第12話前編「果ての群島」
・英雄
才知や武勇などが優れ、凡人には為せぬ華々しい功績を挙げた人物。
物語の主人公。
■■■
大陸南沖に浮かぶまつろわぬドラゴン信奉者達の住まう群島。エンシェントドラゴン”焚火”の領域であり、神々からおもだった干渉を受けぬ土地である。
ある日その中核となる島の、河口部の国際交易――唯一の――都市近郊の浜辺に巨大な死骸が漂着した。海獣、鯨類、鮫、烏賊、動物に限らなければ商船まで漂着例は少なくない。そして今回は毛の生えた、傷だらけの鯨に近い海獣であり、腐敗は進んでおらず、皮は鋸でようやく切れる程に固く、肉は脂がくどくなくて珍しい味であった……地元住民の証言である。
群島の案内人を務めるリザード族の、医師を名乗る老人ムフシシは「俺達の顎でも噛むに疲れた。通りが悪くて焼きに”焚火”様まで呼んだぜ」と語った。この地の主であるエンシェントドラゴンは幾分気安いようだ。
『歳で歯が悪くなったな。言い訳するな』
「おめぇなんざ面どころじゃねぇだろが」
『達、じゃなくて、俺、だろが。種族に問題を転嫁するな』
「うるせえジジイ」
『なんだとジジイ』
ムフシシはエリクディスの、かつての冒険仲間の一人。昔は医師などと名乗れるような者ではなかったし、今はどう見てもいんちき祈祷師である。庇って表現すればまじない師であろうか? 大差無い。しかし今回の仕事にうってつけなので縁故頼りに雇った。
”焚火”の足跡が作りし砂を焼き溶かした硝子に殺到するリザード達を掻い潜り、歩く木乃伊を珍品扱いに触って来る輩はムフシシが山刀の峰で叩いて追い払い、その鯨に近い海獣の遺骸をエリクディス達は確かめに行った。
皮は剥がれ、肉に臓物は食われ、腱まで剥がされた後に残った骨格は何か道具の材料にならぬかと切り出されそうになっており、斧ものみも鋸もやすりも、杭当てからの大金鎚の交互打ちも通用せず原型を留めていた。死肉漁りの蟲のように集っているリザード達は悪戦苦闘に息を荒げており、賢い者が関節、軟骨から攻めているが時に知恵は単純な事実を前に無駄となる。
リザード達は頑強だ。ドラゴンの亜種の中でも人間に近く比較的脆弱だが、比較対象を間違えては実力を見誤る。素面にて狂戦士化したオークと互角程度だ。その腕力が道具を使い、歯が立たぬ。
因みにオークは戦闘能力を量る時に単位として便利だ。滅法強いが最強ではないし、誰それに挑んで勝った負けたという武勇伝に事欠かないので比較が易しい。
さてそんなリザード達の手に余り、”焚火”の噂の地上最強の火炎にも耐えたその骨の中でも、最も頑丈であろう頭骨には尋常ならざる力で傷つけられた痕が複数見られた。エリクディスは己の記憶から、痕からあの毛鯨の銛傷を想起しつつ辿り、ほぼ間違いなくスカーリーフの銛打ち跡であると確信した。
肝心の銛であるが、遺骸が漂着した時には一本も残っていなかったという。誰かが拾ったならば自慢に振り回していることは、ここの無邪気な連中ならば確実らしい。
大切開せねば除去困難であったであろう、深く突き刺さった銛が消失した。あの毛鯨に、器用な人の腕などない胸鰭持ちにそのような芸当が出来たとは思えない。また強引に頭突きなどで海底に擦って取ったことも、想像するだけで眉間に皺がよるような傷の抉り、激痛が予測され考えられない。つまり、失踪したデーモンにその奴隷達の中の、居残り組と思われる何者かがいて高度な術にて摘出したと考えるのが妥当。協力者がどうにかした。当然の推理である。
