第35話 共に……(ダリルの回想 その7)
廃墟と化したベルガモート帝国最北端にあるリッシナの街。
その一角で繰り広げられている、美しき姉妹の激しい戦い。いや、喧嘩?
だが、その戦いも最高潮に達した。
『消えろぉ!!』
エリーがリティの胸元目掛けて手刀を突き刺した。
『うぅっ……!』
くぐもった声を出すリティ。
だが彼女は、エリーを見据えたまま、左手を操作して剣を操る。
『い、今、助けてあげるわ……エリー』
そう呟くと、エリーの胸元に剣の柄を押し込んだ。
とはいえ、エリーには何のダメージも与えられていない。
その様子を見たエリーが、醜く歪む笑みを浮かべる。
『はん! 魔力の通わない剣など恐ろしくも何ともないわ! お前はそのまま消え去るがいい!』
そう言いながら、エリーは突き刺した右手に魔力を込めていく。
『うぅ……ああああ!!』
リティの悲鳴が辺りに響き渡り、エリーはその様子を恍惚の表情で見つめる。
だが、リティの口元が僅かに歪んだ。
『まだよ。まだ……』
苦悶の表情を浮かべるリティ。
だが、それでもエリーを見据えたままだ。
そんなやり取りの中で、リティは俺の剣を持つ手に添わせた手に魔力を通すのがわかった。
その直後、俺の身体から急激に何かが抜き取られていく感覚が襲い掛かる。たぶんこれが魔力なのだと思う。
目の前がチカチカし始め、立っているのもやっとになる。
ちらりとリティを見つめるが、リティの目は何かを狙っているかのようだ。エリーから視線を外すことなく、俺に添えた手から魔力と思える流れを引き抜き続けることを止めようとしない。
視線を感じ、俺はリティに顔を向けると、微笑む彼女と目が合った。
『わ、私は姉として、エリーを助けるわ。だから、ダリル……いえ、
「え? 何を……?」
そう告げた直後、リティはエリーに微笑みを浮かべ、小さく首を振る。
それは、エリーにとって、全て観念したかのように見えた。
『やっとか……やっと諦めたか!』
歪んだ笑みを浮かべるエリーが、声高に詠唱する。
『クソガキ諸共、息の根を止めてやる!
エリーの詠唱にあわせて、俺とリティの周囲が瞬く間に凍り付く。
水が生み出す氷の最大魔法。
大気も凍り付き、氷の粒となて辺りをキラキラと輝かせ、まるで幻想的な光景を作り出す。
とはいえ、生身の俺の身体は急激な温度低下に耐えられるはずもなく、足元から瞬く間に凍り付く。
そして身体全体が凍り付き、息が出来なくなった。
藻掻くことも出来ず、呼吸できない苦しみから死の恐怖が襲い掛かる。
そして、次第に意識が遠のいていく。
そんな中、エリーが憎々しげな視線をリティに向けている。凍り付く身体を物ともせず、未だエリーを拘束し続けようと魔力を放っているからだ。
そんなエリーが、リティの胸に突き刺した手に更なる魔力を注ぎ込む。
『ふひっ……終わりにしてやる。
エリーの詠唱を阻害すよるようにして、リティは目を見開きながらはっきりと言葉を言い放つ。
歪んだ笑みを浮かべていたエリーが、途端に驚愕の表情を浮かべてリティを引き離そうと顔を押しやろうとする。
だが、全く動じることなくエリーの胸に押し込んだ剣の柄に魔力を注ぎ込むと、呼応するように鈍く光り出し、それに合わせてエリーの表情が更に醜く歪んでいく。
『なんっ……で……イヤアアァァ!!』
驚きの表情を浮かべながら、エリーはたまらず悲鳴を上げる。
すると、リティの手が押し込まれたエリーの胸から、漆黒のオーラを纏ったどす黒い粒子の渦がリティへと流れ込んでいく。
その様子を見ながら、リティが静かに呟いた。
『ごめんね。少し辛いと思うけど、すぐ終わるわ』
苦しむエリーの悲鳴を聞いて苦しそうに目をつぶるリティ。
すると、ふいに俺の方へと微笑みを見せる。
