第12話後編「果ての群島」

・半神

 陪神たる使徒と小人たる人間の子やその子孫。創造主を同じくし、互いに姿は違えど混血可能。

 後天的に身体をタイタンによって呪術強化された人間も含むが一般的ではない。

 呪術によって超人的な力を得た半神半人は必然的に活躍して英雄と語られることが多い。


■■■


 スバルドが持つ”断罪の斧”が中核の島から南の海岸へ向かう道の途中、川底から発見された。ムフシシが痕跡を追っている最中のことだ。神罪者相手ならば何物でも切り裂く神器が持ち主不在で発見されるということは、追跡相手は半神英雄ですら返り討ちに出来るということ。エリクディス一行に不安が募る。

 並みの仕事ならば放棄か、一旦引いて再交渉、援軍要請、いくらでも考える余地はある。だが今引くことは神々を背景にするならば適わず追跡は続行された。

 追う相手が海に出たことまで判明し、陸の役目を一端終えたムフシシに代わり、海の役目を負うヒュレメが追跡を先導する。

 下肢を魚に戻し、裸になって海に潜り元気を取り戻したヒュレメが、物理的には不可能でも奇跡の業で可能とする海上の痕跡を辿る。エリクディスが船頭となって操る小舟が出港した。

「何追ってるかさっぱり分からねぇ」

『ふむ、そうだろう』

 陸上最高の追跡者であるムフシシも海上ではただの水夫である。舵を取る船頭の指示に従って帆を広げたり巻いたり、櫂を漕ぐ。突発雨に見舞われればあか汲みに手を動かす。

 そして行き着いた場所は、群島の中では境界の島と呼ばれる。

 ”焚火”の領域である南の群島最東部にあるのだが、その島の東部はエンシェントドラゴン”流血”の領域最西部に当たる。境界があるということはお隣同士で、一つとなっていない理由は様々にあるが、第一に仲が良くないのだ。

 追跡者は番手を交代。ムフシシが山刀で熱帯植物を切り開いて作る道を、ヒュレメはあからさまに嫌な顔をしてエリクディスの服を掴みながら進む。

 途中でムフシシが突然走り出した。エリクディスはヒュレメを姫に抱き上げて走る。

 そして境界線近くの村へ到着。リザード達が規模に対して多数倒れている。重傷者は少数、死人が多数。傷で死んだ者はともかく、軽傷に見えるのに死んでいる者は涙に涎に大小便を垂れ流して脱力した状態。毒だ。

 医者のムフシシが重傷者を見て回り、助からない者は切り捨てに素早く止めを刺し、助かる者を分類。薬の備蓄残量から更に厳しく分けられた。

『お湯を作ろう』

「ああ」

 エリクディスは村の建物から鍋を集めて湯を作る。ヒュレメは助かると分類された者達を、精霊術の清潔な水で傷を洗う。

 湯で煮た包帯と糸での縫合など応急処置も一通り終え、村の生き残りからはヒュドラを挑発した奴がいて、奇襲を受けたとの証言が得られた。また反撃で撃退したものの殺し切っていないらしい。

 村の全滅の危機程度で動揺しないムフシシは追跡相手の痕跡を近辺で探り、その先は島の境界線を跨ぐ方角へと続くと明らかになった。追手の巻き方としては上等、厄介な部類。

 リザード達の生き残りは物を噛んで牙を刺激して口から毒を出して壺に溜めている。死んだ仲間の喉を切り、毒腺を直接取り出す。戦闘用意だ。

『ヒュドラに毒は効くのか?』

「奴等のは神経毒、こっちは出血毒。効く。まあ、見ての通りあっちのも効くんだがよ」

 首と心臓を全て殺さないと死なず、直ぐに傷を治して復活する頑丈なドラゴンの亜種ヒュドラ。如何なる生物をも殺せる猛毒の持ち主として有名。巨体の持ち主でもあり単純に強敵である。

「悪いがエリクディス、仕事抜けさせて貰うぜ」

『それは早計だ』

「あ?」

 この島で生活しているムフシシには旧友の仕事を放棄してでも解決しなければならない問題である。

 おそらく追跡すべき相手は禁足の島へ向かっていると思われるが、それが何時そこへ到着するのかは分からない。先回りからの待ち伏せは博打要素があり、肩透かしを受ける可能性がある。島であれば沿岸全てを見張る必要もあり、少人数では現実的ではない。確実に背中を追うべきとエリクディスは考えていてムフシシを外すことは考えていない。

