第10話 感触がないっ! 実感湧かないっ!!

 アプグラントへと近寄りながら笑みを浮かべるエリー。

 俺は静かにその様子を見つめる。


『……我に降れ。悪いようにはせん』


 静かにそう告げるアプグラント。

 だがエリーは愉悦を覚えたのか、歪んだ笑みを浮かべる。


『フフッ……フフフフフフッ…………アハハハハハハハハ!!』


 エリーが消える。

 次の瞬間、アプグラントの腕が虚空を切り裂いたかと思うと、エリーの繰り出した漆黒のオーラを纏う、巨大な漆黒の大剣かと思わせる腕と斬り結ばれる。


『私が降る? あなた如きに?』

『探し求めていたのはあなたの様な存在ですよ。我と永久とこしえの時を過ごしながら無を探求するは真理への近道。そう思わんかね?』


 漆黒のオーラがアプグラントの身体から溢れ出す。

 エリーもまた、対抗するかのように漆黒のオーラを噴出させると、猛烈な勢いで攻撃する。

 禍々しいオーラを纏った拳が、脚が、それぞれぶつかり合い、周囲に強烈な衝撃と、地面の表層を丸ごと削り取ったかのような土埃が舞い上がる。


『我に勝てると思っているのか?』

『アハハハハハ! あなたが私を屈服させるですって?』


 膨大な魔力と禍々しい漆黒のオーラによって広場の地面が削り飛ぶ。


『あなた、私の好みじゃないのよ』


 ニヤリと笑みを浮かべるエリー。

 アプグラントは無表情で言葉を受け取る。

 エリーは笑みを崩さぬまま、ゆらりと陽炎の如く漆黒のオーラが揺らめく。

 互いに力をぶつけ続ける両者のすぐ傍で、俺は剣を構えてタイミングを見計らう。


『愚者よ、高貴な私に跪きなさぁい』


 エリーがアプグラントへと手をかざす。


闇焔シャドゥラメ


 アプグラントの足元から漆黒の焔が急激に燃え上がるが、その焔を瞬間的に飛び退いて距離を取る。

 だが、その回避行動を見逃すほど甘くはない。

 俺は回避先を推測してその方向へと飛び出し、両の手に握られた漆黒の剣を振う。


『……邪魔だ!』


 アプグラントが俺の斬撃を避け、瞬間的に俺の顔めがけて掌を突き出してくる。

 俺が身体を捻りながら掌を避けつつ剣を振うと、アプグラントが振るわれた剣を紙一重で避けつつ強烈な蹴りを繰り出してくる。

 俺はその蹴りを剣で受け止め、力の流れに任せたまま押し飛ばす。


『小癪な……』


 若干押し戻されたことで不愉快そうに顔を歪めるが、それも一瞬の事。目を細めながら右腕をまっすぐ伸ばし、掌を俺に向けてくる。


闇茨拘束ドルンシャドル


 俺の足元に闇のオーラが纏わりつき、禍々しい漆黒の魔力によって茨が形成された瞬間、両足を拘束しようと急激に襲い掛かってくる。


「……クッ……」


 後方に飛び跳ねたことで俺の体勢が崩れるのを見計らい、アプグラントが片手を俺に向けて別魔法を詠唱する。


闇槍獄界シャドルスヴェルト


 俺の周囲に闇のオーラを纏った槍が数十本現れる。

 これはヤバいやつだ。


「げっ……!」

凍土氷壁ギフロナスヴォディヴァンド


 エリーの高らかな声音が響くと、俺を取り囲むかのように周囲に氷壁が一瞬の内に構築され、執拗に俺を拘束しようと激しく動き回っていた茨が瞬時に凍り付く。


『厄介ですね……』


 アプグラントがエリーの方へ視線を向ける。

 だが……。


「お前の相手は俺だよ?」


 俺がいる以上、お前なんかにエリーを攻撃させるわけないだろ?

