12.だいぶもう駄目になりかけている

 自分が志乃の頭を撫でていることに気づいて、三代は慌てて手を引っ込めた。


(俺は一体なにを……。い、いや、それよりも結崎に嫌がられていたりしていないだろうか?)


 ちらりと志乃の様子を確認すると、目尻を下げながら俯き、両手の人差し指を突き合わせてもぢもぢしている所であった。


「っ……!」


 志乃のその姿は三代に大きな衝撃を与えた。

 目の前の志乃の反応が、照れや嬉しさが入り混じったようなものだということくらいは、さしもの三代でも理解出来た。


 一歩後ずさりながら、ふいに三代の脳裏に浮かんだのは、今日に至るまで何回も心の中で反芻はんすうしていた中岡教諭との会話であった。





『無理やり振り向かせる気概は無いのか。なんならそういう雰囲気に持ち込んで襲ってしまえ』


『それ大問題になりますよ』


『それは嫌いな相手から襲われた場合だ。気になっている相手の場合は、強引に求められることが、女にとっては最後の一押しになることもある。嬉しいと思える時もある。そういうものだ』





 悶々とすることにはなったものの、この話をしていた時には、「そんな馬鹿な」という風にしか思っていなかった。


 志乃がそういう価値観だとは限らないし、なにより、そもそも自分のことを気になっている相手と認識しているのかも定かでは無いのだから。


 しかし、目の前の現実は、中岡の言葉を肯定しているかのようである。

 了承も得ずに頭を撫でたのに、志乃は抵抗はおろか全く嫌がろうともせずに、むしろ嬉しそうに受け入れている。


 仮に頭を撫でる以上のことをしても、それでも志乃は受け入れてくれるような――そんな予感もした。


 だが、三代はぶんぶんと首を振ってその考えをかき消す。

 そういう風に見えているのは、自分が都合良く解釈してしまっただけかも知れないと思うようにして、なんとか心を落ち着かせる。


 一度深呼吸をしてから、せわしなく視線を動かす。何か雰囲気を変えられる話題を探す為にである。


 そして、籐の籠の中に入っていたのが調理器具のみであったことに気づいた。


「そ、そういえば、お菓子作りの材料が無いような……」

「……着いてから、味の好みとかも聞きながら、一緒に買いに行こうと思ってて。それじゃ駄目だったかな?」


 志乃が上ずった甘えたような声を出して、そのせいで変えようとしたハズの空気が強制的に引き戻された。


 偶然なのか、それとも志乃が意図しているのかは分からない。


 ただ、その声に三代は妙に惹きつけられた。

 自制心が徐々に崩れていく。

 そして、志乃にもっと触れたいという欲求がどんどん増していって――そこで、じぃっとこちらを凝視して来ている美希に気づいた。


 三代がハッとして我に返ると、志乃も驚いて慌てて背中を向ける。


「……材料買いに行かないとな」

「う、うん。早くいこ」


 大変なことをしでかしかねない、危険な空気であった。

 だが、なんとか元に戻すことが出来て、三代はホッと胸を撫でおろした。


「……あともう少しだったのに」


 二人の距離感を眺めていた美希が、肩を竦めて、誰にも聞こえないように小さくそう呟いた。

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