 作戦を立てる。両立させなければならない。

 まずヒュレメは海に戻り、島の沿岸を回って相手が出港していないか確かめ、しているのならばその痕跡を追う。出港していないのなら島に閉じ込める。絶対有利が確保出来るまで戦ってはならない。

 エリクディスとムフシシはヒュドラの本格侵攻の出鼻を挫いて当面の安全を確保した後に追跡任務に復帰するとした。まつろわぬ旧友との関係を考えればこれが妥当。

 二人は村の者が殺し損ねたヒュドラを追跡する。彼らはエンシェントドラゴン”流血”の僕であり、言葉を持たぬ獣のようであるが集団意識をしっかりと持っており、争いとあらば数を揃える。はぐれの野生動物とは違うのだ

 準備を整えてからヒュドラ追いを始める。ムフシシが追跡するまでもなく血痕と巨体が押し退けた草木のへたり、折れから逃避先は判明する。

 ヒュドラはその先の沼で痛みに震えながら丸まっていた。傷口は半ば塞がっているようだが、毒の影響で本来の再生能力が発揮されていない。そして千切れかけた首の一つを無事な首の一つが食べ、傷ついた首が高くもたげられて周囲を警戒中。大きさは五つ首級でかなり大きい。三つの首が失われているがまだ脅威である。

 茂みに潜んで二人は算段をする。

『どうだ?』

「出血具合からまず助からんが、今晩は持つ程度か。まだ一暴れ出来そうだ。弓か投げ槍隊でもいなけりゃ仕掛けたくないな」

『毒液を吐くと聞いたが』

「お前さんなら大丈夫だろ。腐食はしねぇよ、たぶん。そりゃ人の肌なら被れるかもしれんが、ありゃ目潰しに使う。無ぇんだろ」

『仲間は呼んだろうか?』

「村で撃退された時に鳴いてたらしいから、呼んだな。今静かにしているのは自己保身。死ぬと分ればまた鳴いて精確な位置を伝える」

『なるほど』

「さて、というわけだが?」

『仕掛ける案を採用する』

「あいよ」

 エリクディスは闇の霧をヒュドラに飛ばし、混乱させる。闇は尾を隠しておらず、そこへムフシシが投擲した毒槍が突き立つ。痛みを感じた方角へ二つの頭が反射的に向けられて闇から突き出る。今度は毒短剣を投擲、傷ついた頭の目へ突き刺さった。

 首を痛みに振り、ヒュドラは鳴きながら逃げ出す。尾に刺さった槍と、出血毒が更に酷くする傷がその動きを鈍重なものにし、恰好の獲物に見せる。

『良し、逃がせ』

「あいよ」

『ここで待つ』

「大丈夫か?」

『理論上は問題ない』

「まあ、失敗したら逃げりゃいい」

『そういうことだ』

 沼で二人は待機する。準備は整えてある。

 そして、あの鳴き声で精確な場所を突き止めたヒュドラの仲間がやってきた。

 人の軍ではないので喚声などは上がらなかったが、沼を囲む密林の隙間から、三つ首級が数十、五つ首級が十余り、そして八つ首級の大物が一体、大樹の屋根から首を出してやってきた。ガイセル帝国軍の主力でも防御陣地を構えなければあっと言う間に蹂躙される巨体のヒュドラの群れ、横陣である。

『どんなものだ?』

「即応で出せる規模があれで精一杯だな。ちゃんと頭数は定期的に調べてるよ」

『嘘だと言っておらんわ』

「お前、文句つけるの得意だろ」

『うるさいわ』

 エリクディスは神器を両手に持って掲げた。

『聞けヒュドラよ! 神々からの指令を実行する我々を妨げるのならば、如何なる理由があろうとも神罪者であるぞ! ここで引くならば良し。妨害を試みるのならば相応の神罰が下るだろう!』

