第29話 どこへ行きたい?

 演壇から降り立ったポーラは、ゼルに一言挨拶を交わすと、すぐさま俺たちの方へと歩み寄ってきた。

 凛とした表情を浮かべてはいるが、その顔は明らかに僅かに頬を染めており、長い耳が小さくピクピク動いている。

 そんなポーラが俺たちの目の前まで来ると、俺は頭を掻きながら小さく告げる。


「凄かったよ。ポーラ様」

「そうでしたか……それは何よりです、ダリル」


 少し恥ずかしそうにはにかむポーラだったが、すぐさま目を細めて小さく頬を膨らませる。


「ところで、ここでは私は確かに司祭長かも知れませんが、今や私はあなたと結婚を誓い合った仲です。様付けはおやめくださいませんか?」

『誓い合ってないでしょ色ボケ』


 可愛らしい物言いを遮る悪意に、俺は苦笑いを浮かべて応える。


「結婚云々は別として、様付けは聖王国故です。それはご容赦願いたい、司祭長様」

「……もう少しだけ、新婚旅行気分を満喫したかったのに」

『寝言は死んでから言いなさい』

「死んだら寝言は言えませんよ?」

『あらそう。言い方を変えるわ。遺言は死んでから言いなさい』

「遺言は残すもので、死んでからでは言えないわよ?」

『言う必要も残す必要もない戯言だもの、丁度いいでしょ?』


 静かなる舌戦を繰り広げる豊穣の巫女とエリーだったが、すぐさまやって来たファクタを見るやピタリと止め、エリーは静かに気配を消した。


「では、お部屋にお戻りいただき、食事の用意が出来ましたらお声がけさせていただきます」

「感謝します」


 ポーラが礼を言うと、俺もアルクも頭を下げて応じると、ファクタは頷き、俺たちを部屋のある宿舎へと案内した。






 宿舎に戻り、部屋で荷物の整理をしていると、小気味よいノックが室内に響くと、慌ててアルクが扉による。


「どちら様ですか?」

「ポーラです」

「し、司祭長様!」


 驚いたアルクが慌てて扉を開けると、町娘が着るような若干胸元が開いた質素なチュニックにスカート姿のポーラが微笑みを浮かべて立っていた。


「どうされたのですか?」

「少しお話をしようと思いまして」


 はにかみながら室内を覗き込んでくるポーラに、アルクは慌てて身を避ける。

 俺はそんな様子を見ながら苦笑いを浮かべる。


「話って何だい?」

「食事をする前に、一度ダリルに会いたくなっただけです。こんな理由ではダメですか?」


 小さくもじもじする耳の長い美しい巫女。

 何これ、可愛い。

 そんなの良いに決まっているぞ!!


「もちろんいぃ……」

『ダメよ色ボケ。理由が意味不明。20点』


 即座に反応した俺の肩にもたれかかるように現れたエリーがぼそりと呟く。


「エリーちゃんには聞いてません」

『ここは部外者立ち入り禁止よ? 町娘はお帰りください』

「町娘って……動きやすい恰好にしただけじゃない」

『動き回って何するつもり?』

「別に何もしないわよ? 食事をする前に、一度お話ししたいなって、思っただけよ」


 ポーラが頬を膨らませるのを一瞥し、エリーは澄ました表情を浮かべて俺に視線を向ける。


『……動きやすい恰好だし、開放的な雰囲気だから、油断しちゃダメよ?』


 何に油断するんだよ。

 そうか、あれか、見えそうで見えないあれか。

 うん。確かに良いものをお持ちだな。うんうん。

 あ、エリー。ジト目で見ない。


『はいダメ』


 エリーがそっと手を扉の方へ伸ばすと、「パタン」と扉が閉じられる。

 だが、「バンッ」と即座に開かれる。


「もー! 何でよっ!!」


 これこれ、司祭長の地位にいる物言いではないぞ?


『あら、まだいたの?』

「ふ……ふふふ……邪魔するのね?」

『邪魔だなんてそんな。部外者を排除したまでよ?』


 ポーラとエリーが互いに視線をぶつけ合う。

 いや、喧嘩ダメ。

 だって怖いから。


「あ、あの……とりあえずお部屋にお入りになって頂いた方が……」


 アルクが恐る恐る尋ねてくる。

 ほら見た事か。若者が怖がっているじゃないか。


「そうそう。まずは部屋に入りなよ。狭いけど、どうぞ」


 そう俺自身言って思ったが、ここは俺の家じゃないから失礼だったか?

