2章29.気づかい

 水族館に着くと、平日ではあるがオープン初日ということもあってか、そこそこ賑わっていた。


 列を成している客の合間をすり抜け、そそくさと裏口にある従業員室の出入り口から中に入ると、見慣れない人達が慌ただしくしている所だった。


 清掃以外のスタッフだ。何気に初対面の人達である。


「えっと君は……」

「清掃スタッフの藤原三代です。よろしくお願いします」

「あぁ……そうか君がもう一人か。副館長からそんな話聞いてたな。取り合えず、もう一人の清掃スタッフの子はもう来ているから、着替えて一緒に仕事進めてくれ。副館長から段取りは教わっているだろ?」


 早速仕事に入って欲しいそうなので、タイムカードを押してから、手短に着替えて清掃道具の準備を始める。すると、既に先に来ていたはじめが奥から手を振って現れた。


「待ってたよー」

「待たせたか。悪かったな」

「ほんとだよ~。僕10分も待ってたんだからね!」

「10分くらい別にいいだろ……」


 そんな風に軽く会話を挟んでから、二人は一緒に、以前に小牧から教わった通りに仕事を進めていく。


 まだ日が明るいうちにまずは外のゴミ拾いから始め、それから次に館内の諸々の清掃に移り――気が付けば勤務終了の時間になっていた。


 バイトの初日は何の問題も何も無く、こうして滞りもなく終わりを迎えた。

 はじめと一緒にタイムカードを押してから着替え、三代は出入り口の扉のドアノブに手をかける。


 その時だ。


 ラバースーツ姿の小牧が肩を震わせながら従業員室に入って来ると、一気にエアコンの温度を上げ始めた。急に室内がもわっと暑くなり始める。


「寒い寒い……」

「なんですかその格好は……」

「おやや藤原くんと佐伯くん。……いやその、今日は初日だからイルカショーを予定より少し長めにやろうと思って急遽予定を変更したんだけど、そしたら体が思った以上に冷えちゃって。私も水の中入ってやるショーだから」


 どうやら、ショーの演出か何かで自分自身も水の中に入り、それが長引いてしまったらしい。


 しかし……初日だからとはいえ、もう少し自分自身の体調について考えて動いた方が良い気はする。小牧はそういった事を考慮して動ける大人のハズだ。25歳なのだから。


(いや……大人といっても、完璧なわけではないか。保健室でバニーガールになって『ぴょーん』とか言い出すアラサーもいるくらいだしな……)


 三代はため息混じりに館内に戻ると、設置されている自販機で暖かいお茶のペットボトルを一本買った。


 あまりお金を使いたくはないが、さすがにぶるぶる震えている女性をそのままには出来ない。


「あ、暖かい……」


 お茶を渡すと、小牧は頬にお茶を頬に当ててうっとりした。


「……まぁその、あんまり無理をしない方がいいですよ」

「ありがとう。でも私は副館長だからね……」


 小牧は頬を軽く掻いた。どうやら、ショーの延長は単なる初日サービスというだけではなく、立場上色々と気負う所もあっての無理であったようだ。


 理由があってのことなのだから、大人としての体調やスケジュール管理云々は的外れな指摘になりそうである。


 だから、三代は取り合えず「それじゃあ頑張って下さい」とだけ口にした。すると、小牧は微笑みながら「うん」と返して来た。


「……藤原くんって、結構気遣い出来るよね」


 一部始終を見ていたはじめが感心したように頷く。

 なんだか背中がムズムズした。

 過大評価されている感じがしたからだ。


 変に上向いた評価はあまり好きではないので、三代は「そうでもない」と欠伸混じりに否定しつつ、とにもかくにも志乃の迎えに行くことにした。

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