鼻鳴トンネル

吉城カイト

鼻鳴きトンネル

 今から語るのは昭和にあった噂の一つ。その時代といやぁ、コックリさんだの、口裂け女だの、トイレの花子さんだの、そういった怪談の定番みたいな伝承がまだあった時代だ。

 でもこれはそういった類のもんじゃあない。

 その存在はいつからあったのかわからないし、どうやって広まったのかもわからない。

 今の石川県と富山県の県境くらいに「鼻鳴トンネル」ってのがあるそうだ。鼻をすするような音が聞こえるからそう名付けられたんだと。

 昔の学生たちにとって、トンネルや廃旅館というものは絶好の心霊スポットだった。

 鼻鳴トンネルの前後に一つの公衆電話がひっそりと建っている。誰も使っていないのか、既に廃れたものだが、なぜか撤去されることもなく、錆びついたそれらは依然として残っている。


 **


 良太郎りょうたろうはかなりの怪談好きだった。トンネルや廃旅館が大好きな彼は、大学生になってようやく自分の車を手に入れ、あちこちの有名なスポットを巡っていた。無論、友人を何人か引き連れて運転する。運転席には良太郎が、助手席に彼女の美奈みなが座り、後部座席には大学の同期である翔太しょうた佳苗かなえがいたのが常だった。

 いつものように、日付が変わるくらいの時間帯に車を走らせた。今回行くのは「鼻鳴トンネル」。

 昼間は普通に車も走っているが、夜中になるとぱったり人気はなくなる。規制されているわけでもないが、地元の人は誰も近寄らないという。ひっそりとそこに存在しているだけだ。

 地元の人にソレを聞くと、皆そろって黙る。

 トンネル自体は不気味ではあるが、そういった噂はあまりないと良太郎は直観した。安全に肝試しができそうだと、ワクワクしながらアクセルを踏み込んだ。

 静かな空間に彼らの排気音が響き渡る。


「これが公衆電話だよな?」


 車から降りた良太郎は小走りでソレに近寄った。右手にはしっかりとビデオカメラが握られている。落とすまいと、腕には紐も通されていた。


「へー結構年期はいってるな……」

「あまり丈夫じゃなさそうだ」


 翔太もそれに続いた。こんこんとガラスを叩いて見せる。女子二人の方は恐怖が勝っているのか、翔太の肩越しに覗くだけだった。


「ねぇ、もう帰ろうよぉ……」

「もうやばいって!」


 山中だというのに、鳥の鳴き声すらしない。静まり返った中で、彼らの声だけが耳に入る。時折涼しげな風が吹くだけで、それがトンネルの不気味さを助長させていた。


「何言ってんだよ。抜けた先にもう一個あるだろ。それを確認しないとな」


 これまで幾度となく経験してきた良太郎は、彼女らの不安を微塵も感じていないのか、むしろ息巻いてビデオカメラを覗き込んだ。

 しかし何も映らない。彼は嘆息してカメラのサイドを閉じた。期待が裏切られたようながっかり感。噂がないと言っても、どこかそういう類が存在するんじゃないかと考えてしまうのだ。

 全員が乗り込んだのを確認して出発する。ビデオカメラを右手から外し、ダッシュボードの上に置いた。

 用があるのはトンネルの前後だけだ。中に興味がない。そう思った良太郎は少しアクセルを強めに踏む。その時だった。


「ねぇ、なんか聞こえない?」

「はぁ?」


 助手席に座っていた美奈が震えた声で同意を求める。耳を必死に済ましてみるも、ソレがなんなのかわからなかった。

 ただずっとカッカッカッという音が車に聞こえるだけだった。後ろにいた彼らも数秒じっと待って聞こえたらしい。口をわなわなとさせて訴えるも、どうやら運転していた良太郎にだけ聞こえなかったようだ。

 カッカッカッ。


「おいおい、騙そうったってそうはいかんぞ」


 カッカッカッ。

 カッカッカッカッカッ。

 三人が自分に嘘をついていると疑わず、逆に良太郎は笑って見せる。だが、それも美奈には通じなかった。今度は良太郎の方に指をさして震え出す。声は出なかった。ただただじっとその方向に見続けていた。

 顔面は蒼白し、あんぐりと口を開けていた。

 良太郎は思わず、その方向を見てしまった。

 カッカッカッカ――。


「……」


 絶句。

 それもそうだ。

 窓に顔面の半分くらいに大きく口を開けた顔が張り付いていた。トンネル中とはいえ、見開いた二つの目も口も漆黒に包まれていた。

 その暗闇は全てを吸い込むかといわんばかりに、光がなかった。

 カッカッカッ――‼

 その口が微かに動くたびにそんな音が聞こえた。

 次の瞬間。

 良太郎は絶叫した。

 耐性はあったとはいえ、本物を見るのは初めてだった。思わずハンドルを左に切った。

 スピードを上げたうえで、急ハンドル。車体はかなりの勢いで揺れ動く。タイヤがこすれる嫌な音が鳴り、車体が傾き始める。その衝撃で混乱が解けたのだろう。まさにトンネルの側面にぶつかるギリギリで良太郎はハンドルを切りなおした。だが、ハンドルが重く車体をまっすぐにすることはできなかった。

 ゴトゴトとした音と共に、ステアリングがぶるぶると揺れ始める。

 荒い呼吸を繰り返しながら、彼らはなんとかトンネルを抜けた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「い、いまの……」

「う、うそでしょ? ねえ、嘘って言ってよ!」

「うるせえよ! 腕掴むな!」


 良太郎は自分のことで精一杯なせいで、ハンドルを握りしめた自分に掴まってきた美奈の手を怒りに任せて振り払った。

 車はゆっくりと停止した。

 混乱している彼らは休息をとった。そっと視線を送って確認すると、もう窓にはアレはなかった。

 あの不気味な音も聞こえなかった。


「もう、帰ろうよ」

「そうしようぜ、良太郎。さすがに……」

「やばいよ、ねぇ」

「……」


 三人の帰宅の催促を受けて、良太郎はさすがに押し黙った。このままここに居続けるわけにはいかない。だが好奇心も疼く。

 さっきのは一体なんだったのか。いつから車にいたのか。気になって仕方ない。

 だがあの顔を見て、良太郎は叫んだ。怖かった。アレがもうこの世に存在するものとは到底思えなかった。

 だからこそ車を走らせて逃げたのだ。


「ああ、帰ろう……」


 ここに来た時とは正反対なテンションだ。沈み切った車内は、沈黙が貫かれた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃに顔を歪めたものが鼻をすすった。

 サイドミラーには公衆電話が映っていた。良太郎は横目で確認したが、すぐに顔を正面へと向けた。忘れようと、ぎゅっと目をつぶる。

 ただビデオカメラがじっと律儀に録画し続けていた。

 きぃ、と公衆電話の扉が開かれた。じっと彼らを見つめているソレが映る。

 カッカッカッ。

 顔面一杯に開かれた口からそんな音が鳴る。真っ黒な影はすっと消えた。良太郎がアクセルを踏み込んでもタイヤは回らなかった。





 ※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。「鼻鳴トンネル」に行かれた際に不祥事が起きても、当方は一切の責任を負いかねます。

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