「やっぱ冗談きついぜ」

 その神器、名付けて”裁きの雷の杖”である。

 言葉の通じぬヒュドラの群勢、突進を止めぬ。その無数の目は復讐を誓っており、二人に慈悲をかける気は無い。

『裁場と刑場、正義を司る法神よ。審判を!』

 ムフシシは目を閉じて口を開き、耳に指を入れて閉じた。

 強すぎる閃光は白をそれ以外の色にも見せ、轟いた。

 ヒュドラの首は灰と焦げて散った欠片となり、尾は焼け焦げて燃えている。首が一本残ればまた失った首が生えてくる程に生命力の強い者でも尾だけでは復活出来ない。

 裁きの雷の雨が一度に神罪者達へと落ちたのだ。余波を受けた密林が湿気っているなりに白煙を吐く。

「うひょー! すげぇじゃねぇか。大魔法使いって感じだ」

『わしの力ではない。御柱様の御力で、ただ仲介しただけだ』

 法神に裁かれる相手は神罪者のみである。ヒュドラは獰猛であるが、しかし当たり前に神罪者ではない。島にて獣らしく尋常に生活をしていて、部外者に乱されただけなのだ。むしろ被害者である。しかし神理とは人理で考えると理不尽であり。言葉の通じぬ者でも神罪者へ、言葉一つで仕立ててしまえるのだ。心得ているエリクディスならばそのようにしてしまえる。

 エリクディスは雷の杖へスバルドの神器”断罪の斧”の力を移譲した。祭壇を築き、杖と斧を置いて法神に祈った。そして現れた使徒裁定者の白い女の腕が現れ、白と黒の皿の天秤を突き出した。対価を求められ、その白い皿が傾くまでエリクディスは、今や莫大な国費をある程度自由に使えるようになった立場を利用して高額硬貨を積んで動かした。”断罪の斧”の新たなる所有者として認めて頂けるように、同時にその神器に宿る御力を己の愛用の武器に移して頂けるようにと。そうして新たな神器が誕生した。

 数多い神話、逸話の中で、神性なる鍛冶の手などを経ずに神器が生み出される物がいくつか存在する。物知りはそれを思い出し、不可能ではないと確信して実行したのだ。

 また雷の杖にはエリクディスの工夫と思い入れ、それを使い作り上げた功績、知神が幾度か関わることによって帯びた神性があった。”東壁”砲撃に使われた射石砲の原型でもあり、にわかに歴史的存在としての価値も獲得していた。それはもはやただの武器ではなく、亜神器と呼ぶべき属性を得ていた。そんな偽りの人の雷を操る亜神器が、真の神の雷を呼ぶ神器の素材となるには十分であった。

「エリクディス、おめぇもう半神英雄様だな。死に戻った時点で半神だったが、名実に力も伴ったってもんだ。保障するぜ」

『うむ……そのような評価は己でするものではないが』

 半神とは己には過分であると考えていたエリクディスは自称してこなかったが、事実としては半神である。死に戻った時点で、死神と人の混血と見做せるのだ。神の子とは血の繋がりに限らない。

 そして元より、既にヒュレメとの間には子がおり、親族として海神との繋がりがあって中途半端であるが神官程度に、便宜上亜半神とも呼べなくもなかった。

「法と死の神器携えて、神々からあれやれこれやれって言われて実績を積んで、人間離れした人間なんだぞ。誰がどう見ても、そうだろ」

 依怙贔屓に評価しないムフシシが半神英雄と認めた。ならば他の者がそう認めることも英雄伝の伝播次第では難しい話ではない。

『耳が痛いような……』

 ここに半神英雄誕生である。


■■■


 珊瑚で出来た環状の島、環礁にシャハズとロクサールくんは避難していた。追手を妨害するためにヒュドラを陽動に利用した島から次の目的の島を目指していたのだが、嵐に巻き込まれてしまった。

 精霊術についてはこの世に並ぶ者がいない程に至った両名だが、小舟に揺られて何日続くかも知れない嵐の中を延々と雨風に波を制御しながら航行し続けることは、不可能とまでは言わないが消耗が酷い。追っ手が掛かっている現状では素早く前に進むことも重要であるが、追い付かれた時に対応出来る余力を残しておくことも重要なのだ。それに、行く先で偶発的に第三勢力と争うという可能性も無くはない。元気は温存するものと学んでいる。

 二人は環礁で土と木の、大地の温もりが感じられる穴倉を作って金属で周囲を補強し、見張りを交代しながら寝た。この地は標高がかなり低いので波風を凌げる段差も何も無く、自作の必要があった。

 この環礁には白い砂浜があり、流れついた種が芽吹いた草花に椰子の林があって、鳥と鼠、蟹と油虫、貝類が見られる。勿論穴倉は完全な密閉式とした。暖を取ると寄って来るのだ。