 とはいえ、そう言われてエリーがふいとそっぽ向き、ポーラはニコニコしながら部屋に入ってくる。

 室内を見渡し、すぐ傍にあった椅子に腰を掛けるポーラに、俺は腰に手を当てながら尋ねる。


「で、話って、何だい?」

「ええ。この国では私は司祭長の立場にありますけど、先程も言った通り、私の気持ちはあなたの仲間という意識が強いんです。だから、これからもずっとそうしていたいなって伝えたくて」


 長く艶やかな金髪をゆらゆらと揺らし、エメラルドグリーンの瞳を僅かに潤ませながら告げてくる美しきエルフの巫女。

 いやぁ、これは嬉しい申し出じゃありませんか。


『ずっとって、どういう意味?』


 ずいと現れて俺たちの間に割り込むエリー。


「言葉通りよ?」


 すました顔をしてポーラが告げると、エリーは目を細める。


『ふーん』

「何?」

『別に。意図的な何かを感じるけど』

「そう聞こえるのはエリーちゃんだけじゃない?」

『……まあいいわ。お迎えも来たようだし』


 エリーがそう呟き、すぐさま景色に溶ける様に消えていくと、扉が数度ノックされる。


「ダリル殿、アルク殿、よろしいですか?」

「は、はい!」


 アルクが慌てて扉を開けると、ファクタが質素なチュニック姿で現れた。


「夕食の準備が整いましたので、お声をかけに……」


 そこまで言って、部屋の中にいるポーラの姿を見つけて目を見開く。


「ポ、ポーラ様! お部屋にいなかったので探そうかと」

「それは失礼しました。少し今後の事を話し合おうと思いダリルの元に来ていたのです」

「そ、そうでしたか。では、食事の準備が整いましたので、どうぞこちらへ」


 頭を下げて扉を開けるファクタを見つめ、ポーラは小さく頷く。


「わかりました。ではダリル、アルク、参りましょう」

「わかった」

「はい!」


 ポーラの後に続き、俺たちも部屋を出ると、ファクタはポーラの前に立って歩き出す。





 導かれるままに進んでいくと、大きな部屋へと案内された。

 既に長机には数十人の兵士たちが質素な服を着て座っている。よく見ると、ポーラと親しげに話していた隊長のゼルの姿も見えた。

 そんな彼らが俺たちが入室したのを一瞥すると、皆が揃って一斉に立ち上がる。

 よく見れば、どいつもこいつもイケメンだ。

 何だこのイケメンの巣窟は。俺への挑戦か?

 くっそー、ムカツク。


「これはこれはポーラ司祭長、お待ちしておりました」


 俺の黒い思いなど他所に、先程も見かけたゼルが代表して笑顔で挨拶すると、ポーラは微笑みを浮かべて優雅に礼をする。


「お呼びいただき光栄です。皆様と日々の糧を頂く事は非常に嬉しい限りです」

「そう言ってくれると助かる。では、皆席に着こうか」


 腰に手を当てて笑うゼルに微笑みを返すポーラ。

 そんな二人が俺とアルクに視線を向け、ポーラが静かに頷くと、彼らに合わせて案内された席に着く。

 机の上には、パンにスープにサラダ、そして何かの燻製が綺麗に並べられている。流石教会関連の兵士たちだけあり、食事内容は非常に質素だ。

 皆が席に着いたのを確認したゼルが、葡萄酒が注がれた木製コップを掲げて告げる。


「さて皆の者。今日は豊穣の風の司祭長がお越しになられた。葡萄酒は神々の英知を治めた血だと見做されているのは知っている事だろう。その故事に倣い、我らも叡智を授かる為に、我らが神を信奉する祭祀の長と共に杯を掲げよう。では司祭長、よろしく」


 ゼルに促され、ゆっくりと立ち上がったポーラに視線が集まる。

 そんな状況に臆することなく、彼女は周囲を見渡し、そして嫣然と佇む。


「では、神のご加護を。全ては神と光りと共に」

「「「全ては神と光と共に!」」」


 そう告げて杯を掲げると、周囲も併せて整然と杯を掲げ、唱和する。

 俺はそんな状況を呆然とした表情で見ているばかりだ。

 男達……まあ女性も数名いるが、その彼らが一斉に乱れることなく唱和するのだ。それなりに広い部屋ではあるが、それでもなかなか圧巻な状況だった。

 とはいえ、俺は居てはいけない子だという事実は変わらない。


「噂にたがわずお美しいですね」

「以前お会いした時と変わらずお美しい」

「私も初めてお会いした時から虜になっておりますよ」


 そんな声が聞こえて視線を向けると、机に並ぶ料理に手を付けることなく、静かに椅子に座るポーラの周囲に、杯を手にした男たちが幾人も集まり、爽やかな笑顔を振りまきながら声を掛けている。

 皆が皆惚れ惚れするようなイケメンばかりだ。

 何だよここ、砦じゃないのか? どっかの店かよ。

 当のポーラはすました表情で受け流しているようだが、視線が俺と合わさったかと思うと、ふと小さく口元に笑みを浮かべたのが見えた。

 ん? 何か企んでる?


