第7話 村の宿にて

 俺たちが村へ戻った時には、既に辺りは夕闇に沈んでいた。

 直ぐにジンさんの宿へと入ると、リーナさんに出迎えられ、すぐに夕飯の用意をすると言ってくれたので今は部屋で荷物の整理をしているところだ。


「いやー。今日は何にもしなかったけど、なんで疲れるんだろうねぇ」


 俺は装備していた皮製の鎧を机の上に置き、上着を脱ぎ棄ててベッドに腰を掛ける。


『……上着ぐらいクローゼットに仕舞えばよろしいのに』


 相変わらず器用に魔力操作で上着を畳むエリー。


「相変わらず器用だねぇ」

『それ、昨日も言ってましたよ?』

「そうだっけか?」


 苦笑いして立ち上がると、エリーが何かを呟いて闇を集め、その闇に向かって指先をひょいと翳す。

 すると、闇の中から真新しいシャツが出て来て机の上へと静かに下ろした。


「ありがとう。いつもすまないねぇ」

『……私に何を言わせたいの?』


 ちっ。乗ってくれないか……。


「まあ、あれだよ。夕飯の用意をしてくれているだろうから、俺は食べてくるよ」

『わかったわ。今日の宿には……あなた以外には数名いるみたいね』


 こめかみに指先を添え、片目を閉じてそう告げる。


「そうなんだ。じゃあ、混乱させてはまずいからエリーは出るなよ?」

『……恋人獲得活動はされますの?』

「え? 若い子いるの?」

『……知りません』


 そっぽを向くエリー。

 これはいるな……。


「ここにはギルドが無いんだから火消ししてくれないんぞ? 冗談抜きで出るなよ?」

『……ヤル気満々宣言、確かに承りました』

「おいおい……」


 あのね。俺ってば健全な男の子なのよ?


「綺麗な子がいたら、声を掛けないのは失礼じゃないか」

『……ここにいますけど?』

「あのね……毎日声を掛けてるでしょうが」

『私という者がありながら……ヨヨヨ』


 埒があかん。


「もう行くからな。本当に出るなよ?」

『……前振り?』

「んなわけあるかい」


 食堂へと向かう。

 すると、既にリーナさんがテーブルの上に食事を用意してくれて待っていた。


「あら、丁度よかったわ。呼びに行こうと思っていたのよー」


 笑顔のリーナさん。やっぱり美人だ。

 ナイスバディの女将。しかも美人。いやぁ、これだけでも食事が進むというものだ。


『……チッ』


 こら。舌打ちしない。


「ささ、召し上がれー」


 椅子を引き、俺が座りやすいように対応してくれるリーナさん。

 お言葉に甘えて席に着くと、真横に見える豊穣の果実がこれまた……。


『……くっ』


 これこれ、比べてどうする。


「今日は猟師さんがファングボアを狩ったの。なので今日はステーキにしてみましたー。パパ特製ボアステーキ、堪能してね」


 そう言って厨房へと離れていったリーナさん。

 うん。目の前の料理は確かに美味しそうな匂いをあげている。

 ハーブと胡椒の香ばしい香りが食欲をそそる。

 ナイフで肉を切ると、肉汁がとろりと溢れ出し、更に動物性油の焦げた特有の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。

 はぁ……これは間違いない奴だ。


「……やばっ。ウマイ」


 一口食べたが、もう寸評などどうでもいい!

