第31話 姉妹喧嘩(ダリルの回顧 その5)
街一帯が氷の世界に豹変している。
水の根源を追う悪霊アシュインによって、今や氷の世界へと変えられてしまったリッシナの街。だが、その元凶たるアシュインは、今しがたエリーによって吸収されてしまった。
当のエリーは、アシュインを吸収した後その場で静かに俯いたまま動かない。だがよく見ると、肩が僅かに震えている。
『エリー?』
俺を守るように寄り添ってくれていたリティが小さく声を掛ける。
だが、当のエリーは反応する気配がない。
『大丈夫?』
リティがそっと近づいていく。
すぐ傍まで近づき、顔を覗き込むようにして身をかがめる。
だが次の瞬間、何故か慌てて飛び跳ねるようにエリーから離れる。
「ど、どうしたの?」
俺が間抜けな声で彼女に尋ねると、非常に驚いた表情を浮かべて小さく首を振る。
『エリー……どうしちゃったの?』
「え?」
エリーの肩が大きく揺れる。
肩の動きに合わせるように、ゆっくりと顔を上げる。
エリーの表情を見て思わず目が点になる。
あの美しい素顔はそこにはなかった。
美しいアイスブルーサファイア色の瞳は消え去り、代わりに深紅のルビーの様な色をした目が妖しく光り、瞼を痙攣させるようにして目元をひくつかせる。
何かを訴えるように口が開くが、首をビクリと震わせると、歪む口元を釣り上げて笑みを浮かべて止まる。そんな様相だった。
幼心に覚えている。正直、あの時のエリーは、非常に気持ち悪い立ち居振る舞いをしていた。
『な……な…に? ふひっ……何……こ…………れ……クフフ……な…ん……なの……?』
ガクガクと震える両手を必死に顔へと宛がうが、ぶるぶる震えるせいか上手く顔が隠れない。
『エリー!』
悲痛な面持ちで呼びかけるリティに反応することなく、震える手で顔を覆いながら下を向き、しきりに首を横に振るエリー。
そんな様子を目を見開いて見つめるリティが再び声を掛ける。
『エリー、しっかりして!』
『わ、わたし……』
再度呼びかけられたエリーが、肩を震わせながら喚くように呟く。
『わ、わわわ私……し、知らない! 私じゃない! わ、私が殺したんじゃない!! な、何故……何故よぉ!!』
急に顔を上げると、顔を覆っていた手を外し、ニヤついた表情を浮かべて叫ぶ。
『何故、何故なの!? 私は、知らない! 知らないわ!!』
言ってる言葉と、浮かべている表情が全く嚙み合っていない。
困惑する俺とリティ。
少し焦るようにして、リティがエリーの傍にふわりと寄る。
『エリー、落ち着こう?』
『うるさい!! 気安く私の名を呼ぶな!
『なっ!!』
片手を顔に当て、もう片方の手をリティに向けると、巨大な氷の槍を呼び出し、容赦なく放ってきた。
不意を突かれた攻撃に、リティが咄嗟に反応して氷の槍を避ける。
だが、その槍は俺の直ぐ傍を勢いよく通り過ぎ、後方の建物に突き刺さって轟音と共に建物が崩壊する。
『エ、エリー、どうしたの?』
『何故!? どうして記憶があるのよ!! ああ……私が……殺したの!?』
『お、落ち着きなさい、エリー!』
どうすることも出来ずにいたリティが、俺の無事を確認しながらエリーへと近づいて声をかける。だが、再び顔を両手で覆いながら、エリーは激しく首を振る。
『ああああ!!! うるっさい! さっきから気安く呼ぶなと言ってるでしょう!! 鬱陶しい!!!』
『なっ!』
突然の罵声に、リティが文字通り硬直する。
そんな彼女が首を大きく横にふるエリーを見つめたまま、差し出した手をだらりと下げると、妹の発言に傷ついたからだろうか、リティまで俯いてしまった。
だが、しばらくすると、底冷えするような低い声でリティが呟く。
