4章03.男の娘は寂しい
志乃と離れた三代は、バイト先の水族館へと向かった。
出勤時間の30分くらい前に到着した。
いつもは15分前くらいになるように調整するのだが、今日はなんとなく、時間を潰すことなく来てしまった。
とりあえず事務所の中に入る。
小牧の姿が見えなかったが、男性の従業員が椅子に座って休憩中であったので、挨拶する。
「おはようございます」
「おう藤原くんオハヨー」
今はお昼を少し過ぎたくらいの時間なのだが、それでも挨拶は「おはよう」である。
何時に出勤してもこの挨拶、と決まっているからだ。
最初の頃は違和感が抜け切らなかった三代だが、今ではもう慣れて、すんなりと口から出て来るようになっていた。
ちなみに、この挨拶は大抵の接客業の慣例らしく、志乃も「うちもそうだよー」と言っていた。
「今日の藤原くんは……あれ、まだ30分あるけど?」
休憩中の男性従業員は、ボードに張られているシフト表を眺めて、三代が早めの出勤をしていることを指摘した。
「早く来いって言われたの?」
「そういうわけではなくて、単に早く着いてしまっただけですね」
「藤原くんは社畜の才能がありそうだ」
「社会の歯車になる準備は出来ております」
「彼女がいると働く意欲が湧くというわけか。俺も彼女がいれば、1分前の駆け込み出勤とかやらなくなるのかも知れない。……あっ、そういえば、もうこんな時間なのか。やばい休憩10分もオーバーしちった」
男性従業員は「はぁ」と暗く重い溜め息を吐くと、館内へと消えていった。
事務所に静寂が訪れる。
することも特に無いので、三代は作業着に着替えると、タイムカードを押して良い時間になるまで椅子に座って待つことにした。
まもなくして、はじめがやって来た。
「おはよー」
「おはよう」
「今日は早いね? いつもは僕の方が先に来てるから、なんだか変な感じ」
言われて見れば、確かに、三代がはじめより先に来たのは初めてだ。
時計を見ると大体今が出勤20分前くらい。
どうやら、平時のはじめは三代より5分ほど早く来ているようだ。
「まぁその、今日はたまたま早く着いたんだ」
「たまたま? そうなんだ。ざーんねん」
「残念?」
「……もしも僕と早く合いたいからって理由だったら、そうだったら嬉しかったなって」
わざとやっているのか、と疑いたくなるほどに、はじめの言動は男心をくすぐる類のものだ。
見た目も、言葉も、志乃にも負けず劣らずの不思議な魅力がある。
だが、男だ。
その事実が脳裏を横切り、変な感じになりそうな気持ちが落ち着いていく。
女の子だったら危なかった。
「とりあえず、早く着替えて来たらいい。俺はもう着替えてる」
「うん。そうするね。……それにしても、今日も一人で着替えかぁ」
「え?」
「僕が着替えをすると、皆が一斉に出ていくから、いつも一人なんだよね。寂しいなぁって」
はじめはそう言って俯いた。
色々と寂しく思うその気持ちは、三代にも理解出来なくは無かったが……しかしその一方で、他の男性従業員の切実な理由も分かる。
何の変哲もない着替えの風景に、はじめが加わると途端にイケナイ感じになる。
特に多人数の時が酷い。
裸だらけの男の中に、ぽつんと可愛い女の子が混ざっているようになり、一人の女の子を大勢の男が襲う瞬間のような光景になってしまう。
だから皆が逃げるのだ。
自分が酷いことをしているように見えてしまうから。
ちなみに、三代も逃げる側だ。
はじめとの着替えは変な気分になるので、極力避けたいのである。
「まぁ、たまたまだろ。うん」
とりあえず、三代は適当な言葉で話題を流した。
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