11.無意識と無自覚の行動
マンションのエントランスに入ると、美希がきょろきょろと周りを興味深そうに見始めた。この手の建物には初めて入るらしい。
「……おねえちゃん、おねえちゃん」
「どうしたの?」
「なんかわくわくする」
「……そんなきょろきょろ周りを見ないの。怒られても知らないよ?」
「だれに怒られるの? いまここには美希とおねえちゃんと、それとおにいちゃんしかいなさそうだよ? とりあえず、おにいちゃんはそんな怒って無さそうだよ?」
咄嗟に出ただけであろう美希の指摘は当たっている。三代は怒っていない……というか、そもそも気にしていなかった。
このマンションには住民相互不干渉という暗黙のルールがあるので、大声でも出さない限りスルーされるからだ。
今このエントランスには三人以外誰もいないが、仮に誰かが居たとしても、子どもがきょろきょろ辺りを見るくらいでは何も言われない。
だから、三代には気にするという発想自体が無かった。過剰に住民の目を心配する必要が無い前述のルールがあるから。
けれども――志乃は三代からそれを聞くよりも先に、「それでも」と美希にデコピンを食らわせた。
「おねえちゃんなにするの~」
「気にしている人や怒っている人がいないとしても、お行儀悪くしてもいいとはならなーい」
「おねえちゃんって見た目と違って中身カタブツだよね……はぁ……ちゅっちゅは無理かな」
「……ちゅっちゅは……頑張ってみるけど……」
そんな二人の会話を耳にして三代は首を傾げた。一体何の話をしているのだろうか、と。
ただまぁ、姉妹の会話に無理に首を突っ込もうとも思わない。
三代は取り合えず姉妹の会話はスルーしつつ、志乃に自分が美希の行動を気にしなかった理由を遅ればせながらに告げることにした。
だが、志乃の反応は「だとしても、お行儀を悪くしていい理由にはならないから……」であった。
気にしなくて良い状況があるとしても、モラルという意味で言えば志乃の言うことはその通りである。
なので、そう言われてしまえば反論も出来ない。
三代は肩を竦めて「そうか。そうだな」と頷いたのだった。
☆
部屋の中に入り、リビングを通ってダイニングまで向かうと、志乃は早速籐の籠をテーブルの上に置いて中身を出し始めた。
出て来たのは色々な調理器具である。
なにやら大きめの籠だと思っていたら、そういったものを入れていたからのようだ。
「お菓子作りって色々使うんだな」
「まぁね。あとはオーブン」
「オーブン? うちにあるか……?」
「あるよある。前に来た時にご飯作ったでしょ? あの時にオーブンあるのちゃんと見た。ほらほら、これ」
志乃は近くにあった箱をたしたしと軽く叩いた。
三代の記憶によるとそれは確か、入居した時から備え付けで置いてあった備品の一つだ。
使う用事も無かったこともあり、何なのか全く知らないまま生活していたので、今日初めてそれがオーブンだと知った。
恥ずかしながら、ダイニングやキッチン周りの品々については、家主の三代よりも志乃の方が分かっていそうだ。
「それオーブンだったのか……」
「知らなかったの……? って、そういえば藤原は料理とかしないんだっけ? なら使わないから分からなくてもしょうがないか」
「……まぁでも、普段使わないお陰で新品同然だろ?」
「骨董品じゃないんだから、使わないと勿体ないって」
見ようによっては恋人にも見えなくもないような、そんな感じの軽い会話をしていると――ふいに、美希がいないことに二人とも気づいた。
どこに行ったのかと捜索してみると、リビングのソファで寝転がっているのを発見した。
リビングを通った時にそのままここに留まっていたようだ。
「ちょっと美希、今日はお菓子作りに来たんだよ」
「美希はたべるの専門だから……」
美希は手伝う気が無いらしい。
「もう……」
志乃は口を尖らせてしょぼんと俯くと、頬を「ぷぅ」と膨らませる。
なんとも可愛らしい仕草であり、三代はそれを見た瞬間に――無意識に無自覚に、気づいたら志乃の頭を撫でていた。
「えっ……ちょっ……」
志乃は突然の頭撫でに目を丸くしたものの、僅かに頬を赤らめるとすぐさまに嬉しそうに目を伏せて受け入れた。
妙に甘い雰囲気が漂い始め、それに勘付いたらしい美希が鼻をひくつかせる。
「まだお菓子たべてないのに、もうお腹いっぱいになりそう……。っていうか、けっこう簡単にちゅっちゅしそう」
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