第38話 教皇ティリエス

 朝。それはもう気持ちのいい朝。

 窓の外から、ちゅんちゅんと小鳥たちの囀りが聞こえ、ぱちりと瞼を開ければ、まだ仄暗ほのぐらい部屋の光景が視界に映る……はずなのに……何で?


『おはよう』


 微笑みを浮かべながら俺をじっと見つめる、絶世の美女が声をかけてくる。


「ぬあっ!?」


 目を見開き、驚いて飛び起きる俺を見て、エリーはクスクス笑う。。


『もう少し寝ていてもいいのに。まだ早いと思うわよ?』

「そう? って、あんな風に驚かされて2度寝なんて出来る訳ないでしょっ! てか 一体どうしたんだ!?」


 なんで、エリーの顔が目の前にある!?

 理解できずに目を瞬かせると、エリーは不思議そうな表情を浮かべた。


『どうしてって……“添い寝って言ったって、どうせ出来ないだろ?”って言ったのはダリルじゃない。だから、出来る事を証明してあげたまでよ?』


 そ、そうなのか……。

 いやいやいや、違うでしょ。

 だ、だが……感触が無いのが悔しいなぁ、おい!!


「感触がないから悔しいし、何も感触がないのに目の前に顔が見えたら物凄く怖いやんかっ!!」

『あらっ。こんな美人を目の前にして怖いだなんて……酷いわダリル……』


 しくしくと泣く真似をするエリー。

 かぁー! 卑怯だぞっ!!

 泣きべそかきながらも目は俺の方を見てるじゃないかっ!

