第46話 精霊正教国

 鬱蒼と茂る森の中を進み、いつしか地面は木々の間から零れ落ちる夕陽によって、ほんのりと朱く染め上げていた。


 少し開けた場所を見つけ、一度その場で停車すると、アルクとガイロスはテキパキと動いて野営の準備に取り掛かる。


 その様子を見ていたリルとクレナは焚火の準備を始め、このままでは申し訳ないと思った俺は、野営に必要な荷物を荷台から降ろして整理整頓していた。


 ポーラはと言えば、俺たちの周辺四隅を巡り、角に何か石のような物を置いては祈りを捧げる様に手を合わせている。

 聞いてみたら、簡易の結界を張っているのだという。


「へー、やっぱり教会司祭長様って凄いんだねぇ」

「ふふっ。大したことではないけれど、この森とて魔物は徘徊していますから、こうしておけば少しは安心できますものね」


 悪意ある存在に対して反応するという光の防護結界だという。

 よく見れば、何だかほわんとした薄い透明の膜の様なものが野営場所の周辺を覆っていた。


「薪木、拾ってきましたぞ」


 森の方からガイロスがアルクと共に木の枝を束ねて戻ってきた。


「あ、こちらで受け取ります」


 そう言って木の枝を受け取るリルとクレナ。


「簡易テントと寝袋は大丈夫だから、あとは食事の用意だね」


 俺がそう言うと、何故かポーラがそっと明後日の方を向いた。

 その様子を見て俺は苦笑いすると、腕をまくって声をかける。


「ハハ。じゃあ、俺がやるかぁ。あまり上手くないんだけどね」

「あの……よかったら私にやらせていただけませんか?」


 手を挙げたリルを見て、俺は思わず安堵する。


「本当? いやぁ、助かる。冒険者といっても、料理は大雑把な物しかつくれないから、正直苦手なんだよね」

「むぅ……家事が出来てお淑やか……危険な香りがする」

『要注意ね』


 何を言ってるんだ。


「で、では、作りますね。クレナ、手伝ってくれる?」

「もちろんよ、お姉ちゃん」


 二人は笑顔で焚火に向かった。





 リルとクレナが作ってくれた夕食を前に、俺たちは感嘆の声を上げる。


「「「おー……」」」


 目の前に並ぶのは、干し肉を小さく砕き、たっぷりの野菜と香草で煮込んだスープと、ここに来る途中で捉えた鳥肉を香草で包み焼し、塩を振っただけのシンプルなもの、そしてパンと葡萄酒だった。


「あの、お口にあえば良いのですが……」

「合うでしょ。これ、絶対美味いやつだよ」


 そんな会話をしながら、ポーラが静かに手を合わせて祈りを捧げる。


「では、神のご加護を。全ては神と光りと共に」

「「全ては神と光りと共に」」


 ポーラに続いて皆が言うと、早速夕食を頂く。


 肉はジューシーで噛めば噛むほど肉汁が溢れる。

 香草で焼いたためか匂いも美味しい。

 スープも野菜から出た甘みが身体にじんわりと温かみを与え、物凄く優しい味に心が洗われるようにほっとさせられる。


「おいしい……」


 ほぅと一息ついて声を出すと、皆も同じように頷いた。


「よかった……」


 嬉しそうに呟き、ようやくリルも自ら作った食事を食べ始める。


「ところで、明日には精霊正教国に入るんだよね?」

「ええ」

「そもそもどんな国なんだい?」


 焚火の火を絶やさぬように枯れ枝を継ぎ足し、何故か嬉しそうにくるりと回転するエリーを尻目に尋ねると、その質問を受けてポーラが手にした食器を地面に置いた。


「森の守護者であるエルフが統治する国です。精霊大樹という樹齢1万年を超える木が国の中心にあります」

「精霊大樹。凄そうだねぇ」

「一度見て見るとその大きさに感動すると思います。私たちエルフは、その森を中心に精霊が憩う場所を守るために活動しています」

「精霊がいるんだ」

「ええ、沢山住んでいます。中でも、光の女神ファレンの息吹に加護された精霊はが精霊大樹に住んでいて、教会神官は皆その光の精霊から加護を受ける儀式を受けます。そこで光の魔法を扱えるようになり、人々を癒すだけでなく、魔霊や悪霊とも戦える力を手に入れることが出来るのです」

