幕間 とある教会女子の妨害大作戦

「……本気で言っているの?」


 大聖堂の奥にある執務室。

 整った顔、特徴的な長い耳、頭上には銀色のティアラが神々しさを与え、さらに豊かな膨らみを覆い隠す光沢のある純白のローブ姿は、見る者を嘆息させるほどの美しさを伴っている。


 そんな美貌の持ち主たる教皇ティリエスが、執務室のソファーに座り、眉間に皺を寄せ、人差し指をこめかみに宛がいながら、目の前に座る者に向かって小さく首を振る。


「必要無いと思えるのだけれど……」


 ため息交じりに呟くティリエスに、目の前に座る、似通った装いをする全く瓜二つの顔が小さく首を振る。


「これは、おばあ様だからこそお願いしているのです」


 瓜二つの顔をする者から、真剣な目つきでそう訴えかけられる。


 教会司祭服姿で、豪奢な金髪を僅かに揺らし、特徴的な長い耳には深紅のルビーのイヤリングがキラリと光らせながら背筋を伸ばして座る女性。


 誰でもない、ルフトファレン教会ノルドラント教区司祭長であり、教皇ティリエスの孫娘であるポーラだ。


「はぁ……あのねポーラ。どう考えても、そこまでする必要は無いと思うわ」


 薄く瞼を開いて孫娘を見るティリエスだったが、当のポーラは大きく目を見開くと、その身をずいと寄せてじっと見つめる。


「いいえ。必要なんです」

「何故?」

「私、今日も彼とデートしました」

「そう? それは良かったわ」

「ありがとうございます。ですので、次は結婚なんです!」


 屈託のない笑みを浮かべて、ポーラは嬉しそうに頬に両手を当てて身を捩る。


 だが、当のティリエスは、こめかみに当てていた指をずるりと落としていた。


「い、いや、デートしたからと言って、すぐに結婚と言うのはちょっと早い……」

「〝デートをしたなら結婚しなさい。結婚なんて所詮は『慣れ』だ″って言ったのは、他でもない、おばあ様じゃないですかっ!」


 ティリエスの言葉にかぶせる様にして即答する孫娘の言葉を聞き、思わずため息交じりに半目になりながら天井を見上げた。


「あぁ…………………………そんな事を言ったわね。確かに言ったわ…………」


 天井の梁を見つめながら、過去の自分の発言を振り返るティリエス。


 記憶を手繰り寄せて思い起こすは、ポーラに求婚する同族男性達を相手に、バッサリと切り捨てていく勝気な孫娘の姿だ。





 精霊の加護を強く受けるエルフは、禰宜ねぎや巫女として精霊大樹を守る役目を担う。

 ティリエスは精霊の加護が強いわけではなかったため、今はこうして教会教皇として就任しているが、彼女の娘、つまりはポーラの母親は水と木の精霊の加護を強く受けたことで、今では精霊大樹の巫女としてその役を担っている。


 そんな母の影響か、ポーラも風の精霊の加護を強く受けた子だった。だからこそ、次世代に巫女の血脈を継ぐため、結婚して子を儲ける事は必要な事。

 それ故に、ポーラを結婚させようと周囲が暗躍し、元々の容姿も相まって多数の男性が求婚してきた。


 だが、ポーラはそれら全てをバッサリ断った。


 それならばと、苦肉の策として言ったのがさっきの言葉。


 それは好きな人と結ばれることが一番いいに決まっている。とはいえ、精霊大樹の巫女としての大任を担うためには、次世代の事も考えなければならない。だからこそ、ポーラを何とか結婚させる方便として、運よくデートすることが出来た相手を逃がさないようにしつつ、慣れだと言い切って説明したのだ。