 あっという間に平らげる。

 うむ。余は満足じゃ。


 麦を発酵させて作られた麦酒ばくしゅを飲んでいると、食堂の入り口から3名の旅人……いや、冒険者らしき者達が姿を現す。

 少年1人、少女2人の組み合わせだ。

 俺のすぐそばにあるテーブルに腰を掛けると、奥からリーナさんが出て来て食事を配膳していった。

 俺と同じボアステーキだ。

 うまいぞ、それ。堪能するがいい。

 などと考えながら麦酒を飲んでいると、3人組が笑いながらいろいろと話しているのが聞こえてくる。


「明日は迷宮に潜るから、みんなたっぷり食べようぜ」


 そう告げたのは恐らくリーダーだろう男の子だ。茶髪を短く切りそろえ、とても活発そうな少年に見える。そんな彼の言葉に、2人の女の子は頷いて応じている。

 迷宮と言えば、この近辺ではテルヌーゼス迷宮しかない。

 このテルの村近くの森の中にある洞窟で、ギルドが管理・把握している迷宮の一つだ。

 王都から近く、現れる魔物もさほど強くない事から冒険初心者が良く利用している迷宮でもある。

 そうか……彼らはそこに行くのか。


「そうだね。初めてだからドキドキするなー」


 青色の髪を短く切った少女が、ニコニコしながらステーキを食べる。

 すると急に眼を見開き、驚愕した表情で皆に告げる。


「うまっ! これ、うまーい!!」


 そう言って勢いよく食べる少女。

 うんうん。おいしいだろー。そうだろー。

 俺も食べたからわかるぞ、うんうん。


「……ミーヤ。はしたないですわ」

「ほんなほといったっへ、おいひーんだほん」

「……飲み込んでからお話しましょうね?」


 ミーヤと呼ばれた青髪の女の子がフォークを手にしたまま、指摘してきた桃色の髪の少女に向かって呟く。


「フィーニアも食べたらわかるって。ね? クレストもそう思うでしょ?」


 フィーニアと呼ばれた桃色髪の女の子は綺麗な姿勢で食べている。

 方やクレストと呼ばれたリーダー格の男の子は、無我夢中で食べ続けていた。


「……美味しいのは確かですけど、ゆっくり堪能した方が良いと思うわよ?」


 フィーニアはそう言い、隣で食べ続けるクレストに向けてジト目を向ける。


「うまいもんはうまい! 俺、ここに来てよかったよー!」


 そう告げて再びステーキを堪能するクレスト。

 はぁとため息をつくが、フィーニアもまんざらではないようで、少しばかり頬を緩めてステーキを堪能しているようだ。


「そういえば、ケニーはまだ駄目なのかな?」

「馬車酔いでダウンしてるから、後で持って行ってあげましょう」

「まあ、回復術師自身が酔っちゃったら、回復しようにも無理だもんねー」


 そうか。この子たちは4人で来たんだな……。

 俺は話し声に耳を傾けながら、静かに麦酒を飲み進める。


『ダリル』


 急に俺の耳元で小さく囁くエリー。

 何を言いたいのかは想像できるが……。


「どうした?」

『あの子たちが迷宮に潜ったら、悪霊と対峙することになりかねないわよ?』


 俺はしばし考える。


「まだこっちへ来ると決まったわけではないだろ?」

『そうだと良いのだけど……』

「……忠告はしておくよ」

『優しいのね……』


 お前がな……。


 一通り飲み終えた俺は、木のジョッキをテーブルにそっと置く。

 とはいえ、どうやって声をかけるかな……。相手はまだ20歳にも満たない少年少女だ。

 俺は大人の女性は口説くが、いたいけな少女を口説くほど鬼畜じゃない。とはいえ、16歳は越えているだろうから、守備範囲か?


「ケニーってば、このステーキ食べれるのかな?」

「うーん。どうだろ?」

「無理じゃありません? 何せ馬車酔い直後ですから、きっと匂いを嗅いだだけでも気持ち悪くなってしまいますわ」


 そんな会話をしている子たちのテーブルに、俺は意を決して近づいた。


「こんばんは。ここのステーキは美味しいよね」


 よし。さりげない挨拶が出来たぞ。

 笑顔も忘れずに……と。


「こ、こんばんは」


 ミーアがぎこちなく挨拶を返してくれたが、他の二人は訝しげに俺を見ているな。


「明日、迷宮に潜るのかい?」

「ええ。その予定ですけど……」


 クレストは少し表情が硬いな。


「……お兄さんはいかがなさったのです? 私たちよりも熟練の冒険者の方とお見受けいたしますが……」


 フィーニアは冷静だな。うん。彼女を説き伏せれば良さそうだな。


「ああ、シルバーランクの剣士をしているダリルというんだ」

「シルバーランク……」

「すげー」

「すごいー」


 フィーニアは目を丸くし、クレストとミーアはそれぞれ感嘆の声を上げてくれる。

 少しばかりいい気分になったじゃないか。良い若者だな。


「ところで、ちょいと耳に入れておきたいんだが……」


 俺の言葉に、フィーニアが僅かに眉を上げる。


「この付近に、もしかしたら上位魔霊が現れるかもしれない。明日の探索はやめておいた方が良いと思うぞ?」

「……何か根拠でもあるのですか?」


 やはりフィーニアが食いついて来たな。


「ああ。俺は今日、ゾンモーナト遺跡に行って魔霊討伐をしてきたんだが……」


 遺跡の名前を聞いた直後、クレストが目を輝かせた。


「え? 今、魔霊で溢れかえっているっていうあの遺跡にですか!?」

「ああ。魔霊討伐は俺が最も得意とするところなんだ。そこで討伐しながら気がついたんだが、あまりにも魔霊が集まりすぎている様な気がするんだよ。これって、何かの兆候なんじゃないかと思うんだよね」


 俺が真剣な表情をフィーニアに見せると、彼女は同じように真剣な表情をして考え込む。


「魔霊が大量に集まっているという話は聞いていたから、それが良くない事が起こる前触れと言うのはなるほどと思います。ねえクレスト、一日様子を見た方が良いかもしれないけど、どうする?」


 フィーニアに尋ねられ、クレストは腕組して考え込む。


「うーん……せっかくここまで来たから潜りたい気持ちはあるんだけど。でも、みんなの安全を考えたら止めるべきかな?」


 お? なかなかの慧眼。この子たちは生き残る術を持っているな……。


「ボク賛成ー」

「じゃあ、あとでケリーにも伝えましょう。お兄さん、ご忠告いただいてありがとうございました」

「ああ、どういたしまして。俺は明日には馬車で帰るが、何かあったら遠慮なく言ってくれ」


 クレストたちに手を振り、俺はその場を後にした。





 部屋に戻り、シャツを脱ぎ捨て、ブーツを脱いでベッドサイドに座る。

 すると、エリーが静かに現れ、俺が脱ぎ捨てたシャツを魔力操作で器用に畳んでいく。

 横顔をちらりと見れば、どことなく嬉しそうな表情をしている。


「何か楽しい事でもあったのか?」

『別に何も』


 そう言いつつも表情を変えることなく指先を操作しているエリー。

 ふと、俺の方を向いてくる。


『明日はどうされます?』

「一度ギルドに報告する必要があるから、王都に戻るよ」

『その後は如何なさいます?』

「むしろエリーはどうしたいんだ?」

『……私はあなたと一緒に居るわ』


 ふむ。そうくるか……。

 まあ、言いづらいよな。


「わかった。じゃあ、今日はもう寝るよ」

『ええ。おやすみなさい、ダリル』


 そう言って、俺は部屋のランプの灯を消した。

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