その切除理由は苦しみを取り払うという単純な同情であったわけがない。同情だけならば北の地から、どうにかして遥々海にまで森林地帯を越えて運び、ここまで大陸を半周するような遠路を泳いできた理由に繋がらない。この毛鯨は気軽に使われる馬や牛ではない。重大な目的があって最期の務めを果たしたのだ。神に仇なす存在ではあるが、力尽きるまで動き続けたこの獣に……神の僕たるエリクディスには許されないことが多い。
エリクディスにはまた――神々も時代の英雄に味を占める――試練が下されている。回収せよと命じられた物品は冬の魔女が投擲した水晶塊である。水晶の城にて狂戦士達を打ち殺したかの塊のことで、魔女の首を帝都にまでやっと苦労して運んでからとんぼ返りに城内を捜索しても見つからず、手掛かりも無かった。もっと早くに言ってくれればとは当事者が思うところで、やんごとなき事情があるのだろう。
本来ならば現代屈指の英雄と謳われ、魔女殺し、デーモン殺し、東壁破り、冒険王、死賢者、不死宰相、などなど過多な二つ名を賢く利用してガイセル帝国の暴力に偏重した統治形態を改める仕事をして、混沌から文明秩序を生み出していたはずなのだ。介護の心得ある解呪されたヤハルから御本尊の如きに扱われ、皇帝を弟子に扱い、臣民からは尊敬を集めて気分良く高めの席に座っていたはずだったのだ。それが遺骸漂着の情報が知神から預言され、帝都より今までの徒歩旅行が何だったのかと思える速度で使徒白鷹に空路で倒れた世界樹を背景に運ばれ、群島には着陸出来ぬと突然に海洋宮北端部に降ろされ、責任の所在はともかく「遅いわよね?」「ねー」と彼だけの人魚姫達に約束した記憶の無い事象を責められ、賢く用意した首飾りを贈り、海神にも忘れず捧げ、機嫌良く海難から守って貰って船旅にて現着し、旧友を探して案内を依頼し、調査を始めてここに至る。
神話の通りなら、知神であれば容易に掴めそうな全容が……エリクディスの脳内で言語化したくない課程を経た。誰かがこの島に、あの毛鯨に乗り、海にあって海神の目と手から逃れて水晶塊を運んで来たのだと線が繋がる。後は追跡あるのみ。
「しかしエリクディスよ、おめぇのとこは難儀だな」
『うるさい』
まつろわぬ友が代弁してくれた。
「ちょっと、手、離さないでよ」
語ってはくれぬが使徒としての格が上がったのか、ヒュレメは慣れぬ人の脚に下肢を奇跡に変形させた姿になっている。そして動き辛そうに人間の服まで着て躓きそうになりながら小走りに、エリクディスの枯れた身体へ寄りかかって腕を絡めた。ここは群島、海を渡るのであればセイレーンは間違いなく強力な助っ人である。六人旅の古き時代でも、時折彼女を巻き込むことがあったものだ。
「干物同士でいちゃつきやがって」
『干物は……わしだけだ』
「誰が干物よいもり野郎」
「あーあー、潮臭姫殿下、面白い足跡見つけたぜ。追うから黙ってろよ」
早速、このリザードの群れにより踏み荒らされた浜辺からムフシシは水晶塊を持ち運んでいると思しき者の痕跡を見つけ出し、姿勢を低くし、細長い舌を出し入れしながら追跡を始めた。
反撃を封じられた人魚姫は不死宰相の枯れ腕を乳房で挟みつつ締め上げたが、既に生前ではなく細かった。
■■■
”金剛石”と雪の女王はあの水晶のことを呼んだ。何者にも傷をつけること能わぬ不変の鉱物であると。
原因は不明だが唯一水晶の城より分離した一塊を、脱出から只一人居残ったデーモン族の青年が背負い鞄に入れて翼も同時に隠し、帽子とかつらで角隠しもする。
何の因果か強引にその金剛石運びの手伝いをさせられることになったシャハズは楽しくない。足場は川沿いの湿地で虫もうるさく、精霊術で払っているが気分が悪い。強い日差しも出身地から好みではない。
(先生、更新の灼熱とはあの火山でしょうか?)
