疫病

 フリードリヒは強い吐気と高熱にうなされ、すみずみまで装飾された天蓋を見詰めていた。

 鼠蹊部の腫れと体中を這い回る激痛のため寝台に横たわるより他になかった。


「調子は如何かね?」

 くぐもった声と共にクリストフがドアを開け天蓋の幕の中に台車とともに入って来る。


「これで良いのなら、僕は大層強い人間か、冥王以上に、冥府と相性が良い事に、なってしまいますよ」

 動かそうとした首筋が圧迫された痛みを訴える。

 細く波打つ栗色の髪は乱れ汗で顔に張り付くなか、ようやく動く目でクリストフを見る。


 そのクリストフは、カラスのような奇妙な仮面を着けていた。

「これは南の半島で使われていたものだ。この『嘴』の中に薬草が詰まっている」

 革の袖付きエプロンをし、やはり革手袋で覆われた指で各部を指し示して説明する。


「つまり、僕に直接触るのは、めっぽう危険、と言うことですね?」

 フリードリヒは再び天蓋を見る。

 リンパ腺がぶにぶにと悲鳴をあげた。

「少しは『見捨てられる者』の気持ちは解りそうかね?」

 目だけをクリストフに向ける。

「だとしても、他人のせい、にして襲う、気持ちなんて、解りたくもない」

 乾いた唇から、ようやく声を絞り出す。


「さて、先程の殿下への応えだが」

 クリストフは仮面を外す。

「殿下に直接触れるのは然程危険ではない」

 フリードリヒはうめき声しか出せない。

「少なくとも、この森の奥ではね」

 そう言うと博士は革エプロンのポケットから試験管のような何かを取出す。

 粘りのあるその中身は黄色く透き通っていた。

 その試験管のようなガラス容器の先端を折ると、中身を注射器に移し始める。


「それは?」

「今の君たちに説明しても難しいだろうから、簡単に言っておくと、かのお嬢さんが命懸けで作ってくれた薬だ。君の姫君に感謝したまえ」

 そのまま博士は注射を打った。

「ただし、それも君次第だがね。アルブベルグ王子」


「何故、僕のことを……」

 そのままフリードリヒの意識は遠のいて行った。



「漸くお目覚め?」

 目が覚めると、そこには黒髪を丁寧に結上げ、黒い麻のドレスを着た女が立っていた。


「ん、マリア……」

 太陽光に慣れないせいか、全てが白くとんでしまう。


「あぁ、博士が生き返らせてくれたのか……」

 安堵と共に顔を覆う。

 腕にはまだ少し黒い斑点が薄く残っていた。


「何故?」

 フリードリヒは、まだ状況がつかめずにいた。


「彼女の体自体が薬工房になったのだ」

 そこへクリストフが入って来る。

 あの革エプロンは外され、黒いベルベットの上着を着ている。


「どう云うことです?」

「彼女は『魔女』と疑われる直前、既に病に罹っている事に気付いた。そこで、その場でできるだけの薬を自分に入れると、病と闘う力を最大にする為に自身を仮死状態に置き、果たしてここに運び込まれた段階で体は病に勝利していたのだよ」

 王子の質問に博士が応える。

「しかし、それだけでは彼女の体はただの薬の貯蔵庫に過ぎない。そこで、私がその薬を取出し、後は実験をしてみて、効果があるなら彼女を仮死状態から蘇生させるとなった」

 博士は壁に掛けられた女の肖像画に目を送る。

「さて、そこで偶然にして、王子様、君が感染していた」

 博士は王子の黒い斑点の残る腕を指差す。

「『君次第』とはそう言う事だ。後は君たち二人が共に病への特効薬を獲得した事が証明されたので、これを基に薬を増やせばよい、と」

 クリストフはここまで、殆ど一息に話す。

「後の流れは殿下が体験された通りだ」


 博士は長い銀髪に隠れた方眉を上げる。

「で、君が寝ているこの一週間、薬は増やしておいた。後はこれを持って彼女と国に帰りたまえ」

「しかし、『魔女』の疑いが……」

「それは気にする必要は無い。全て、私のせいにすればよい」

 狼狽する王子に、博士は事もなげに告げる。

「え?」

「呪われた姫君を助けるため森の奥の怪物を倒し、国を救う光を齎した。素晴らしい筋書きではないか」

「しかし、それでは博士が……」

 クリストフは、目元だけで笑う。

「何、気にする事は無い、元々ここには限られた者しか入れん」

「はぁ」

「もう、帰りの支度が整っている。さあ、国へ帰って光を齎しなさい。そして『魔女狩り』等と言う下らない蛮行を繰返さぬよう、民を照らし、豊かにしたまえ、王子様」

「感謝致します。」

 王子は深々と頭を下げる。

「ところで、何故僕が王子だと?」

「なに、ずっと見ていただけさね」


 こうして、王子と姫は光の中へと戻り、凱旋を遂げた。

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