第15話 旅の始まり


 本日向かうのは、俺たちが現在住む合幌市から少し先にある穂樽ほたる市という海の近くにある町だ。観光名所としても有名で、毎年多くの外国人観光客や同じ日本の観光客でごった返しているくらい人気の観光スポットだ。


 俺自身も合幌に来たからには一度は行きたいと思っていただけに今はとてもテンションが高い。


 俺も由香も修学旅行で一度訪れたことがあるのだが、やはり修学旅行は修学旅行。団体行動が主だし、時間も限られていたので行きたい所を選別しなきゃいけない。それとは違い今回は時間にかなり余裕がある。それがプライベートと修学旅行の差だろう。


 由香も決める段階からとても楽しみにしていたのを覚えている。それに負けないくらい俺も楽しみにしていたわけだがそれは由香には秘密だ。


「楽しみね!」

「ああ、楽しみ」


 いつもはクールな由香も今日はその気分の高揚もあってクールさが感じられない。ニコニコととても楽しんでいる様子だ。そんな新鮮な彼女の眺めに驚きを隠せない。


 長年見てきた彼女のどの姿とも合致しない彼女の今の姿は、俺の知らない水口由香だった。ツンケンとした普段の態度の内側にはこんなにも純粋な彼女が眠っていたらしい。


「ええっと券売機は」

「あれね」


 JRなんて普段乗らないだけに乗車券を買うのですら一苦労だ。「ここから穂樽までいくらかかる?」とかそんなことでバタバタして結局出るのは十時半を過ぎた頃だった。それでも小さなトラブルのようなものに二人して悩んで解決して笑いあって……そんな小さなことがなんだかとても楽しくて……彼女に対して元々持っている苦手意識などいつの間にかどこかに行ってしまっていて、今はただ、由香とともに全力で旅の始まりを楽しんでいた


「あ、飲み物……」


 由香がそう小さくこぼしたのはJRに乗って少ししたくらいだった。バタバタしてたこともあって買いにいくことをすっかり忘れていたのだ。

 家を出る前に買ったお茶を入れておいたのだ、さっそく念入りなチェックの甲斐があった。


「ほら、俺の飲みかけでもよければ」

「……ありがと」


 じっと飲み口を眺めた後にお茶を一口二口とのみ俺へと手渡す。それを見ているうちにやってきた喉の渇きを潤すべく受け取ったお茶をそのまま飲む。そんな俺の様子を見て由香は「あっ」と声を漏らした。


「どうした……?」

「間接……キス」


 元々言えば俺の飲みかけを飲んでいる段階でそうなのだが、それよりもその後に俺が飲んだ事の方に意識がいっているらしい……無意識なのか、彼女の人差し指はぷるんとした唇を触っており、そんな彼女の仕草がやけに色っぽい。


「なんかすまん」

「いや、別に嫌だったとかじゃない……」

「そ、そうか……」


 無言の間ができてしまう……その間が俺に色々考えさせる。


「(嫌じゃないって、どういうことだよ……)」

 そんな答えの無い問題にしばらくの間懊悩することになった。 




 俺らを乗せた車体が右に左にと揺れる。


 その度に隣に座る少女の肩が触れたり離れたりを繰り返す。比較的早い時間だったこともあり、車内の席にはちらほらと空きが見えるのに対し、俺と隣人の距離感だけはとても近かった。ほんのりと香ってくる彼女のグレープフルーツの香水の匂いが大人っぽさのようなものを感じさせる。


「なあ、ちょっと近くね?」

「そう……?」

「いや、なんでもない」


 別に近いことが嫌なわけじゃない。ただ、そんな近すぎる距離感が俺の心のグラグラと揺さぶる。


 今まで苦手とさえ思っていた彼女の少しだけ可愛い一面を見て、こうやって旅行にも来て、少し感情が昂っているのかもしれない。


「見てっ!」


 そう振り返った彼女の横顔を眺めつつ、その視線の先に俺も視線を向ける。

 青、蒼、藍、どの"あお"で表せばいいのだろうか、そんな複雑な色を浮かべた海が視界一杯に広がった。そんな世界をキラキラとした瞳で眺める彼女のその瞳は海の色を反射させてまるで宝石のような輝きを放っている。


「綺麗だ……」


 ポツリと想いが口から漏れ出てしまう。


「そうね、綺麗ね」


 俺の漏れでた言葉が彼女ではなく、海だと思ったのか俺のこぼした言葉に返すように彼女の口からも想いがこぼれた。


「(……そっちじゃなかったんだけどな)」


 気づかれなくて良かったと思いつつもなんだか答えの間違えた問題に丸を付けられたような、そんな少しだけ後ろめたい気分になった。


 列車が走る線路のギリギリまで海は広がっている。一応防波堤のようなものがあるがそれでもそんなギリギリを走っていることに少しだけ恐ろしく思いつつも、防波堤に打ち付けられた波飛沫がまるでダイヤモンドダストのように輝いていた。


 崖沿いのような道を走っていた列車が海から遠ざかっていけば、次第に町並みのようなものが見えてくる。知らず知らずのうちに心が高鳴っているのを感じた。


 知らない町に知らない景色、自分の世界が広がったような感じがする。


 徐々に線路は町の中心部へと向かっていき、俺らが目指した穂樽駅までたどり着く。三十分ほどの列車の旅はあっという間に過ぎ去っていったようにも感じる。


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