第37話 『心』
白塗りの壁で建てられる3階建ての建物に入った。
この建物が、神殿宿舎と呼ばれていると教えてくれたのは、俺とアルクを案内する壮年の神殿騎士だ。
ポーラはこの宿舎に入ると、すぐにフォルマーニに連れられて別の場所に向かっており、俺たちとは別行動をしていた。
不安になる俺に向かって、建物に入った直後、壮年の神殿騎士が案内すると言って俺たちの先を歩いている。
綺麗に掃除された床にはゴミどころか塵ひとつなく、外の造りはなんだか壮大な感じを覚えたが、中は至って質素なものだったが、とても清潔であり、ほんのりと優しい花の香で満たされていた。
「とても綺麗ですね、それに、何かいい香りもする……」
俺が目をつむりながらそう感想を言うと、前を歩いていた壮年の騎士がにこやかに応じる。
「毎日、教会の修道士や修道女たちが丹念に掃除していますから。それに、香りについては私は慣れてしまいましたが、きっと床材に使用している香木だと思います」
そう教えられて床に目を落とすと、木目の美しい床が長い年月をかけて丁寧に磨かれている為か、何となく艶が出ている様に見えた。
「はぁ……すごいですね。なんだか、神聖な香りとでもいうのでしょうか、そんな感じがしますね」
「ハハハ! そう言っていただけると、ここを掃除している者たちも喜びましょう。とにかく、貴殿らは客人なのですから、ゆっくり休まれるといい」
すると、アルクが恐る恐る話す。
「あ、あの、僕は神官見習いなんですけど、手伝わなくていいんですか?」
その質問に、騎士はアルクの方に顔を向けて小さく笑顔を浮かべた。
「長旅の間、ずっと馬車の手綱を握っていたのでしょう? だったら、ここにいる間は客人と同じ。気にする事はないでしょう。むしろ、遠方から来た貴殿らに手伝わせたとなれば、こちらが怒られてしまうでしょう」
にかっと笑顔を見せる騎士に、恐縮した様に頭を下げるアルク。
いやぁ、ここの人たちの性格は良すぎるなぁ……。どっかのギルドに見せたいくらいだ。
「さて、ここが部屋です。一人一部屋にしていますから、今日はゆっくり休んでください。食事は修道女が教えてくれます。今後の事については、食事の際にお話があるでしょう。それに、野盗と戦闘をし、巡礼者を助け、保護したとも聞いています。その疲れを癒すためにも、どうかゆっくりお休みください」
壮年の騎士が部屋の扉の前で説明しながら、俺たちに小さく頭を下げた。
そんな姿に、俺もアルクも思わず首を大きく横に振る。
「い、いや、お気遣いな、なく」
「え、ええ。僕なんか何もしてないですから」
慌てて伝える俺たちを見て、壮年の騎士が額に手を当てながら笑った。
「ハハハ。いや、失礼しました。聞いていた話とは随分違いますな」
「え? 何て聞いていたので?」
「ああ。ま、こちらの話しです。気にしないでください」
そこまで言われると気になるじゃないかっ!