「……過分なお褒めのお言葉、身に余る光栄です」


 静かにテーブルに手を置き、視線を動かすことなく呟くポーラに、周囲の男達は白い歯をキラリと輝かせるかのような笑顔を向ける。

 そんな様子を見ながら、隣に座る偉丈夫が大笑いをあげる。


「うはは! 相変わらずだなポーラ司祭長は」

「そんなことありませんよ? ゼル隊長」


 ゼルが豪気に笑い飛ばし、周囲もそれにつられるように笑みを零す。


「ところで、ポーラ司祭長はまだお一人でしたよね?」


 唐突な質問に、ポーラは眉根を寄せる。


「独り身かという質問でしたらそうですが、それが何か?」


 ゼルの問いかけに視線を向けることなく小さく尋ねると、そんな素振りを気にもせずにゼルは笑みを深めて続ける。


「いやぁ、この砦には若くして神殿騎士になった有能な者が多いんだよ。まあ実務経験が必要になるのでこの砦に赴任している訳だが、将来は教会上層部へと出世する事間違いなしの逸材ばかりなのは見ればわかると思う。要は、彼らと友誼を結んではどうかと聞きたいんだ」


 破顔するゼルを尻目に、ポーラは周囲を一切見ることもなく緩やかな動きでスプーンを手にすると、目の前にあるスープをひと掬いし、口に運ぶ。

 そんな所作を見つつ、ゼルは動じることなく続ける。


「彼らも高名な豊穣の風の巫女であるポーラ司祭長と縁を繋ぎたいと思っているわけだよ」


 屈託のない笑顔を向けてくるゼルに、ポーラは動じることなくすまし顔で話を受けているように見える。

 すると、何も反応がないのに乗じてか、ゼルがポーラの肩に手を回す。


「それとも、儂と親交を深めるかい?」


 回された手を冷めた目で一瞥したポーラは、口元だけを緩め、視線を俺に向けてきた。

 よく見ると、その視線は笑っていない。

 怖いぞ……?


「ゼル隊長」

「ん? どうした?」


 手にしたスプーンを机に静かに置き、顔を動かさずに視線だけゼルに向ける


「どこへ飛びたい?」


 穏やかな口調とは裏腹に、魔力操作で肩に回された手を持ち上げるポーラ。よく見ると、彼女の背後にはうっすらと浅葱色のオーラが広がっている。まあ、気のせいだろう。うん。

 そんな様子を察してか、ゼルは口元をひくつかせながら首を振る。


「い、いや、飛びたくはないな」

「南の国などいかがです? 暖かな気候に情熱的な女性が多数いると聞きましたよ?」

「ハハハ、今は遠慮しておこうかな」

「そうですか。では、お食べになったらいかがです? 折角の温かなスープが冷めてしまいますわよ?」

「そ、そうしよう」


 浅葱色のオーラは次第に薄れていったが、一切表情を変えずに呟くポーラに、ゼルはもちろん、周囲の神殿騎士たちも少しばかり肝が冷えたようで、そそくさと自分の席へと戻っていく。

 そんな俺の前では見せたことのない冷たい対応を見て、正直怒らせてはならない相手だと痛感するも、再び視線が合い、口元が僅かに微笑んだように見えた。

 ここまでされては返すしかないと観念し、俺も少しばかり笑みを浮かべて応じると、納得したかのように食事を始めるポーラ。

 イケメンに話しかけられている姿を見て少しばかり嫉妬したのは秘密にしておこう。


『……なによ、意気地無し。どうせなら掻っ攫いなさいよ』


 耳元で小さく呟くエリーの不穏な言葉に、俺は焦って聞こえていないか確認するため周囲を見渡すと、隣にいたアルクがポカンとして俺を見つめている。

 そんな彼に曖昧な表情を投げかけ、そ知らぬふりして食事に専念する。

 まったく……エリーめっ。


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