「絶対違う」
火を噴く山が行く先に見えるが、あれはエンシェントドラゴン”焚火”の拝殿である。道行くリザード族に聞いた。男も無口なシャハズへ分かって聞いている。女の機嫌取りは男の仕事らしい。
(遠いですね)
「うん」
まつろわぬ基準では罪無き弟子からの、角の念話に対して言葉で返事する程度には一応、酷薄エルフと言えど血が通う。
弟子の中で最優秀に相応しい、大変良く出来るデーモン族の青年が残った。
「ロクサールくんは背中が痛くなったら遠慮せずに言うように」
(はい)
「困ったらそんな物捨てて逃げましょう」
(それは出来ません)
デーモン族には角の念話で個体識別をする暗号符丁のようなものはあれど、言葉で発する名前はない。しかしそれでは呼び辛いと彼につけられた通名は何とロクサール。森エルフの感覚では、記憶にある強者の名を授けたということで大分好意的だ。
森のエルフは弱者ならば例え我が子であろうが殺処分してしまう程に情が無いが、強者ならばその逆である。この感覚が無ければシャハズのやる気は地の底であった。民族習性を利用されたわけだ。
雪の女王は神を騙るタイタン約十一名のような理不尽さで、口では”おねがいなのです!”と言ったが、試練同等の厄介事を課してきた。ロクサールくんと共に分離した金剛石を、まつろわぬドラゴンの群島の中でも一番に南の外れ、タイタンの管理領域外にはみ出ている唯一この大陸近海の島にある、更新の灼熱の火口へ投げ入れろとのことだ。シャハズにそれを聞いてやる義理は全くないが、聞かないと死んでも続く呪術で呪ってやるとのことで否応無し。またその呪術は他のタイタンからの呪術除けにもなるとのことであった。ありがた迷惑とはこのことか。
二人は大きく重い金剛石を運んだ。雪の女王の使い魔、重傷を負った古鯨を複合精霊術にて応急治療し、何とか運河掘りに川にも繋げ、長いこと這い歩かせて海へ入れ、口の中に入って行き先を任せた。海のタイタンの領域を行くことは恐怖であったが、呪術除けを信頼する他無く、上手く作用してこの島まで到着。役目を終えた古鯨は息絶えた。
この仕事が終わったら魔の砂漠か世界樹の地下か、タイタンでも容易に手出しが出来ないところへ隠れ住むしかなさそうだ。南にあるらしい別大陸へ繋がる隧道は雪の女王が巨体となって破壊したので通行不能である。そのように仕掛けたと聞いている。
金剛石は唯一、世界秩序を守る尖兵に傷をつけられる可能性がある鉱石らしい。秩序の尖兵と呼ばれる何かは水晶の城にて眠る旧神の一つと云われ、ある一定の力を越えた存在を察知すると討ち滅ぼしに掛かるらしい。
雪の女王も、秩序の尖兵を囲っていたがそれは一方的なもので、本領を発揮して戦のタイタンの使い魔に恥じぬ強敵、戦乙女と戦って追い払いに成功したが、抹殺対象と見做され殺されてしまった。
タイタン殺しの秩序の尖兵。神々を名乗る者達の理不尽に遭わされた者達ならば思わず信仰してしまいたくなる。これを唯一滅することが可能かもしれないのがこの巨大な金剛石なのだ。そんな大層な逸物を雑に放り投げて敵を殺した形跡が見られたので、これらの話もどこまで本当か知れたものではない。筋が通れば真実となるなら苦労しない。
(街が見えて来ましたよ)
「うん」
河口部から川沿いに、泳ぐリザード族には動きやすい湿地の道、山道を登り続け、火口部に迫れば硫黄の臭気が漂ってくる。
群島におけるドラゴン信奉の一大聖地に到着した。本日も噴煙を吐き、灰が降る。そして爆音、噴火があれば道行く巡礼者達が、ありがたや、と拝んで地に伏す。
拝殿街の入り口には門こそないが、ドラゴンを模した柱が対になって立って境界線を示す。その外側、脇の方へこの場に不釣り合いな物があった。南国に似合わぬ黒塗りで重厚な造りの、雪が積もる冬の街道に轍を刻んでいそうな馬車だ。しかも外を走って来たような傷も泥跳ねも無く、艶すらある。
「待って」
(はい。どうしました?)
シャハズは説明せずにその馬車の扉を叩き「入れ」と返事があり、乗る。ひんやりとした空気を感じる。扉は独りでに閉まり、中は青暗い。
何故ここにいるのか、経緯不明なところがそれらしい人物、ダンピールの麗人ヴァシライエが綿入れの座席で長い脚を組んでいた。旧西帝国の雪が降る地域の貴人の衣装で、汗一つ掻いていない。
「蜂蜜と塩、レモンと氷入りの水だ」
ヴァシライエが差し出した飲み物入りの硝子杯をシャハズは両手で受け、落ちぬようゆっくり指先を重ね返され、引き込めば自ずと撫でられ、何時もの調子と思いつつ飲む。暑い外との差、その氷点下に迫る冷たさが若干痛い気分になる。
「汗を掻いているな」
次に冷え始めた顔の汗を刺繍の手巾で優しい手付きで拭われる。
ゆっくり飲みながらシャハズはヴァシライエと見つめ合う。それ以上会話を続ける様子は無かった。
氷をがりがりと齧って飲み込み、不作法に硝子杯を傾けて雫まで口に入れ、落ちて来た輪切りレモンを噛み、エルフの鋭敏な感覚には酸味が強すぎたので手に取る。
ヴァシライエが「また会おう」と手を差し出したので硝子杯を「ごちそうさま」と渡した。
用は済んだのだろうと察し、シャハズはまた暑く、黄に明るい外へ出た。
(何か見えました?)