ま、疲れているのは事実だし、ここは流しておこう。
そう思う俺の気持ちを察してか、壮年の騎士は小さく頷き、扉を開けた。
「ダリル殿はこちらで。アルク君は隣になる。用件がある場合はお声がけください。私は直ぐ傍に控えていますから」
そう言って、3部屋先の通路の角に置かれた机と椅子を指さす。
そこには、既に1名の神殿騎士が立っており、壮年の騎士が指さしたのを見てか、俺たちに頭を下げた。
「常に誰かはあそこに控えていますからご安心ください。なので何かご用件があれば、遠慮なく言ってください」
そう言ってその場を去ろうとした騎士だったが、不意に足を止めて俺たちの方を向く。
「そういえば名乗っていませんでしたな。私はこの神殿宿舎守備責任者のガイロスと言います。以後、よしなに」
「あ、お、俺はダリルです」
「アルクです」
慌てて名乗り返した俺に、ガイロスは既に知っていますよと言わず、代わりにウィンクして返す。
「さ、どうぞ休んでください。夕食の用意が出来ましたら、お声掛けますから」
「ありがとうございます」
俺がお礼を言い、アルクが頭を下げると、ガイロスは笑顔を返してその場を去った。
俺とアルクは互いに顔を見合わせ、小さく頷いてそれぞれ宛がわれた部屋へと入るのだった。
ロムレム砦での夕食とは違い、神殿宿舎1階にある食堂に呼ばれて夕食を頂いた。
ポーラとアルクも一緒だったので、前に比べて安心して席に着くことが出来た。
出された食事は本当に質素なものだ。パンにスープ、サラダにローストされた肉料理、そして葡萄酒だった。
食事を終え、ほっとするのも束の間、ポーラが明日の予定について説明する。
「明日の朝、教皇様がお会いになるそうです」
「はー。今日の明日で会えるとは、凄いねぇ」
「それだけ重要視されているという事です」
そう言いながら、ポーラは水を一口飲む。
今の彼女は質素な純白の司祭服姿。
フードを下げてはいるが、艶やかな金髪は後ろで一つに纏められ、乳白色の美しいうなじを見せている。
すると、俺に視線を向けていたずらっぽく笑みを浮かべてきた。
「あら、気になります?」
「え? いや、綺麗だなーって」
「え!?」
急にポーラは目を見開き、耳をほんのりと赤く染め上げる。
「い、嫌だわ、こんな場所で愛の告白だなんて……」
ポーラが少しばかり身体をくねらせながらそう呟く。
ザワッ…………。
俺の背筋がゾクリと震える。
これはいかん。
俺は慌ててポーラに声をかける。
「ポ、ポーラ、とりあえず明日の話しをしてくれ」
「え? あ、はい」
俺の背後に漂う気配を察してか、慌ててポーラは姿勢を正す。
「明日の朝、ダリルをお迎えに神殿騎士が伺います。早朝になるので、今日は直ぐお休みになってください」
「早朝と言うと、日の出と共にって感じかな?」
「そうなります。教会の朝は早いので。大丈夫そうですか?」
怪訝そうな顔をするポーラに、俺は若干頬をひくつかせながら小さく頷く。
「あ、ああ。ガ、ガンバル」
「まあいざとなったら、私と同じ部屋でい……」
あ、背後の気配が強くなった気がする。
「だ、大丈夫! 大丈夫だから、ね?」
「……わかりました。まったくエリーちゃんは……」
頷くポーラ。
だが、その表情は明らかに意地悪そうな笑みが浮かんでいる。
これは確信犯だね。まったく……。
こうして、とりあえずなんとか無事に夕食を終えた。
食堂を後にし、早々に部屋に戻った俺は、部屋に入るなり上着をベッドサイドに脱ぎ捨てた。
『もう……せめてクローゼットに掛けたらどうですか?』
ブーツを脱ぎ、ベッドに飛び込む俺に、部屋には言って早々魔力灯に魔力を通して明かりを灯しながら、ため息交じりに声の主はそう告げてくる。
ふと声の方に目を向けると、既に器用に指先を動かして上着を畳むエリーの姿が見える。
「いやぁ、疲れちゃってさぁ……」
『まあ、確かに憑かれてますしね』
何故だ? 何故胸を張ってドヤ顔をする?
「上手い事言ったつもりかっ」
『褒めても何も出ませんよ?』
「じゃあ、一日行動自由権とか欲しい」
『何も出ないって言ってるでしょ? それ以前に、そもそも既に自由でしょ。だって独身だもの』
「あのね……おまいう」
ため息を吐きながら、ゴロンと仰向けになり、天井を見つめる。
エリーと出会ってから15年。
ふと、旅先であった出来事を思い起こす。
とある街でエリーを除霊しようとしてきた教会。
あれから、教会関係者とは一線を置き、教会とは無縁の生活を送っていた。
ところが、気がつけばその総本山にやってきたわけだ。
しかも、明日には一番偉い人と会う。
なんだか違和感ありまくりの不思議な気持ちになる。
『それにしても、まさか私を消そうとした教会のトップと会う事になるなんて、夢にも思わかなかったですね』
「んだねぇ」
そう言いながら、服を畳み終えたエリーがベッドサイドに腰を掛ける様に寄り添う。
それを何となく見ていたが、ふぅとため息を吐き出すと、なんだか瞼が重くなる。
心地よい香りに包まれているからかな? 目を閉じると眠ってしまいそうだ。
とか思っていながら、まあ目を閉じたけどね。
『今日は大変だったね』
「うん」
確かに、いろいろあったなぁ……。
はぁ……疲れが優先してしまう。
うーん……相槌も適当になってるけど、まあいっか。
『魔石、出しておくわね』
「うん」
『明日、起こしてあげるね』
「うん」
『眠い?』
「うん」
『添い寝して欲しい?』
「うん」
は?
