第32話 聖銀の剣(ダリルの回顧 その6)
激しい魔法の応酬によって、周囲はまるで戦争があったかのようにボロボロになっていた。
そんな中、俺は半ば崩れてしまっていたが、背丈ほどある壁に囲まれた場所で静かに……いや、怯えて震えていた。
顔を上げると、視線の先には、深紅の瞳に漆黒の長い髪をした、漆黒のローブに身を包む美しき女性と、アイスブルーサファイアの瞳に青色の長い髪をした、青色のローブを身に纏う美しい女性が、互いにしのぎを削るように激しい魔法の応酬を行っている。
若干訂正する。
先程“美しい”と言ったけど、双方の表情は物凄い形相をしている。それはまるで牙を剥き出しにした怪物そのものだ。
魔法を使ったと思えば、今度は肉弾戦を繰り広げ、互いに拳をぶつけ合ったかと思えば、ローブ姿にもかかわらず蹴りによって相手を攻撃しあう。漆黒と青の長い髪が乱れ舞い、ローブが呼応するかのように激しく揺れ動く。
最早これは単なる姉妹喧嘩じゃない。明らかに死闘だった。
それよりも、霊体同士だと殴り合えるのかと、変なところに感心していた。
『まだ降参しないのですか?』
『まだ根を上げないの?』
美しき姉妹、リティとエリーが互いにそう聞くが……。
『『誰がっ!!』』
完全否定する声と同時に、何かが衝突する音が響き渡る。
「うあっ……」
急激に身体から力を抜かれるような感覚を覚え、思わずその場に跪く。
二人が争い始めてからしばらく経った時、二人が何かしら激突するたびに軽い眩暈が襲い掛かるようになっていた。
俺は壁にもたれかかるようにして身体を支え、なんとか二人の様子を見ている。
見た感じは一進一退の攻防を繰り広げている二人。
だが遂に、その均衡が崩れた。
『ああっ!』
悲痛な悲鳴を上げ、俺の方へと吹き飛ばされてきたのはリティだった。
エリーが繰り出した蹴りを避けきれず、腹部にまともに受けたようだった。
「リ、リティさん!」
即座に体制を立て直しているリティに声をかけると、彼女は俺に視線を向けて微笑みを浮かべる。
『ダリルは大丈夫? 怪我してない?』
「は、はい、大丈夫です」
『そう。よかった……
心配しない様に声を掛けながらも唱えた魔法によって、俺たちの周囲に勢いよく焔の壁が周囲に形成される。
その焔の壁から、勢いよく蒸発していくような音がたちまち広がる。
どうやら俺の方へ吹き飛ばされたリティに向けて、エリーが氷の魔法を放ったのだろう。
『ダリル、ゴメンね』
「え? 何で?」
俺が首を傾げると、リティの表情から微笑みが消え、代わって真剣な表情へと変化する。
そんな彼女を見て、俺は何とも言えない不安な気持ちを掻き立てられる。
『私ではあの子を押さえるので精一杯みたい。だから、私が抑えている間に、あなたには避難して欲しいの』
「え?」
驚く俺の方を向き、表情を変えずに静かに告げる。
『エリーは、アシュインという
ため息をつきながら俯くと、小さく首を振る。
『今のあの子は、エリーであってエリーではない。あの子を止めるには、より強い意思の力で、取り込んだ
そう言いながら、エリーに視線を向けるリティ。
『それに、今はまだアシュインの記憶が強く影響されているせいか、水の魔法だけで攻撃してきているわ。でも、記憶が定着してエリー自身が習得してきた魔法まで織り込まれたら、とても太刀打ち出来そうにない』
「で、でも、リティさんは僕の魔力があるから戦えるんでしょ? だったら、僕がいなくなったら大変なことになるんじゃないですか?」
すると、リティは俺の方を向き、嬉しそうに微笑みを向けてきた。
