3章07.あおーん
脳の中にまで火照りが達し、三代の思考がぐるぐると回って纏まらなくなる。
「……ね?」
志乃は四つん這いになり、ゆっくりと、そしてじわじわと迫って来る。浴衣の隙間から見える胸の谷間と太ももに三代の心臓がバクバクと動いた。動悸が――止まらない。
ドン、と三代の背中が壁に当たった。無意識に後ずさってしまっていたようだ。
「ま、まま、待ってくれ。そ、そうだ。体も冷えてるし折角の露天風呂にも入らないとな!」
しどろもどろになりながら、三代は急いで脱衣所に向かうと服を脱ぎ捨て、肩で息をしながら扉を開けてそのまま露天風呂に出る。それから、煩悩も一緒に洗い流すつもりで慌てて体を洗って浴槽へと飛び込んだ。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えつつ空を見上げると、澄み切った夜空にぽっかりと浮かぶ満月と煌めく星々があった。
特に理由もなく広大で果ての無い宇宙に想いを馳せてみると、今しがたまであった頭の中の熱がすぅっと引いていく。時間の経過と共に徐々に平常心が戻って来る。
だが――こうして手に入れた安寧も束の間のものとなってしまう。
かららら、と露天風呂の扉を開ける音が聞こえる。誰かが来たようだ。その誰かは体を洗い始めたようで、ばしゃばしゃという音が聞こえて来た。いや、誰かなどではない。志乃だ。
完全に水音がしなくなってから、数秒の間を置いて三代はゆっくりと振り返った。すると、そこには予想通りに志乃がいた。バスタオルを体に巻きながら、頬は朱色に染めたままの志乃が。
「な、なんで……」
「……折角の露天風呂にも入らないとって今さっき言ったのは三代だよ?」
「そ、それは確かにそうだが、状況的に交互にって意味で……」
「彼氏と彼女が一緒に入るのは……なーんにもおかしいことじゃないと思うけど?」
普段は口が回る三代も、この時ばかりは反論が出来なかった。志乃の言っていることが全くもってその通りだったからだ。
恋人同士が一緒にお風呂に入るのはおかしいですか? と道行く人に聞いたのならば、ほぼ全ての人が「おかしくないと思う」と答えるだろう。
「じゃあ一緒に入ろーね」
志乃は静かに露天風呂に入ると、すすーっと近寄って来て、マンションでいつもしているように三代の膝の上に乗った。
そう、いつもしているようにだ。
しかし、マンションでは当然だがお互いに服を着ているのであって、今はそれとは少しばかり装いが違う。二人の肌を隔てるのは、少し引っ張れば取れてしまうバスタオル一枚である。
「どうしたの?」
「いや……その……駄目だこんなことは……」
いけないことだ、と言いつつも三代の指先は震えていた。本能が動けと急かして来る。理性と本能の熾烈な争いが行われている。
「駄目なんかじゃないよ……?」
志乃が三代の手を握り、優しく指を絡めて来る。そんなに時間も経っていないのに、もう限界が近くなって来た。そして――とうとうその時が訪れてしまう。
「……あたしはこういうことした事ないから、本当に初めてだから、凄く勇気出して頑張ってるよ。好きな人と触れ合いたいしもっと一緒になりたいって……そう思ってるから。ちゅーの次に進みたいっていうか……」
「志乃……」
「……大丈夫。ほら、空にはお月さまも浮かんでるし?」
「え……? 月……?」
「うん。小さいころに絵本で狼男の話を見たことあるんだ。お月さまがあると狼さんになっちゃう男の子の話だった。だから大丈夫。悪いのはお月さまだから……」
それは、どう考えても意味不明な理屈だ。月が浮かんでいると狼になる男の子がいる。だから大丈夫なんてどうかしている。
けれども、本能を限界ぎりぎりで抑え込んでいる今の三代にとっては、それは十分すぎる免罪符になってしまった。
何かの糸が切れるような感覚があって、理性と本能の境界が無くなり一気に混ざり合っていく。
「……」
「んっ……」
普通のキス、ついばむようなキス、大人のキス、首筋や鎖骨へのキス……。およそ十分ほど唇で愛情を表現し続ける。
今までならここまでで終わりだ。しかし、今日は終わらない。志乃はここから更に次に進みたいと言っている。
「……悪いのは浮かんでるあの月だからな」
「……体も温まったし……お部屋もどろ? 続きはお部屋で……ね?」
「……キスより凄いこと教えて欲しいんだったな?」
「うん……優しくおねがい……」
もう止まらない。堰を切って溢れ出る濁流のような”好き”に抑えなど効かない。
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