「は?」
今、何て言った?
思わず目を開けると、微笑みを浮かべるエリーの顔が目の前に。
「のあっ!?」
『……ふふっ』
物凄く柔らかい笑顔を浮かべているエリー。
思わずたじろぐが、ふぅとため息をついて気持ちを落ち着かせると、再度横になり、寝返りついでにエリーとは反対の方を向く。
「全く。冗談ばっかり言いやがってからに……」
『冗談?』
「まったく……リルといい、ポーラといい、お前さんといい……その気もないのによく言うぜ」
『……そう思うの?』
「ふーんだ。添い寝って言ったって、どうせ出来ないだろ? まあいいや、今日はもう寝るよ」
『ええ。おやすみ』
「ああ。おやすみ」
ふて寝に近い感覚で、俺はエリーの方を見ることなく、腕を枕に目を閉じた。
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私のすぐ隣で、すうすう寝息を立てている。
ふわりと浮かび、彼の寝顔を見つめると、本当に疲れていたようで、腕を枕にそのまま寝てしまった様だ。
『ごめんね……』
そう言いながら、私はベッドサイドに置いた魔石を数個持ち上げ、彼の背中にそっと宛がい、細く魔力を流す。
「ぬぅ……みゅぅ……」
変な寝言に、思わず笑いが零れそうになるのを必死に堪え、魔石に流した魔力を彼の背中へと導いていく。
魔石に蓄積された魔力が、私の魔力と混じり合いながら彼の中へと吸い込まれていく。
これで、彼の疲れも少しは緩和されるはず。
ただ……今日、本気ではなかったとはいえ、思わず力を顕在化させてしまった事を思い出し、後悔の念に押しつぶされそうになる。
それに、あの時の一言が、更に私を追い詰める。
―……お前さんの不幸せな表情は見たくない。
私は、彼にあんなことを言わせてしまった。
一番、言って欲しくない人に、言わせてしまった。
力を顕在化させた時、彼の魔力が容赦なく私の中へと流れ込んできた。
あの感覚は、もはや“快楽”。
今まで幾度となく魔力を扱ってきたが、力を顕在化させたことは数える程しかない。
顕在化させたときの魔力が流れ込む感覚は、通常時の感覚とはまるで違う。
だからこそ、あの感覚を覚えてしまったら、絶対に抜け出せる自信がない。
そしてあの感覚は、奥底で封じ込め続ける私の、私ではない記憶を呼び起こす。
だからこそ、快楽に歪む顔なんか彼に見せたくない……見せたくなかった。
でも、あの聖女と対峙したアプグラントを取り込んだ時、私は堕ちた。
快楽に歪んだ顔を、彼に見せてしまった。
そして、気がつけば私は自我を取り戻していた。
あの一対の剣によって。
私の独力ではなく、私と姉さまを繋ぐ、あの剣によって戻された。
あの出来事を思い出す度、私はどうしても自分を許せなくなる。
でも、あの快楽に抗えるかと尋ねられれば、それは無理だと答えてしまうだろう。
今でも
その記憶がちらりと思い返される度に、さらにその悦楽から解かれた時を思い起こす度に、どうしても、どうしても払拭できない感情が沸き起こる。
それは、拭いようのない一つの事実。
その事実を前にして、どうしようもない感情が私を満たし、どれだけ自分自身に言い聞かせるように振り払おうとしても心にこびりつき、未だ払拭できずにいる。
……彼と誓約したのは姉さまだ。
あの時、私は姉さまから全てを譲渡された。
彼の魂と繋がった姉さまの魂。その全てが、私に譲渡された……はずだった。
全て譲渡されたはずなのに、そうではなかった。
だって、私が顕在化して彼から魔力を吸ったとしても、常に彼の魂の根底で繋がっている姉さまの抜け殻同然の魂の残滓を通じて魔力が流れてくるのだから……。
以前、彼は魔力が欠乏する原因を究明しようと、ノルドラント王国の呪術師リュナに私の事を打ち明け、私が顕在化した状態で診断してもらったことがある。
だけど結果は原因不明。
顕在化した際の魔力の流れを追い、その結果、私が直接吸い上げていない事が判明し、原因を特定する事が出来なかった……という説明だった。
原因不明の魔力欠乏症。魔力を無尽蔵に生み出せる
言いたい。
あなたは、私のせいで魔力欠乏症になっているのだと、声を大にして言いたい。