 漆黒の剣を振い、

 いつも思うんだが、この剣、本当に切れ味が半端ないんだよな……。

 まあいっか。


『人の分際で我に楯突くか!』


 氷が砕け散る音が聞こえたからか、アプグラントが俺を睨みつける。

 深紅の目。怖いなぁ……。

 だけど……。


「お前はバカだなぁ」


 俺は思わず本音を漏らす。


「まだ、理解できないのかい?」


 俺が刺突を繰り出すと、アプグラントは無表情のまま、さほど動かずにするりと避ける。


『我を愚弄するとは、いい度胸です』


 俺を見据え、両腕を漆黒の剣に変えて睨む。


『そもそも、何に気づいていないと言いたいのです?』


 アプグラントが一気に俺との距離を縮めて腕を振るう。

 俺の繰り出した剣と衝突し、瞬間的に火花が散った。


『こんなにも脆いくせに?』


 不意を突かれて腹部を蹴られ、俺は吹き飛ばされる。

 効くなぁ……これ。


「脆いよ。確かにね」


 アプグラントがにやけた表情で手を俺にかざす。


闇焔シャドゥラメ


 俺の足元から漆黒の焔が吹き上げる。

 咄嗟に飛び退くが、右腕が間に合わずに漆黒の焔に巻き込まれる。


「ぐあっ!」


 漆黒のオーラを纏う焔が俺の右腕に絡みつく。

 骨の奥にまで響くほど熱く、そして激しい痛みが襲い掛かる。

 俺は思わず膝を着く。


『人なのですよ? 亜人でも、天翼人でもない。ただの人ですよ?』


 アプグラントが右腕を天空へと掲げる。


『我に抗う愚かな者よ。お前は大した魔力も能力も持っていないようですね』

「うるせー」


 俺の返答に口元を吊り上げると、手を俺に向けてかざす。


『……もう逝くといい』


 アプグラントの掌に、闇のオーラが集約していく。

 俺はよろける足を踏ん張りながら奴を見据える。


「どうでもいいが、何で俺ってまだ動けるんだろうね?」


 不意に発した俺の言葉を聞いて、アプグランドが一瞬目を細める。


「お前、さっきから俺の事をだとか何とかほざいていたじゃないか。じゃあさ、なんで俺はまだ動けるんだ?」


 悪霊は、自身が有する膨大な魔力が故に、上位魔霊程の魔力を持たない者たちの魔力を支配してしまう能力を有する。

 じゃあ俺は何で動いている? ただの人なのに。


『……まさか! あやつと魂が繋がって!?』

「今更? だからお前はバカなんだよ」


 アプグラントは手のひらに集約する闇を突如として巨大化させ、細めた目を俺に向けながら笑みを浮かべた。


『ならばお前を殺せば全て終いだ! 極大闇獄焔殺界オーシャラーヴェ!』


 巨大化した闇のオーラが瞬時に弾ける。

 俺を中心とした周囲に、瞬間的に闇の焔が吹き上がった。

 だが、俺は何もせずにそれを受け入れる。

 最大級の魔法攻撃こそ、俺たちが待っていた攻撃だからな。


「……後は頼むよ」


 俺の呟きは聞こえただろうか。

 闇の焔が俺の身体を容赦なく包み込み、身体だけではなく魂までも焼き尽くすこの漆黒の焔に身を委ねる。

 服や装飾品は一切燃えていない。対象の肉体と魂だけを燃やす漆黒の業火だからな。

 痛み? 痛いよ。熱い上に物凄く苦しい。

 皮膚はどす黒く爛れいき、目も解けていくのが感覚でわかる。

 だけど、そう、この極大闇魔法こそ……いや、この苦しみ、痛み、身体の損傷こそ、俺は待っていたんだよ。


 この瞬間を、俺は待っていたんだよ。





 目の前で繰り広げられている光景を、信じられないといった表情で見ている者がいる。


 ルストファレン教会所属の聖女カチュアだ。


 カチュアは広場の片隅でへたり込み、先ほどまで単なる平凡な冒険者と思っていた男と、突如として現れたもう一体の美しき悪霊とが、共同で老人の姿をした悪霊「アプグラント」と激闘を繰り広げているのをただ茫然と見つめていた。

 放たれる漆黒の禍々しきオーラを纏った魔力を防ぐことが精一杯の彼女にとって、目の前の光景は滅するべき悪霊とは言え、自身の力では及びもしない強大な存在であったことに絶望する一方、全く対抗できない悔しさに溢れ、今にも心が折れそうになっていた。

 しかも扱い……。

 私は普通だ! と、牛チチ女に反論したかった思いだけが、彼女の心を最後の最後で踏みとどまらさせている。

 その牛チチ女は高笑いしながら闇の極大魔法を容赦なく叩き込み、アプグラントと激しい攻防を繰り広げているのだ。まさしくその姿は、この世の終焉を告げる闇の使者なのではという錯覚を覚える。

