野獣のエピローグは野獣が語る

 備糸高校の卒業式を終えた翌日、俺は最後の出勤をしていた。17時から貸しスタジオの予約をしている恒星が現れたので、俺は今まで大事に使ってきた、唯先輩からもらったG&Lの真っ赤なジャズベースを差し出す。


「餞別にこれやるよ」

「いいのか?」


 カクンと首が折れる。戸惑えよ。遠慮の態度を一瞬でも見せろよ。こいつはまったくもう、既に手を伸ばしているし。


「但し約束がある。そのベースは俺がメジャーデビューをする時か、メジャーデビューを諦めた時に、次にメジャーデビューを目指すベーシストに、色んな思いや経験をこのジャズベに乗せて譲るって約束で貰ったものなんだ。だからそれを継続してほしい」

「ん? あんたメジャーデビューすんのか?」

「あぁ。オーディションに受かった。明日上京する」

「ふーん。メジャーデビューって簡単なんだな」


 こんにゃろう。


「とにかく約束はわかった」


 まぁ、いいや。バーであれ、スタジオであれ、ここはゴッドロックカフェだ。この店に出入りしている限り、有識者との交流には困らない。これからこの世界の厳しさをたくさん叩き込まれればいいさ。とにかく約束はしたからな。


 この日は俺の門出を祝うために多くの常連さんがバーに駆けつけてくれた。


「譲二! 餞別だ!」


 そう言って箱詰めされた日本酒のボトルをドンとカウンターに置いたのは隣の居酒屋の大将、加藤さんだ。白い割烹着姿で寂しくなった頭頂を見せる。て言うか俺、まだ未成年だよ。18歳だから法の縛りはあなたの頭のように多少薄くなったが。どうせこんな顔面だからみんな俺が未成年だってつい失念するのだろうが。


「うちの店で一番上等なやつだからな! ありがたく飲めよ!」

「あざす」


 一応礼を述べておく。て言うか、隣の居酒屋は定休日でもないのに店を空けてきていいのよ。と言うのは方便で、こうして抜けてきてまでわざわざ見送ってくれることが嬉しい。


「譲二、飲め」


 そう言ってテキーラのショットグラスを俺に向けるのは泰雅さんだ。おいおい、未成年に対してなぜそんなにオープンなんだ。て言うかテキーラのオーダーがあった時、泰雅さんが自分で飲むのものだと信じて疑わずに俺は用意したさ。

 とは言えお祝いの気持ちだ。そしてショットグラスはうがい薬くらいの容量。俺は杏里さんに見つからないよう、こっそり一気に煽った。


「うげ……」


 本当に薬の味がした。ガキんちょの俺にはまだ早い酒だった。しかしそんな俺の様子を見ていた響輝さんも手にテキーラのショットを持っている。まさか……。


「くっくっく。譲二、俺の酒も飲め」


 なんて人だ。俺からご懐妊の祝い酒は受け取らなかったくせに。まぁ、あの日は他の常連さから響輝さんへの祝い酒のオーダーが忙しかったから仕方ないが。


「うぇ……」


 俺は響輝さんからのテキーラも一気に煽った。しかし響輝さんはものの1時間ほどで退店した。実家に預けている子供を引き取りに行くらしい。

 さて、隠れての飲酒はこれくらいにして、他の常連さんから出されるドリンクはソフトドリンクかノンアルコールのカクテルだった。杏里さんも出産後なので酒は控えていて、代わりに飲んでくれるスタッフもいない。それなのでスタッフではない泰雅さんが代わりに飲まされていたが。


 ――いかついアニキよ、あざす。


 そんな感じなので恒例の祝い酒はいつもより勢いがなく、しかしそれを理解している多くの常連さんが餞別を贈ってくれた。けど半数が箱詰めの酒のボトルで、東京に持っていって自宅で飲めとのことだ。


 ――俺への祝い酒はここにあったか……。まったく、人相で人を判断しやがって、まだ未成年だよ。


 俺はこの日の営業を最大限惜しみながら進めた。スタジオを出た恒星も俺の上京を知ってバーに残りヒナさんの隣を確保している。尤もヒナさんを見つけて残ったのかもしれんが。

