最終話「世界の底」

・旧神

 自称は知られず、無いのかもしれない。

 タイタン達が名づけた”秩序の尖兵””予言の隠者””無限の心臓””調伏の回虫””生命の苗床””精霊の卵巣””更新の灼熱”の七柱が確認されている。

 正体や役割などは古い彼らにも良く分かっていない。


■■■


 シャハズは更新の灼熱へと至る大きな縦穴を下る。壁面から板状の構造物が飛び出て階段状になっている。その段差は並みの人型どころか雪の女王基準のタイタンでも、森エルフの歩く巨木の脚でも届かない高さだ。足がかりになるのはそれだけ。

 下の段目掛けてシャハズは金剛石を氷で覆って押して落とす。氷が砕け、積もった灰と雪を散らし、床に傷がついてやや転がる。氷の緩衝が無ければもう少し転がりそうだ。

 次に木の精霊術にて異常成長させた麻縄を伸ばし、金の精霊術で作った柱に巻いてから垂らし、掴まって降りる。断崖降りの要領。これは帰り道にも使う。一方通行に野垂れ死ぬ気は更々無かった。

 伸ばした麻縄の強度には限界がある。段毎に金属柱を作って巻いて負荷を分散する。金属柱は船の係留柱を参考に、太く短く返しがある構造。ここの構造物、床は金属製なので金の精霊術を効かせ易い。何の金属なのかは知識不足で不明である。たぶん、何か、未知のタイタン製の合金だ。

 構造物に積もる灰と雪は乾いてさらさらとしていて高くはならない。ある程度積もる度に底へと崩れて落ちるのだ。落ちる先の無い壁際には厚く積もっている。

 金剛石を落とすべき下の段は一方向、一か所だけではない。もっと規則正しく整然と造れば良いものを無駄に不規則。風化、崩落もあるが基本からそのようになっている。未完成なのかもしれない。

 落とす先を選ぶ。次の、そのまた次の下の段に繋がる中でも落差の小さい方を選び、金剛石を氷で覆って押して落とす。

 金剛石は落とした後に滑り落ち始めることがある。そういう時は慌てず床と灰を土の精霊術で固めて滑り止めにする。床は傾斜が付いていることもあるのだ。風化や破損だけではなく、基礎設計からそのように出来ていることもある。誰がでたらめに造った? きっとタイタンの糞共だ。善人もいたかもしれないが、今生存している連中とついこの間まで生きていた奴を見るに善の基準も大変に、森エルフ基準でも怪しい。

 呪いが届かぬタイタンを呪いつつ、次に行く下の段を吟味する。そして金剛石を氷で覆って決めた段に落とす。それから行き帰りのために縄を伸ばして落とし、金属柱に巻いて負荷を分散させる。これを繰り返す。

 時に今の段と、次の下の段との落差が有り過ぎて先が見えないことがある。光の精霊術で照らせば遥か下に段が小さく見えるのだが、こうなると落下制御が難しく、金剛石の紛失が見込まれる。一気に底まで金剛石が落ちてくれればいいが、別の段に当たって落ち切らなかった時に探索するのが面倒臭い。到達困難な位置の段であれば尚更である。こういう時は戻る。麻縄で金剛石を縛り、先に上の段へ昇り、木の精霊術で麻縄自体を縮めて持ち上げるのだ。馬鹿正直に筋力ばかり使っていると疲れ果ててしまう。

 そうしてまた落とす段を吟味する。微調整程度なら金の精霊術で足場を作る。石を落とす前に先に行って偵察するのも有効だが、追っ手の存在があるので長く目を離したくない。タイタンや旧神など、わけの分からない連中に関わる石であるから、もしかしたら足が生えて歩くことも可能性としては否定し切れないのだ。