『もう、あなたは本当に優しい子ね。でも、あなたのご家族も、お友達も、この街の人たちも、結果として救えなかった。だから、せめてあなただけでも助けたいの。私はあなたの眷属だから、あなたを護るのが私の役目でもあるのよ。それに、折角再会できた妹のあんな姿、ダリルには見せたくないのよ』
俺を救ってくれたリティ。そして、生まれ故郷の街を蹂躙した
両親も殺され、街の住人も、親しかった友人も皆殺された今、俺一人だけ逃げ延びて何になる、そんな風に思った。
命の恩人である彼女たちを放置して、避難……つまりは逃げろと言われても、到底受け入れるような事は出来なかった。
「そんな……逃げろだなんて嫌です! 僕はあなた達に救われたのに、何も出来ずに逃げるだなんて!」
そう声を上げると、リティはそっと俺の頬に手を当てる。
『ふふっ……私は、長い長い年月を経て、やっと妹と再会することが出来ました。それは全てあなたの……ダリルのお陰。私こそ、あなたに大きな恩があります。それに、
柔らかな微笑みを浮かべる。
まさに、慈愛の聖母の様な美しい笑顔。
『私のためにも、避難してください』
そう告げると、リティはエリーのいる方へ向く。
俺は何とも言えない思いを胸に、静かにその様子を見守ることしか出来なかった。
そんな俺を見たリティは、小さくクスっと笑う。
『ふふっ……でも、それとは別に』
すっと差し出した手を、激しく荒れ狂う炎の壁に向ける。
『私を根暗女といったエリーちゃんに、ちょーっとお仕置きしたいかな?』
ぺろっと舌を小さく出すリティ。
そんな仕草に、思わず俺は笑ってしまう。
俺につられてリティも小さく笑うが、すぐさまエリーのいる方へと視線を向けると、目を閉じて言葉を紡ぐ。
『
幾本もの炎の槍が出現し、エリーのいると思われる方へと槍先が向けられる。
『
その直後、急激な温度低下と氷嵐が吹き荒れた事で、目の前に展開していた焔の壁があっという間に鎮火し、焔の間から正面に瓦礫と化した街の様子が見えた。
そしてその視線の先には、薄く笑う宙に浮くエリーの姿も。
『
手のひらをエリーに向けて呟くリティ。
瞬時に幾本もの炎の槍がエリー目掛けて殺到する。
完全な不意打ちになったようで、エリーが目を見開いて慌てて手を交差させる。
炎の槍がエリーに接触した瞬間、激しい轟音と共に宙に球体が現れ、周囲に幾筋もの炎の糸が舞い上がる。
『さあ今です! 行って、ダリル!!』
そう声をかけて来たリティだったが、目の前でエリーを襲っていた炎に変化が生じる。
急激に炎の球体が膨れ上がったかと思うと、炎の球体が瞬時に凍り付き、パキンという音と共に細かな氷の粒子となって周囲に弾け飛ぶ。
その中心には、胸を張り、両腕を大きく広げながら俺たちの方を睨むエリーの姿が現れる。
『やってくれる……』
『……少しは反省しましたか?』
リティが僅かに焦る表情を浮かべながらそう告げるが、エリーは余裕と言わんばかりにニヤリと笑みを浮かべ、小さく肩を揺らす。
『曲がりなりにも姉だからと手加減すればいい気になって……そのクソガキがいるから調子に乗っているのね?』
『そんな訳ないわ!』
『うるさい!』
エリーが俺を睨みつける。
『もういい。お前から死ね。
俺を指さし、呟く言葉に呼応するかのように、エリーの真下から激しい勢いで水が噴き出し、瞬く間に濁流となって俺に襲い掛かってきた。
「うわあっ!!」
俺は必死に壁にしがみつくが、容赦なく襲い掛かる濁流に抗えず、手を離してしまう。
必死に何かを掴もうと手を伸ばすが、勢いよく襲い掛かる水に抗えず、いつしか水面に顔を出すことも困難になっていた。
『ああダリルっ!
