第2話 男は辛いや……。

 そして時間は現在に戻る。


 恐ろしい二人と考えの読めない一人、その両方のことを考える。俺は、ここから二つの選択のどちらかを選ばなければいけない。

 一つ、そのまま二人を入れる。二つ、無視……。


『お兄ちゃん……早く開けなさい……』

『唯斗……観念して開けなさい……』


 すぅと一つ息を吸う。


「おい、瑠夏! とりあえず一旦部屋に戻れ!」


 小さい声で瑠夏に合図を送る。


「え~、どうしよっかなぁ~?」


 彼女のことを思ってここは逃がそうとしたのに、あっけらかんとした様子だ。何を考えているんだこいつは……。


『ユイトハヤクアケロ』


 呪詛のような言葉がインターフォンが流れ込んでくる。……そして俺は迷うことなく解錠ボタンを押した。


 だって怖いんだもん二人……そりゃあすぐ開けるよね。


 彼女らがやってくるという恐怖で体が震えるのを必死に押さえ込みじっと部屋の扉を見据える。直後その先に人がやって来る気配がする。


 タイミングよく部屋にピンポンと音が鳴り響く。さて、戦争の始まりだ。


 こちらは敵かも味方かも分からない者がいるため実質俺一人、背後から刺されるなんてこともあるかもしれない。前門の虎、後門の狼とはまさにこれである。


 目の前からやって来る敵は強大。はっきり言って打つ手なし。ここは素直に謝ろう。何をだか分からないが謝ったほうが早い。きっとそうだ。


 ……そもそも帰省の出来事が尾を引いていて雫とは仲直りが出来ていないのだ。

 覚悟を決めて、玄関へと向かおうとしたとき横からすっと瑠夏が玄関へと向かう。


「え、お、おい!」


 俺の声もむなしく、瑠夏は部屋の鍵を開けドアを開く、そして宣戦布告のように言い放つ。


「ようこそ! 唯斗と私のお部屋に!」


 ぴきっとヒビが入るような音が二つ鳴り響いた。


「随分な挨拶ですね!」

「ほんとお兄ちゃんってば!」


 笑顔を浮かべた二人はなぜか瑠夏を素通りして俺の元までやって来る。俺の頭はいつの間にか冷たいフローリングに平伏ひれふしていた。

 体が自然と土下座を選んでいる。生存本能ってすごい。


「どしたのお兄ちゃん! 顔を上げてよ! 久しぶりにお兄ちゃんの顔が見たいな!」


 もう……どうにでもなれ。

 




「それで、これはいったいどういう状況なの?」


 どちらも出方を伺っているこの状況でまず最初に声をあげたのは雫だった。


「だから――」「私と唯斗が同棲しているところに来たのがお二人と言うことです」


 言葉を遮って、自分の主張を机を挟んで反対側にいる雫と由香に向ける。


「同棲しているって本当?」

「まあ、それは・・・間違っていない」


 そう、この瑠夏の言い分は、二人が気にしているある・・部分を除けば嘘など一つもついていないのだ。


 さすがというべきなのか、話の運び方がとても上手い。と言うのもだ、俺と瑠夏の関係性・・・が、同棲というワードによってかき消されている。


 もっと噛み砕いて説明すれば、雫の質問が「二人は恋人同士として同棲しているの?」という質問であった場合俺らは嘘をついていることになるわけだが。上手いことに瑠夏が何よりも先に同棲というワードを出したおかげで、恋人だと勝手に思ってくれているわけだ。


 何この子、本当に恐ろしい。

 この世の中で敵に回したくない人間の部類だ。なぜか目の前ですごい目で真正面から瑠夏を見つめる雫よりも隣で余裕の笑みを浮かべている瑠夏の方が恐ろしい。これもまたこの少女に逆らってはいけないと言う本能が感じる恐怖なのだろうか……。


 とにかく、まずこの場をきっちり収めなければ話にならない。


「まあ、とりあえず。黙っていて悪かった」

「お兄ちゃんは黙っていて!」

「あ、はい……」


 あれ、渦中にいるはずの俺がまさかの黙っていてと……。もう怖いよこの子も。この戦いは既に瑠夏と雫のものになっていた。

 黙っていろと言われたのでとりあえず飲み物でも入れようとキッチンの方へと向かう。




「はぁ~」

「んで? 何でこんなことになってるの」


 俺が陰に隠れながら小さくため息をついていると横から由香が現れる。


「――――!?」

「そんなあからさまに驚かなくてもいいじゃない」


 音もなく現れたこともそうだが、今の俺にとって彼女らの存在に対してとても敏感になっている。まるで肉食動物に狙われている草食動物のように。


「いや、なんだか本能的に……」

「半分自分のせいでしょう」


 ごもっともで。

 由香はあからさまなため息をつくと「それで?」と先ほどの問いに対する回答を促す。


「まぁ、成り行きっちゃ成り行きだな」


 彼女の言う何でこんなことになっているとは、現状のことではなく俺と瑠夏の生活の事を指しているのだろう。それに由香に関しては先日の穂樽の件もあったので薄々感づいていたのかもしれない。


