第9話 悪霊『アプグラント』
俺が小屋の窓から広場を覗き見ると、カチュアとレリックが西の方を向いて静かに佇んでいた。
手には白く長い杖が握られ、流れてくる風に身を任せている様に見える。
「あの二人、かなりの使い手の様に見えるけど……だめなのか?」
『残念だけど、次元が違いすぎる。私でさえ互角よ……』
「そんなにか……」
はっきり言うが、エリーは「膨大な魔力を有した災害級霊障」たる悪霊だ。
では、悪霊同士が争った場合はどうなるか。
倒した悪霊の魔力も能力も吸収して更に強大になる。
ちなみに、今までにエリーは2体の悪霊を吸収してきた。
いや、正確には3体か?
とにかく、そのエリーが『私と互角』と言っている。
つまり、今回遭遇する悪霊は、最低でも2体の悪霊を吸収した強大な存在だということになる。
俺は思わず尋ねてしまった。
「なあ、あいつらは無事で済むか?」
『無理ね』
即答だった。
◇◇◇◇
村の広場では、純白のローブを身に纏う2人の高位司祭が静かに佇んでいる。
王国騎兵の護衛達は既に避難しており、後は悪霊の接近を待つばかりである。
しばらくすると、西の方向に禍々しいオーラが薄っすらと見え始めた。
「カチュア様、防護展開魔法はいつでもいけます」
レリックがそう告げると、カチュアは正面を見据えたまま静かに頷いた。
「……彼は?」
「民家に避難させました。直接的な災禍魔力の影響を受ける事は無いでしょうが、恐らく……」
「可能な限り守りましょう」
「……承知しました」
レリックは小さく舌打ちする。
そんな様子の彼には見向きもせず、カチュアは杖を掲げた。
「……御印を我に」
小さな呟き。
だが、その呟きに呼応するかのようにして、暗く染まりかけていた空の一部が丸く穿たれ、その隙間から光が差し込み、カチュアとレリックを囲うようにしてキラキラと輝く円柱が構成される。
聖女の用いる光魔法の一種だ。
「魔霊たちを一掃します。レリック、いつでも防護魔法を展開できるように」
「はっ!」
「……
カチュアが掲げた杖に光が集約していき、巨大な光球が形成されると杖を振り下ろす。
振り下ろされた杖から投げ出された巨大な光球が弾け飛び、瞬時に周囲に光のヴェールが村から離れたところに至るまで広がっていく。
光のヴェールが展開されたのを確認したカチュアは、振り下ろした杖を今度は振り上げると、周囲に展開していた光のヴェールが美しい虹色をした壁の様に変化しつつ天を貫いていく。
幻想的な光景を見せているが、その範囲に入っていた魔霊たちが遠くの方で一瞬の内に消滅していくのが見えた。
あちこちで小さな光球となっては消えていく魔霊。
一種の幻想的な光景がそこにあった。
「凄い……」
隣で控えていたレリックが感嘆の声を漏らす。美しき聖女の御業に笑顔を向けるが、その視線の先に映るカチュアの顔は、何故かこれまでにない、非常に険しい表情をしている事に気つく。
「カチュア様……如何なさいましたか?」
呼ばれたカチュアが正面を見据えたままレリックに告げる。
「……今すぐ逃げなさい」
「は?」
「っ! ――逃げなさい!!!」
カチュアが突然大声を張り上げ、杖を正面に翳して円を描く。
「
瞬間的に声高に詠唱した直後、目の前に家1件分ぐらいの大きさを持つ虹色の障壁が展開される。
直後、巨大な漆黒のオーラを纏った漆黒の雷が目の前に迫り、障壁に激突して巨大な爆音が辺りに響き渡る。
「くっ……」
カチュアが一瞬目を閉じる。
僅かな瞬間。
だが、それにとっては十分な時間だった。
なぜなら……。
『おや? 君の方だったか。我を盛大に歓迎をしてくれたのは』
それが傍にいた。
カチュアは一瞬目を見開く。
彼女の視界に映ったのは、漆黒のオーラを纏う腕で胸を貫かれ、開いた傷口から純白のローブを深紅に染め上げていくレリックの姿。
漆黒の禍々しいオーラはロープのように妖しく蠢き、それを首に巻きつけて宙へと持ち上げられている。腕をだらりと力なく下がり、半開きの口から舌がだらりと下がる。拍動と共に血が溢れる度にビクビクと痙攣するレリックの姿を見て、カチュアは僅かに目をそらす。
「レ、レリック……」
辛うじて呟いた彼女の声は、目から光を失ったレリックの耳には届かない。
『そうか……こやつは君の仲間だったか。それは失礼したね』
漆黒のオーラを身に纏い、漆黒のローブを身に纏った老人が静かに呟く。
その目は深紅に染まり、表情からは感情の欠片も伺えない。
「くっ……」
カチュアが僅かに後ずさる。
『……まあ人である以上ここまでか。結構な能力を持っているようだが、残念な事だ』
そう呟くと、老人が腕に闇を集めだし、その闇をレリックに押し当てる。
鈍く骨が砕ける音が響き渡り、やがて人とは思えないただの肉の球体と化す。
それを、老人は無表情のまま闇へと取り込んだ。
悪霊が人を吸収する際の行為。
殊更周囲を恐怖に駆り立てながら取り込むこの行為こそ、悪霊が恐怖の対象となる所以。
カチュアはたまらず目を逸らす。
『さて、君は聖女かね?』
「どうかしら」
『そんなに光のオーラを身に纏っていては眩しいよ。少々煩わしいな』
そう言うなり、老人が腕をカチュアに向けて突き出す。