「何でもない」
隙間に溜まった土から雑草と花が茂る岩の塊から飛び降りたシャハズは、手に持ったレモンをロクサールくんの口に入れた。
(酸っぱいです)
■■■
「海の怪物、勇士様の次は何だ?」
焦げ付いた玄武岩の竈のような巨大な謁見の間にて横臥するのはエンシェントドラゴン"焚火"。その黒炭の如き体からは比較して弱い火が昇り、揺らめいている。
弱く火傷する熱さの岩盤の上へ、敷物を敷いて平伏するムフシシが紹介する。
「"焚火"様。神々の使いで参りました、冒険者にして死に戻りの魔法使いエリクディスでございます」
「ご紹介に預かりましたエリクディスです」
エリクディス個人ならばともかく、試練、神々を背景にこの場に立つので敬礼はすれど平伏はしない。
「ふむ、して?」
「この地にて奇跡の業を使うことになります。ですから事前にご挨拶をと」
「殊勝であるな」
「騒ぎになるやもしれませんが、ご了承願いたい」
「今更あの者らとの間で騒ぎに、了承!?」
”焚火”が大口を開け、火の粉を散らして黒炭を赤熱。空気も地面も揺らして小心者なら腰が抜ける圧にて大笑う。敵対友好の歴史などという次元ではないだろう。
「どうにもならんわ。出来るだけ死人が出ないようにと祈ってみるか?」
古いドラゴンの冗談にエリクディスは何とも返事が出来ない。
「あぁ、困らせたようだな。良いぞ、役目を果たせ。駄目と言って聞く相手でもないからな……んー、返事は特に要らん。下がって良し」
「失礼します」
ムフシシが頭を下げたまま決して”焚火”には尾を向けぬように、敷物を掴んで下がるのに合わせてエリクディスは普通に歩いて謁見の間より去った。
暑いはずの外の空気が涼しげである。
「おいジジイ、何か香ばしくないか?」
『生きてた頃は蜥蜴を良く食ったな』
「ああ?」
『何じゃジジイ?』
蜥蜴と干物か石鹸か分からぬ年寄り二人が鼻寄せて睨み合って見苦しい。
「終わったぁ?」
『うむ、お会いして来た』
木陰にて、泥塗れに転がるリザードの子供達に向かって精霊術の水鉄砲を遊びに射撃していたヒュレメが気だるげに言う。太陽照り付ける南海の人魚姫であるが、陸で日干しされ続けることに慣れているわけではない。
彼女は具合が良好ではない。水を被ればと単純に考えるが、今の衣装だと素肌が透けるのだ。セイレーンは自然体が常であるが、一度衣を纏って人の脚になると感覚が違うらしい。
ヒュレメは海にて本領を発揮する、予定だ。エリクディスが勧誘、召喚したわけではなく海神が試練のためにと付けたこともあり、具合が悪いなら帰って良いとも言えない。試練、使命は苦しいからと止められるものではない。
『水分は摂っているか? 小まめに喉が渇く前に飲まないと駄目だぞ。あと塩も舐めるように。塩は持って来ただろう?』
「やってるぅ」
『うーむ……気温はわしではどうにもならんしな』
エリクディス如きでは冷の精霊に生物に丁度良い冷涼さを生ませ、維持することは出来ない。何事でも中庸が難しいのだ。
「下手糞」
「下手糞なのか?」
『うるさいわ』
「ごめん」
当然謝罪ではなく、交わりに分け入る断りである。
黒衣の老人が声を掛けて来た。ここに年寄りが四人も集まったのだ。
「法神より血を受けしスバルド、”歩く断頭台”などと二つ名を貰っている。冥府帰りの”死賢者”エリクディス殿とお見受けした」
『相違ありません』
「賢者で即答するんじゃねぇよ」
『うーるさいわ、今その話題じゃないだろが』
”歩く断頭台”スバルド。名前を聞いただけで己がどこかで、気付かない内に首を狙われるようなことをしたのではないかと寒気が走る名だ。記録も曖昧な数百年前より英雄譚となっている伝説的な半神英雄であり、使徒降臨の御手間を省いて神罪者へ神罰執行、首を切断して人目に付く場所を選んで晒し、神罪を犯す愚を説法して回っている。切断回数もさることながら、その対象が時の権力者や半神英雄から、物心付いているかも怪しい幼子に呆けた老人にまで及んでいるところが人理に不可解、神理の通りで怖ろしい。
