第3話

 方眼紙というものがある。一センチごとに緑色の線が引かれている、工作用の厚紙だ。文具店で一枚三十円。これを使って彼はキャラクターを作り始めた。

 遠野君の偉いところは、アイディアにあふれていて、それを出し惜しみせず、みんなが楽しめるようなものを常に作り出すところだ。しかも他の人のアイディアを柔軟に取り入れた。その過程も楽しいし、どんどん世界が広がっていく。彼はまずはじめに、二センチ×二センチの立方体を基本形として提示した。サイコロのような形で、これがキャラクターの胴体になる。前面に顔を描き、それに手足をつければ小さなロボットのように見える。これなら誰でも作れるし、いろんなアイディアで拡張していける。


 第一作目がまず魅力的だった。シンプルなのに洗練されている。手足はごく簡単に作られているけれど、かっこいい。片手に剣をもっている。そしてひょうきんなキャラクターの顔。おしゃれな帽子。すべて遠野君が方眼紙だけで作った。それを見たらみんなが欲しがった。すぐに値がついたけれど、彼はそれを売らなかった。売るために作ったのではないと言う。職人だ。ほんとの職人がここにいた。みんなも作れるよ、と言って遠野君は作り方を説明した。素晴らしい光景だった。いつもみそっかすポジションの遠野君が師匠になっていた。誰もそれを疑わなかった。彼の説明がまたやさしくて分かりやすい。たぶん家で幼い兄弟たちと、こうやって遊んでいるのだろう。


 クラスで方眼紙キャラクターのブームが起きた。いまどきの子供がこんな稚拙なといったら悪いけれど、単純な遊びに熱狂するのも珍しい。でもこれには理由がある。それがお札だ。作ったキャラクターが商品になる。出来栄えによって値段が変わる。苦心して作ったものを3000萬で売り出しても、人気が無ければ買い手が無い。遠野君のキャラクターは10000萬でも、飛ぶように売れた。その流れはキャップと全く同じだけれど、今回は流通しているお札とキャップの量が違うし、作家の数も格段に増えた。

 ただの絵を描くより、立体のキャラクターを作るほうが格段に面白いのだ。そして、剣や帽子のようなアクセサリーを作るのも面白かった。自由度は高かったけれど、遠野君が初めに示した基本形がみんなに受け入れられたために、他人のものと比較しやすかったし、アクセサリーを交換することもできた。

 ここで重要な出来事があった。今回、みんなが熱狂している方眼紙キャラクターは、どうみても遊び道具だった。これが先生に認定されるかどうかという問題があった。キャップの場合は、いかにもゴミで遊んでいるようだったので、何のお咎めもなかったけれど、今回はかなり手が込んでいる。ここで活躍したのも、那智君と遠野君だった。


 ブームの黎明期。ナチスの注文で遠野君は方眼紙キャラクターの一代傑作を作り上げた。那智君お気に入りのゲームの主人公三人を、方眼紙キャラクターで作るという注文だった。もちろん遠野君はそのゲームをやったことが無い。そこでナチスが設定資料などを遠野君に提供した。それに遠野君は満足せず、キャラクターが動いているところが見たいと言う。どこまで職人なんだ。しょうがないので、僕のうちにお泊りして、ゲームを一日やってもらった。真剣にテレビ画面をみつめる遠野君の顔。僕は吹き出しそうになってしまうほど真剣だった。そして日曜をはさんだ月曜日。恐ろしく素晴らしい作品が出来上がっていた。

 方眼紙だから結局、いくら手間をかけても作るのにそんなに時間はかからない。でも絶妙にキャラクターが再現されていた。スーパーのお惣菜のケースを利用して作ったと思われる透明な箱に、三人のキャラクターがポーズをとって立っていた。おまけに、ちょっとした背景と、敵まで作られている。大歓声があがった。那智君の机のまわりに男子が群がり、作品を一目見ようと押し合った。そのとき運悪く、先生がお昼休みなのに教室に戻ってきた。


 一瞬でクラスが静まり返った。誰もが「まずい」と思った。なにしろ出来がいいだけに、それはもうゴミでも文房具でもなかったからだ。工作の宿題という理由もうそ臭い。しかもナチスが支払いのために、お札を数えて、机の上に乗せたままだった。

 先生が近寄ると、群がっていた男子がささーっと後ろに引いた。とばっちりを食いたくないのだ。みんな先生のお叱りの言葉を予期した。

 先生が那智君のテーブルの上に目をやる。そして「おぅ」と驚きの声をあげた。遠野君の作品を見て、ひとりで作ったのか? と聞いている。お札をチラッと見た。そして、面白いなと言った。

 「五時間目の体育遅れんなよ!」という先生の声に、男子一同、心から誠実な「はい!」を返した。容認されたのだ。しかも恐らく先生の目に、好ましいこととして映ったようだ。このことはブームを大きく後押しした。


 遠野君の作品のおかげで、お札の流通まで先生に認められたという認識が生徒に広まった。これまでは、お札もやばいのでは? という意識がみんなにあったのだ。だからあくまでもアンダーグラウンドで流通していた。現金のやり取りは目立たないところで行われていた。それが、公然と行われるようになった。教室に新しい時代がやってきた。


 遠野君はキャラクターの作者を数人集めて、ギルドのようなものを作った。注文が遠野君に集中しすぎていて、物がお客に届くのが一週間待ちということになっていた。そこで、遠野君のおめがねにかなった作家を集めて、遠野ブランドともいえるような集団を立ち上げたのだ。これは遠野君が商売に走ったということではなくて、あくまでお客を待たせたくないということと、新しい作家に光をあてるという意味合いが込められていた。遠野君は後進を育てようとしていた。どこまで職人なんだ。

