第5話 朝のひと時


 独りになり静かになった空間で、彼女の言葉を想起させる。


「下だけでも良かったのに……」


 名前を教えた際に彼女が俺に対して言った台詞だ。

 背後にあるネームプレートに刻まれた自身の「天城」という名前を見て、彼女の言っていたことの真意を理解した。


 最初から俺の家へと向かう足取りに迷いが無かったのもすべて分かっていたからで、音声の録画も、すべては俺の部屋に入り込むためにわかっていてやったことなのだ。


「……やられた」


 背後で俺の家のドアが閉まる音と同時に声が漏れた。

 まるで最初から彼女の手のひらの上で転がされていたような、そんな感覚だった。






 目が覚めたのは、早朝の爽やかな空気のおかげでも、日差しによる体への刺激のせいでもなかった。度々鳴らされる不快な機械音のせいだった。ピンポンと俺の部屋のインターフォンが先ほどから何度か繰り返し鳴らされていて、防ぎようの無いその音の暴力によって深い眠りから無理やり叩き起こされた。


「……んだよっ!」


 俺は寝起きでまだまともな思考が定まらない中、音のなるドアモニターへと向かい、通話ボタンを押す。


「はーい」


 少し枯れたような俺の声が響き渡る。


「あれ? 寝起き?」


 誰だ? この声……。不思議に思ってモニターを見ればつい昨日あったばかりの女の子が映りこむ。


「あーけーてー」

「分かったから待てって」


 通話ボタンを切り、玄関へと向かった。

 閉じられた鍵を開け、ドアを開ければそこから元気な笑顔が飛び出してくる。まぶしすぎて目が開けられない……。


「おはようございます!」


 もっとも、あんな朝から恐ろしい起こされ方をされればこの笑顔がとても恐ろしく感じる。いや、普通にホラーでしょ。


「おはよ」

「あれー? なんか元気ないですね~?」


 本人は分かっていて聞いているのか、それとも本当に分かっていないのか、どちらかわからないニヤニヤした様子で俺を見ている。


「朝からホラーな起こされ方をされて心臓がバクバクいって疲れたんだよ」

「それはすみません。でも約束しましたし遊びに来ました」

「あのなぁ、社交辞令って知っているか?」

「すみません、よくわかりません」

「お前は機会音声かよ!」


 恐ろしいくらいな話の逸らされ具合だ。

 こちら側に話の主導権を握らせないテクニックでもあるのだろうか、俺は対話においてこいつに勝てる自信が無い。そう思わされた。


「唯斗、朝ごはんまだなの?」

「そうだな、今起きたばかりだから……」

「じゃあ、私が用意しとくから準備してきなよ」

「あ、あ~……分かった」


 一瞬断ろうかとも思ったが断る理由が無い。だから俺はそのままシャワーを浴びるべく風呂場へと向かった。

 シャワーのおかげで大分思考もすっきりしてきて目が覚めてきた。眠たくて開けなかった瞼もどうやらその重たいシャッターを上げたようだ。


 風呂から上がった俺の元へ焼けたトーストの匂いがやってくる。それだけでどこか元気が出た。不思議なことに自分のいないところから音が聞こえてくる。そんな小さなことが意外にも元気をくれたりする。


「あ、おかえり~」

「ああ」


 一通りの準備を済ませて洗面所から戻れば、焼けたトーストと目玉焼き、それとウインナーなどのザ・朝食といったメニューが俺を出迎えてくれた。それと瑠夏。


「どうぞ召し上がれ~」


 そういって促されるまま椅子に座ると、両手にコーヒーを持った瑠夏が俺の隣に座る。


「ブラック?」

「うん、それでいい。ありがと」


 瑠夏は、砂糖を一杯にたっぷりのミルクを入れてカフェオレにしていた。なんというかここまでずっと大人な雰囲気を感じさせていた彼女から初めて感じられる子どもっぽさみたいな面に少しだけ笑いが漏れた。


「なにー?」

「いや、意外と味覚は子どもなんだなって」

「別に~、頭を回すために糖分が必要だから!」

「ふ~ん」


 ぷくっと頬を膨らませた瑠夏が俺を見ていた。そんな彼女を見て初めて勝った気になれた。それと同時に小さい男だなと悲しくなった……。

 それでも久しぶりの誰かがいる朝食は昨日の夜と同じく、どこか温かくて少しだけおいしく感じた。

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