3章03.びしょ濡れ

 かくして初詣イベントが終わったが、しかし冬休みにはまだ大きなイベント一つ残っている。

 温泉だ。

 日取りも既に決めており、混みあう時期を避けた、1月の10日を過ぎたあたりに行くことになっている。

 バイトの休みもお互いに調整済だ。


 一日一日と過ぎるにつれて、三代の心中に妙な期待感が渦巻いた。

 上手くは言葉には出来ないが、温泉で何かが起きそうな、そんな漠然とした何かを感じていた。


 こうした今の三代を見て、眉を潜めてしまう人もいるかも知れない。

 恋愛は忌むべきもの、と考える者も多いからである。

 だが、そうした人々の目は気にする必要が無い。

 酸っぱい葡萄、の状態に陥っているだけであることがほとんどだからだ。


 恋愛は生活に潤いをもたらすことが多く、その効果を一度でも体感してしまえば、嫌いになどなれないものである。

 恋愛なんて必要が無い! と豪語していた人が、恋人が出来た瞬間に手の平を返す事例が世の中には多いが、それが全てを現わしている。


 人は一人で生きることは出来ない。

 だからこそ、誰かを愛し頑張ることに価値と意味を見出せる。

 恋愛を糧として大きな活力を得られるのが真実だ。


 つまり、何が言いたのかというと――


「それじゃあ水抜くぞー。入れそうな水位まで下がったら一旦脱水は止めるから、そうしたら中に入って網で魚捕まえてくれなー」

「分かりました」

「藤原くんは文句ひとつ言わず淡々と、それもめちゃくちゃ早くこなしてくれるから助かるよ」


 ――彼女といちゃつける旅行が間近になると、今まで以上にバイトにも精が出るよね、ということである。

 今までも三代はそつなく仕事をこなしていたが、それに磨きがかかっている状態だ。


 三代は機械の如く黙々と指示をこなし続ける。

 すると、水槽清掃の指示を出していた男性従業員が、ふいに水槽の隅の人影を見た。

 三代も同じ方向を見る。

 そこには、滑って転んで半泣きになっているはじめがいた。

 見た目通りと言えば見た目通りだが、運動神経が良くないようだ。


「うぅ……」

「怪我は無いか? 大丈夫か?」

「うん……」


 三代が差し出した手を握り、はじめはゆっくりと立ち上がる。


「なんかぬるぬるするよ~」

「ぬるぬるするのはバイオフィルムってヤツだな。バクテリアが集まってぬるぬるになる」

「ふぇぇ~バクテリアさん嫌いだよ~」

「次から気をつけないとな」

「うん……とりあえず着替えて来るね」


 はじめは「へくち」と可愛いくしゃみをすると、もじもじしながら更衣室へと向かった。

 その後ろ姿を見て、三代はなんとも言えない気持ちになる。


 水分を含んだ作業服がぴたりと肌に張り付き、はじめの体のラインを浮き彫りにしているのだが、そのシルエットが、やはりどうにも完全に女の子のものにしか見えなかったのだ。


「……佐伯くんは本当に女の子みたいだな。そういえば、彼が更衣室に居る時はなぜか入り辛くてみんな外に出ちゃうんだよなぁ」


 男性従業員がぽつりとそう呟いた。

 その気持ちはとてもよく分かるし、身に覚えもあるので、三代はウンウンと頷いた。

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