 お前さんはおこちゃまかっ。


「くうぅ……そんな事しても効かんぞー」

『何が?』

「そんな仕草は効かないって言ったんだいっ」

『あらそうなの? その割には動揺しているようだけど』


 感心した様に頷きながら起き上がると、ふわりとベッドサイドへと降り立つ。


『まあ起きた様だし、着替えたらどうかしら?』

「むむぅ……そうする」

『ふふっ。じゃあ、着替えるのを手伝ってあげる』

「別に一人で出来らいっ」

『あらぁ……大きくなったのねー、ダリル』

「何年前の話しをしているんだ……ったく」


 ぶつぶつ呟きながらベッドから降りると、部屋に備えられたテーブルの上にきちんと並べられている服を手に取る。


「はぁ……相変わらず器用な魔力操作で」

『クローゼットを利用しない誰かのお陰で上手くなった、というのは秘密よ?』

「秘密になってないじゃん」


 苦笑いを浮かべる俺の傍に並び立ったエリーは、手先を器用に操作して服を俺にあてがってくる。


『今日は教皇と会うのよね? 一応きちんとした服装で臨むべきだと思うけど……』

「けど、何?」


 少し困った様な表情をするエリーに、俺は首を傾げて尋ねる。


『公の場で着れる礼服、買っておけばよかったかな』

「はぁ、まあそうかもしれないけど、俺はただの冒険者に過ぎないから、いつもの服が礼服みたいなもんだよ」


 そう言いながら服を着ていく。

 まあ、いつもの服を身に着けたわけだけど、何だかいつもと違う雰囲気の中で着るから何故か緊張した。


「さて、これでいいか」


 用意し終えた俺が自分の胸元を確認してため息をつく。


『似合ってるわ』

「そう? いつもの服だと思うけど」


 そういうと、エリーはクスリと笑う。


『ええ。いつも通りだから、似合ってると言ったのよ』

「そうか? なんだろう、ビミョーに褒められてないような気がする」

『気のせいよ?』


 俺は疑問に思いながらもとりあえず頷くことにする。

 すると、扉がノックされた。





 教会修道女の案内で朝食を摂った俺とアルクは、再び部屋に戻ろうと廊下に出たところで、神殿騎士団のガイロスが待っていた。


「二人ともおはよう」

「「おはようごさいます」」


 挨拶を交わす俺たちに、ガイロスが笑顔で頷く。


「食事を終えた様ですね。では、これから大聖堂へと向かいますが、よろしいですかな?」

「はい。ところで、ポーラ……司祭長はどちらに?」

「先に現地でお待ちです。では、こちらへ」


 踵を返すガイロスの後に従い、俺とアルクは続く。


 神殿宿舎を出て、大聖堂裏口から入る。

 流石に教会建物だけあって、これまでの木の床から一転し、真っ白な光沢が艶やかに輝く様な錯覚を覚える磨かれた床へと変わる。

 白い石柱には細やかな装飾が施されており、時折見かける大きな窓は、深紅の艶やかな生地で作られたカーテンが揺らめく。

 長い廊下を進み続けると、突き当りに白石で造られた、背に4枚の翼を持ち、胸のところで手を合わせて空を仰ぐ美しき女性像が安置される場所にたどり着く。

 その美しさに思わず感嘆の声を上げると、ガイロスがちらりと石像を見ながら説明する。


「光の女神、ファレン様の彫像です」

「この人が女神さまですか」


 はー、綺麗だねぇ。

 とはいえ、確かにこの女神像は綺麗だが、不思議とそれ以上の感情が湧いてこない。

 まああれだ、毎日毎日美しきエルフの巫女や絶世の美女が、実際に動く姿で見続けているから、それ以上の感想が無いんだろうねぇ。

 とはいえ、おっぱいは二人の方が勝ってるな。うん。

 罰が当たるかもしれない妄想をいだいている俺の事など知る由もないガイロスは、小さく笑顔を浮かべながら頷くと再び歩き出す。


 女神像を左に曲がり、更に進む。

 すると、目の前に屈強な騎士が2名守る大扉が見えてきた。


 恐らく、あそこが目的の場所なのだろう。

 まあ、それ以外に目ぼしい部屋の扉が無いからな。


「着きました。ここから先は、ダリル殿だけ行ってください。これ以降は中の者が案内いたします故、ご安心ください」

「わかりました」


 ガイロスが微笑みを浮かべて道を開けると、俺は感謝を込めて頭を下げ、気を取り直して大扉の前に立つ。

 俺の姿を見た衛兵2名が、それぞれ扉のノブに手を添え、タイミングを合わせる様に引き開ける。


 開かれた部屋はかなり大きい部屋の様であり、天井はかなり高い。

 床には、端が金糸で縁取られた深紅の美しいカーペットが真っ直ぐ敷かれ、その先には大きな椅子に腰を掛ける者の姿が確認できた。

 部屋の両左右には神殿騎士が整然と並び、その後に教会司祭や神官たちが並び立っている。


 一瞬惚ける俺の前に、純白のローブ姿の女性司祭が近づき、静かに頭を下げた。


「お待ちしておりました、ダリル様。どうぞこちらへ」


 女性司祭が俺をエスコートする様に先を歩く。

 思わずたじろぐが、すぐさま気を取り直し、先導する彼女の後を追いかける。

 左右に神殿騎士が起立し、ピクリとも動かない。

 いやあ、仕事とはいえ大変ですねぇ……。本当にご苦労様です。