「よろしいか」
『これは失敬。どうぞ』
「神罪者がこの地を訪れたと預言を受けて参った。そちら、何か情報は無いだろうか? 生憎こちらは預言以上の話を聞いていない。協力を願う」
首切り英雄は畏怖堂々に有無を言わさぬ。法神の御威光も幻視出来る。
『我が友、この地の案内人として雇いましたムフシシが怪し気な痕跡を毛の鯨の漂着場所より追跡しております。先は、ムフシシ』
「俺? あー、えー、とりあえず今も足跡が見えてる。臭いの味も濃くなってきた。南行きだ。あーそれから、この辺の奴等に聞いても変わった連中が通ったって噂が無ぇ。何か魔法使ってるか何かしてるんじゃねぇかな」
「なるほど。しかし痕跡を消さないとはいささか間抜けである。所見を聞きたい」
「俺じゃなきゃ見逃す程度ってのは納得出来るかい?」
「近代最高の暗殺者と名高い”昼討ち”ムフシシ殿の言葉ならば信じよう」
名高き暗殺者”昼討ち”ムフシシは、巷の噂になるよう大々的に宣伝した後に標的を、人目に付く場所で殺す型の暗殺を生業としていた。関係者がその死を隠さぬように見せつけるため、首の切断から腸の引きずり出しなどを劇場的に行った。純粋な殺害行為に留まらなかったため大立回りの才を求められた。標的が逃げればどこまでも追跡し、時には生かしたまま街の中心地へ連れて行って公開処刑することさえあった。その困難を遂げる力と政治的効果から需要があった。
「痕跡の行く先をお教え願う」
「道なりだ。道通り行けば海に出て、村がある。そこから渡し船が出てる。たぶんそこから禁足の島に向かってるんだろうな。神罰から逃げるってんなら、あそこじゃないか」
「あい分った」
そしてスバルドは足早に去った。
緩慢に立ち上がったヒュレメがエリクディスの腕に縋り付く。死したとは言え老人を歩行器のように使う。
「ほんとあっちの眷族って愛想悪いのしかいないわよね」
『愛想で仕事しとらんだろ』
無法の象徴でもある海賊の守護者という属性を持つ海神は法神と相性が悪い。割と不敬の敷居が低いヒュレメは陰口を言うし、半神とはいえ使徒セイレーン相手には格下のスバルドは無視した。間に入る者はいない。
■■■
(背後に追跡者)
角が動きの怪しい何者かを念響にて捉える。
(肯定)
簡単な念話ならばシャハズでも出来る。生来持っての感覚が無ければ困難極まるのに、である。エリクディスはそれを知ったらまた、天才、と感動していたかもしれない。
戦闘開始の心構えをした二人は特に歩調を早めるでもなく、島の南岸へと向かう道を下りる。リザード族に行き易い川と湿地の道だ。船でも木の精霊術で作って流れに任せても良い頃合いかと地形を見て思っていたのだが、中断された。
「そこの二人、待て」
厳めしい男の声である。振り返れば黒衣の老人、手には牛の首でも落とせそうな灰色の片刃斧で、刃は鈍く見える。リザード族が主に住まうこの島で人間の外観の者が、気候に合わぬ出で立ちにて、身に覚えがある二人に声を掛けるのであれば疑うところはない。
「歩きながらでも喋れる」
シャハズは立ち止まらず相手の調子を崩すことにした。不意打ちはせず堂々と名乗りを上げる気質が声で知れた。
「我が名は法神より血を受けしスバルド。神罪有るや無しか、有るならば深さを量刑する。止まれ。さもなくばどちらかに関わらず裁きの雷が下るぞ」
(先へ)
シャハズだけ立ち止まり、振り返ってスバルドに自然体で詰め寄る。
「何?」
何も知らぬ少女のような顔をして首を傾げたが、冷厳なスバルドは眉一つ動かさない。
「裁場と刑場、正義を司る法神よ。審判を」
スバルドが片刃斧を掲げれば天より雷が降り、その灰の丸い刃が黒く染まり鋭角となった。信心深くなくとも、呪術の脅威を知る者であれば怯え、並みの感覚を持つならば無知でも竦むに十分な閃光と轟音。そして「死刑!」と叫ぶ執行人。