 もっと驚くべきことは、ただの冒険者だと思っていたあの男だ。

 あろうことか、悪霊の災禍魔力を物ともせず、未だに行動し続けているのは驚きである。

 彼の動きを見ていると、知らず知らずのうちに握りしめた手に力が篭ってしまう。苦戦しながらも、果敢に攻撃を繰り返す不屈の男。そんな様子を目の当たりにして、胸が、心が次第に熱くなるのを感じる。

 だが、アプグラントの容赦ない攻撃が彼を捉えてしまうと、カチュアは思わず小さな悲鳴を上げた。

 そして更に、アプグラントが極大闇魔法をダリル目掛けて放ったのを目の当たりにする。

 『死なないで!』とそう強く願い、思わず祈りの姿勢を取り、合わせた手が赤くなるほどの強い力を籠めて必死に祈った。

 『お願い。助けて!』……と。

 そして目の前の絶体絶命な光景が、あの失礼な牛チチ女の高笑いで一変する。

 まるで彼女の願いを聞き入れたかのように……。





『アハハハハハハハハ!!!!』


 エリーの高笑が周囲に響き渡る。

 アプグラントの目の前では、魂までも焼き滅ぼす漆黒の業火が、歯向かってきた愚かな虫けらを決して逃すことなく燃やし続けている。

 だが、エリーはそんな光景などお構いなしに、高笑いをしながら突如としてアプグラントの真横に現れた。


『なに!?』


 アプグラントの深紅の瞳が大きく見開かれる。

 視線の先……いや、正に目と鼻の先に現れたエリー。

 彼女は口角を大きく吊り上げ、美しき顔を醜く歪めて笑っていた。


『……を殺す? それは……それは到底許せないわねぇ』


 エリーが白魚の如き細い腕が瞬間的に伸び、目を見開いて深紅の瞳をエリーに向けていたアプグラントの頭を無造作に鷲掴むと、表情をそのままに、まるで詩を語るかの如き美しき声音を紡ぎ出した。


相対せし記憶の等しき価値とせし還元レラティブ・エリネリング・エクィヴァレント・シュメルケアー


 エリーが笑みを浮かべて呟いた直後、全ての状況が一変する。


『な、なに!? っ!!! グアアアアアアアア!!!!』


 瞬く間にアプグラントの口が醜く歪み、そこから断末魔の如き叫び声が村全体を覆いつくすかに如く響き渡る。

 アプグラントの絶叫が響き渡ると、俺を包み込んでいた漆黒の業火は一瞬の内に消え去り、焦がされた全身が瞬時に元通りの姿へと戻って行く。

 対照的に、未だエリーに掴まれ続けるアプグラントの身体は、瞬く間に漆黒の業火に焼け焦がされていった。


 俺はよろめく身体を奮起させつつその場でゆっくりと立ち上がり、目の前の光景を静かに見守る。

 漆黒の業火に焼かれるアプグラントの傍らで、不気味に笑うエリーの歪んだ顔を冷静に見つながら……。




 

 ……俺はエリーと魂の根底で結びついている……そうだ。

 アプグラントは「無」の悪霊を名乗った。

 だが、エリーもまた「無」の悪霊。


 無に帰す……。


 それは、「全てのダメージをも無に帰すことが出来る」ことを意味する。

 だが、正確には「与えられたダメージを無へと帰す」ことは

 ならばどうやって受けたダメージを無へと帰すのか?