 ホールでは河野さんの高笑いも聞こえる。弁護士事務所も引退して今では年金生活だそうだ。そして施設入所の順番待ちをしているとか。

 もちろんエカさんもいる。エカさんはカウンターの端席に座ってずっと微笑ましい眼差しを俺に向けてくれていた。


 やがて賑やかなこの日の営業は終了し、バックヤードで俺は杏里店長と対面する。


「今までありがとうございました」

「こちらこそ助かったよ」

「けど、子供も生まれたのに俺が抜けたら大変っすね」

「自意識過剰」

「さーせん」

「嘘、嘘。あんたには本当に助けられた。感謝してる。けど次のバイト君は見つかってるから気にしないで」

「そうだったんすね。良かったっす」


 と言いながらも、次のバイト君の存在に嫉妬をする小さな自分がいる。しかし俺は俺の道を進まなくてはならない。バイト君というポジションは上京する俺が独占していいものではない。これも時の流れだ。

 すると杏里さんが明るい口調で言った。


「貸しスタジオ常連客のベーシストが次高校3年だから。18歳候補」


 それって恒星じゃないか。俺はベースと共にバイト君の地位も渡したようだ。


「それから譲二、これ大和から預かってる」

「ん?」


 そう言って杏里さんが差し出したのはG&Lのジャズベースだ。ブルーのボディーに白のピックガード。この日恒星に渡した今まで使っていたものと同等のモデルである。


「どうしたんすか? それ」

「夏に大和が店の営業に立ってくれた日、2回目の時って言ってたかな? 東京から持って来てて店の楽器庫にしまってたんだって。それでもしあんたがプロのベーシストになる日が来たら渡してくれって言われてた」


 感動でじわっときた。エカさん救出の日だ。1回目の代役の時になにがあったのかは唯先輩に聞いていたのだろう。だからあの日大和さんは俺の背中を後押ししたのだ。


「オーディション受かったことを伝えたら大和から伝言も預かった。東京で待ってる。一緒に仕事をできる日が来るといいな、だって」

「うっす」


 俺はブルーのジャズベースを抱き締めるように抱え込み、大和さんからの熱い思いを噛み締めた。


「さ、あたしは旦那がヒィヒィ言いながら子供を寝かせたはずだから、我が子の寝顔を見に帰るね」

「うっす。お疲れ様でした」


 俺と杏里さんは一緒に店を出た。そして俺は店の外で待っていたエカさんと合流する。


「お疲れ様」

「うっす」


 更けた夜道を、肩を並べて歩く。この日は隠れて飲酒をしたのでスクーターの運転もできない。それを知っているエカさんが近所のシティホテルで部屋を取ってくれていた。明朝スクーターを店に取りに行って、一度帰ってから上京だ。


「就活は東京に絞ったから」

「そうなんすか?」

「うん。譲二君の傍にいたいから」


 恥ずかしくて照れる。夜の街のネオンがそんな俺の表情を照らさないでくれと願うばかりだ。


「バンドマンをヒモにした経験はあるから任せて。支えるから」

「……」


 ちょっとその支えられ方は望んでいないが。


「離れてる1年間もお金送るね。足りなかったら言って。お水でも風俗でも働くから」

「……」


 本当にこの人ならやりかねない。絶対にこの人を離さないと心に誓った。だって俺が離したらそういう輩に間違いなくつけ込まれるから。


「あの、エカさん」

「ん?」

「もし俺が音楽に挫折したらどうしますか?」


 メジャーデビューは決まったが寄せ集めの無名バンドでスタートするので、成功は約束されていない。いつか音楽を辞めてどこかで雇われる日が来るかもしれない。


「どうって、それでも一緒にいるよ?」

「音楽を辞めて働こうとする奴と? 奉仕精神が満たされなくなって、他のバンドマンに靡いて、そいつをヒモにしようとするんじゃないっすか?」

「疑ってるのぉ?」


 疑ってるよ。


「まぁ、なくはないかも」


 ほらみろ。


「今まで黙ってたけど、俺東京の大学に進学が決まってるんで」

「え! なんで?」

「もし音楽を辞めて雇われで働くことになった時、それなりの企業に就職しやすいように。ずっと一緒にいたい人がいるから」

「譲二君……」

「もちろん逃げ道を用意するからって音楽に弱気なんじゃないっす。けど音楽と一緒くらいエカさんを大事にしたいから。その時が来たら家庭の中で思う存分家族に尽くしてください」

「嬉しい。ありがとう。これからもよろしくお願いします」


 そう言って俺の手を握ったエカさんは、少しだけ涙を浮かべていた。

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美女と野獣の恋歌 生島いつつ @growth-5

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