『エ、エリー、どうしちゃったの!?』
『……さっきから、ぐちゃぐちゃうるさいのよ! そうやって、いつも、いつも……いっっつも姉貴面してぇぇ! わ、わ、わわ私が、どれだけ苦しかったか……ししし知らないくせにぃいぃぃぃ!!』
『どういう……どういう意味?』
俯いたまま尋ねるリティに、エリーは両手を顔から放す。
美しい長き髪を振り乱し、眉間に皺を寄せて憎々しげな表情を浮かべる。
歪んだ口が開かれると、嘲笑しながら大声を上げる。
『婚約者に裏切られ、意気地も甲斐性も無いあんな奴を見限るどころか、自分の身と引き換えにあいつを助けようとした。そんなあんたを、あの狂った教皇が狙い、嵌められ、結局あいつは暴走し、私は闇に飲まれた。闇に飲まれたのは、あんたじゃなく私だったのよ? これ以上の苦しみがあるっていうの!?』
言っている意味が全く分からなかったが、堰を切ったように激しく言い切るエリーの言葉を受け、弾かれたように顔を上げたリティの表情は、とても見ていられないほど悲痛なものになっていた。
『エ、エリー……わ、私は、あなたを……あなたをっ!?』
『わ、わ、わわわかっ……てる、てる。し、しし知って……る、知ってる! わ、わ、私が言いたいのはこんな言葉じゃななななないぃぃぃ!!!』
エリーが頭を抱え、悲鳴のように喚き散らす。
一心不乱に両手で頭を抱えたまま首を激しく振るその姿は、はっきり言って狂乱している様にしか見えなかった。
『ああああ! 私から、私から出ていけぇぇええ!!!』
『エリー!』
狂乱している妹の姿を悲痛な面持ちで見つめるリティだったが、もう見ていられないとばかりに傍へと近づく。
だが、リティの接近を阻むように、エリーはリティに向けて掌を向ける。
『じ、邪魔するなぁぁ!!
『っ!!
リティの周囲に展開された幾本もの巨大な氷の槍が、容赦なく彼女に襲い掛かる。
咄嗟に唱えた炎の壁によって大半の氷の槍が蒸発するが、それでも炎の壁を越えてきた幾本かがリティ目掛けて襲い掛かる。それを躱しながらエリーの傍へとたどり着くと、落ち着かせるように声をかける。
『エリー!?』
リティがそう声をかけると、エリーは振り乱した顔を整えることもせず、そのまま小さく首を振る。
だが、リティは諦めることなく、優しく声をかける。
『どうか落ち着いて。大丈夫。この街を襲っていた魔物の群れも、その元凶たる
リティがさらにエリーの傍へ近づこうとした瞬間、エリーが手を顔に当て、小さく、本当に小さく喉の奥から溢すような低い笑い声を上げる。
『くふっ……ククク……』
『どうしたの?』
ニチャっという音が聞こえるような錯覚を覚える程、口端を醜く歪めながら笑みを浮かべるエリーは、顔に当てた手を僅かにずらし、指の隙間からリティを覗く。
『つくづく間抜けな奴だねぇ……まだわからないの? くふっ……だから言ったでしょう? お前たちは誰も守れないって』
その言葉を受けて、リティが驚愕の表情を浮かべる。
『あ、あなた……アシュイン!?』
『アハハハハ!! あなたには理解できないのでしょうね、この素晴らしき状況ぉぉぉ……グギぃ……わ、私じゃ……ないぃぃぃ』
そう言うと、エリーが両手を大きく広げ、僅かに宙を舞う。
『グギぃっ……くはあっ……クフフっ……は、計り知れない力を感じるわ。これまでに感じた事のない力。ああ……何て世界』
長く美しい黒髪を宙に舞い散らせながら、恍惚した表情を浮かべて豊満な胸を張り上げると、勢いよく天を仰ぐ。
『ああっ! この力、この力こそ闇の深淵! 無の根源!! 素晴らしいわぁ!!!』
不意にリティを見据え、右腕を天へと突き上げる。
『誰も守れぬまま思い知ると良い! この素晴らしき力を!!
『くぅっ!
