第4話 家族の営みが欠けた部屋で……


 着替えを終えて部屋に戻ればいつの間にか俺の部屋の景色に溶け込んだ瑠夏るかが、まるで元からそこが自分の居場所だったと主張するかのようにソファにもたれかかっていた。


「なぁ、別に嫌味でいうわけじゃないけどいつまでいるつもり?」

「それ嫌味だよね」

「そういうことじゃなくて、夜ご飯とか食べたいの」

「じゃあ、私作ってあげるよ」

「はあ?!」


 ぴょんとソファから立ち上がると、冷蔵庫に向かって歩き出す。


「ふむふむ、これなら大丈夫そう! じゃあちょっと待ってて」


 彼女はそういうと冷蔵庫にあった材料を取り出しささっと料理を始めた。

 最初こそ抵抗のようなものがあったが、フライパンから香ってくるにんにくの匂いなどが本当に料理をしてくれていることを証明してくれたので彼女に任せることにした。


 もちろん、何か仕込まれている可能性も考えていない訳ではないのでキッチンが見える範囲からちょくちょく様子を伺っている。考えすぎだって思う人もいるかもしれないけれどよくよく考えて欲しい。今日初めて会話し仲良くなった(仮)の女子高生がいきなり部屋に上がりこんで料理をしているなんて状況そんな普通に呑み込めるほど俺はそう簡単に流されるような人間じゃない。


 何もしない可能性のほうが多い。でも可能性が少しでもある以上は少しぐらい危機感を持っておいたほうが良いだろう。

 三十分と経たないうちに味噌汁と軽い野菜炒めに、オムレツ? が出来上がる。


「これ……オムレツ?」

「これは、スパニッシュオムレツっていうんだよ~」


 一見キッシュのようにも見えるオムレツの切れ目からは、ホクホクと熱い吐息が漏れ出ている。先ほどのにんにくはこのオムレツに使っているようで、オムレツなのにどこか食欲をそそる。中にはゴロッとジャガイモやにんじんなどの野菜が入っており意外とこれ一つでお腹一杯になりそうなくらいにボリューミーに見える。


「それじゃあ頂きます」

「はーい」


 彼女の分の箸や食器も用意しているのに、なぜか俺をじっと見つめる。……なんか恥ずかしい。

 件のオムレツを一口。

 すこし甘そうに感じていたオムレツだが全然そんな感じは無く、むしろ白米に良く合いそうな塩気の効いた味付けだった。


「へぇ、これはうまい! 初めて食べたけど白米が欲しくなるな……。それにしても料理上手だな、おいしいよ」

「えへへ」


 俺の素直な感想を聞いて嬉しそうにしている。どうやら喜んでいただけたらしい。

 彼女の箸も動き出す。俺の感想待ちだったようだな。


 カチャカチャという食器に触れる音が二人分静かな室内に響き渡る。なぜだろう、誰かと食べるご飯はいつものご飯の二倍はおいしく感じた。二人の間に会話は無い。でもそんな食器に触れる音や、咀嚼そしゃく音、飲み込む音、それらがこの空間に二人いるということをどこか教えてくれて、どこか物足りない俺の生活に色を一つ足してくれたような、そんな気がした。


「ご馳走様でした」

「お粗末さまです」


 調理担当が瑠夏だったので片付けるのは俺の役目だろう。テーブルに置いてある皿をシンクに移し洗い始める。瑠夏は今はソファに座ってテレビを眺めていた。


 しばらくの間ご無沙汰だった家族の営み、それに近い感覚でどこか懐かしく思う。

 必ず家の中には誰かがいて、自分がこうして皿を洗っているときには妹がリビングでくつろいでいて……そんなありふれた家族の光景が今の俺には無くて、今の俺の部屋にいるのは名前しか知らない不思議な高校生がいて、普通なようで普通ではないどこか不思議な空間が目の前に広がっている。


 それは、見慣れたはずの景色に一つだけ違うところがあるかのような些細な違いで、傍目から見れば何も変わらない。でも見る人が見ればすぐに分かるような……そんな間違い探しのようだ。


「ねえ、唯斗~」

「なんだ」

「お腹一杯で眠くなってきたから泊まっちゃ駄目?」

「あのなぁ……」


 さすがにこの女子高生に不安が隠せなくなってくる。

 なんというか、警戒心のようなものがないというか、とにかく自分のことを軽く見すぎている。


「おまえさぁ、何かあるかもしれないとか思わないの? お前は女子で俺は男なんだぞ?」

「別に、何かあったとしても良いと思っているといったら」


 直後、俺の中の何かがプチンと切れた。

 実際に何かが切れたわけじゃない。ただ、気持ちの限界のようなもの。ホースの先を摘んでいたら水が堰き止められすぎて破裂するような、あるいはダムが決壊するような。


「いい加減にしろ」

「な、何急に」

「自分を軽く見過ぎだって言ってるんだよ! 俺じゃなかったら襲われていたかも知れない、もしかしたら俺だってそうかもしれないけれど……そんな知らない奴に何かあっても良いって? お前に何かあったときに傷つくのはお前だけとは限らないんだぞ」


 そう、自分に何かあったときに傷つくのは一人じゃない。だからそんな覚悟は簡単にしちゃあいけない。


「ごめん」


 突然の激昂げきこう気圧けおされたのか、それとも本当の意味で納得したからなのか、一言謝った。


「俺は別にお前の女子としての魅力を軽んじているわけじゃない、普通に可愛いと思うし魅力的だとも思う。だからこそ大事にして欲しいんだよ自分のことを、自暴自棄になるな……」


 小さくコクリと頷く。


「時間があればいつでも遊びに来たって良い。俺は歓迎する。だから今日のところは一旦帰ったほうが良い」

「……言質取ったから」

「ああ、嘘はつかない」

「じゃあ、これ」


 彼女は自分のトークアプリのQRコードを俺に見せる。どうやら追加しろということらしい。


「ほら、これでいいか?」


 すると一件、彼女からのメッセージが届く。先ほどの動画だ。


「これでフェアだからね。これからは友達として遊びに来る」

「ああ、それでいい」


 そういうと納得したのか彼女は立ち上がり元々着ていたジャンパーを羽織る。


「約束もしたし、私は帰ることにする」

「わかった。送ってくよ」

「いい」


 すたすたと玄関まで向かい靴を履く、それを見届け俺もサンダルを履く。せめて下までは送ってやろうと思い家の外に出た瞬間だ。


 俺の部屋のドアを閉じた瞬間、彼女は俺の隣の部屋の鍵穴に鍵を差し込む。


 ――はあ?!


 ガチャリと金属の音がなり、俺の隣の家の鍵が空く。


「いやいや、ちょっ――」

「だから言ったでしょ、送らなくて良いって」


 そう、彼女は最初から知っていたのだ。俺の家がここであることも、俺の苗字も……。

 彼女はそのままドアの向こうへと呑み込まれていった。

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