 とはいえ、あの発言をした当時、久しぶりに現れた悪霊によって教会自体が混乱しており、正直それどころではなかった。

 けれども、それは言い訳にしかならない。






 という事で、天井の梁を見ながら、当時の自分の生み出した言葉に反省しつつ、ふぅとため息をつきながら姿勢を正し、孫の顔を見る。

 母親ではなく、何故かティリエスと瓜二つという顔を見ながら、可愛い孫娘の為に何とかしてあげたいという気持ちは確かにある。


 少し真剣な表情をしていたティリエスの顔を見たポーラは、小さく首を振って上気した頬を振り払うようにすると、少し目を細めたふぅと息をつく。


「それでですね、少し気になるのですけど」

「ええ、どうしたのです?」

「ダリルとデートの最中に、おばあ様から〝エルフは魔力に惹かれる話を聞いた″と知りました」

「ええ。確かに言ったわ」

「〝私が″ではなく、〝エルフが″と言われたのですよね?」

「エルフなら誰もが知る話ですもの」


 すると、ポーラはすっと目を細めた。


「……それを教えた上で、精霊正教国へ行くように言ったのですか?」


 ジト目になるポーラに、思わずたじろぐティリエス。

 だがそれも一瞬で、すぐさま表情を変えて目を細める。


「彼らが長老と会う必要があると判断したからよ?」

「私が言いたいのは、私がダリルに惹かれている事を知った上で、エルフの誰もが知る特性を教えてなお、お命じになられたのかを聞いているのです」


 眉間に皺を寄せながら顔を寄せてくるポーラに、ティリエスは苦笑いを浮かべつつ視線を逸らす。


「話が混同しているわ。精霊正教国で情報を得る事は必要な事。それとは別に、エルフの特性を教えてあげたのは貴女の手助けのためと考えての事よ?」

「教えて?」


 眉をぴくりと持ち上げるポーラ。

 ティリエスはそんな小さな変化を見た直後、しまったという表情を僅かに浮かべてしまった。


「……どうやってです?」

「どうやってって、それは普通に説明して……」

「嘘です。ならば〝教えてあげた″とは言わず、〝説明してあげた″と言うはず。おばあ様、彼に何かしましたね?」


 ティリエスはこめかみに指を当てると、小さくため息を吐いた。

 すると観念したかのように目を閉じると、胸に手を当て、小さく呟く。


「鼓動を聞かせただけよ」

「…………………………………………はい?」


 ポーラが目を丸くする。


 沈黙。


 だが、すぐさまはっと気がつくようにして、ポーラは勢いよくテーブルに手を突き、身体ごと乗り出す。


「お、お、おばあ様!! どういうことですか!!!」

「……彼が貴女に惚れられている事を説明したけれども、言葉だけでは信じてもらえなかったから、つい……」


 少し頬を染めるティリエスを見たポーラが、眉間に更に皺を寄せる。


「ついって、ついじゃありません! ダリルを抱きしめちゃったって事ですよね!?」

「だ、だって、あんな純粋な魔力を溢れさせておきながら、自信なさげな表情を浮かべたのよ? そんな姿を見せられたから、胸が苦しくなってしまったのよ」

「だってって、もー! 何でおばあ様が胸キュンしてるんですかっ! 信じられません!!」

「胸キュンって……重婚する気は無いわよ?」

「あたりまえですっ!!」


 バンと勢いよくテーブルを叩き、凄みを帯びた目で睨んでくるポーラを見たティリエスは、若干引き気味に苦笑いを浮かべる。


「お、落ち着いて、ポーラ」

「落ち着けません!」

「もう…………彼に必要なのは自信なのよ? 私は、彼に自信を持たせる手助けをしただけ」

「話を逸らさないでくださいっ」

「なら聞きますけど、彼が自信を持たぬまま、貴女の誘惑が嘘だと思わせたままでもいいの?」

「そ、それは、それは嫌です」


 急にポーラがしゅんとして俯くと、これが勝機とばかりにティリエスは目を細めて続ける。


「でしょう? ようやくこれからの一歩が価値あるものになったのよ? そう考えれば良かったと思うけど、違うかしら?」

「うー……い、いいえ」

「ならば別に問題ないわね?」  


 だが、ポーラはふっと顔を上げて首を振る。


「問題あります」

「え?」

「ここは教会関係者が多く集まる聖王国です。彼の魔力に知らず知らず魅せられ、惹かれる者が数多く出てしまいます。そうなったら、私から離れてしまうかもしれない……」