「むかつく」

 愚痴が思わず口から出る時は疲れが溜まっている証拠。迷わず、疲れを感じていなくても休む。

 エルフのパン、通称鉄板を齧り、精霊術で飲料水を作って飲み、灰を集めて土の精霊術でそこそこに固めて寝床にして毛皮を敷いて寝る。

 灰の山を崩して掻き集めている最中にタイタンの白骨死体が出土することが良くある。持ち物漁りをしてみたくなるが、衣服以外は何も持っていない。

 タイタンの死体はそこかしこに転がっている。白骨だけではなくミイラも。この穴はタイタンの巨体と比べても往来するような設計ではないのは勿論、後付けの梯子も無い。落下死風の骨が砕けた者も多いが、中には無傷のようにお祈りの姿勢の者もいた。理由など知らない。魂を管理している死のタイタンにでもお願いすれば分かるかもしれないが、世話になる気は一切無い。

 金剛石とやらを見る度に唾を吐きかける水分が勿体ないと思う。森のエルフの習慣ではないが冒険生活でそれが心の安定に役立つとシャハズは学んでいた。今度から下に落とす時は手ではなく足で押すことにした。


■■■


 エリクディスは姿、恰好を改めた。焼けた服は捨て、肉はこそぎ落して白骨化した。長年の苦労と冒険により、骨格は歪んで曲がり削れ、折れてはまた癒着した跡が幾つもあった。老骨は暴露されてすら老いていた。数は減らしたが物を噛めるだけの――磨り減っているが――歯を残しているのは密かな自慢である。

 肉を失い火に対する恐怖感も薄れた。元からあの枯れたものに意味は無かったのだ。寧ろ不衛生の源。しばらく湿気や熱気などに晒し続けた結果腐食していた。ムフシシは大分遠慮していたのかもしれない。

 服装はヒュレメが海神の蒐集品の中から魔法使い風の衣装を選んでくれた。受け取ることはともかく品出しすることを嫌がる海中の風習から考えて異常事態であるが、これから死地に赴く者へ死に装束を与えぬ程にけちではないと思い出せば安心出来た。

『抱いて良いのか?』

「仕事には報酬」

 肌は無くとも何となく寒気を感じる禁足の島、その波打ち際でヒュレメからエリクディスは我が子を預かる。くれぐれも際から陸側には出ないように。

 セイレーンは女しかおらず、男は陸から獲得する。捕まったエリクディスの子供は、若い頃の子とアプサム師救助時の高揚で一夜回春した時の子がいる。

 新しい子は髪が長くなり始め、目が開いている。これからどう成長するか分からなくするためなのかと思う程に肉はぽちゃっと厚い。言葉は、うー、と発する程度で、人間の脚ではない大きい尾の動きは強く、腕から取り落としそうでこわい。握りの動作は問題なく、父の顎骨を掴んでがくんと引いてくる。指を掴ませようと思ったが顎が良いらしい。

『他の子は?』

 セイレーンの親子関係は人間のように密接ではないのでエリクディスは名前も知らない。知り合う時期を逃せば一生見ず知らずに終わることさえある。今日はわざわざ見せに来てくれたのだから、若い頃から何十年と顔も見られなかった最初の子供の成長した姿が見られるかと期待してしまった。

「務めを果たした」

 殺そうとしたのだから殺されたのだろう。当たり前の話だ。

 我が子が神妙な顔になる。さてこれはと思ったら衣装が濡れた。エリクディスは笑いたかったが、今の身体はそのように出来ていない。音の精霊で出している声で演技するのは白々しい。死んだ癖に子供を抱けるのだからそれ以上は贅沢。

「洗う?」

『汚れたままでいい』

「あらそう」

 子供を母に返す。ヒュレメは海へ身を沈める。

「一緒に行ければいいんだけど」

 この禁足の島は、どうやら使徒にとっては波打ち際が境界線になっているらしい。海神の加護あればなんとかここまで来れたのかもしれない。加護の限界線と見て良さそうだ。

『その、あれだ。美人に育つ』

「そうね。じゃあ」

『うむ』

 ヒュレメが我が子の腕を掴んで振って見せてから海中に消えた。

 エリクディスは島の内陸を目指し、しばらく歩く。異様な、平坦で寒い風景に世界の果てを感じつつ、謎の大きい縦穴が開く場所へと到達した。

 穴は深く、また一直線ではなく曲がりくねった螺旋状のようで闇の視力でも見渡せない。音の反響で確かめようと思っても広大過ぎてエリクディスの感覚では捉えきれない。積もる灰と雪が音を吸収しているという理由もある。