気がつけば、俺を覆いつくしていた氷が全て消え去っており、いつの間にか俺の身体は元のように動けるようになっていた事に驚く。
明らかに、俺は先ほどのエリーの魔法で、死にかけていたはずだった。
「え? え!?」
俺は慌ててその場から離れようとするが、リティの手が俺を離そうとしない。
さっきまでは、霊体だから身体をすり抜けていたのに、なぜ今は手が離れないのかなんて、あの時の俺は知る由もない。
今にして思えば、魔力を操作してエリーと俺を抑えていたのだと理解できる。
エリーの悲鳴が痛ましい程続く中、彼女は若干苦しそうな表情を浮かべながら俺を見つめ、そして柔らかく微笑んだ。
『ダリル……何も説明せず、こんな事をお願いするのがおこがましいのは理解しています』
エリーに突き刺した聖銀の剣の柄が、次第に淡く赤く光り始める。
『でも、お願い。エリーの傍にいてあげて……エリーを、支えてあげて』
リティの声に呼応するように腕に流れ込む魔力が勢いを増し、次第に俺が持つ聖銀の剣もまた淡く蒼く光り始める。
『わ、私がエリーを抑えます。ずっと、抑え続けます。だからどうか、二人の行く先を、導いてください……光の…女神……ファレンさま……』
屈託のない笑顔を見せるリティ。
それは、慈愛に満ちた笑顔だった。
『グガ……か、勝手に、終わらせたような……こ……とを抜かすなぁ!!』
苦しみながらも激しい憎悪の目を向けるエリーを見つめ、リティはそっと目を閉じた。
そして、ふっ微笑みを浮かべる。
『エリー。お姉ちゃん、あなたを……ずっと、守ってあげる……』
小さく呟くリティの言葉を受け、エリーは眉間に皺を寄せ、口を悔しそうにして歪める。
だが、瞳だけは。彼女の瞳だけは小さく見開かれ、悲しみに溢れていた。
『いままで、本当にごめんなさい、エリー……どうか許してね……
静かに紡いだその言葉。
言い終えた後、リティは静かに、全てを受け入れる様に天を仰ぐ。
すると、彼女の身体が眩く輝き始めたかと思うと、エリーに刺さる剣と、俺の持つ剣に、溢れ出した光の粒子が吸い込まれていく。
苦しむエリーに突き刺さる聖銀の剣が、瞬く間に漆黒の闇を吸い取るかのようにどす黒く変色していく。
そして呼応するかのように、俺の持っていた聖銀の剣もまた、瞬く間にどす黒く変色していった。
『さようなら――。どうか――……』
リティの小さな呟きを受けて、彼女を覆っていた光の粒子が急速に収束したかと思うと、臨界を迎えたかのように瞬時にぱっと弾け飛んだ。
あの美しい青い髪の女性の姿は、もうそこには居なかった。
エリーに刺し込まれていた聖銀の剣が、今では漆黒の剣へと変貌し、支えを失った事で地面へと落ち、鈍い音を立てて地面に突き刺さる。
俺もまた、自分が握りしめた聖銀の剣から手を離すと、同じように地面へと吸い込まれるようにして突き刺さる。
その剣もまた、漆黒の剣へと変貌していた。
何も出来なかった俺とて、この雰囲気で全てが終わったと感じた。
その場に力なくへたりこむ。
周囲を見渡せば、そこは廃墟となった生まれ故郷の無残な姿。
賑わいを見せていた市場も、教会の広場も、武器屋も、家も、みんな壊されてしまった。
遺体はどこを見渡してもない。
アシュインによって取り込まれたからだろう。
そして、当のアシュインはエリーが吸収し、そして暴走した。
そんなエリーは、悄然としたまま、独り佇んでいた。
何が起こったのかわからない。そんな表情をして……。
「エリーさん……」
俺が小さくそう呟くと、小さくピクリと身体を震わせる。
よく見ると、肩を小さく震わせている。
『ね、姉さん……』
悲しそうに呟くエリー。
『こんな……こんなことって……あんまりだわ……』
見上げた顔。悲しみを浮かべるその顔に宿る瞳は、出会った時と同じ、あの美しい透き通ったアイスブルーサファイアへと戻っていた。
