森の館
「こんな時間にどなたかいらっしゃったそうです。
「こんな時間にか?」
ランプに照らし出された革表紙に箔押しの文字が反射する壁の奥、暖炉の炎の前に座る影が応える。
「こんな時間に、でございます。ご主人様」
初老の男は頭を下げたまま続ける。
「紹介状は?」
暖炉の革張りのソファーから張りのある低い声が続く。
「ピーテルによりますと、特に無いそうです。今、門前で待たせておりますが、如何致しましょうか?」
初老の男の鬘の位置は変わらない。
「ふむ。こんな時間だからなぁ」
黒い影の声が続く。
「詮方あるまい。ホールに通して差し上げたまえ。私も直ぐに向かう」
「畏まりました。ご主人様」
初老の男の声の位置も変わらず続く。
「あぁ、そうだ、トマス。くれぐれも丁寧にな」
「心得てございます。ご主人様」
+
大理石の床に絹織りの絨毯が敷かれ、大理石の柱やフレスコ画で飾られた天井から吊るされたシャンデリアで照らされた入場広間には少年が所在なげにうろうろとしていた。
金具で補強されたブーツのつま先と拍車が足首まで埋まりそうな絨毯の毛並みを乱す。
「お待たせして申し訳ない」
声は上から響いてきた。
吹き抜けになっている広間を半周するように囲む大階段に沿って張りのある低い声が移動してくる。
「と申し上げたいところだが、このようなお時間の、それも約束の無いお客人では何ともし難く」
ベルベットの簡単な室内履きからの足音は殆ど無く、タイの無いフリルがふんだんにあしらわれた綿のシャツの上にある腰の辺りで結ばれた絹織りのガウンはサラサラと蝋燭とランプの光を反射していた。
「このような格好な事、ご承知置き願いたい」
そこに現れたのは、銀色に近い波打った長髪を垂らした、青年のような雰囲気を持った壮年のような、成熟はしているが齢は判然としない、鼻筋の通った男であった。
「改めて歓迎の言葉を。ようこそ、
少年を見つめるその目は、灯の反射の為か、赤く輝いているように見えた。
「こんな時間に失礼致します。何とも時間のなかったもので」
少年のような青年が応える。
その間にも、青年のような壮年は階段を移動し、上階の回廊の下にある暗がりへと入って行った。
「貴方が、その
「いかにも」
暗がりから声だけが聞こえた。
そして、青年の眼前に博士が現れる。
「私が、クリストフ・ヨハン・ヨーゼフ・フォン・ホーエンハイム・ツー・カリガリである。名も無きお客人」
少年は多少仰け反り、反射的に間合いを開ける。
「あぁ、これは失礼した。私はフリードリヒ・ラインハルト・ルートヴィヒ・フォン・ゲッツァーベルグ……」
姿勢を直しつつ、少年は自身をフリードリヒと名乗り、やや視線を遠くにすると、重心を両足に乗せ直した。
「……です。改めて、このような時間に失礼致しました」
「ふむ」
壮年、クリストフは軽く両目でフリードリヒを見据える。
「それで、そちらの
クリストフはフリードリヒの後にあるソファに横たわる毛布の塊に目を向けるとフリードリヒに訊ねる。
「何故ご存知で?」
フリードリヒは緊張し、聞き返す。
「なに、ピーテルとアンデルセン……ああ、門番の二人だが、彼等から聞いたのだよ」
この言葉を聞き、フリードリヒの目に光が入る。
「では、私がここに来た目的も……」
「今夜はもう遅い。パンとチーズとワイン、後はショコラーデくらいなら直ぐに用意できるだろうから、後はゆっくり休む事だ。今、客間を用意させているのでそこで休むといい。案内はそこのトマスがしてくれる」
フリードリヒの言葉を遮るようにクリストフが告げ、トマスが案内をする。
「こちらでございます。お客人」
「あ、ありがとうございます」
フリードリヒはトマスに案内されながら毛布の塊の様子を見るクリストフに礼だけ告げた。
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