「そもそも、あなたたちは付き合っているの?」


 先ほど俺が逃げおおせたと思っていた話題について由香が突っ込む。怒りで頭に血が上っている雫は何とかできたがどうやら由香に関しては冷静だったらしい。

 ここで嘘をつくのは簡単だ。しかし俺は本当のことを話すことにした。


「いや、付き合ってはいない」

「やっぱりね」


 いかにも冷静そうな表情ではっきりと言い切る。そこまで分かってんならさっき雫に便乗して俺を踏みつけたのはなんだったんだと言ってやりたい。


「唯斗が何の考えも無しに無茶なことするはずないし何かしら理由があるんだとは思うけど……けど」


 三歩ほどあった間合いを一気に詰め俺のすぐ目の前まで来て俺を見上げる。


「……本当に何もしてないわよね」


 女子とは思えないドスの利いた声に気圧された俺はコクコクコクと首を縦に振ることしか出来なかった。


「そう、ならいいのよ」


 聞きたい事を聞くことができたのか、満足げな様子だった。


「雫は私が一緒に何とかしてあげる。感謝しなさい」

「正直すごい助かる」


 彼女はそのままリビングの方に向かう。その途中「……だとしたら問題は彼女のほうね」という彼女が呟いた、もしくはこぼれてしまったのか、どちらかは分からないがそんな言葉が聞こえてきた。


 問題・・というのは何を指しているのだろうか……。




 飲み物を持った俺は由香に続く形でリビングへと戻ってくる。

 雫の方は相も変わらずその顔に般若を降臨させていた。


「雫、一回落ち着きなさい」

「ゆ、ゆ~ちゃん」


 由香に諭され、ようやく雫と瑠夏の間にあったバチバチした何かが消えた。ハリーと例のあの人の戦いのような光景もようやく打ち止めだ。どっちがどっちだかは何とも言えない。


「まあ、落ち着けって……な?」

「お兄ちゃんは黙ってて」


 俺はいつまで口を噤んでいればいいのだろうか。

 再び、舞台は二対二へと戻り、話し合いが再開される。


「とりあえず今回のことは全面的に俺が悪かった。だからごめん雫」

「だからお兄ちゃんは――」

「どうして唯斗が謝るの?」


 雫の言葉を遮ったのはやはりというか、瑠夏だった。


「今回の一件、私には唯斗が悪いようには思えないんだけど」

「そもそもあなたには聞いていない!」

「その聞いてる人にさっきから聞く耳持たずに黙れ黙れって言っているのはどこのどなたですか?」


 正論に何も言えなくなってしまう雫、さすがに今の言葉は効いたようだ。由香も何も言わないって事は正論だってことだろう。


「まず、私と一緒に居たことは百歩譲って私が謝ります。その件に関しては唯斗に責任はないので。ですが、そもそもの話一人でこうやって住んでいる以上それは唯斗の勝手なんじゃないですか?」


 もはや二の句も継げず、黙りこくってしまった。


 これは勝負あったか……。


 ただ、これでは雫にとって瑠夏が悪役になってしまう。それは俺的には嬉しくないのでここはあえて俺が泥を被ることにするか。


「雫、悪かったよ。帰れなかった事も今日迎えにいけなかったことも……」

「私たちもギリギリまで連絡しなかったことに非がないわけじゃないんだしここは怒りを抑えましょう」

「ゆーちゃんまで」


 信頼してたのにと言ったような悲しげな視線を由香に向ける。だが、それだけで雫の気持ちは治まらなかったようで……。


「もういいっ!!」


 と立ち上がるとそのまま玄関に向かって走っていく。


「おい! 雫!」


 バタンと閉められたドアは、部屋の中に一瞬の静寂を生む。


「ありがとな、瑠夏」

「なに、急に……」

「俺の味方してくれて、嬉しかったぜ」

「それは……唯斗があそこまでいわれる必要ないって思ったからで」


 俺はその自分の手を瑠夏の頭に乗せ、さらさらとしたその髪を、頭を撫でる。


「もぉ……」


 口よりも顔の方が正直でちょっとだけ嬉しそうな顔をしていた。


「……よし!」


 そうして俺は立ち上がる。


「由香と瑠夏、ちょっとの間留守番よろしくな」

「頑張ってね」


 由香も今回は俺に譲ってくれるようだ。


「いってらっしゃい」

「おう、ちょっくらお兄ちゃんしてくるわ」


 見送ってくれる二人を背に俺は家を出る。


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