『ごめんなさい……ごめんなさい姉さん……私の、私の心が弱いばかりに……』
激しい姉妹喧嘩があったことなど忘れ去られたかのように、辺りは静けさが覆う。
そんな中で、小さく肩を震わせながら、リティに謝り続けるエリー。
「エ、エリーさん……」
そんな彼女の姿を見かねて、俺は恐る恐る声をかける。
俺の声を聞き、震える方をぴくりと揺らすと、ゆっくりと視線を向けてきた。
『……来ないで』
「え?」
俺に目を向けることなく、小さく首を振りながら拒絶する。
『来ないで……来ないで……お願い……』
両手で顔を覆い、苦しそうに首をふるエリー。
「エ、エリーさん……」
いやいやする様に、俺から離れようとするエリー。
長い間暗い中に閉じ込められ、唯一のよりどころだった姉とは争ってしまい、遂には二度と会えなくなった。
でも、それは俺だった同じことだった。
だって、家族が目の前で居なくなったのだ。だから、それを言うなら、俺だって同じなのだ。
「な、何で、そんな事を言うの?」
思いのまま、口から言葉が出て来てしまう。
「ぼ、僕の家族……みんな死んじゃった……」
言ってしまった。
もう、止められない。
「みんな、みんな、死んじゃった。友達も、先生も、店のオジサンも、じっちゃんも、父さんも、母さんも、みんな、みんな……」
涙が、溢れてきた。
「街、壊れちゃった」
俺は、肩を震わせる。
「みんな、いなくなっちゃった」
涙が止まらない。
「リティさん……消えちゃった……」
涙が止まらなくなり、気がつけば、その場でしゃっくりを上げながら泣いていた。
「ぼ、僕、これから、どうすれ……っ!」
突然、俺の視界が真っ暗になる。
何事か、わからず息を飲んだ。
だも、理解した。
エリーだった。
ふわりと俺を包むように、悲しみを覆い隠すように、俺の傍へと寄り添い、そっと俺を抱きしめるように覆ってくれたのだ。
でも、悲しい事に、彼女は霊体だから、伸ばされた腕は俺の身体をすり抜ける。
それでも、彼女は俺の身体を包むように、抱擁する様に寄り添う。
『ごめんなさい。あなたが一番辛いよね。悲しいよね……』
抱きすくめられる隙間から、俺はふと視線を周囲に向ける。
廃墟と化したリッシナの街。
至る所にまだ氷の残滓が残り、崩れた建物が激しい戦闘を繰り広げた証として佇む。
俺は、その事実を、目の前にある事実と向き合い、そして、止めようのない悲しみが襲い掛かって身体が震えてしまった。
『ダリル……っ!』
悲しみに震える声で、俺をさらに包み込む。
だけど、まったく感触がない事で、更に孤独を感じてしまう。
その途端に襲い掛かってくる急激な震え。
得も言われぬ何と無しの恐怖と言う名の感情に、俺は激しく身体を震わせる。
「ああっ……あああああああああ!!!!!!」
俺は立ったまま、顔を天に向けて、思い切り泣いた。
エリーは、そんな俺を慰める様に、ずっと抱きしめるように身体を纏わりつかせてくれていた。
どれだけ泣いただろうか。
泣き続けていた間、ずっとエリーは俺の傍を離れなかった。
ずっと、抱きしめる様に寄り添ってくれていた。
「エリーさん……ごめんね。ありがとう」
俺の言葉に、エリーは小さく首を振る。
『私こそごめんね、ダリル』
すると、俺の正面にふわりと舞い降り、俺に視線を合わせる様に腰をかがめる。
『これからどうする?』
「どうしていいか、よくわからないです。でも……」
『でも?』
「エリーさんの傍にいて欲しい。傍で支えてあげて欲しいって、リティさんに言われました。だから、僕はエリーさんと一緒に行動しようと思っています」
俺の言葉を受け、エリーが驚きの表情を浮かべる。
『そんな事を、姉さまが?』
「はい」
『私、あんな事をしたのに……』
そう言うエリーに、俺は全く関係ないと言いたかった。