 基本的にグループには属さない木島君が、遠野君のさそいに乗ったのが象徴的だった。それだけブランドに魅力があったということだし、遠野君の本気が伝わったということだろう。木島君はかなり女子に人気がある。クールで、スポーツができて、成績もそこそこいい。なにより工作の腕前がある。その作品には遠野君とは違った良さがあって、簡単にいうと「おしゃれ」という感じだった。遠野君とは一匹狼という点を除いて、対照的な人物だったのだけれど、よい作品を作っているいう意味では非常に近い位置にいた。

 一匹狼といっても、意味合いがかなり違っていて、遠野君が「みそっかす」だとしたら、木島君は「アウトロー」だった。みんなが自然に距離をおいてしまう大人の風。作品がおしゃれなのも、そのこととは無関係では無いと思う。でもいまや木島君も遠野ブランドの一員だ。みんなは喜んで木島君に注文を出した。これは本当に喜ばしいサイクルで、今回のことで木島君はかなりクラスに溶け込めたと思う。木島君と接点を持ちたいがために、キャラクターを注文をしていると思われる者もかなりいた。純粋に作品を求めていないのが分かるのか、遠野君と木島君はそういう客を嫌ったけれど、僕が積極的に場を納めた。

 一応僕も作家として遠野ブランドに入れてもらっていたけれど、それは遠野君の友達だったからだ。それは自分でよく分かっていた。僕の作品はきれいにまとまっているけれど、華が無い。だから僕は、このブランドの運営を一番に考えようと思っていた。これはりっぱな組織だった。このクラスが、限定された社会として成熟してきている証だった。でも逆に言うと、ここが限定された社会の限界点だった。ぼくらは、やりすぎてしまったのだと思う。


 木島君の加入で、遠野ブランドはさらに人気を高めたけれど、そこには大きな落とし穴があった。外資系の参入を呼んでしまったのである。

 本当は外資じゃない。女子だ。木島君の作品を女子が欲しがるようになった。それまでは牛乳キャップの流れから言っても、女子とキャラクターの接点は無かった。だいたい、男子の遊びに女子が参加するというのが前代未聞だ。それを可能にしてしまったのが、お札ノートの存在だった。金の力は強い。そして、まるで会社のような組織を遠野ブランドは作ってしまっていたから、お札ノートを持ってきた女子をむげに断ることができなかった。組織の会計を担っていた僕も、当初どうすればいいのか分からなかった。今思えば断るべきだったのだけれど、それはできないことだった。

 すさまじいインフレが起きた。女子がどんどんお札を持ち込むので、木島君の作品を値上げせざるを得なくなった。とうぜんブランド全体でも、バランスを取るために値上げをする。貧乏な男子は遠野ブランドに手が出せなくなった。

 男子の世界ではお札ノートを利用して、いろんな産業が生まれていた。古物商(キャップ)、漫画家、銀行、そしてカジノ系。カジノ系を細分化すると、将棋屋、クイズ屋、博打と予想屋、くじびき等々。まるでお祭りの屋台のようだが、それをとりしきるヤクザ家業まで生まれた。良いヤクザと悪いヤクザがいて、しのぎを削っていた。実は遠野ブランドも一部関係していた。職人肌の遠野君には知らせなかったけれど、世の中がうまく回っていくには、こういう裏の世界が必要になるのだ。小学生なのにひどい話だ。でも自然と、そういう流れになってしまった。でもみんな楽しんでいた。それが今回のインフレで、社会がめちゃくちゃになった。


 貧富の差が激しくなった。一部の金持ちと、貧乏な大多数に分かれてしまって、お金を使って楽しむことができなくなった。しかも金持ちは後からやってきた外資系だ。外資ならぬ、女子はキャラクターや漫画に簡単に大金を払う。苦労して作った作品が、ただの札束に変わるだけで、金額と作品の評価が無関係になった。途中まではお札のインフレをなんとかコントロールしようと、那智君もお札ノートを買い増していた。けれどあまりのインフレに、ナチスがついにあきらめた。那智君がある日を境に、お札に見向きをしなくなった。そこが崩壊のポイントだった。

 女子はカジノにほとんど金を落とさなかったので、良いヤクザが悪くなったり、廃業したりした。金に詰まったヤクザが法外なみかじめ料を取ろうとして、けんかやいじめが起きた。末期的症状だった。頭がまわる人から、この社会を抜けていった。インフレの張本人である女子は特に早くて、一部の木島ファンを除いてまったく関係が無くなった。最後までお札にすがりついていた男子が地獄を見た。価値が無くなったお札を、最後に大量に手にしてしまった銀行屋の戸田君は、本気で泣いていた。戸田君は悪いヤクザと組んで、かなりあくどい商売をしていたから、なぐさめる人もいなかった。


 お金が物を作るための原動力になっていたから、それが失われてしまったのが一番残念だった。もう誰もお札の話をしなくなったころに、先生がお札の流通を禁止したけれど、遅すぎる対応だった。まるでバブル社会の勉強をしたみたいだけれど、たぶんこの一連の流れから、なにかを学んだ生徒は少ないと思う。僕も、この限定された社会を意識できたのは、事件が終わって一ヶ月ほどたった最近だ。もうクラスにお札もキャップも無い。ブームが過ぎ去るのは早い。

 ただ一人、遠野君がいまだにキャップに絵を描き、方眼紙のキャラクターを作っている。彼こそ本当の作家だ。それを那智君が楽しそうに見ている。この二人に友情が生まれたことが、今回残った唯一の財産かもしれない。そして歴史はまた繰り返すだろう。なにしろ小学生のクラスは、とても限定された社会なのだから。 

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ナチスのお札 ~小学生のミクロ経済~ ぺしみん @pessimin

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