07.結婚でもすれば別だが

「あれ? なんか顔赤くなってない?」

「な、なってない……」


 志乃の笑顔が眩しくてつい反射的に照れてしまった。そのせいで、三代は返事が上手く出来ない。

 そして、それを見た志乃も微笑みながら少し顔を赤らめるものだから、次第に甘いような酸っぱいような変な雰囲気が充満していく。


(なんだこの空気は……)


 この不思議な空気の扱い方が分からず、三代はただ我慢することしか出来なかった。


 それから、どうにか学校に辿り着いて校門を潜り抜けた所で、周囲からざわついた視線を向けられて――そこで、ようやく落ち着きを取り戻せた。


「おい、あれ」

「やっぱりあの二人……」

「やだ何あれ。らぶらぶ登校じゃーん」

「付き合ってるようにしか見えないよね」

「結崎に彼氏が出来るとか……それもあんなぼっちが相手とか……俺もう生きていけない」


 どうやら、志乃と一緒に登校したことで、一時は薄まりかけていた疑惑が復活してしまったようだ。


 居心地の悪さを感じるこの視線に対しては、既に経験済みということもあって、大きく取り乱すようなことは無かった。


 ただ、隣の志乃がどう感じているのかまでは分からない。

 三代としてはそれが少し気になる。

 

 ちらりと横目に志乃の様子を窺うと、瞬きを繰り返している所だった。

 視線を向けられていることには気づいているけれど、それがどうしてなのか良く分かっていない、という感じというか。


「なんか……いつもより見られてる気がする。少し前にも似たようなことがあったけど、なんでだろー」


 完全に自覚がない反応である。

 この調子では、収拾がつかないほど話が変な方向に広まってから、志乃はその時になって初めて気づいて慌てるのではないだろうか。


「……取り合えず、学校ではお互い離れた方が良いかもな」


 なんやかんやと志乃とは縁が出来てしまった。

 悪い子では無いというのも知っている。

 そんな女の子が困る可能性がある――それを察していながら、知ったことではないと放置出来るほど三代の性格は悪くは無かった。


 だから、ここは事前予防をするべきだろうと、そう思っての提案だったのだが……志乃にはどうにも上手く伝わらなかったらしい。

 きょとんとされてしまった。


「離れた方が良いって、どーして?」

「……結崎には友達もいるだろ。学校ではそっちと仲良くしてろ」

「急に冷たい……」

「連絡先をくれただろ。学校以外でも話をしようと思えば出来るようになったんだ。別に無理に校内で絡む必要も無いだろ。……今夜連絡するよ」


 鼻の頭を掻きながらぼそっと言った。

 それは、実は初めての、三代が自らの意思で関係を保つと明言した言葉でもあった。


 志乃もそのことに気づいたのか、少しだけ驚いたような表情になりつつ、けれどもすぐに嬉しそうにはにかむ。


「連絡するって言ったの、ちゃんと今聞いたし覚えたからね。ウソついたら駄目だよー?」


 三代は頷いた。すると、志乃は三代の背中を軽くぽんぽんと叩いてから、小走りで駆けて行った。





 志乃は伝えたことをきちんと守ってくれて、校内では絡んで来なかった。友達の女の子たちといつも通りに話をし始めている。


 そのお陰もあってか、復活しつつあった周囲からの興味や怨嗟の視線もすぐに鎮火した。


 気がつけば、三代もいつも通りの一日を過ごせている。

 そして、そうこうしているうちに放課後になったので、そのまま帰ろう――としたところで。


「おーい、藤原! ちょっとこっち来い!」


 昇降口で白衣姿の女性教諭に呼び止められた。女性ながらに男性のような口調のこの教諭は、三代のクラスの担任だ。

 確か今年で三十路とかなんとかである中岡佳代子という人物だ。


「……なんですか?」

「ちょっと手伝って欲しいことがある」

「手伝いですか?」

「お前帰宅部だろう? 時間ありそうだなって思ってな。いいから手伝え」

「はぁ……」


 かくして。

 暇そうだからという理由で、半ば押し切られるような形で、三代は手伝いをさせられることになってしまった。





 やらされたのは書類整理だった。

 50cmは厚みがありそうなほど束になった書類を、一枚一枚分類ごとに分けていく作業を申し付けられた。


「私一人だと夕方まで掛かりそうだったからな。助かる」


 地味な作業ほど面倒なもので、確かに、一人ならそれぐらい時間は掛かる。


 まぁとにもかくにも、早めに終わらせて帰りたいのが三代の本音だ。

 淡々と書類を分けて行く。

 すると、ふいに中岡が志乃の話題を振って来た。


「……そういえば、最近お前結崎と仲が良いそうだな。実は教職員の間でも話題になっていてな。今日も世間話で触れている教諭がいた」


 どうやら、志乃とのことは教師の耳にも入っていたらしい。

 今日一日距離を取ったことで、完全に噂は鎮火したと思っていたのだが、まだまだ気づかない所でくすぶる火種もあるようだ。


「仲が良いっていうか、まぁその、席も後ろ前ですし。……それより早くこの書類整理を終わらせましょう」


 適当に濁して話題を流そうとして見る。しかし、中岡は流されることなく志乃の話題を続けた。


「そう邪険にするな。……その、なんと言うかだな、結崎が男に絡むのは珍しいなと思ってな。結崎は男を避ける傾向が強いんだ。男子生徒は勿論のこと、男性教諭も結構避けてる。……恐らく、仲良くなる前に一瞬でも女として見られると、逃げてしまうんだろうな。結崎はあまり人の目を気にしていないようには見えるが、そういう部分に限ってだけは凄く敏感なようだ。……まぁ、あれだけ可愛ければ分からなくもないが」


 語り口調から察するに、中岡は最初から志乃の話をしたかったらしい。書類整理を手伝って欲しい、というのはその為の口実のようだ。


 話の内容は、志乃の持つ男性への苦手意識。


 志乃が男性を苦手にしているのは、理由については不明ながらも三代も知っている事柄ではある。

 以前にたまたま聞いてしまった会話で耳にしている。


「とはいえ、だ。世の中には男と女の二種類しかいないのだから、社会に出たら男を避けるは通じない。……まぁ、たった一人だけでいいから心を許せる男が出来て、そいつと結婚でもすれば別ではあるが。そうすれば、他の男を避けても特に影響も無いからな」

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