二章 第1話 お兄ちゃん……?


 四連休も三日目に入る今日、俺は自室でダラダラと朝を迎える。


 連休初日に由香と穂樽に行き、次の日はその休養と言った感じで家でゆっくりと過ごした。夜遅くまで本を読んだり動画を見たりといったように過ごして、時間に驚いて急いで寝る。そんな生活をすれば当たり前に目覚める時間が遅くなるわけで……。


 午前九時、休日であればまだ許容される時間。

 だが、普段俺が起きる時間より二時間ほど遅い……。二時間、分に直せば一二〇分、そこから秒に直せば、七二〇〇秒。これだけの時間を俺は無駄にした……こんなどうでもいいことを考えてしまうのもその後の俺の目の前で起こる現状を受け入れたくないからなのかもしれない。


『お兄ちゃん……早く開けなさい……』


 オートロックの方のインターフォンから凄みのある、聞くだけで震え上がるような低い声が聞こえてくる。十数年間聞き慣れた彼女の声とは思えないほどに低く冷たい声だった。


『唯斗……観念して開けなさい……』



 そして、それに続くように低い声がもう一つ。

 つい数日前に聞いたばかりの凛とした声……はどこへやら、現在俺が聞いているその声もまた聞くだけで震え……以下略。


 二人の少女に出迎えられるという男としてはなかなかに嬉しいはずのシチュエーション、だけど俺は今このオートロックを解除するという選択肢を選びたくない。選べない、少なくとも数分の間は――。


「おい、瑠夏! とりあえず一旦自分の部屋に戻れ!」


 小さい声で瑠夏に合図を送る。


「え~、どうしよっかなぁ~?」


 そう、俺の目の前では軽く修羅場になりそうな、そんなやばい空気が漂っているのだ。なぜこうなったか……それについては数時間前まで遡ることになる――。


 





 午前七時。


 いつもであれば俺も目を覚まし何らかの行動を開始している時間である。今日も例外なく目が覚めたのだが、前日に……というより今日の朝方まで夜更かしをしてしまったせいもあり眠気が取れないままいつも起きる時間を迎えてしまう。


 だからだろうか、意識がハッキリしないまま日課であるスマホのチェックをはじめ、意外な人物からのメッセージが入っていることに気づいた。


 意外と言っても、つい先日穂樽まで一緒に行った由香であるわけだが、あまりに間隔が空かないでのメッセージだったこともありとにかく意外に感じたメッセージって一回話題を終わらせると次のメッセージを送り難かったりするからな……。それは長年の付き合いだったからなのかもしれないが、由香の方からメッセージがすぐに来てそれを確認するわけだ。


『雫がオープンキャンパスでこっちにくるみたいよ』


 その連絡が入っているのが午前六時。

 ちなみにこれらは後になってから確認したものでその時の俺の頭には入っていない。なんだか意外な相手からメッセージが来ているなぁくらいで寝起きの頭には理解できていなかった。その内容に対し俺はいかにも寝ぼけているであろうことが伺える『うゆ』と言う返信をしたまま再度寝堕ちしていた。きっと『うん』と打とうとしたが焦点が合わずにヤ行をフリックしたのだろう。


 そして午前七時半頃、瑠夏が俺の家へとやってきた。念のために預けた合鍵を使って彼女は俺の部屋へと入ってくる。そのまま俺の朝食を用意してくれて、リビングでテレビを見ていたらしい……。


 ここまではいつもの日常だった。

 そして、そこから一時間ほどの時間が流れる。何度か起こしにきた瑠夏の声を聞いていたので基本的にはいつも通りだったのかもしれない。俺が起きないこと意外は。


 そして午前九時起床。


 ようやくはっきりと目覚め、寝ぼけ眼のままリビングへと向かった。その時、スマホはベッドの上に置いたままだった。着信と、メッセージの通知がそのロック画面に来ていることに気づかないまま……。


 瑠夏の作ってくれた朝食を食べ、シャワーを浴びて、ある程度の支度を済ませ洗面所の方から出たと同時に家にピンポーンというインターフォンの音が鳴り響く。俺はすぐに通話ボタンを押し、声を出す。


「はい」


 だが、タイミングが悪かった。


「唯斗ー皿洗っちゃっていい?」


 その瑠夏の、同棲している彼女が彼氏の食器を洗うという絵に描いたようなカップルのあまーいコミュニケーションが機械を通してインターフォンの向こう側へと漏れる。ああそうだ、音が漏れたのだ。通話ボタンを押しているのも忘れて……。


『……お兄ちゃん……?』


 直後聞いてはならない声が聞こえる。それは、俺の中ではそこにいるはずのない妹の声が……。


「…………」

『おにいちゃ~ん。愛しの妹が来たよ~開けて~~』


 ホラー映画で出てきそうなくらいぞっとする声がインターフォンの向こう側から俺の耳へと流れ込んでくる。一度通話ボタンを押し通話を終了。


 俺は急いで寝室へと駆け込みスマホを確認する。


 そこには十件以上の通知と着信が入っている。寝るときはマナーモードにしているので気づかなかったのだ。


 携帯を開いた瞬間、由香とのトーク画面が開かれる。


 あ……………………。終わった…………。


 このタイミングで俺は開いてはいけないトーク画面を開いてしまったのだ。俺はその彼女に送った後そのまま電源を切ったらしい。そのため開いた瞬間彼女のトーク画面に飛んだと……。


 これはすなわち何を意味するのか。俺が彼女のメッセージに既読をつけてしまった。


 つまり、これから送られてくるメッセージなり着信なりに出ないと無視していることが分かってしまうのだ。


 万事休す、八方塞がり、絶体絶命、万策尽きた、詰み。そんな今の状況を表す言葉だけが頭の中に浮かび上がってくる。状況を変えるようなものは何も浮かび上がってこない。


 直後、再度ピンポーンという機械音が俺の部屋に再度鳴り響く。


「もう、何やってるのさ唯斗!」

 

 そして怒り口調のまま彼女はインターフォンの通話ボタンを押す。


「はい!!」


 俺のものではない、女性の声がインターフォンから鳴り響く。

 俺の部屋にはいないはずの女性の声が……。

 

 ――――ブブブブブブブブ!!!!


 スマホに通話がかかってくる。

 状況を打開する方法が浮かび上がらず俺は天を仰いだ……。


「はい……」


 通話に出た俺の声をインターフォンが拾い、俺の耳の向こう側から俺の『はい……』というなんとも情けない声が聞こえた。

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