 ま、俺の思考など知るはずも無いか。


 そんな考えをしながら女性司祭の後に続くと、絨毯の終点が見えてきた。


 終点の先には数段しかない階段があり、その上に大きな椅子が設置され、姿勢正しく座る者の姿があった。


 その者は、頭にシャンデリアの光を受けてキラリと輝く銀の冠を戴き、右手に人の身長ほどありそうな長い銀の錫杖を持っている。

 白絹を用いた光沢あるローブを身に纏い、冠から垂れる薄いヴェールの奥には、知性を宿したエメラルドグリーンの瞳が薄っすらと見える。

 体つきから女性だと分かるが、表情が伺えないため年齢が分からない。

 だが、よく見ると、冠から垂れるヴェールの左右に突き出る長い耳が確認できた。


 エルフだ。


 目の前の椅子に座る女性がエルフだという事を確認すると、ふと視線を左右に控えている人々へと向ける。

 錫杖を持つエルフの女性の背後には10名近い司祭服を身に纏う者がいた。よく見ると、その左端に見知った顔を見つける。


 ポーラだ。


 彼女は俺に視線を送って微笑みを浮かべる。

 思わず安堵して気の抜けた表情になろうとした瞬間、彼女が慌てて小さく首を振ったのを見て気を取り直す。


 俺を案内してくれた女性司祭が、目の前の錫杖を持つ女性に頭を下げると、姿勢をそのままに音もなく下がる。

 周囲の俺を見る視線を感じ、どうすればいいかを逡巡したが、とりあえずその場で跪くことにした。


「どうぞおもてを上げてください」


 少し低めの声。

 そんな声が俺に掛けられ、ゆっくりと頭を上げる。

 ヴェールに顔を覆う目の前にいるエルフの女性が、静かに俺に視線を投げてきているのが分かった。 

 俺は頭を下げて名乗り出る。


「ノルドラント王国から来ました、ダリルと申します」


 顔を上げると、エルフの女性が小さく頷くのが見えた。


「教皇ティリエスです。この度は遠路はるばるお越しいただき、感謝いたします」

「もったいなきお言葉、ありがとうございます」


 俺の言葉に何度も頷く教皇ティリエスは、身体を少しばかり前に出し、静かに尋ねてくる。


「いらして早々で申し訳ないですが、単刀直入に尋ねます。ノルドラント教区司教のノードからの報告で、貴殿は悪霊を使役していると聞きましたが、それはまことですか?」


 ティリエスの質問は、周囲に波紋を呼んだ。

 彼女の背後に控えている司祭たちが小さく何かを囁き、俺の両左右に控えている神殿騎士や神官たちも互いに何かを囁き合う。


 俺はそんな周囲の状況を把握しつつも、静かに目を閉じ、僅かに息を吐く。


「はい。その通りです」


 俺の回答は、この部屋全体に更なる波紋を呼んだ。

 ティリエスの質問以上に、ざわめきが周囲に広がる。


 その時、ティリエスの左手が静かに上がる。


 すると、それまでのざわめきが嘘のようにピタリと止まる。


「なるほど。では、この場で呼ぶことは可能ですか?」

「出来ますが、一つお約束頂けないでしょうか?」

「なんでしょう」


 俺は真剣な表情でティリエスを見据える。


「ここに呼んだとしても、彼女を……いえ、私たちを信じ、攻撃しない事を約束頂きたい」


 僅かに視線を左右の後背に向け、俺はそう告げた。

 すると、ティリエスは理解した様に何度も頷いた。


「わかりました。お約束しましょう」


 そう言うと、彼女は背後に控えていた司祭を呼び、小声で何かを告げる。

 背を低くして話を聞いた司祭は、驚いたようにティリエスを見る。だがすぐさま頭を下げて頷くと、その場で姿勢を正し、声を上げた。


「神殿騎士及び司祭の皆に告ぐ。これより、一切の武器及び魔法の使用を禁ずる。よいか!」


 教皇の言葉を伝えた壮年の司祭が、部屋中に伝わる声で宣言する。

 一瞬の躊躇いがあったのだろう。だがそれも一瞬で、すぐさま周囲の騎士たちが警戒していただろう緊張を解く。

 更に、その背後の控えていた司祭や神官たちも皆、警戒を解いた。


 まあ、言葉で伝え、そのまま完全に解除するのは正直無理なのは承知している。

 とはいえ、言質を取ったのは事実。それに、いざとなったら逃げるのみだ。


 そんな俺の考えを察するかのようにティリエスは立ち上がると、俺の方へと歩み寄ってきた。


「げ、猊下!」


 背後に控えていた先ほどの司祭が声をかけるが、ティリエスは少しだけ顔を動かし、小さく首を振る。

 それを察してか、司祭はそれ以上何も言わなくなる。


 コツコツとヒールの音が響き渡る。

 ティリエスが俺の方へとゆっくりと歩み寄り、やがて俺とは目と鼻の先まで近づいた。


 ヴェールで隠された顔は見えない。

 そんな俺の思いも察した様に、ティリエスはおもむろに左手でヴェールを持ち上げる。

 すると、そこには藍色の長い髪に、エメラルドグリーンの美しき瞳をした美しき妙齢の女性が姿を現した。

 30歳ぐらいの若き容姿に、俺は思わず驚いて目を見開く。


 ポーラと瓜二つの顔。


 まあ、おっぱいはポーラの方が……げふんげふん。


「驚きましたか?」


 俺の心情を察した様に、ティリエスが静かに尋ねてくる。

 邪な感情までは見抜いてないよね?