 精霊術で作られた縄と柱の連なりが地上から地下へと延々と続いていることから先客、追跡相手の存在が確認できる。また定期的に響いてくる巨石を落としたような音から、水晶を落としながら進んでいると知れる。

 エリクディスはまず縄を伝って降りてみて、安全な高さから試しにと白鷹の羽を手に持って飛び降るとふわりと着地出来た。今まで使う機会が無かった白鷹の羽がここで役に立った。

 この島では神器のような実体ある道具を介さなければ奇跡が発現出来ないと分かった。ヒュレメが立ち入れないことからも推測し、神々と己との間を声で繋ぐ線は絶たれていると確信している。それでも工夫次第で繋げられるのだが不可能が可能に見えてくる。

 縦穴の壁面から突き出る謎の構造物を、相手の進む道に従って警戒しつつ、音は極力出さないように降りて行った。白鷹の羽の加護を使った飛び降りは非常に快適である。

 足跡と共に灰と雪が押し退けられ、氷の砕けた跡、床に傷がある水晶と思われる落下跡が何度も見られる。時に床が傾斜している場合は引っ掻き傷も見られる。相手は非力とまではいかないが、大層な怪力持ちではないようだ。また足の大きさから巨体ではない。精霊術を巧みに使い、怪力ではないが要領は良いらしい。

 落ちる道中には巨大人型生物の白骨、ミイラになった死体が複数見られる。このような種族は創作物語上の巨人以外に知らない。また誰かが悪戯で配置する場所でも作りでもない。興味深いが調べる余裕は無いだろう。神々がお許しになることもおそらく無いだろう。興味を自制出来ると判断されたからこそエリクディスはこの地へ赴くことを許されたのだ。

 追走は遅れに遅れたと思っていたが、案外詰め寄っていた。新しい、最近使ったような灰で固めた野営跡が途中で見られる。海を渡る時にヒュレメの助けがあったことが距離を詰める一番の要因と思われ、次点で相手が吟味して選んでいる道をただ苦労も無く追うことによるだろう。

 待ち伏せではない背中を追う方法が功を奏しているようだ。実際に追いつくまでは正解か分からない。


■■■


 金剛石の落着音が非常に鈍く、無音に近いくらいだった。底を覗けば非常に深く、光の精霊術で照らしてみれば灰と雪が一面に積もっている。その厚さは全く分からないが、石ころが開けた穴が崩れて埋まって多少の窪みになってしまう程度ではある。

 熱の精霊術でまず雪を溶かし、気の精霊術で水分を飛ばし、乾いた灰を風で巻き上げてからの上昇気流で飛ばしてから冷と水の精霊術で氷の屋根を作って、また降って積もらないようにと工夫をして掃除をする。

 そしてまた麻縄を金属柱に巻いて下ろし、下の段へ降りた。灰を風で散らし、金剛石を見つける。それから次にどちらへ行けばいいかを探る。灰は飛ばしているだけでは限りが無いので土の精霊術を使って岩のように圧縮して固めることもする。

 一番の底に到達したような気はする。次の段、穴が見えない。灰塗れの祭壇と、祈りの姿勢で固まるタイタンのミイラ二体を発見した時に確信へ変わった。それは双子の男女に見え、服は灰と雪が守ったか保存が良い上に意匠も非常に凝っていた。

 二人が祈る先は巨大な巌のような金属の塊、引いて遠くから見るならば蓋。この下に更新の灼熱とやらが居るか在るか、その気配。その穴にあの石ころを落とせばお終いになる。仕事が終わったら祝いにこの双子で焚火でもしてやろうとシャハズは考える。

 ミイラは燃料になるのだ。砂漠エルフをミイラにして焚き付けに肉を焼くのが最高だと亡き母が語っていたことが思い出される。

 腐の精霊術で蓋を錆びさせてみた。腐食の度に杖で突いてみれば徐々に崩れていく。しかし分厚すぎて時間が掛かる。どれほど掛かる? 蓋だけではなく穴に栓をするように詰まっていたらもっと掛かるだろう。腐らせて崩すより、アプサム師救助時の船団のような大装置を作って持ち上げる方が早いのかとも考えたが、資源に乏しいこの地では諦めるべきだ。

