何か映画でも見るかーという話題から転じて、ハッピーエンドについての持論を展開してゆく、誰かに話しかける誰かのお話。
珍しい形式の作品で、なんと全編通してひと続きの話し言葉です。独白とは違って、明確に誰か他の人に向けての発話。要は事実上の長台詞、3,000文字ぶっ続けでのおしゃべりです。まずもってこれでお話として読めちゃうのがすごい……というと語弊があるのですが、もう普通にうまいというかしっかり乗りこなしているというか、この形式をちゃんと使い切っている感がありました。この形でなければ書けなかったものを書いている。
平たくいうなら、「本来であれば前提となる基本情報」の不足。話者たるこの人が誰で、いま現在はどんな状況で、そもそも話しかけられている自分は何? という、そこが必然的に全部抜け落ちた状態で進んでいく物語。普通は成り立たないというか、仮に長台詞から入ったとしても、読んでる側がしびれを切らす前にカメラが引くんですけど、このお話はそのまま最後まで行っちゃう。本来必要なものを全然気にさせない(仮に何であろうと話の中身には関係ない)形で話を回して、でも結末までにはちゃんと明かされる。そしてそこにしっかり意味があるというか、明されたこと自体がなんだか気持ちいいような。平たく言うと「出来がいい」とか「ちゃんとしてる」とか、曖昧な上に偉そうな言葉になって困るのですけれど、でもそれ。この感じ(伝われ)。
その上でなお巧み、というか非常に感想を書きにくくて困るのが、本当に基本的な情報しか明かしてくれないところ。実質的には伏せられたままの要素の方が多くて、でも全然『謎』のままではないというか、最低限この人を『ひとりの人間』『対話相手』として認識させられてしまっている点。
以下はその詳細に触れるためネタバレになります。
男性で、どうやら『わたし』の恋人らしい。よく考えたらそれしかわからないんです。いえわからないこと自体は構わないというか、お話として満足している以上そこは何の問題もない(むしろすごい)んですけど、この構造のトラップというか凶悪なところは、その『わからない部分に読み手が勝手に何かを補完してしまう(せざるを得ない)』点。だって顔も年齢もない人間というのは現実にはいないわけで、そしてそこに何を代入したかで、このお話の印象って結構変わると思うんですよね。
こういうところに想像の余地を残したお話は、自分はどうしても『えっぐいことする〜』という方向にゾクゾク喜んでしまうタイプで、つまり良く言えば慎重派です。常に最悪のケースを想定して歩くため、すべての踏み絵が自動的に『自分の顔した地雷』になる。つまりこう、彼のことをどうにも、いまいち、信用できないというか……わりと同キャラ対決と言いますか、見る映画一本決めるのにこんな長話する役回りはむしろわたしですけど? というのもあるのですけれど。彼氏にはただ黙ってニコニコ頷いていてほしいし、あとは年収と学歴と身長があれば何もいらない。いえ違うんですだってしょうがないじゃない、「この人こそは素敵な人かもしれない」と信じて後から痛い目見るのはもう嫌なの……(ごく自然な被害者ムーブ)
と、いうわけで、なんかもうどっぷり浸かってしまいました。完全に彼の話術に引っ張られたっていうか、無理矢理引きずり込まれた感じです。わずか3,000文字で潜れる深さとは思えない、ぎゅうぎゅう押し潰しにくる水圧が気持ちのいい作品でした。