14.ちゅっちゅ

 買い物を終えた三代は、志乃と一緒に美希を迎えに行くことにした。


 製菓の材料が売っていたのが3階で、ゲームセンターがあるのが1階であったので、美希の所へ行くには取り合えず下の階に降りる必要がある。


 しかし、エスカレーターもエレベーターも随分と混んでいた。それなりに待つ必要がありそうだ。


「……あの階段使おうよ」


 取り合えずエスカレーターの列に並ぼうかと思っていると、ふいに志乃がそう言った。


 階段を見ると、人気ひとけが無くとても静かである。

 誰も使っていないようだ。

 日曜日ということもあってか、世間の人々はあまり運動をしたくないらしい。


「……階段か。エスカレーターもエレベーターもどっちも混んでるし、それもアリか」

「うん」


 特に拒否する理由があるわけでも無いので、志乃の提案に乗って誰もいない階段を降りていく。

 そして。

 一足先に三代が1階に降りたった瞬間であった。


「きゃあ!」


 志乃の悲鳴に反射的に振り返った。

 すると、体勢を崩したらしき志乃が抱き着いて来た。


「――危ない」


 咄嗟の判断で志乃を抱きとめたものの、体勢を崩しただけにしては些か強すぎたその勢いに、そのまま倒れ込む。


 それから。

 どてん、と背中が床についてから。

 感じた痛みに耐えながら瞼をゆっくりと上げてから。


 驚きに大きく目を見開くことになった。


「……っ⁉」


 眼前にあったのは目を瞑っている志乃の顔であり、そして、遅れて気づいた。自分の唇にある感触に。


 ――志乃とキスをしている。


 あまりに突然過ぎるこの事態に理解が追い付かず、三代の頭の中がぐるぐると回った。


 そして、その状態のままたっぷり十秒ほど経ったところで、三代の瞳にこちらに駆け寄って来る美希の姿が映った。


「だいじょーぶだった~? あっ、ちゃんと見えてたから」


 なぜか楽しそうな美希の声音を受けて、志乃がゆっくりと上半身を起こした。


「……うん」


 志乃はゆっくりと目を細めると、桃の花びらのような赤み掛かったピンク色に頬を染めた。

 そして、三代の耳元で呟いた。


「助けてくれてありがと。偶然だけど……キスしちゃったね」


 その言葉に三代の混乱が極まった。


 お礼を言って単に事実を述べただけに過ぎないと思えば良いのか、それとも、何か別の意味を含ませているのか。


 分からない。

 思考が停止しそうになる。


「け、怪我はないか?」


 どうにか三代が捻り出せた言葉は、差し障りのない心配の言葉だけで、けれども志乃はそれを聞いて嬉しそうに頷いた。





 そこから先は何もかもが手につかなかった。

 家に帰って一緒にお菓子作りをしたけれど、どう自分が手伝ったのかを覚えていない。


 出来上がったお菓子も食べたが味も分からない。

 終始ニコニコと嬉しそうに笑っていた志乃の顔を見る度に、その唇の方に目が行って駄目だった。


 結果的に心ここにあらずで過ごす一日となってしまった。


「おにいちゃん、またねー」

「またね藤原」

「……あぁ。また」


 志乃と美希の帰りを見送り、二人が乗った電車が見えなくなってから。

 三代はホームの長椅子に座る。

 そして、林檎よりも顔を真っ赤にしながら頭を抱えて悶えた。


 自分が分からない。

 志乃の気持ちも分からない。

 何もかも分からない。


「もう俺は――」


 ぽつりと零れたその呟きの先は、けれども、目の前を通り過ぎていった次の電車の音にかき消された。

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