 嵐も過ぎて、しかし高波が残る微妙な時間帯。シャハズは少し魔法生物の作成練習をしてみた。十二行に属する純粋要素の尋常ならざる極限生物と、複合要素の尋常生物の双方。尋常生物はこの島の生物を実験に使ってみる。

 ジン族の一件もあり、今まで呪われる恐れがあったのでゴーレムについてはあまり考えないようにしてきたことをシャハズは後悔している。せめて機械式ゴーレムのからくりだけでも勉強する気になっていれば取れる手段は多かった。

 極限生物は創造が非常に難しい。精霊術の要素を極限に凝縮、純粋化すると一瞬産み出せるが、直ぐに均衡を崩して無に帰してしまう。魔の砂漠では散々に手古摺らせてくれたが、南の群島でも違う意味で手古摺らせてくれた。

 ロクサールくんが蛸を獲って来たので焼いて食べる。

 尋常生物だが、作り方が全く分からなくて断念した。極限生物とは方向性が違うだろうし、機械式とも違うだろう。ダンピールの城で見たあの複合獣が正解に限りなく近いと思われるが、あれの構造を研究するような機会も思い付きも無かった。アプサム師の授業では人造生物の概要は学んだが、それは手を出せば呪われるからという意味で教えて貰ったに過ぎない。実践的ではない。

 精霊術は錬金術と合わせると使い手の才能によって無限の可能性を秘めている。

 雪の女王がデーモン族を筆頭にするまつろわぬ者達を、植物も動物も環境も違い、呪術で呪われぬがしかし守られることもない別の大陸へ彼らを行かせたのは精霊術と錬金術で困難を克服できる見込みがあったからだ。そのような規模で考えるとここで魔法生物を産み出せば追っ手を決定的に妨害してやれそうな気がするが、にわか仕込みも良いところだ。目途が立たず、疲れるだけなので止めた。

 暇を潰し、休んで凪いだ穏やかな海に戻る。避難と休憩は終わり。早いこと厄介事を済ませようと礁湖へ小舟を出そうとすると風景がおかしかった。

「あれ?」

(ただの波ではないですね)

 海が音もなく盛り上がっていた。山となるように膨らんで迫る。地震のような予兆も何もなかった。つまり海神に見つかったのだ。

「飛べる?」

(速さと高さ、間に合いません)

「防御」

(はい)

 呪術除けは確かな効き目がある。であれば目となる誰かが近くに来たのだろう。そしてあれは呪術で発生した現象に違いないが――おそらく承知済みの海のタイタンがやること――発生後は物理現象に従った結果が待ち受けていると考えられる。直接呪えないのであれば間接的に仕掛けるのは常套手段であろう。

 盛り上がる海水の塊が左右の端が見えぬ程に広がって迫る。ただの水だけならまだしも、その中には海底を捲り上げた物が無数に見えている。

 海水は水の精霊術で受け流す。その圧力と過ぎ去る轟音はどんな城壁であろうとも基盤から崩すに違いない。

 勢いが死なずに横殴りの剣弾雨と化した岩石、珊瑚は氷と金属と異常成長する椰子の複合壁で防ぎ、削れる度に一歩後退して厚みを補充。

 そして足元の環礁、陸地が外側から波に削られていく。こちらも複合壁の要領で固める。幅だけではなく深さも考慮しなくては海底から離され、流される。

 タイタンの津波が過ぎ去る。轟音を立てて背後の方向へ、周辺の珊瑚礁を根こそぎにして、水位も一気に下げて去っていく。そして水位が戻るように海水が流れ込んでこれまた大波が崩れに引き起こされる。

 次は周囲から耳をつんざき、精霊術のための集中力を削って気を狂わせに来る歌声はセイレーン達の仕業。ヒュレメも中にいるとは思うが、森のエルフは一人だけでも生かせるかと検討する思考はない。

 そして海産組みの船と化した烏賊が海上から一気に姿を現し、それに乗った武装するサハギンの大軍が現れる。私掠党だ。

「防御して」

(はい)

 ロクサールくんは集中を乱す歌声には相殺の音を出す。歌は変調が続くので単純な対処では意味が無く、合わせ続ける必要がある。そして飛んでくる水弾を対抗術で捻じ曲げ、再対抗術で戻って来たものを更に捻じ曲げ続けて空中で乱舞、衝突して消えるまで続く。それらに混じって狙いは精確ではないが放物線を描いて飛んでくる珊瑚の銛は風と水弾曲げで受け流す。

