「Back」

 モノクロのフィルム映像。非現実な光景が視界に広がる。今日はよくいく映画館で限定公開している古い映画を見ている。


 観客は老父婦やおそらく映画好きであろう若者がちらほらと座っている。


 半世紀ほど前にやっていた者で映像も古いが内容にも目を見張った。名作とは映像の荒さでは褪せない輝きを放っている。


 本当にいい映画とは予算などなくとも、脚本と役者の演技で生み出すことが可能なのだ。


 しかし、最近の映画というものは金と小道具に力を入れるあまりに脚本や俳優の指導が疎かに鳴っている作品が多い。


 だから僕はこうして、古い映画を観にきたのだ。


 映画というものはまやかしだ。実際には存在しない。ノンフィクションと語られているものの、尺合わせのためや映像化を考慮してある程度は盛られている。


 だから本物は存在しないのだ。もちろん映画だけではない。小説や作詞、アニメ、劇。クリエイティブなものには嘘がある。しかし、まやかしだと思っても、求めずにはいられない。


 それが芸術に魅入られた人間の業というものだ。



 夕日に照らされた帰り道。映画の余韻に浸りながら、歩いていると横に座っていた老父婦が嬉しそうに先ほどの映画の話をしていた。


 どうやら若い頃に劇場で見た事があるらしい。半世紀を超えてもう一度、劇場で鑑賞する。実に感慨深い。


「今度は最近の映画も見てみよう」


「そうね。私達の頃より映像が綺麗になったものね」


 僕は耳を疑った。彼らは最近の作品にすらも好感を抱いていた。自分達の時代こそ至高などとは思っていないのだ。


 この老夫婦の寛容さとともに僕は自分の惨めさを呪った。最近の映画にも良いところはあったはずだ。


 僕がそれを知らなかった。または個々の作品を嫌っていたばかりに相対的に近年の作品を酷評していたのだ。


 改めて、考え直さなければならない。そして、僕もこの老父婦のように出会いたいものだ。老いてもなお心を魅了してくれる最高傑作に。


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