「は、はい」

「ふふっ。ポーラは私の孫ですの」


 なんですとー!

 心の中では驚きの連続ですよ!!

 しかも、孫!

 てっきり親子だと思った……。


「そ、そうでしたか」

 

 至って冷静に返したつもりだが、若干声が上ずっている。

 そんな風に緊張した俺を見たためか、若干いたずらっ子の様な表情を僅かに浮かべ、小さく笑声を上げながら静かに頷いた。


「どうですか? これで信じて頂けましたか?」

「は、はい。もちろんです」

「そうですか。それは何よりです」


 そう言いながら、ティリエスは俺に手を差し出してくる。


「さあ、お立ちになって」

「よ、よろしいので?」

「ええ、構いません」


 一瞬ためらったが、教皇自ら手を差し出しているのだ、ここで手を取らねば失礼に当たるのではないか、そんな事を逡巡し、意を決してその手を取った。

 柔らかな感触が伝わる。

 そんな感覚を覚えながら、俺はティリエスに引かれて立ち上がる。


「では、どうぞお見せください」

「はい。では……」


 俺はため息をつき、そして、静かに彼女の名を呼ぶ。


「エリー」


 その名を聞き、ティリエスは小さく肩を震わせる。

 そして俺の右側に漆黒のオーラが現れ、周囲に禍々しいオーラが集約していく。

 やがてオーラの中心部から白い手が伸び、漆黒のローブを身に纏い、漆黒のウェーブかかった長き髪を揺らせながら、絶世の美女が姿を現した。


 周囲がどよめく。

 狼狽える者もいたが、悲鳴を上げる者はいなかった。

 さすが教会本拠地だけあり、悪霊といえども怯む者はいなかった。


 その時、カランと何かが落ちる音が室内に響き渡る。

 俺は驚き、目の前にいる教皇をちらと見る。


 俺の目の前に立つ教皇ティリエスが、錫杖を手放し、目に見えて震える手をそのままに、驚いた表情を浮かべて目を大きく見開いていた。


 俺の直ぐ右隣に現れたエリーは、少し周囲に認識しやすいようにしたのか、若干顕在化しており、いつもより若干肌の色に艶が見受けられた。

 そんな彼女はつまらなさそうに周囲を一瞥していたが、若干とはいえ顕在化している事に驚き、思わず彼女の目を見る。


 美しいアイスブルーサファイアの色。


 よかった……問題ない。ふぅと小さく息を吐き、安堵する。


 そんな俺の視線に気がついたのか、エリーは目を合わせて柔らかく微笑みを向けてくる。

 すると、今度は目を僅かに細めながら視線を教皇へと向けると、不満そうな声を上げた。


『私に何かご用かしら?』


 エリーの発した言葉に周囲が更にどよめいた。

 無理もない。これまでに悪霊と意思疎通した前例など無いのだ。

 悪霊は討滅対象。なにせ、災害級霊障なのだから。


 気を取り直したかのように小さく首を振ると、ティリエスは微笑みを浮かべる。


「……はじめまして。私はティリエス。ルストファレン教会の教皇を務めております」

『知ってるわ。ダリルに自己紹介していたものね』

「それは話が早いですね。では、あなたの名を尋ねても?」

『エリーよ』

「……エリー。では、これからあなたを何とお呼びすれば?」

『好きにしたらいいわ』


 ぶっきらぼうに呟くエリーに向けて微笑みを浮かべながら、ティリエスは小さく頷いた。


「そうですか……では、そうさせて貰います」

『で、用件は?』


 エリーがつまらなさそうに呟く。

 すると、ティリエスはエリーの目の前へと静かに歩み寄り、俺に一瞬だけ視線を向ける。

 そんな仕草に疑問を抱くが、それも束の間、何事も無かったかのように表情を消してエリーの耳元に顔を寄せると、俺にも聞こえる程の小さな声で囁いた。

































「お逢いしとうございました……エリー…………いいえ、殿











 エリーは驚愕の表情を浮かべ、固まった。

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