06.もう一回あげるね

 こんこん、と額に硬い何かが当たり続けている。三代は呻きながら眉根を寄せて瞼を僅かに持ち上げた。


「起きろー」


 窓から差し込む陽の光に眼を細めつつ、声のした方向に顔を向ける。すると、おたまを手に持った志乃がいた。


「……額が痛い」

「起きないのが悪い」

「起きないからって額をおたまで叩くのは理不尽……っていうかこの匂いは……」


 鼻をひくつかせながら起き上がり、三代はテーブルの上を見た。

 すると、白米に焼き魚とみそ汁、それに漬物という簡素ながらにしっかりした朝食が並んでいた。


「朝ごはん作った」

「作った? 家にはマトモな料理を作れるような食材は無いハズだが……」


 目の前の光景には三代は困惑していた。

 なぜ作ってくれたのかも気になるが、それ以上に一体どうやって作ったのかが不思議であったのだ。


 三代の食事はスーパーやコンビニの弁当であることが多く、自炊はまずしない。

 念のために置いてある米と調味料以外の食材は一つも無いのだが、魚も漬物もみそ汁も一体どこから出てきたのか。


「少し早く起きちゃったから、ちょこっと外に出て食材を買って来たの。台風も過ぎてたから、朝早くからやってるスーパー開いてるかなーって思って行ってみたら開いてて」

「なるほど……。でもなんでまた」

「泊めて貰ったし少しくらいはねー」


 どうやら、これは志乃なりのお礼らしいが……三代は別にこんな事をして欲しくて泊めたのではない。

 見返りなんて求めていなかったし、考えてもいなかったのだ。


 だがしかし、そうは思っていても、出来上がってしまった料理を今更引っ込めろと言うことも出来ない。

 ここは素直にお礼として受け取る他には無さそうだ。


 ただ、いくらお礼とはいえ、お金を使わせた事実には気が引けたので三代は財布を取り出し――


「いてっ」


 ――こんこん、と再びおたまで額を叩かれた。


「なんで財布出すの? お礼だって言ったでしょー」

「いや、だけどお金掛かっただろ」

「使い切る量だけ買って来たから、そんなにお金は掛かってないよ。1000円もしてない」


「買いに行ったり作ったりの手間とか……」

「スーパーはすぐ近くにあったし、料理も凝ったものは一つも作ってなーい。ささっと出来るものばかりだし」


 こうした問答を繰り返すうちに、段々と志乃の表情が不機嫌な感じに変わって行く。

 三代は別に喧嘩がしたいわけでもないので、変に反抗することを諦め、感謝を述べることにした。


「……ありがとう」


 呟くようにそう伝えると、志乃が得意げに笑った。なんだかその表情がとても可愛くて、思わず三代は息を呑んだ。


 そういえば志乃は屈指の美少女だったなと、そのことを改めて思い知らされた気がしたのだ。


 一切の無駄なく整った輪郭に、綺麗な二重の目元。すっと通った鼻は高過ぎず低過ぎず、薄っすらと白い肌は日の光に当たると不思議な清涼感を感じさせた。


 グレーブロンドに染められたセミロングの髪も、柔らかくも凛々しい雰囲気を放っている。


 スタイルも良い。出る所は出て引っ込む所は引っ込んでもいる。


 下手なアイドルや女優ですら霞んでしまいそうな、それほどの容姿である。


「うん……? どしたの。そんなにじろじろ見て」

「いや、なんでもない……」


 可愛いかったからつい見とれて、とはさすがに恥ずかしくて言えなかった。


 昨夜に「凄く優しくて良い女」等という発言をしたが、これはあくまで内面についての言及であったから、恥ずかしさよりも伝えたいが勝ったのだ。


 面と向かって「可愛い」と言うには、まだ三代には経験値が足りない。


「っていうか、冷蔵庫に何も無さ過ぎー。普段から不摂生な食生活とかしてそう」

「自炊面倒くさい……」

「駄目男っぽい発言出てきた」





 朝食を済ませた後、三代と志乃の二人は、どうせ行く先が同じなのだからと揃って登校することになった。


「男の子と一緒に登校って何げに初めて」

「俺も女の子と一緒に学校に行くって初めてだ」


 そんな会話をしながら、所々にある水たまりを避けつつ、てくてくと進んでいく。すると、ふいに志乃が一歩先に出てくるりと振り向いた。


「そーいえば、これ」


 志乃はごそごそと鞄からメモを一つ取りだすと、三代の胸ポケットにぐいぐいと押し込んできた。


「な、なんだ……」

「藤原が起きる前に慌てて書いたから、ちょっと字が読みづらいかもだけど……連絡先書いたメモ」

「連絡先……?」

「うん。前に服返す時にもメモ入れたんだけど、もしかして無くしちゃったかなーって思って。だから、もう一回あげるね」


 言われて思い出した。

 以前にこっそり忍ばせられていたメモを、丸めて投げて捨ててしまっていたことを。


 今なら分かるが、あれは決して悪戯なんかでは無かったのだ。志乃は本当の連絡先を書いていたのだ。


 三代はバツが悪そうに口を歪ませる。すると、志乃は笑った。


「今度は無くさないでよ? 連絡、待ってるからね」

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