言ってしまったらどうなるだろう。
きっと、今まで以上に無理をして魔石を得ようとするだろう。
もしくは、何も問題ないと、顕在化する私を受け入れるだろう。
だけど……もしかしたら、私との繋がりを消せば治る症状なのだから、私と離れたいと言うかもしれない。
でも、きっと彼は私と離れるという選択はしない。
だって……姉さまが彼に『私を支えて欲しい』とお願いしたから。だから彼は約束を果たすために、決してそんな事を言わない。
何故断言できるのか。
だって……姉さまの魂と繋がっている彼の気持ちは、姉さまの魂を通じて私にも流れてくる。
だから、彼の気持ちが理解できるからこそ、否が応でも思い知らされる。
私とではなく、姉さまと繋がっているいう紛れもない事実を。
……ずるい。本当にずるいわ、姉さま。
姉さまは、私を支えて欲しいと彼に伝えた。
だから彼は、その言葉を守り、今も私と共に過ごしてくれている。
今でもずっと繋がり続ける、姉さまの言葉を守っての対応。
彼の意思ではなく、姉さまの意思が生きている。
私とは、直接繋がっていない。
責務として共にいてくれていると思うと、胸が……とても苦しい。
そして、あの子と出会った。
それを想うと、黒い感情が沸き上がる。
それが何であるのか、それが理解できないほど私は愚かではない。
だから、今までもそうしたように、彼の良さを理解できない輩に、彼を知って欲しくない。
だけど、あの子は怯むことなく、真っ直ぐに気持ちを突き付ける。
あの真っ直ぐな心が羨ましい。
あの真っ直ぐな心が妬ましい。
ああ……私は本当、本当に酷い女。
本当はどうすれば彼が幸せになれるかなんて、言われるまでもなく知っている。
彼が何をして欲しいのか、どうしてあげれば喜ぶのかを知っている。
でも、結局は彼の事ではなく、自分自身の事を優先している。
彼が幸せになる機会を阻害して、私自身の心地よさを優先しているだけ……。
そんな事はわかっている。言われなくとも、わかっているの……。
あの子が私に向かって言ってきた事は、罪悪感を抱える私には正直堪えた。
だって正論だもの……。言ってることは正しいもの……。
だから、毎日のように罪悪感を覚え、胸が苦しくなり、押しつぶされそうになる。
全てを諦め、心を放棄する事が出来たら、どれだけ楽になれるだろうか……。
でも……。
もう、失いたくない……失いたくないの。
魔力を流された事で、少し微笑みを浮かべた彼の寝顔。
私をこんな気持ちにさせる彼の素の表情。
『……本当、こんなにも私を惑わせるなんて……酷い人』
思い起こすは、姉さまと再会し、すぐさま別れを迎えたあの日の出来事。
彼があの子に話し、傍で聞きながら思い出したあの時の記憶。
そして、長い年月を経て芽生えてしまった、抗いようもない心。
全てが、私の心に大きな迷いを与え続ける。
こんなはずじゃなかったのに……と。
酷いのが私なのは理解している。
でも、それを伝えることが出来ない。
自らの心に、気持ちに、もう嘘をつきたくない自分がいる。
でも、それが自己満足のためであり、それが故に彼を傷つけ続けている事さえわかっている。
もう、耐えられそうにない……。
でも、どうすればいいのかわからない。
だから、いつものように、棚上げしよう。
だって結論を出したくないから……。
結論を出したら、全てが壊れてしまうと思うから。
だから、だからせめて……。
『……驚かしてやるんだから』
横を向いて眠る彼の背に寄り添うように、背中から彼を抱きしめる様にして横になる。
教会施設と言う神聖な環境の中で、“悪霊”と呼ばれる私が行う、ささやかな私の対抗心。
『責任とって……何て、口が裂けても言えない……けど』
ふっと微笑みを浮かべて、静かに目を閉じる。
『いつまでも、傍にいるよ? ううん……傍に……傍にいさせて欲しい……ずっと……』
ふっと手を挙げ、指を鳴らす。
壁に掛けられた魔力灯が音もなく消え去り、静寂と柔らかな闇が部屋を包み込んだ。
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