 金剛石を蓋の近くまで転がし、のんびり腐れるのを待つ。床から攻めてみるのもありかと考えたが、蓋攻めと結果に大差が無いと判断したので蓋からだけにした。ある程度腐食を進行させて削った後、水と熱の精霊術で爆発を起こして蓋を飛び上がらせてやろうと考えている。上がらなくても部分的に破損してくれれば時間短縮だ。

 腐食を待っている間に、暇潰しに双子のミイラを調べてみる。脚の腱が切除されていて、最期の時まで呪術に専念したと見られる。何が何でも封印してやる、という意志が感じられた。タイタン達にとっての旧神更新の灼熱とはそのような存在ということだ。

 雪の女王曰く、呪術は想いの力が乗る程に強くなるらしい。商神硬貨をタイタン達が世界に流通させて欲しがるのは、それに欲という強い想いが宿り、流れることによって更に不特定多数から力を集めることが出来て、結果尋常ならざる呪力を獲得するかららしい。

 蓋の腐食が進む。タイタンも恐れる旧神の封印の蓋を開け、そこにごみを投じても大丈夫なのかとシャハズは疑問に思う。かなり怪しい。目覚めて大暴れをするのではないだろうか?

 どの道タイタン達と敵対してしまっているのだから、その物騒な名前の旧神に丸ごと更新されてしまったら良いのかもしれない。具体的に何が出来るのかはさっぱり分からないが、灼熱というくらいだから世界を焼き払ってくれそうである。そうなったら特等席で見物させてくれないだろうか? そうなれば頼んでみよう。


■■■


 灰と強風が下から吹き上がった時は底の方まで転げ落ちるのではないかと思う程に翻弄された。

 白鷹の羽で降りて行った時、氷の床が出現して蓋がされた時はいよいよ決戦かと覚悟した。

 その氷の床に大量の灰と雪が強風の影響で降り積もり始める前に床の切れ目を見つけて下へと降りた。

 そこには巨大な金属の塊を本尊のように崇めている、祭壇を前にする巨大人型生物の、祈祷師と思しきミイラが二体。どのように解釈すべきかは一目で分からなかったが、まつろわぬ教えに基づくことは分かる。

「えー、もしかしてジイ?」

『シャハズか』

 老骨を動揺させる程の驚愕には至らなかった。予兆はあった。

 即壊させるに十分な精霊術を、予備動作無しに何時でも叩き込めたはずのシャハズは困った顔をしている。

「奴等の仕事、試練?」

『そうなる』

 信心浅いとはいえ、シャハズが神々を奴等と言うことは冬の魔女の影響、何らかの入れ知恵だろう。今までの認識を改めることになった何かがあった。

「ふうん。帰ったら? 相手にならないでしょ」

『何故、神々に逆らったのか理由を聞きたい』

「言うと駄目なやつ」

『その水晶、渡してくれないか? 掛け合ってみる。いや、逃亡の隙、いや……』

「はいはい」

 エリクディスは裁きの雷の杖をシャハズに向けたが、脅威とすら認識して貰えなかった。それでどうする? という態度すら見せない。身構えもしなければ目線を鋭くもしない。かの大成したエルフの前では老骨など、先に抱いた赤子程の手応えも無いだろう。

 正直に言ってエリクディスはシャハズと戦いたくなどない。まず勝てない。次に誰が苦楽を共にした仲間と戦いたいだろうか。

 嫌ならば試練を放棄してしまうという手もあるが、自己保身を考えないにしてもまずいことがあるのだ。ヒュレメが別れ際に見せた我が子だ。あれは挨拶や応援などではなく、人質だったのだ。セイレーンは子供と親の縁が薄い。しかし人間があれを見て縁が薄いと思うわけがなく、可愛いと思わないわけがない。自己犠牲心が刺激された。

 試練を放棄すればおそらく見せしめに、後の世の誰かへの教訓のためにヒュレメも子も確実に呪われるだろう。どの程度、どのくらいの期間、死にたくても死ねない苦しみを味わうのか知れたものではないが、後に続く者を断つ程度になる。それは陰でひっそりとではなく、晒し者として。