 シャハズは攻撃。液化寸前まで灼熱させた金属矢を作って弓に番え、即死の一撃を放ち続ける。近場の海水は煮立ち、そして金属をも溶かす酸になるよう調整を続けて近寄らせない。

 筋力と武器で戦うサハギンは、四本腕の勇士混じりであろうと押し寄せる雑兵のごときで相手にならず。仲間の死体の山を煮立つ酸の海を渡る橋にしても突風で落ちる。

 海中でなければ本領発揮できない烏賊は良い的だ。一撃必殺の矢を急所の眉間に、やや外されて即死しない程度に打ち込まれ、我を忘れる激痛に暴れて同士討ちを始める。

 全周を包囲していた烏賊が逆に防壁となった瞬間が訪れた。私掠党の攻撃が止まり、セイレーンの援護攻撃も私掠党が邪魔で鈍る。隙である。

「飛んで退避。対抗術持続」

(はい)

 ロクサールくんが羽ばたいて空へ逃げたことを確認し、シャハズは海に手を入れる。

『海は震えろ』

 周囲一帯の海面が泡立って高く跳ね、彼方まで轟と響いた。


■■■


 爆発的に海水が土砂混じりに噴き上がり、白煙が立ち昇る。また、である。

「海の底にも火山ってあるんだぜ」

『知ってる』

「感心しとけよジジイ」

『なんだとこのジジイ』

「はぁ……お気楽」

 海の追跡から戻ったヒュレメは、エリクディスが舵を取り、ムフシシが両手で櫂を漕ぐ小舟の縁に腕を引っ掛けて流れに任せている。その顔は半笑いの、諦観の相である。海路の案内は迷いなくしてくれているので相手を見失ったわけではないだろうが、大きな失敗をした雰囲気を醸している。

 女の失敗を突っつくのは男の甲斐性ではないと、枯れたとて男のエリクディスは口に出さない。ムフシシは間に入る気はない。

「……強すぎ。私掠党全滅はいいけど、仲間も半分死んだ。笑える」

 風向きが変わり、船頭指示で帆が広げられた時にそうヒュレメが言った。

『我々で対抗出来る相手と思うか?』

「いいわよ、一緒に死んであげる」

『何と……』

 神罪者を相手に神々が引くことを許す可能性は、何度も考えたが非常に低い。撤退し、再度準備を整えれば成功するという見通しが立てばおそらくは認められるかもしれないが、時間制限がある類の試練だ。もしかしたら今のこの、背中を着実に追うというやり方には不満があるのかもしれない。別方面からも神々は手を尽くしているようなので、多正面攻撃の一翼と見做され、逆に褒められている可能性は……やはり難しい。

『分かる範囲で敵の情報を』

「まず、遠くから見ても何だかよく分からないのよね。魔法だと思う。近寄れば分かるかもしれないけど、それが全員返り討ち。それでわけが分からない内に姿を見失った。それだけ」

『遠くから見て分からないとは……変装か』

「変装というか、水鏡の奇跡で覗いたらぼやっとした影で二名。肉眼の距離は、さっき言ったけど皆殺しね。距離は安全を考えて取ってたはずだけど、その、やられた一撃の範囲がねぇ」

『うむ……何も分からないよりはいい』

 言語化が辛い魔法を使い、海洋の軍団を壊滅させる力を揮う何か。手に余る。何か、詐術か何かで水晶を騙し取るなど、力攻め以外の作戦が求められている。直接相手を見たわけでもないので現状、作戦の立てようもない。

 帆走すること日を跨ぎしばらく、ヒュレメの誘導に従い遥拝の島へと辿り着いた。ここまで南下すると密林の島々は姿を消し、土の赤い乾燥した土地になる。

 ここも大きな島だ。火の手が上がっているが火山ではなく、ドラゴン信奉のまつろわぬ人間が焼き畑農業のための野焼きをしている。

「うわ、ここ行くの?」

 空気は元から乾燥し、草原雑木林の焼き払いで更に乾いている。セイレーンではなくてもお肌の敵だ。油を塗ると良いのでエリクディスが自己保存に使っている香油を渡そうかと思い、這い蹲ってにおいを探るムフシシの追跡術を邪魔すると思い直す。