 実はその答えは至って単純だ。


 受けたダメージを、与えた相手に戻す。ただそれだけ。


 俺にとっては『受けたダメージが無へと帰す』訳だが、相手にとっては『相手が受けたダメージそのものを戻される』のだ。それが、であろうとも、受けたダメージを

 これが何を意味するのか。

 例えば10の体力を持ち、9のダメージを受けるとしよう。単純な計算だが俺の体力は1になる。

 では、相対等価で還した場合はどうなるのか。

 相手が100であれば99のダメージを負う。

 相手が1000であれば999のダメージを負う。

 つまり、俺が瀕死の重傷を負えば、還された相手も瀕死の重傷を負う。

 エリーが用いた無の根源魔法というのは、そういうとんでもない魔法なのだ。


 しかも、俺とエリーは魂の根底で繋がってはいるが、魂そのものが混じり合った訳ではない。

 つまり、俺単独のダメージをエリーが利用し、相手に俺の受けたダメージを相対等価のダメージに変換して相手に戻しているだけなのだ。


 俺が負った死に繋がるダメージが、今やエリーを通じてアプグラントに伝わり、アプグラント自身の『死』に繋がるほどの相対等価ダメージに変換されて跳ね返されている。

 断末魔の叫び声を上げる奴の身に起こっている現象は、まさに俺の『死』の相対等価によって引き起こされた現象そのものなのだ。





『アハッ! アハハハハハ!! アハハハハハハハハハハハハハハッ!!!』

『ヌグアアアアアアア!!』


 エリーの狂気じみた笑い声が高々と周囲に響き渡る。

 それに混じるアプグラントの悲鳴。

 永劫に燃え続けると言われる漆黒の焔が、容赦なくアプグラントを燃やし続ける。

 次第に崩れ落ち行くアプグラントの身体。

 それを見据えて、エリーの深紅の瞳が妖しく輝き、笑みを浮かべて静かに告げる。


『もう、あなたはお終い。私に楯突いたことを悔やみながら、私の糧と成り果て消えなさい。では、さようなら……現世彷徨う魂魔の簒奪ディゼヴェル・シェリシュテル

『ヌグアアアアァァ……オノレエェッ…………オノレエエエエェェェェ!!』


 敗北を告げる絶叫を上げ、アプグラントはエリーによって瞬く間に全てを吸収された。

 吸収した膨大な魔力とこれまでの能力を受けついだエリーは、更に強大な存在へと変化したわけだ。

 身体中から溢れ出す膨大な力を感じたのか、額に手を当て、腰を曲げながら『ククク』と笑い声を押し殺す。

 そして歪んだ笑みを浮かべつつ、一層妖しい輝きを得た深紅の瞳で周囲を見渡すと、優雅に両腕を大きく広げ、中空へと舞い、高らかに声をあげた。


『フフフ……ウフフフフ…………アハハハハハハ!! この力! この感覚!! これこそ私に相応しい力!!! さあ生きとし生ける者どもよ、私に跪け! 私に全てを捧げよ!! 私に歯向かうものは、全て皆殺にしてやるだけよ!!! アハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!』


 エリーの瞳がより一層昏く、そして深みを帯びて妖しく紅く輝く。

 俺はそんな彼女の方へと何も言わず、無表情のまま近づくと、僅かに視線を地面へと向けたエリーの瞳が細められ、静かに告げてくる。


『……私に歯向かうつもりではあるまいな?』


 邪悪な笑みを浮かべるエリー。


『さあ私に跪き、求め、請え。そして貴様の魂を差し出すがいい!』


 歪んだ笑みを浮かべるエリーを見据えながら、俺は静かに首を横に振る。


「……その気はない」

『……何故だ? ククク……愚か者…………貴様は愚か者だ!! 私はこの世の真理、全ての根源追及せんとする者どもにとって、今まさに至高の扉を開いたのだぞ! それは無の根源たる崇高なる方のしもべなる者のみ到達できる境地!! さあ、私と共に生きよ! さすれば全ての根源の神髄、貴様にも見せてやろうではないか!!』


 両腕を天空へと高く突き上げ、声高らかに話すエリー。

 そんな姿を見た俺は、思わず苦笑いを浮かべて首を横に振る。


「確かにそいつは魅力的だ。お前さんは美人だし……おっぱいも大きいもんな」


 俺の言葉を聞いたエリーは、身体を俺へと向けて腕を大きく広げると、艶かしい四肢を蠱惑的に見せつけながら妖艶な笑みを浮かべる。


『フフフ……ならば私としとねを共にすればよい。今ここで私に従わぬは愚策と思わぬか?』

「褥を共にか……ああ、それもいいかもなぁ」


 そう言って俺は苦笑いを浮かべてエリーを見上げる。


「……でもね、そうもいかないんだよ――エリー」


 それまで妖艶な笑みを浮かべていたエリーの表情が、俺の発した言葉を受けて瞬く間に歪み、眉間に皺を寄せて牙をむく。


『……愚かな…………愚かな! 私の真言しんごん届かぬ愚か者よ、永劫の苦痛を共にしながら、魂共々消え去るがよい!!』


 そう叫ぶと、エリーの姿が瞬時に消えると、俺は静かに目を閉じる。

 手にした漆黒の剣から微弱な波動を感じ取って静かに目を開けた。


「……そこか」

 