 仮にシャハズとの戦いに勝てれば、今度はあちらが可能な限りに、見せしめに呪われるだろう。望んで神に逆らったとは考えにくいが、もうどうしようもない段階にある。

 せめて己の手で引導を渡すべきだとエリクディスは思う。そんな実力は無いが。

 様々に考えてみるが、勝負を挑み、全力を尽くせば良いという結論に至る。まずエリクディスが勝てる見込みはなく、打ち負かされるだろう。そうすればヒュレメと我が子は呪われず、シャハズは逃げおおせる……かもしれない。負けた時にヒュレメと我が子が呪われないという保証は何も無いのだ。しかし試練を放棄するよりは良い。つまり、工夫の余地など無い。

 勝利は絶望的。戦いとなるだけの形が取れれば御の字というところ。一応の弟子に殺されるのであれば本望ではないかと思えるだけ幸福だ。世にはもっと悲惨で救われぬ最期を迎える者達がいる。

『裁場と刑場、正義を司る法神よ。審判を』

 裁きの雷の杖、全く反応しないが火の精霊術にて雷の薬への点火を、そして同時に冷やして乾かす複合の精霊術を放ったのだが完全に無効化された。奇跡を発現する言動を囮に出来ないかと試みたが全く無駄であった。しかも負担の軽い曲げる対抗術ですらなく、負担の強い精霊術の無効化によって防がれてしまった。今のシャハズにはその程度のことは手間ですらないのだろう。ヴァンピールの城で精霊憑きになりかけていた頃とは大違いである。つくづく天才。もっと信心について学ばせれば良かったと悔やまれる。

 昔のある日、シャハズは奇跡について興味を示していた。それを学ぶには早かろうとエリクディスは後回しにしてしまっていた。その分精霊術の習得に集中出来たとも言えるが、結果はこの失敗に繋がってしまった気がする。チッカを送ると別れたあの日から何があったかは分からない。

「もう少し頑張りましょう」

 精霊術の評価をされてしまった。力に嫉妬する程に若く瑞々しくないエリクディスにはもう一つ手立てがあった。骨の杖に持ち替える。

『冥府と地獄、魂を司る死神よ。かの巨躯の者達を立ち上がらせたまえ』

「お?」

 シャハズが初めて戦うために弓を手にする。そして近くの巨大人型生物の二体やこの竪穴中にあった無数の死体が動き出すことは無かった。死神の管理の外だったのか、敢えて無視したのかエリクディスには知りようもない。

「なーんだ」

 シャハズが巨大人型生物の二体を見て、戦いに挑むような姿勢を見せたが息を吐いてそれを崩した。

 エリクディスにはこれが最後の隙のような、それに近いものと見た。骨の杖を大上段に持って、棍棒にして打ちかかったのだ。全くの素人の動きというわけではない。達人には適わずとも、自己防衛程度に棒術を心得ている。

「ちょっと、ジイ?」

 シャハズは更に困惑顔に、振り下ろされる骨の杖を避ける。大袈裟に動く必要すらなく、少し工夫した足捌きで当たりもしない。何とか滅多打ちに持ち込めれば流石に殺せるだろうが、技量差は圧倒的。かすりもしない

「どうしよっか……」

 シャハズは火の精霊術でエリクディスの全身を炙って衣装を灰にしてみたが、最期の攻撃とばかりに一心不乱に杖を振る老骨の魔法使いは怯まない。脅し程度の弱火だから当然。

「……いっ!?」

 シャハズが弓にて、完全に侮って骨の杖の一撃を防いだのだが、曲がった。蛇腹に割れた骨の杖がその先にある腕へ曲がって噛みつき、無数の肋骨を食いこませた。

 骨の杖が骨の蛇と化した。意味が分からない。

 エリクディスも、再度打ちかかろうと知らずに振り上げた時にシャハズの腕がくっついて持ち上がった姿を見て動揺してしまった。二人の意志と関係が無かった。

「捕まえたぞ愚かなエルフめ!」

 男の怒声を上げたのは骨の蛇であった。更に言うならば、その分身を通して言葉を発しているのは死神である。

「呪われろ」

 シャハズの腕が、そこから皮膚に斑模様が広がるように、肉が干からびるように塵となって崩れ始めた。骨に靭帯が張り付くだけの呪い人の姿へと転じ始める。まだ無事な片方の手で骨の蛇を掴むも全く微動だにしない。得意の精霊術が発動すれば腕か蛇かどちらかの切断も出来るのではと思われたが発動しない。無理をして精霊に言うことを聞かせようとする素人のように鼻から血が流れ、液体ではなく塵になって落ちている。精霊は達人であろうとも真っ当ではない者と対話などしない。