エリーが瞬間的に放った魔法に対抗するように、リティは俺の方へ手を伸ばして即座に唱え、俺の目の前に炎の壁が現れるが、あっという間に沸き上がった炎の壁が凍結してしまった。
俺にかけられた炎の加護はまだ効いているため、エリーの放った氷の魔法から守られはしたが、それでも急激な温度低下によって身体は凍えてしまう。
だが、周囲を見渡せば、周りの物はすべて凍り付いていた。
それは圧倒的な力だった。アシュインが唱えていた時の威力と比べても桁違いの強さだ。
なにせ、炎が凍ったのだ。
『くぅっ……はああっ!!』
エリーによって身体を凍結させられたリティだったが、気合の入った声を上げた直後に身を大きく仰け反らせ、凍結箇所を全て打ち砕いて俺の傍へと舞い降りる。
だがそれでも、視線はエリーを見つめたままだ。
『エリー……』
『何よ』
『名前を呼べば反応するという事は、あなたはエリーよね?』
『だったら何よ、アバズレ?』
『ア……アバズレぇ?』
『はははっ。怒った? 自覚ないのねぇ』
エリーの物言いに、リティが眉根をピクリと持ち上げる。
そんなリティの様子を一瞥し、歪な笑みを浮かべたまま更に煽る。
『誰も救えないくせに、自己満足で終わっちゃうのは今も昔も変わらない。大好きな婚約者が私に惚れたからって嫉妬するのもどうかと思うわよ?』
『な! し、嫉妬なんてしてないし、あの人はエリーに惚れてなんかないわ!』
『何だ、知らないの? あいつ、私に求婚してきたのよ?』
『なぁっ!!』
口を開けたまま、絶望的な表情を浮かべるリティ。
にやけた表情のまま、エリーは続ける。
『あいつ、私に何て言ったと思う? あんたが暗いから、会話が成立しないって嘆いてきたのよ?』
そんな事を言うエリーだったが、俺は首を傾げる。
出会った時のリティは物凄く明るかったような気がするが……。
だが、リティは動揺しているのか、イヤイヤするように首を横に振る。
『だ、だって、婚約した方とどんなお話ししていいのか解らなかったんだもの』
『だからって無言で接するなんて馬鹿じゃない? だから可愛い私に求婚してきたんでしょうねぇ』
もう耐えられないとばかりに、リティがエリーから離れて向かい合うと、腰を少し曲げながら声を上げる。
『エ、エリー!』
『な、何よ』
『お姉ちゃんに何て失礼な事を言うの!』
『はあ? 何がお姉ちゃんよ。今更、姉貴面?』
『姉貴面もなにも、私はあなたのお姉ちゃんです!』
『はん! 言い負かせないからって、今度は姉という立場を利用しないとまともな反論も出来ないなんて……。哀れねぇ』
更に眉をピクピク動かすリティ。
すると、リティが勢いよく宙に舞い上がると、両手を腰に当て、胸を張る。
『エ……エリーちゃん!!』
急な大声に、エリーがビクリと肩を震わせる。
あれ? ちゃん付け?
『何よ!』
『それ以上言ったら、お姉ちゃん、許しませんよっ!!!』
その発言に、思わずエリーが呆けた表情を浮かべる。
『はあ!? 正直に教えてやっただけじゃない!』
『エ、エリーちゃんはそんなこと言わないわ!』
『アハハハハハ! バカなじゃいの? だからアバズレ根暗女って言われんのよ!』
中空でリティが地団駄を踏む。
何だか、周囲のシリアスな状況との温度差が激しすぎる。かといって手出しが出来るわけでもないので、俺はただただ二人のやり取りをぽかんと見守る。
『むー! 許しませんよっ!』
『はん! 上等じゃない!』
『謝るなら今の内です!』
『何で謝らなければならないのよ!』
『むきゃー!!! ダリルちゃんを危険な目にあわせるばかりか、お姉ちゃんに失礼な事を言い続けるなんて……もうお姉ちゃん、許しません!!』
リティの発言に、エリーが腹の底から大声で笑い声を上げる。
『はあっ? クフっ、アハハハハハハハ!!』
『ほ、本当に怒ってるんですよっ!!』
『アバズレ根暗性悪女のくせに、何を言ってるのかしらぁ~?』
エリーの煽りに、肩を震わせ、目を大きく見開きながら声を張り上げる。
『わ、私は……』
『私が何よ?』
エリーの余裕を含む問いかけに、リティの目は半分白眼になる。
そんな光景を見て、何か嫌な予感がするのを感じる俺。
『私は、アバズレでも根暗でも性悪女でもなぁーーーーーーいっ!