それでも、エリーは複雑な表情をしている。きっと、どんな理由であれ、俺の命を奪おうとした、その事に対する罪の意識がそう言わせているのだろう。
「エリーさんは何も悪くないです。むしろ、あいつを倒してくれてありがとう」
俺は一呼吸おいて、小さく笑みを浮かべる。
それにつられて、エリーは少し困ったように苦笑いを浮かべた。
『そう言えば……』
そう言いながら、彼女は地面に突き刺さる1対の剣に目を向ける。
『私、姉さまに助けられたのね』
そう言いながら、エリー手を剣へと向け、ふわりと持ち上げる仕草をする。
すると、一対の剣が地面から抜け、俺の手元へと静かに降りる。
慌てて、俺は剣を手に取る。
聖銀の剣だったその剣は、今では禍々しい漆黒の色を帯びた剣へと変貌している。
俺が手に取ると、一方は淡く蒼く、もう一方は淡く赤くオーラを纏うのが見えた。
エリーは、じっと、俺の持つ剣を見つめている。
『ダリル』
「はい」
『その剣には、姉さまと私の魂の一部が宿っているわ』
「え?」
その言葉に、俺は驚いて剣を見る。
『私が暴走した時に備えた、最後の贈り物ね』
そう言いながら、エリーは悲しげな表情を浮かべる。
『私が暴走した時、その剣を私に突き刺せば、姉さまと私とで抑え込める。最期の手段という事ね』
そう言いながら、エリーは俺に微笑みを向ける。
『ダリル、この剣、私が預かってもいいかしら?』
「それは構いませんけど」
俺の承諾を聞き、エリーはにこりと笑って手を翳す。
すると、真っ黒な空間が目の前に生じた。
「これは?」
『影収納魔法よ。アシュインが取り込んだ者が記憶していた魔法ね。大丈夫、もう私自身が自在に操れるから、安心して?』
「あ、は、はい」
俺が剣を差し出すと、エリーは器用に魔力を操作して剣を闇の空間へと収納する。
すると、エリーは小さく息を吐き、俺と向き合う。
『じゃあ、どこかで休みましょう。そして、いっそのこと旅をしましょう。これからどうするかは、ゆっくり決めればいいと思うから』
「わかりました、エリーさん」
すると、エリーが少しばかり困った表情を浮かべた。
「どうしました?」
『エリー』
「え?」
驚く俺に、エリーは微笑みを向けてくる。
『これから一緒に行動するのだから、私の事はエリーと呼んで欲しいわ』
「は、はい。では、エ、エリー」
『うん。それでいいわ』
そう言いながら微笑むと、エリーは周囲を見渡し、何処か休める場所を探し始める。
その時、俺は不意に自分の事を思い出す。
別に呟くつもりもなかった事だったのに、何故かは今でもわからない。
「何だか、とんでもない誕生日になっちゃった」
その一言を受けて、エリーは驚いたように目を見開く。
『そうだったの?』
「え? はい。いろいろありすぎて、忘れてましたけど」
すると、エリーは手のひらを上に向け、小さく呟いた。
『
すると、エリーの掌に美しいバラの様な氷細工が静かに出来上がる。
その氷の魔法で作られたバラを、そっと俺に差し出してきた。
「これは?」
そう言って、俺の髪に氷の薔薇を挿す。
『こんな状況でお祝いするのはどうかと思うかもしれないけれど、あなたと会えた幸運に感謝させて欲しい。だから、おめでとう、ダリル』
そんな気遣いが嬉しかった俺は、少し恥ずかしくなる。
「あ、ありがとう、エリー。とても嬉しいよ」
『これからよろしくね。ダリル』
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします、エリー」
俺のお礼の言葉に、エリーは一瞬寂しそうな表情を見せたけれども、それでも、優しそうな目をして微笑んでくれた。
こうして、俺はエリーと出会い、長い間各地を彷徨う旅に出たのだった。
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