺めることになる。そう思うと、動かずにはいられなかった。手を急いで伸ばす。


「あの。ハンカチ落としましたよ?」


「あっ、ありがとうございます、すいません!」


 やけに余所余所しい。

 それは当然だ。他人だし、高校生同士ならまだしも、大人に話しかけられたら堅苦しくはなるだろう。

 過去の僕が拾うはずだったハンカチを、他人のふりして僕が拾った。


 これで二人が出会うきっかけは終わった。

 すまない、僕。君には同じような思いはさせたくないんだ。たとえ、過程は幸せであっても。しかし、こうも胸が痛くなるとは……つらいなぁ。


「次、バス停まります」


 その瞬間、夕焼けだろうか?

 バスは一瞬でオレンジ色の光に包まれて、気づけばさっきと同じような、空いているバスに戻っていた。過去の僕もいなければ、彼女もいない。あれはなんだったんだろう。


「そういえば」


 人がほとんどいないからだろうか。

 僕はつい気が緩んで、小声とはいえ独り言を呟いていた。


「これって過去を変えたことになるのかなぁ……そしたら今ここにいる僕はどうなるんだろう。こんなにも、彼女への想いがつらく心を占める今の僕の気持ちはいったい」


 あまりにも綺麗な夕焼けとは真反対に、僕の気持ちはあまりにも暗くて、切なくて……ってあれ?


「あれ……僕は、何に悩んでいたんだ」


「あっ、次、降りなきゃ、バス」


 慌てて僕はボタンを押す。


「次、バス停まります」


 アナウンスが響く。なぜか不思議な気持ちだ。いつも聞いているアナウンスなのに。


 外に降りると、仲良さそうに喋っている男女が僕の目の前を通り過ぎる……。


「恋人か……僕も一度くらいは欲しいものだけど……まあモテないんだから仕方ない」


 そうやって人への妬みを冗談半分に呟くが、なぜか嫌な気持ちはない。むしろずっと悩んでいたような気持ちがなくなったようで清々している気持ちだ。

 その悩んでいるような気持ちが何に対してかも、それどころかあったかどうかすら、正直言うと覚えていないのだが……何か気楽になった感覚は間違いなくあった。


「まあいいや、早く帰ろう」


 鮮やかな夕陽を見ながら歩いている瞬間、僕は思ったのだ。


 なにか、新しい日が始まるような気がする。

 素晴らしい日、ブランニューデイが、これから待っている気がする……って!


 根拠もないのに、理由もないのに、小さな不安は消え、未来への期待や希望が心の底から湧いてきた、なんとも幸せな気持ちだった。そんな感じだった、気がする。しかし、胸が少し痛いような気もした。


「なんか分かんないけど……明日も頑張ろう!!」


 最高な気分だった。

 でも少し切ない一人のブランニューデイ 。

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Brand new day またたび @Ryuto52

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