咄嗟の行動にカチュアは杖を振ってそれを避けると、後ろに飛び退いて左腕を老人に向ける。
「
『笑止』
カチュアの左手から光の槍が作り出されて老人目掛けて放たれるが、口角を僅かに吊り上げつつ老人が右腕を振うと、瞬時に光の槍が消滅する。
だが、その隙を突いてカチュアの左手が握られる。
「
カチュアの声に呼応するかのように、老人の全包囲に数百本の光の槍が現れる。
「
凛とした声が辺りに響き渡り、直後に光の槍が老人目掛け、目に見えぬ速さで殺到した。
『ほう……』
老人は僅かに口元を綻ばせる。
『
呟いた直後、無数の光の矢が老人の周囲で霧散した。
「な……」
カチュアの乾いた声が小さく零れる。
『これまでかね? 実につまらん。だが、君はなかなかの魔力を持っているね』
そう言って静かに傍に寄る老人。
カチュアは微かに震える手を胸に当て、手にした杖を老人に向けるので精一杯になっていた。
『足掻くか……まあいい。あやつの前には丁度いい贄じゃな』
そう言い、カチュアの正面に立つ。
深紅の瞳が、乱れた長い藍色の髪を風になびかせる美しき聖女の目に向けられる。
『さて、良き暇つぶしをありがとう。その点だけは感謝しようではないか』
深紅の目が怪しく光り、僅かに持ち上げた手に漆黒の闇が集まり始める。
『何か言いたいことはあるかね?』
「……悪霊退散」
カチュアは目を細めながらそう告げる。
老人の目が歪み、口元には下卑た笑みをたたえた。
『……フハハ! 未練はなさそうで結構だ!』
振りがぶって腕を突き出す。
カチュアは思わず目をつぶり、顔をそむける。
だが、一向に衝撃が襲ってこない。
不思議に思い、カチュアはそっと目を開け、衝撃の光景に目を見開く。
『……ほう。我の腕を止めるか』
『フフッ……ウフフフフ』
そこには、禍々しい漆黒のオーラを纏い、これまた同じ色した漆黒のローブを身に纏い、漆黒のウェーブかかった長い髪は静かに揺れ動き、切れ長の睫毛の下に輝く深紅の瞳をした非常に美しい女性が、薄く笑いを浮かべながら老人の腕を造作もなく掴んでいたからだ。
◇◇◇◇
少し遡る。
カチュアが
「……これまでだ」
俺は立ち上がり、民家の扉に手をかける。
すぐ隣に闇が集約したかと思うと、エリーが顕在化した姿で現れる。
『ごめんなさい』
「お前さんのせいじゃない。判断を誤った俺の責任だ」
静かに俯くエリーにそう告げる。
仕方ないだろう。あの場面でエリーが姿を現していたら、間違いなく俺たちが攻撃されていたはずなのだから。
『ダリル』
俺を呼ぶと同時に、一対の漆黒の剣が床に突き刺さる。
無言でそれを引き抜き、扉を開けて広場を見ると、カチュアと悪霊が死闘を繰り広げていた。
「……任せろ。俺の事は……気にしないでいい」
『……ええ』
俺の言葉を聞き、エリーが寂しそうに微笑む。
『ダリル』
「ん?」
『……ごめんね』
瞼を閉じ、そう告げるエリー。
「いつものことだ。気にするな」
『………ありがとう』
静かに瞼が開かれる。
切れ長の睫毛の下には、深紅に輝く瞳が輝いていた。
『……フフッ…………フフフフフフッ……』
エリーが不敵に笑い、一瞬の内にその場から消えた。
聖女に向けて、老人が振りがぶった腕を突き出す。
その刹那、エリーが二人の間に割り込み、口元に笑みをたたえつつ片手で腕を掴んだ。
『……ほう。我の腕を止めるか』
『フフッ……ウフフフフ』
薄く笑うエリーに向けて、老人が静かに尋ねる。
『こやつは貴様の贄か?』
『……フフフッ……いらないわ、そんなちっぱい』
「はあっ!?」
カチュアの声を完全に無視し、エリーは無造作に老人を放り投げる。
投げられた老人はエリーを見ながら笑みを浮かべていたが、不意に首を後ろへ向けると目を見開く。
そう、俺がいるからな。
『まだ愚か者が……』
だが、両手それぞれに漆黒の剣を持つ俺を見た瞬間、老人の声音が変わる。
『貴様は!』
空中で体制を立て直そうとしていた老人目掛けて、俺は走りざま剣を振う。
確かな手ごたえを感じて後ろを振り向くと、腕を庇うようにして地面に膝を着く老人と、斬り落とされた腕が地面に落ちているのが見えた。
老人が顔だけこちらに向けると、深紅の目を僅かに細め、口元を綻ばせた。
『……そうか、我はようやく会えたのだな』
そう言いつつ、俺の方を振り向きながら立ち上がる。
『その剣、あやつの物か?』
「あやつ? 誰を指しているのか知らんが、こいつはただの借り物だ」
『そうか……我は探した。長い間、探し続けたのだよ』
俺は静かに剣を構える。
その直後、エリーが猛烈な勢いで老人へと距離を詰める。
その様子を見ていた老人が、切り落とされた方の腕を軽く振るうと、地面に落ちていた腕が真っ黒な灰へと変わり、代わりに斬られた腕が再び元へと戻る。
『我はアプグラント。『無』の根源を追う者よ』
アプグラントと名乗った老人が静かに告げる。
その言葉を聞き、老人の真正面でピタリと動きを止めたエリーが目を細め、ゆっくりと口角を吊り上げながら呟いた。
『……奇遇ね。私も『無』の根源を追っているのよ』
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