 若干瞳を潤ませながら迫るポーラに、ティリエスは少し考える。


 ポーラの言っている事も一理ある。


 色々と浮かぶ考えを纏めると、姿勢を正し、小さくため息を吐きながら頷いた。


「……わかったわポーラ」

「お、おばあ様?」


 不安げな顔をする孫娘を安心させようと、ティリエスは微笑みを向けた。


「貴女のために協力しましょう。ならば、具体的にどうすればいいのかしら?」


 そうティリエスの同意を得られたポーラは、嬉しそうに笑みを浮かべて何度も頷いた。


「ありがとう、おばあ様!」

「うん。まあ、そうなんだけど。うん。確かにあなたのおばあちゃんだけど……うーん……」


 おばあちゃんと言われ、何となく不満顔のティリエス、八百うん歳。

 乙女心は難しい……。


「まあ、可愛い孫娘のため……ね」


 仕切り直しにと小さく咳払いする。


「で、外に出る可能性のあるダリル殿を監視するというお願いは理解したけれど、そもそも外に出るのかしら? エリーさんも見張っているんでしょう?」


 ティリエスが不思議そうに尋ねると、ポーラは小さく首を振る。


「そうなのですけど、きっと彼の事だから、外へ行くと思います」

「でも、それだけでは問題ないと思うわ?」

「ええ。でも、そうなるとエリーちゃんも必ず一緒に行動するはず。だとすると、ダリルに近づく教会関係者を追い払おうとその姿を街中で現わしてしまうと思うの。そうなったら街中混乱してしまうわ! だから、そんな不測の事態に対応するために、今日だけはおばあ様も中央広場に向かって、未然に防いでほしいの。万が一エリーちゃんが出現してしまったとしても、教皇としてエリーちゃんの存在を認めれば、混乱は最小限で済むはずですから」


 ポーラの説明を聞いたティリエスは、その考えを肯定する様にゆっくりと頷く。


「なるほど……それは良い案です。ですが、ダリル殿は本当に外に行くのですか?」

「はい」

「根拠は?」

「……長い間馬車の旅を続け、ここに到着しても少ししか外に出れませんでした。だから、少しくらい息抜きさせてあげたいと思って、エリーちゃんも認めると思うんです。それに……」


 すると、ポーラは少しだけはにかみ、小さく微笑みを浮かべた。


「私も、認めてあげたい」


 恋する乙女の微笑み。

 そんな様子を見て、ティリエスはため息をつきながら小さく頷いた。


「わかりました。ならば、早速ガイロスにお伝えなさい」

「え?」

「全く……最初からそうなる様に仕向けるつもりだったのでしょう?」

「は、はい! ありがとう、おばあ様!!」


 嬉しそうにはにかむポーラは、立ち上がり、ティリエスの傍へと向かう。


 ティリエスは静かに立ち上がると、傍に寄ってきたポーラを優しく抱きしめた。


「良き方と出会えて、幸せそうね」

「ええ。とっても」


 愛おしそうに頭を撫でるティリエス。

 そんな優しく動かされる手を受けながら、ポーラは小さく頷いた。


 そしてそっと身体を離すと、ティリエスは静かに告げる。


「ところでポーラ。あなたはノルドラント教区に戻り、ノード司教に報告する義務があります」

「はい」

「なので、ダリル殿には出発を遅らせるよう伝えましょう。その間に報告を済ませ、また戻って来なさい。ノード司教には、あなたをこの地へ戻すように指示するよう書面をしたためます。なので、教会司祭長としての責務は必ず果たしなさい。良いですね?」


 真剣な表情で見つめるティリエスに、ポーラはその場で静かに跪き、頭を垂れた。


「はい。教皇ティリエス様、必ずや責務を果たします」

「よろしい。では、お行きなさい。報告があり次第、私もタイミングを見計らって参りましょう。頃合いを見て、あなたも合流しなさいね?」

「はい!」


 笑顔で応じる孫娘が部屋から出ていく。

 部屋から出ていく後姿を見ながら、ティリエスは思わず微笑みを浮かべてしまう。


 なにせその姿は、様々な男を振ってきた勝気な娘ではなく、恋する乙女の姿そのものだったからだ。


「……人の命は儚い。後悔しないよう、精一杯、想いを伝えなさい」


 静かに閉じられた扉に向かって小さく呟くと、執務机の上に置かれた銀製の鈴を手に取り、ゆっくりと鳴らして侍女を呼ぶのだった。




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