朝食
「つまり、薬で仮死状態になっている彼女を私に生き返らせてほしい、と?」
どこからかチェンバロの音が響く中、博士は確認した。
目の詰まった胡桃の天板のテーブルの上には様々な果物が、バターの香りがするビスコットやチーズと共に並べられている。
館は曇天と濃霧とに覆われているが、それでも漆喰の壁に金細工を施した食堂は充分に明るく感じられた。
「つまり、そう言うことです」
薬湯に浸かり、櫛を通した髪を結上げた少年が応える。
「何故?」
「え?」
博士の問いに、少年も思わずそのまま返してしまう。
「貴君、フリードリヒの話を纏めると、つまり彼女、マリアは『魔女』と疑われ、魔女裁判に掛けられる直前に、自身で調合した毒薬を以て仮死状態に入った、となる」
「つまり、そう言うことです」
「それが解せんのだ」
そう言うとクリストフはチーズを乗せたビスコットを頬張り、身を乗り出す。
「何故、自分に解毒薬の無い薬を使う?」
その姿勢のまま、手元にあった鈴を鳴らす。
「それは……私には何とも……」
困惑したフリードリヒは手元のチョコラーデを一口呑む。
「次に、何故、私の処ならそれができると?」
フリードリヒは口を噤む。
そこへトマスが黒い湯気の立つ液体を持ってきた。
焙煎された香りが辺りに広がる。
「これは、カフワと言うものだ。東方や南の大陸から仕入れているもので」
博士はそう言いながら蜂蜜と牛乳を入れると一口含む。
「この香りや成分から、目の覚める効能がある。ちと苦いがね」
「貴方が、そういった物を扱っているのを知っていたからではないでしょうか?」
フリードリヒの言葉に博士は方眉を上げる。
「何故、知っている?」
「それは……」
「ヒルデガルドか?」
博士は、今度は待たなかった。
「はい……」
少年は小さく返す。
「ならば『魔女』と呼ばれても詮方有るまい。古代から続く秘術を扱っておるのだ」
「しかし、彼女は私利私欲の為に呪術を用いたことはありません!」
フリードリヒは思わず強い調子で返す。
「薬草は病人を癒すため、秘術も農作物を守るためでした!」
「それを、この飢饉と疫病の蔓延る中で行ったのだろう?守られなかった者や施されなかった者はどうすると思う?」
博士はカフワをもう一口すする。
蜂蜜や牛乳では打ち消せない苦みが胃と肺に染み渡った。
「彼女独りで全て救えと?神の子でもあるまいに!マリアはマリアの救える範囲で救おうとしただけです!それなのに、連中ときたら、ヒルデガルドの言葉の意味も考えようともせず、自分達の無知や怠惰をさしおいて……」
少年は、熱の入った強い調子で返すと、そのまま下を見る。
首の筋が固まり、指でほぐそうとする。
「他の連中も、自分の身近な者の死を真正面から受け止めるなど、不可能なのだろう」
博士は、カフワの苦みが喉と口に染み、眉を潜める。
「それでも、僕は……」
少年は博士に構わず、チョコラーデを見たまま何かを続ける。
「まあ良い。ヒルデガルドの秘術ならおよそ検討は付く。先ずは君も休みたまえ」
クリストフの言葉にフリードリヒは顔を上げる。
「それは……つまり?」
「全ては君次第だ。
少年はさらに顔を上げ博士を見返すが、博士は既にドアの向こうにいた。
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