目を瞑ったシャハズは「いやっ」と手を振り上げ、怯えた者のように素手で刃を防ごうとし、不可視の何かで滑って外し、抜き払った何かでスバルドの喉に食いこませると同時にそれを液状に血管へ流し込み、脳を異物詰めにして即死させた。容量を越えた頭の七穴から血に脳漿、液体金属が漏れ出る。
術が解けて可視となったのは半ばまで切断された仕込み杖の鞘であった。斧はこれを滑らせ、攻撃動作と等しい抜刀動作を助けてしまった。
森のエルフは利用価値の無い死体に思い入れをする風習も無く、仕込み短剣の常温で融けたミスリルを回収して成型し直しつつ、手早く精霊術にて死体を焼却、土に混ぜて攪拌、川に流して証拠隠滅を図った。転がしておいても悪さをしそうな灰色の斧は泥の川底へ手を触れずに埋めた。
十二行の精霊術を操るシャハズ先生には脅しの光も音も通用しない。乙女の根菜演技もたぶん光った。
シャハズは小走りにロクサールくんに追い付く。師匠を信頼する弟子は真っすぐ進んでいた。
(どうでした?)
「法神の、手先? スバルドって名前」
(”歩く断頭台”スバルドは法のタイタンに強化された所謂半神英雄ですね。英雄号のある者の中では指折りの実力者のはずですよ)
「ふうん、あれで?」
即死させるに十分な精霊術を、予備動作無しに何時でも叩き込めた。口が開く前に殺さなかったのは人生の師匠エリクディスの教えである。殺生は必要最低限で、無用な恨みを買うことはないとのことだ。それを実力差から試してみたが、相手が悪かったか、機会の窺い方が悪かったかもしれないがしっくり来なかった。”法神より……”との言葉を聞いた時に明確な敵対判定を行い、即死させるのが大体、現状に鑑みて中庸だったろうか? とにかく慣れぬ感覚。
(一応大金星ですよ)
「そうだね」
雪の女王曰く”世間で色々と属性について逸話がある半神と呼ばれる者は、呪術によって只ならぬ力を揮いますが、しかし只の小人。力を与える程度にお気に入りですから手入れはされていますが”とのこと。道中、割と不自由なタイタン達やその使い魔の代わりに、自由に動ける半神英雄が追跡者として放たれることは予測の範疇であり、説明を受けていた。
今二人には呪術除けがされている。つまり、半神英雄など只人同然なのだ。ただし、只人ならぬ力によって尋常ではない経験を積んで来ている可能性は大なので侮ることは出来ない。
タイタン達は自分たちの弱さを隠す。それは使い魔にもお気に入りの小人たる人間にも隠され、呪術除けという彼らの秩序にあってはいけない魔法のことは伏せられていると雪の女王は確信していた。その隙を突けと、そのような助言を受けていた。
対スバルド戦、呪術除けが役に立ったかは確かめる術はない。
木の精霊術で傷跡無く直した仕込み杖の鞘を眺めるに、万物を切り裂ける神器の斧をただの斧に貶めたような感じがする。しかしそれは確かめようがない。雷かそれに類似した閃光轟音で相手を驚かせる小細工の後、隙を見て斧の一撃を入れるという手堅い方法によって勝利を繋いできた論理には説得力がある。雷光雷轟に感覚を奪われない方がおかしいのだ。
「ロクサールくん、その石ころ重くない?」
(肩が気になって来ました。休みましょう)
「うん」
シャハズは湿地に潜んでいたリザードとは別の大蜥蜴を高熱で煮て料理狩猟を一動作で終わらせた。
「出来た」
(はい)
共に蒸された草の青臭さが広がる。
■■■
・リザード
二足歩行の大蜥蜴の姿で頑丈な鱗と爪を持ち、牙に毒すらある。舌でにおいを鋭敏に感じられる。
高い気温を好むが変温動物ではない。家畜も飼わず畑も耕さず、狩猟採集生活を送る。
ドラゴンの亜種に分類され、生ける本尊、共同体の長であるドラゴンを信奉する。
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