柿崎真一かきざきしんいちは担任の熊野くまのに職員室に来るよう言われていた。悪事を働いた覚えは無いが、それでも職員室に呼び出される、というのはとても怖かった。

 職員室の前に立ち、扉を二回叩く。そしてゆっくりと扉を開けた。

「失礼します」はきはきと言う。「二年三組の柿崎です。熊野先生に用が有って来ました」

 すると近くの先生がデスクに行くように言う。後ろ手で扉を閉めデスクに向かう。少し歩くと、書類に何やら書き込んでいる熊野がいた。いつものようにジャージ姿だ。

「熊野先生」

「おお、来たか」

 熊野は柿崎を見るなり姿勢を正す。

「何か用事でしょうか?」

「ああ、そうだ」熊野は柿崎の目を見据える。

「少しお前に頼みが有ってな」

「僕に頼み、ですか?」

「ああ。下田菜々しもだなな谷口敏たにぐちしゅんっているだろ?」

「下田さんと谷口さん......?」

 柿崎は天井を仰ぎ見て考える。

「あ、最近欠席の多い二人ですか?」

「その通り。だが、学校には来ているんだ」

 柿崎は何を言っているのか分からず、首を傾げる。

「というと?」

「授業をサボってる、って事だ。時々出る事は有るが、生徒に優しい先生の授業ぐらいだ。化学の先生とかな」

「なるほど。それで、僕は何をすれば?」

「彼らが更生するよう注意を促して欲しい」

「しかし、先生の方が適任なんじゃないですか?」

 熊野はたしか生徒指導に携わっていたはずだ。

「俺も何度か注意をしたんだが、一向に聞こうとしない。クラス委員長のお前なら同じ歳だし、何か変わるんじゃないかと思ってな。クラスの統率を図れるなら出来るだろ? それに」熊野は椅子をギシリと鳴らし、体勢を変える。「お前は今副会長だろ?」

「はい、そうです」

「それで、生徒会長になりたいだろ?」

「......はい」何か卑しい事を言っているようで尻込みする。

「だが、前回の会長選挙で敗北してしまった。余りこういう事は言いたくないんだが、お前は宣伝が下手だ。仕事をおおっぴらにせずに陰で頑張ろうとする。素晴らしい事だ。美徳だ。しかし、それと他人から評価される事はまた別の話だ。......俺の言いたい事は分かるな?」

「彼らを更生させて、その功績で生徒会選挙に挑め、という事ですか?」

「その通りだ。頭の良いお前なら理解してくれると思っていたよ。後、俺らのクラスではないが、名取、という奴もいる。名取龍二なとりりゅうじだ」

「名取龍二さんですね。分かりました」柿崎は掛け時計で時間を確認する。「じゃあ、今から行ってきます。場所はどこですか?」

「校舎裏だ。柿崎、頼んだ。期待してるぞ」

「はい。失礼します」

 そう言うと熊野はまた書類に向かいだした。職員室を出て、廊下を歩く。春の陽気にウキウキしてくるが、内心緊張していた。口にこそ出さなかったが、いわゆる不良なのだ。殴りかかられるかもしれない。そんな危ない頼みを受け入れたのも、熊野が言った、生徒会長の件だった。意見する事が苦手なのは自分でも薄々気づいていた。

 廊下から外れ、上履きのまま土を踏む。校舎裏には体育用の物置が有るだけで、雑草が生い茂り、校舎のせいでほとんどが陰になっている。好き好んであそこに行く人は聞いた事が無かった。

 体育館と校舎の狭間を抜けると、目の前には緑のマットが鎮座していた。その上にだらしなく腰掛ける三人の男女がいた。柿崎が近づくと彼らも気が付き、顔を上げる。

「ちょっといいかな」

「何だ? お前」

 そう言うのは谷口だった。髪は少し茶色く、染めているようだ。もう二人も同じだった。

「もう少しで一時間目が始まるよ。早く行かないと遅刻するよ」

 谷口ははあ、と深い溜息をつく。

「で、誰だ、お前」

「ぼ、僕は柿崎。クラス委員長だよ」

 谷口は下田の顔を見る。

「こんな奴いたか?」

「知らなーい」

 下田は持ち前の肩までかかる髪を人差し指でいじっている。

「んで、なんだって?」

「だ、だから、一時間目に遅れるよ......」

 今にでも殴られるんじゃないかと右手で拳を作り、恐怖と戦う。

「あーそう。んじゃあ死にました、って伝えといてくれ」

「アハハ、ウケる」

 下田が谷口の肩に手を置きクスクスと笑う。谷口の右にいる名取はさっきから一言も喋らずにいる。

「でも、でも......」

「おい」谷口は柿崎を睨む。「いい加減にしろよ」

 柿崎は一歩後ずさる。

「いけすかねえメガネは嫌いなんだ」

 そう言うと傍らに置いてあった雑誌を取って寝転ぶ。

 柿崎はどうしようも無くなり、三人に背を向ける。しかし、ここでそのまま素直に帰っては何の意味も無い。

「ま」声が震える。「また来るよ」

 そう言うと振り返らず、足早に歩いていった。彼らは何も言わなかった。柿崎の心の中には僅かな悔しさの感情が有った。

 

 *


「谷口くん達ってさあ」ファッション雑誌を読んでいた菜々が呟く。「どういう風に出会ったの?」

「んー?」谷口は顔に被せてあった雑誌を取り、間抜けた声で返事する。「俺らの出会い?」

「そうそう」

 菜々は雑誌を閉じ、興味ありげに谷口を見る。

「いつだっけ、龍二」

「確か、一年生の秋くらい」

 さっきから地面の石を投げていた龍二が谷口に言う。

「ああ、そうだそうだ。確か、会ったのは街だっけ?」

「そうそう」

「こいつと街で会ったんだ。それで肩がぶつかったとかで俺に喧嘩売ってきたんだよ。路地裏でこいつが大げさに構えるもんだからボコボコにしてやったよ。俺もその時ムカついてたからな」

「まさか、ボクシングやってたなんて知らなかったし」いじけるように石を投げる。

「敏くんってボクシングやってたの?」

「あれ、言ってなかったっけ? 中学校の時に少しだけね」

「へー、すっごい。それから?」

「次の日に学校でまた会ったんだ。驚いたよ。まさか同じ学校とは思わなかったからな。それで、また喧嘩売られるかと思ったら技を教えてくれ! とか言って頭下げてきてな。思わず笑ったよ。俺は嫌だ、近づくな、って言うのに犬みたいにどこまでもついてきてな。そしてこうなったんだ」

「へー。なんか漫画みたい」

「だろ? 俺だっていつのスポ根漫画だよ、と思ったけどね」

「確かに」

 菜々はまたクスクスと笑う。そしてまた雑誌を取り、読み始める。

「おい、せっかく話してやったのにそんだけか?」

 谷口は寝転んでいる菜々の脇を思いっきりくすぐった。菜々はキャアと叫びながら足をバタバタとさせる。

「ごめんなさいは?」

「ご、ごめんなさい!」

 菜々がそう言うと谷口は手を離した。脇を押さえ、悶ている。

 すると、グスリ、と鼻をすする音が聞こえた。

「お、おい。菜々?」

 そう言って覗き込もうとすると谷口の脇目掛けて菜々は思い切り手を突っ込んだ。そして器用に両手を動かす。

「こちょこちょ! あれ?」

 谷口は微動だにしない。

「悪いな、俺くすぐり効かないんだ」

 菜々は悔しそうに頬を膨らませそっぽを向いた。


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