「そうなんだ。すごいね」


 頷く俺にニコリと微笑むポーラは、仲良く食事を続けるリルとクレナに目を向ける。


「彼女たちはその若木。新たな神官として加護を授かるでしょう」

「それなんだけど、確か素養があるって言われたんだよね。どんなものなの?」


 ふわりと髪をかき上げ、俺にドキリとするような微笑み向ける。


「気になります?」

「あ、ああ。気になる」

「人を愛する深さ。他者をどれだけ思えるか、つまりは、慈愛の心の深さです」

「愛する深さ? どうやってわかるんだい?」


 目を細め、俺の手を取るとそっと告げる。


「姉妹である彼女たちは、互いを思う心が強く見出せたのでしょう。そして、彼女たちはダリルに助けられ、そこで更に慈愛の心を深くした」

「俺が助けたから?」

「少し妬けますが、あの子たちは救ってくれたあなたの事を慕っています。その心が慈愛の心を更に深くしたのでしょうね。……妬けますけど」


 少しばかり頬を膨らませるポーラに、俺は思わず苦笑いを浮かべる。

 そんなこと言っても、こればっかりはねぇ。


「まあ、今夜は私が添い寝して差し上げますので、楽しみに……」

『また寝言を言ってるのね? まだ寝てないのに大丈夫? それに手まで握ってからに』


 急に背後に現れてジト目で見てくるエリーが器用な魔力操作で繋がれた手をほどくと、ポーラは頬を膨らませてそっぽ向く。


「今度は私の番です」

『何を言ってるのよ。昼間馬車の中で膝枕してあげたでしょ?』

「このままではあの姉妹に差をつけられちゃいます! 死活問題です!」

『何を言ってるのかしら、この子は……』


 すると食事を終えたガイロスが、何かを見かねてか傍に来た。


「今夜は私とアルクが交代で見張ります。ポーラ様の結界によって問題ないと思いますが、念のために……」

「俺も見張り手伝いますよ?」

「そうですか……では、お言葉に甘えます。男性3人で交代で見張りましょう」

「わかりました」


 去り際に俺の肩をポンと軽く叩きながらウィンクする。

 そんな壮年の騎士のその行動は、渋いイケオジとして俺の印象をぐんと上がらせる。

 ああいう中年になりたいね。


「じゃあ、俺たち男3人は交代で見張るから、女性3人は簡易テントで寝てね」

「……仕方ありませんね。エリーちゃん。ここは手を引きましょう」

『手を引くも何も……油断も隙も無いわね』


 不満たらたらのポーラだったが、エリーは腕を組みながらふんとそっぽ向いた。





 翌朝。

 結界術がよっぽど素晴らしいのか、魔物が一切近づかなかったため、昨晩は皆がぐっすり眠りに着くことが出来た。

 すっきりした朝を迎えて起き上がると、女性3人は焚き火を前にエリーと一緒に朝食を作っている様だった。


 ん? エリーも??