「山越え経路だな。ヒュドラはいないが、また小細工してるかもな」

『待ち伏せの気配は?』

「ああ。ここまで来れば禁足の島へ行こうとしてるのは確定だ。二人組ってんなら、一人が足止め、もう一人が水晶運びってことになってそうだ。勿論、二人掛かりで、三人以上かもしれん。分からん」

『痕跡は二人だろう?』

「二人のにおいだ。ただ先にこの島にいたなら知らん」

『そうだな』

 高い山ではないが登山となる。ヒュレメが文句を言う素振りもしないということは大分精神的に参っているということ。良い傾向ではない。

 野焼きの熱と煙と臭気に包まれて山頂に到着すれば遥拝の櫓が立っている。禁足の島へ近づかずに拝むための建物だ。ここからは空気が澄んでいれば禁足の島が見えるはずだが、今日は見えない。知らぬ者が見ればこの島は今、壊滅の危機に陥っている程に赤くなっている。

『島は、見えればどんな感じだ?』

「何というか、ただの禿げ島だな。お前さんの頭と同じだ」

『うるさい。で、遥拝とのことだが?』

「博識で唸るジジイが知らねぇなら知らねぇよ。”焚火様”がそう呼んでて、周りがそうなのかってもんだ」

『拝む者はいるのか? ドラゴン関連か?』

「見物客はいるが、お手を合わせてってのは、遊び以外でいないと思うぜ。この櫓は維持しろって方針だが、説明された記憶は無いな」

 この中で一番に神に近しいヒュレメからは何の補足も無い。知らないのか喋れないのかは分からないが、あの島には知ってはいけないことがあると分ってしまう。

『そうか……しかし、災害かどうか分からん規模だな』

「みんな好き勝手にやったら狩りも薪拾いも大変だろ。日時決めて、安全確保して、ガキ共に遊びに歩くなってやるんだ」

『うむ。しかし、南の岸の村、火事ではないか?』

「あ? 俺の目じゃそこまで見えん」

『消火活動の慌ただしさだ』

 エリクディスの闇の視力はかなり良い。今ならば遊牧民にも勝てる。

「今更そんな間抜けやる連中じゃあ……船ついでに村まで焼きやがったんじゃねぇかな。この島の木じゃ外洋出る船は作れねぇよ」

『回航させるか。ヒュレメ、手間だが頼む』

「あら、一緒に死んでくれないの?」

『海神様も手が減って大変だ。お前は死ぬな』

「あっそ」

 そうしてヒュレメと分かれ、南へ下山する。痕跡は山道を進んでいる。野焼きの中でも判別し続ける”昼討ち”ムフシシの感覚には天賦の才があろう。

「あーエリクディス、一応改めて言っておくが」

『禁足の島へは行けない、だろ。分かってる。あくまでもお前は案内役だ。あろうことか神々を信仰しているわけでもない。それに戻ってヒュドラ騒動に向かわんとな』

「悪いな。俺も一緒に死んでやりたいところだが、もう死んでやがるし、孫に弟子共がぴーぴー泣いてる」

『それは大変だ』

「あ」

『うん?』

「においが一人分止まった?」

『どのように』

「いや突ぜっ? 上だ!」

 空に影は無いが、異常な、精霊が関わった空気が下りてきていることは察知出来た。

『散れ』

 エリクディスは対抗術でその異常な空気が下りずに周囲へ行くようにした。ムフシシは一目散に踵を返して逃げた。

『裁場と刑場、正義を司る法神よ。審判を!』

 翳した”裁きの雷の杖”、全く反応しなかった。

 目標が目に見えていないのが問題か? 神罪者は明らかなのに裁かれぬ理由がそれだけ? そういう何か魔法が掛かっているのか。奇跡封じの……。

 次は炎と氷と金と石と何か液体と何やらとにかく分からないものだらけ、エリクディス如きの精霊術の実力では計り知れない複合術の雨が出来上がりつつある。敵の姿は見えない。精霊術の雨の範囲は広い。対抗術はどの程度、どれを意識すれば良いかも分からない。

 防御は無意味。上空を精霊術で闇に閉ざし、”裁きの雷の杖”を向ける。闇の視力が姿を隠していた角と翼のあるデーモンを捉えた。そして精霊術の雨が降り、構えたままわざと一つの炎に当たることで他の魔法を避けつつ点火。本来の機能を発揮して発射された鉛の弾丸はデーモンに当たらず、しかし首筋に一発当たった。逃げたはずの、相手の姿が目に見えぬはずのムフシシが戻って放った吹き矢だ。においで位置を察知したのだ。