リティの目の前に、巨大な炎の槍が形成される。
だが、エリーはリティに向けて静かに人差し指を突き出す。
『反論できずに実力行使? 馬鹿みたい。
リティに対抗するかのように、エリーの目の前には氷の巨大な槍が形成される。
『『
二人が同時に言い放つと、炎の槍と氷の槍が激突し、轟音と共に消滅する。
『お姉ちゃんは怒っちゃいました! もうカンカンです。プンプンです! お仕置きです!!
『あーもうっ! 鬱陶しい!!
幾本も現れた炎の槍と、氷の槍が空中で互いに術者に狙いを定める。
『『
炎と氷の槍の激突により生じた物凄い衝撃によって、凍り付いた周囲の構造物が崩れていく。
瓦礫が容赦なく襲い掛かってくるため、情けない事に俺は逃げるので精一杯になる。
そんな俺の傍に勢いよく舞い戻るリティが、俺を護るように両手を広げる。
『
リティの詠唱を受け、荒れ狂う炎の嵐が勢いよく俺たちの周囲に壁のように現れると、氷によって凍結していた周囲を瞬く間に溶かしていく。
『もう怒っちゃったからね! 口の悪い子にはお仕置きよっ!!』
『なーにが怒っちゃったよ。反論できないのは認めてるって事じゃない! 』
『うるさーい!
『うるさいのはそっちよ!
炎と氷の暴風が互いにぶつかると、急激な気温の乱高下によって凍り付いた街が再度凍ったり燃やされたりしながら瓦礫を激しき舞い上げる。
風の勢いが弱まったと思ったら、リティがエリーの懐に急接近し、伸ばした手がエリーの漆黒のローブを掴み、組み伏せようと別の腕を伸ばす。
だが、エリーがそれを阻止するために、容赦なく鋭い蹴りをリティの腹部目掛けて繰り出す。
腹部に襲い掛かった足蹴りの衝撃で、リティが俺の方へ吹き飛ばされる。
俺の傍で体制を立て直し、キッとエリーを睨みつけると、そんな様子を見ながら俺たちの歪んだ笑み向ける。
『ただの根暗かと思ったら、なかなかやるじゃない』
『胸がデカくて単に可愛いからって調子に乗らないでよね。妄想垂れ乳っ』
『なぁっ!』
リティの放った言葉に、今度はエリーが反応する。
『た、たた垂れ乳って何よ!』
『あらぁ、何を動揺してるのよ。どうせその無駄におっきい贅肉で男を魅了しただけでしょう? 気品の良さで尊まれているのではなく、下品な垂れ乳のお陰で慕われているだけだったじゃないっ!』
リティの放った一言に、今度はエリーが大きく反応する。
これまで浮かべていた歪んだ笑みは当に消え失せ、今や眉間に皺を寄せて憎々しげにリティを睨みつけている。
『い、言わせておけばぁ……』
『もう許しませんよ、エリーちゃん! 容赦しない!!』
『それはこっちの台詞よっ! ぶっ潰す!!』
中空で互いに睨み合い、それぞれ両手を相手に向かって突き出す。
『
『
焔の球と氷の礫が中空で激しくぶつかる。
互いが互いを睨みつけ、容赦なく持てる力をぶつけ合っている。
時折流れ弾のように焔の球と氷の礫が俺の傍へと飛来するが、その度に熱さと寒さを感じては、命の危険を覚えて身震いする。
たぶん、今の二人に俺の存在は映っていないのだろう。
何らかの事情があってエリーはあんな態度なのだろうけど、一刻も早く元に戻って欲しい、そう心の底から願っていた。
なにせ流れ弾が物凄く怖いのだから。
二人は忘れているかもしれないが、俺はこの日、肉親を
ふと見上げると、中空で二人は様々な魔法の応酬を繰り広げている。そのためか、地上はその余波によって周辺一帯はボロボロだ。
そんな様子をみながら、俺は二人を見上げる。
互いに何かを罵り合いながら、あらん限りの魔法を撃ちまくっている。
これはどう見ても、姉妹喧嘩だった。
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