『こんな心算では……』

 死神を前に、試練を否定するような言葉を発するエリクディスを、責めるでもない視線で見ていたシャハズの顔が崩れて髪の毛がまとめてずり落ちた。肉の崩壊は全身に回り、腰から力が抜けた白骨の呪い人は倒れ込む。

「地獄で世の終わりを待つがいい」

 骨の蛇は己の身体より大きな白骨の呪い人を、広げた大きな顎で飲み込む。そして床でも穴でもない地獄を繋がる隙間へと潜り込んで消えてしまった。

 可愛いシャハズが呪われるどころか地獄へと堕とされてしまった。

 いっそ心が折れたら楽だった。しかし長い経験が、神々と争えばそんなものだろうとも言っている。

 大声でも上げたかったが所詮、今出せる声というのは音の精霊を介した紛い物である。泣いたり怒ったりしてみたい、そんな演技をするべきだと思うのは生前の習慣か何かで、今の白骨の身には空しい。

 エリクディスは座り込んではみた。悔しさを表現するように床を拳で叩いてみたがこれには意味が無いと力も入らない。悲嘆に暮れるなら足腰も立たぬだろうと試せば軽やかに腰が浮いて立ち上がれた。

 目の前に水晶と、シャハズが遺した足跡がある。試練はまだ続いているが、このまま続けて良いのか疑問になる。

 死んでいるのにまだ骨になって動いている。まだ人間のような感情があると思ったが、どうも中途半端に残って流れもしなければ膨張さえしない。頭痛や胸の苦しみなど内臓も血管も無いのだから有りはしない。肉体の苦痛から解き放たれた身体には悲劇など大した痛痒にもならないということなのか。

 身体が苦しい振りをするために裁きの雷の杖を手に身を支えてみたが、別に重くもなんともない。

 考え方を改めてみた。今この目の前に神がいたとして、どうしたい?

 届かずとも一撃をお見舞いしてやりたい。鉛弾が食い込み、頭をぶん殴って少しでも痛いとほざいたら多少は気分が良くなる気がした。悲しみがあるかは分からないが、怒りは確実だ。

 何故怒りなのだろうか? 神罪を、騙されたとはいえ犯したのはシャハズである。だが、である。だがその先には無数の言葉が繋がる。少しばかり人並みの親切心を発揮すれば全て何事も無い結末に導けたのは間違いがないのだ。

(あなたの労苦に報い、その苦しい記憶を消してあげましょう)

 知神より預言がされた。何故かと思ったが、裁きの雷の杖は知神と縁ある神器と化していたことが思い出される。知らぬ内にどれだけ誘導されていたかも分からない。

『この糞野郎共が』

(ははは……エリクディスよ、聞こえていますか)

『……う? はっ、これは、はい。聞こえております』

(水晶を運ぶ時は白鷹の羽を使いなさい。近くのミイラの衣服を使って共に包めば非常に軽く持ち運べます)

『なるほど、ありがとうございます。しかし、対価の知識を用意しておりませんが……』

(今日は特別です)

『それはそれは、ありがとうございます』

 それにしてもここは不思議な場所だ。あの巨大な人型生物は何だろう? とエリクディスは興味が湧いてしまう。しかし、それを探ることは神々の怒りを買うことに繋がりそうだ。怖ろしい、畏れるべきだ。

 今は恙なく、地上に帰ることだけを考えるべきだ。ガイセルの暴力帝国の面倒を見なければならないし、ヤハルに面倒を見て貰いたいのだ。

 半神英雄の帰還まで後もう一仕事。


■■■


第一部『魔法使いのジジイのダンジョン攻略』終了

第二部『英雄とドラゴンとタイタン殺し』に続く

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