 枯れ木のように燃えながら、一部を炭と灰に崩しながら、エリクディスは乾き冷やす複合精霊術をデーモンへ放って対抗術で捻じ曲げられて空振る。これ以上の打つ手は無い。

 デーモンが空で姿勢を少し崩してから、その筋力と翼からは考えられない矢のような急上昇で飛んで逃げ去った。矢にはリザードの出血毒とヒュドラの神経毒が配合されて塗られていて尋常の生物なら助からないはずだ。

『助けるぞ』

 エリクディスは燃えて骨の部分が多く見える身体で野焼きの草原に入り、吹き矢筒を手に複数の精霊術を被弾して倒れ、更に焼かれていたムフシシを火の気の無いところまで引きずる。

『農地と産室、豊饒を司る豊神よ……』

 常に冷静と思っていた思考が駄目になっていた。生贄が無い。

 焼けた周囲から、野生動物達は遥か遠くの安全圏へ逃げ去った後であることは言うまでもない。唱え始めてから気づくとは思考まで死んだかのようだ。枯れたとはいえ燃やされた影響か。

 豊神は生贄無しでは生命に関わる奇跡を発現させてはくれない。いくら高額な硬貨であろうともだ。もしかしたらエーテル貨ならば話は別かもしれないがそれは手に無い。

 ムフシシの目は半開き。閉じようとしても閉じぬ半端さだ。

 空を見ればあのデーモン、もう彼方まで飛び去っている。位置は北の方角、禁足の島ではない。役目はあちらも終えたらしい。

『お見事』


■■■


 シャハズが上陸した島は不毛の地であった。乾燥した荒野が続き、乾きに強い植物さえ生えていない。蝿の一匹、鳥の一羽くらいいても良さそうだが気配も無い。そもそも海上の波の立ち方と不釣り合いに陸上には風が吹いていない。何やら頭上の太陽の光も薄暗く、感じられるはずの熱もない。

 金剛石を積んだ小舟を木の精霊術にて変化させ、載せたままに荷車にする。それを曳いて内陸方面へ向かう。

 段々と寒くなってくる。日は陰る一方で寒風が吹く。空から降っているのは雪と灰で、余り積もらず流れていく。風は強くなる一方。

 ここは禁足の島と云われる、旧神更新の灼熱が在るか居るか、その島。約十一のタイタンが加護する大陸と、そうではないデーモン族が渡った南の加護無き大陸との中間地点にあるらしい。

 ロクサールくんには遥拝の島での足止めを頼んでおいた。そしてそこでお別れとも。

 シャハズとロクサールくんには予言が下ったのだ。旧神予言の隠者と呼ばれる何か、姿は見えぬがその冷たい手で魂を撫で、冷静なるエルフとデーモンにすら悲鳴を上げさせて告げた。

 デーモンは北へ、エルフは南へ、そうすると丁度良い。そのような言葉という言葉ではなかったが、はっきりと意味が脳裏に刻まれた。敵対する前から神々のことを、脅威ではあるがしかし軽く見ていた二人ですら肝が冷え切る思いをさせられた。

 島は平坦であった。難なく荷車を曳き、そして大穴へと到達する。道はまるで分からなかったが、勘で分かった。これも予言と呼ばれる旧神かもしれない何かが刻んだものだったかもしれない。胡散臭い雪の女王ですら良く分からないと言った旧神のことなど何も分からない。

 大穴は勿論地下へと続いているのだが、その構造は例えるなら螺旋階段のような建造物だった。建築様式に詳しいわけではないが、世界を回ってある程度シャハズは目が肥えている方であった。その目がこれを、人が造った構造ではないと判断した。建築方法が分からない、往来が考慮されていない。

 とりあえずここから荷車は役立たずの段差が続く。精霊術にて金剛石に氷を纏わせ、玉転がしに、一つずつ次の段差へと落としていくことにした。金属纏いでは落とした先で更に転がっていく可能性があるので、落下の衝撃で氷が砕けることにより止まるようにとの配慮だ。

 このダンジョン、最果てを感じさせる。


■■■


・法神

 裁場と刑場、正義を司る女神。

 裁場にて神罪の有無を決め、刑場にて神罰を執行する。

 法を司る存在として感情に任せて怒り、呪うことなどない。

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