 刹那、俺は真後ろに左腕を突き出すと同時に、俺の頬に一筋の線が入り、そこからたちまち血が溢れ出す。

 だが、突き出した掌から伝わる確かな手ごたえを感じて真後ろを振り向くと、そこには驚愕の表情を浮かべたまま身を震わせて固まるエリーが姿を現した。


『な、なん……だと……?』


 目を見開くエリー。

 俺の左腕が、剣の柄もろとも彼女の腹部に突き刺さっている。

 一瞬の隙を突き、俺は右手に持った剣の柄を、俺の腕ごと彼女の豊満な胸元へと押し込んだ。


『っ! アアアアッっ!!』


 エリーの顔が苦痛に歪む。

 苦しむ声を上げる彼女とは対照的に、俺はあくまでも冷静にその表情を見つめていた。

 こんな風にエリーを見守る俺は、一体どんな顔をしているのか……。

 目の前では激しく頭を振り、漆黒の髪を振り乱すエリーの姿が否が応でも視界に入る。

 俺は、約束したんだ……。


「飲まれるな、エリー……戻ってこい……」


 俺の声に呼応するかのように、双剣の柄が淡く蒼い輝きを放つ。

 すると、エリーの身体がビクンと跳ねた。

 ガクガクと身体を震わせ、次第にその震えが弱まっていくと、いつしか俺の右腕には、白魚の如き美しいほっそりとした手が添えられていた。


『……グッ……ああっ! っ! はぁっ!! はぁ……はぁ………も、もう大丈夫よ、ダリル』


 顔を持ち上げた彼女の目が開かれる。

 俺は静かに彼女の瞳を見つめると、そこにはいつもの美しいアイスブルーサファイアの輝きを取り戻した瞳が俺を見つめていた。

 若干苦しそうに身体を震わすエリー。そんな彼女の様子を見守りながら、次第に落ち着きを取り戻していった彼女の表情を見つめ、俺は少しばかり微笑んだ。


「おかえり、エリー」

『……え、ええ……ただいま……と言いたいけど、私の胸は堪能出来て?』

「……実感湧かない」

『な、なら、そろそろいいかしら?』

「え? ああ、すまん」

 

 確かに触れているはずなのに、実体が無いから感触が無いんじゃ!

 血の涙を流したい気分になりながらも、俺はエリーから腕を引き抜く。

 辺りも次第に陽の光を取り戻したかのように明るく色づく地面に向かって、俺は手にした漆黒の剣を静かに突き刺した。


 彼女を構成する核となる魂を用いて作られた剣。つまり、正常なエリーの分身たる魂を宿したともいえる剣。


 この漆黒の剣があるからこそ、彼女を元のエリーへと戻すことが出来る。


 俺はそんな大切な剣を静かに見つめていたが、不意に視線を感じてそちらを向くと、胸を両腕で護るようにして俺をじっと見つめるエリーがいた。

 彼女はジト目をしてしばらく俺を見つめ続けたが、やがてため息をついて視線を地面へと向け、大地に突き刺さった漆黒の剣を魔力操作で持ち上げると、自身の身体の中へと吸収させる。

 だがその直後、俺の頬を見て僅かに目を見開き、小さく俯いてしまった。


『……また、あなたを傷つけてしまったのね……』

「ん? ああ、これか。このぐらいで済んだんだ、今回は良かったと思うぞ?」


 俺は腕で頬を拭うと、服にべったりと付いた血を見ながらそう答える。

 本当に、昔に比べたらこの程度で済んだのだ。これは正に幸運だといえるな。うん。 

 だって、昔は死にかけたしな。


「……そういえば、聖女がいたよな」

『ええ。今は……あそこに居ますよ』

「今の内に逃げるか……」

『こっちを見てますけど。それも睨むようにしっかりと』


 エリーに言われて聖女がいるという方を向くと、カチュアは立ち上がり、俺たちをじっと見つめながら歩み寄ってくる。

 あー、これは面倒なことになる予感。


「エリー。逃げよう」

『もう無理だと思うわよ?』

「そんなことはない。今は王都に帰って、神だと思ったけど実は悪魔だったギルドマスターに金をちらつかせて押し付けよう。そしてもみ消してもら……」

「ダメに決まってるでしょ? 私はしっかり見てましたもの」


 俺の壮大な計画をバッサリと斬り捨てた聖女がそう告げる。

 俺は無関係です。あーあー、知らなーい。


「ところであなた、一体何者なの?」


 カチュアからの唐突な質問に、俺たちは思わず顔を見合わせてしまった。

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