濁流に飲まれる俺を見て、リティが慌てて俺の目の前に巨大な炎の球をぶつけると、ぽっかり空いた空間に濁流が流れ込んで勢いが緩和される。
だが、水の流れが緩和された事で流される方向が変わり、半ば崩れた建物にぶつかる。
ぶつかった場所が建物の玄関だったようで、濁流に押し流されながらも辛うじて原型を留めている扉のドアノブに捕まることが出来た。
ふと視線を建物へと向けると、そこが俺が知っている場所であることを思い起こさせる。
展示棚は倒れていたが、水に流されずにその場に残る淡く蒼く光る剣を見つける。
『
棚が倒れたためか剣は床に無造作に打ち捨てられている。憧れていたこの剣を毎日のように見に来ていたのだが、その時は4本展示されていた。
だが、今では確認できる限り2本しかその場に残っていない。
『しぶとい!』
憧れていた剣に一瞬目を奪われていたが、エリーが大きな声を上げながら俺の方へ勢いよく飛んで来た。
『エリーちゃんの相手はお姉ちゃんです!』
リティがそれを阻止しようと、俺の前に両手を広げて立ちふさがる。
魔法など使わず、エリーが突破しようと蹴りを繰り出すが、リティが魔力を込めた拳によって迎撃されると、瞬時にその場に衝撃波が襲い掛かる。
俺もその余波に煽られてしまい、背後の壁に勢いよく背をぶつけて瞬間息が詰まる。
『邪魔よ!』
『させない!』
美しき女性が拳と蹴りを繰り出し激しくぶつかり合う。
回し蹴りを繰り出すリティに、エリーがしゃがんで躱し、身を翻し、起き上がりざまに回し蹴りを繰り出す。
たまらず両腕をクロスさせて防御するも、勢いよく俺の方へ吹き飛ばされ、体勢を整える間もなくエリーがリティに襲い掛かる。
『まずはアンタから消えな!!』
そう大声を上げながら襲い掛かるエリー。
俺は咄嗟に落ちていた2本の剣を拾いあげ、リティを庇う様に前に立つ。
1本の剣さえ持ったことがないのに、何故か2本の剣をエリーに向けて身構える。
そんな俺の姿を認め、エリーは攻撃を止めると、立ちはだかった俺の姿を舐める様に見つめ、若干驚いた表情を浮かべる。
何かを思ったのか、エリーは不意にニヤリと笑みを浮かべた。
『邪魔するの?』
「も、もう、二人が戦っていることが耐えられません! やめませんか? 僕たちが争って何になるんです!」
『剣も握ったことのないような子供が2刀流とは、笑わせてくれる』
「で、でも、守りたいんです!」
『……クフっ、そんな子供だましの構えのくせに、一丁前に私に立ち向かうとは、なんて愚か……』
エリーがそう言いかけた矢先、俺の構えた剣を凝視したかと思うと、少しばかり距離を開けた。
疑問に思っていると、体勢を整えたリティが俺の傍に近づき、目を見開きながら呟いた。
『
俺が構える剣が淡く蒼く光る。
だが、心なしか光り方が強くなっている様に見えた。
『すごい……純粋な魔力が刀身に導かれている……』
純粋に驚嘆の声を上げるリティだったが、その様子を見てエリーが物凄い形相で俺を睨んできた。
『クソガキが……この私に楯突くのか!』
「エリーさんを止められるなら、何でもします!」
『戯れ言を!
俺の目の前に巨大な氷の槍が現れる。
『これで終わりよ!
目の前に迫る巨大な氷の槍。
震える足を奮い立たせ、剣を構えたまま、目をきつく閉じる。
もう死ぬんだ……そう思った。
だが、来ると思っていた衝撃が、一向に襲い掛かって来ない。
恐る恐る目を開けると、目の前の光景に俺は愕然とする。
リティが俺の目の前に立ち、巨大な氷の槍をその身に受け、両手で槍を抑え込んでいたからだ。
『フ……
すぐさま真正面に炎の壁が現れ、炎の熱によって氷が蒸発していく。
「リティさん!!」
『ダ、ダリル、大丈夫?』
「は、はい。でも、リティさんが!!」
俺は、泣きそうになりながらもリティの傍に駆け寄る。
怪我が無いかを知りたくて、氷の槍を受けた場所に手を伸ばすが、無情にも俺の手はリティの身体を通り抜ける。
「ああっ……」
焦る俺を見つめながら、ふっと微笑みを浮かべるリティ。
『霊体同士は触れるのに、どうして生身の身体とは触れ合えないんでしょうね。まあ、仕方ないです』
少し寂しそうに呟くリティだったが、それもエリーの声によって遮られる。
『いい加減くたばれ!』
勢いよく迫るエリーを目の当たりにして、リティは俺の正面に両手を広げて立ちはだかる。
『邪魔!』
エリーの怒声に気圧されることなく、リティは両手を俺の持つ剣に向ける。
何かしらかの強い力が俺の手から剣を奪い取ると、剣の柄をエリーに向ける。
チラリとリティが俺に視線を向け、彼女の手が剣を握る俺の右手に添える様に合わせられた。
『消えろぉ!!』
エリーがリティの胸元目掛けて手刀を突き刺した。
ガタンという音と共に、いきなり馬車が止まった。
「うぉっ」
「きゃっ!」
急な制動に、俺もポーラもたまらず倒れ込む。
特にポーラなんかは、膝の上に載せていたクッキーを盛大に溢し、若干涙目になっている。
やばい。ちょっとカワイイ。
「ど、どうしたのです!」
姿勢を正しながら、慌ててポーラがアルクに声をかけると、予想もしていない返答が返ってきた。
「ポ、ポーラ様、賊が、野盗が襲撃しています!」
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