 不思議に思って焚火の傍に向かうと、俺に気がついたリルが頭を下げた。


「おはようございます」

「おはよう。皆でご飯を作ってくれたのかい?」

「ええ」

「そうなの。リルたちのご飯が美味しかったから、作り方を教わろうと思って」


 そう言うポーラの頬は、少しばかり煤で汚れていた。

 俺は彼女の傍に近づき、手にしたタオルで汚れた頬を拭く。


「あ、あら……」


 少しばかり頬を染め、ポーラは俺に潤んだ瞳を向ける。


「こんなに優しくされるなんて、やっぱりあなたは私の旦……」

『はいはい。ご飯の準備ができましたよー』

「……はぁ。まあ、いつもの事ね」


 ため息交じりに呟くポーラをよそに、リルとクレナは苦笑いをしながらスープをよそっていき、エリーは俺の傍にふわりと寄り添うように並び立つ。


『おはよう、ダリル』

「ああ。おはようさん」

『眠れた?』

「ああ」

『そう。それは良かったわ』

「そういや、朝ご飯を一緒に作っていたのか?」

『ええ。出来る事なら何でもしてみたいと思ってね』

「へぇ……相変わらずいろいろと器用な事で」


 少しばかり感心するが、ふと疑問に思ったことを聞く。


「そういえばさ、ここって結界が張られているんだろ? エリーは大丈夫だったのか?」

『あー……それなんだけど』


 苦笑いを浮かべてポーラに視線を送る。


『なんだかんだ言って、私の魔力の波長と合わたみたいで、排除されないようにしてくれてたみたいね』

「そうなのか? それって凄くないか?」

『ええ。伊達に司祭長の名を語っているだけの事はあるわ。少しばかり悔しいけど』


 本当に悔しそうな表情をするエリーに、俺は思わず苦笑いを返す。


「まあそう言いなさんな。ポーラのお陰でいろいろと過ごしやすくなったのも事実だからさ」

『それはそうなんだけど』

「じゃあ、出発の準備をしよう。いつまでもここにいる訳にもいかないしね」

『ええ、そうね』


 そう言い、俺たちは出発の準備を始めた。





 荷物を纏め、出発した俺たちだったが、御者台にいたガイロスがポーラに声をかける。


「ポーラ様、あちらに既にお待ちになっています」


 ガイロスが視線を向けた方に、一本だけ黄色の葉に覆われた木の傍に立つ、浅葱色のローブを身に纏う2人の人物が立っているのが見えた。

 案内役のエルフだという。


「精霊に導かれて待っていたようですね。丁度良かったです」


 頷き返し、ポーラは俺の方に向く。


「精霊正教国の案内者が待機してくれているので、傍に近づいたら話をしてきます。ここまで来ればもうすぐで精霊正教国ですよ」

「そうなの? 何だかまだまだかかるような気がしていたんだけど」

「ふふっ。以前お話しした通り、楽しみにしていてくださいね」


 微笑むポーラに、俺は小さく頷いた。


「二人ももう少しで到着しますからね。本来であればもう少し時間がかかりますけど、今回は貴重な経験という事で理解してください」

「は、はい」

「わかりました」


 リルとクレナも頷くのを確認したポーラは、御者台の方へと身を乗り出し、案内人のエルフの元まで行くようアルクに指示を出す。


 黄色の葉が覆う木の傍まで近づくと、案内役のエルフが手を振って止まる様指示をする。


「お待たせいたしました」


 馬車が止まると同時に降りたポーラがそう告げると、浅葱色のローブを身に纏う二人のエルフが驚いたように頭を下げた。


「ポ、ポーラ様! お待ちしておりました」

「ご苦労様です。では、早速ですが、準備はよろしいですか?」

「はい。ポーラ様のタイミングで問題ないです」

「わかったわ。馬はお願いね」

「お任せを」


 エルフの案内者とのやり取りを終えたポーラが、荷台から顔を出す俺たちに顔を向け、笑顔で手を振る。


「ダリルー! すぐに行きますよー!」

「俺たちはどうすればいいんだい?」

「しっかり捕まっててくださーい!」

「捕まる?」

「そうでーす。私が荷台に乗ったら、すぐに動きますから気を付けてくださいねー!」


 意味が解らないが、とりあえず頷いておこう。


 ん? ガイロスとアレクが荷台に入ってきたな。


 よく見ると、リルとクレナは既に椅子にしっかり座り直している。


 ……気のせいか、4人とも椅子の端っこをしっかりと握りしめているけど、一体何で?


「ん? どしたの?」

「じゃあ、行きますよ!」


 ひょいと現れたポーラが荷台に飛び乗る。


 その瞬間


「ぬはっ!!!!!」


 急激に荷台が激しく揺れ動き、そして物凄い速さで何かに投げ飛ばされるようにして押し出された。


 勢いよく押し出された感覚がしたが、思わぬ勢いに俺は間抜けにも床を転がり、そしてポーラに抱き留められる。


「あはは! やっぱり初めてだからこうなっちゃったわね!」

「な、何が起こって……というよりさ、リルとクレナは何で平気なの!?」

「え? だった昨晩説明したからねっ」

「何だって!? 俺、聞いてないっ!」

「あはっ。驚いて欲しかったから、ゴメンね!」

「い、いや、教えてよっ!」


 荷台の外の景色が物凄い速さで流れている。

 微弱な振動がひっきりなしに続き、話していると舌を噛みそうになる。

 森の中を突っ切っているため、木の幹が勢いよく通り過ぎていく。


 そして、急に制動がかかった。


「のはっ!」


 俺だけが荷台の前へと転がる。


 すると、今度はエリーが俺を抱き留めた。


 ……正直目が回る。


『……大丈夫?』

「そう見える?」

『見えないから心配したのよ』

「す、すまぬのぉ」

「はいはーい。とりあえず降りてくださいねー」


 明るくそう告げてくるポーラに従い、意味が解らないままとりあえず荷台から降りる。

 俺に続いてガイロス達も降りると、最後にポーラが軽快に降り立ち、俺の正面に立つと笑顔で両腕を大きく広げた。


「はい、到着しました。ここが精霊正教国です!」


 ポーラの背後に、途轍もなく大きな大樹が空を覆いつくさんばかりに枝を張り、至る所で小さな光の粒子がキラキラと輝いている不思議な空間がそこには広がっていた。


 気がつけば、もう精霊正教国に着いていたようだった。

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