7月9日 不審人物
その日は、雲一つない快晴だった。
真っ青、というわけではない。青だの水色だのと、絵の具の色で表現できないような色なのだ。しいて言葉にするのなら、ラムネ瓶を透かしたような透明な空模様、と言うべきか。
なんにせよ、とにかくその日は梅雨明けで、久々に拝んだ晴れ空だったのである。
その男は、突然現れた。
「お前は7日後、トラック事故に巻き込まれて死ぬ。」
これが、カウントダウンの始まりだった。
○●○
―――遡る事、おおよそ12分と少し前。
青い空。
白い雲。
まさに夏の代名詞。
私は自転車を軽やかにこいで、晴れやかな空気を堪能する。顔の横を吹き抜ける風が気持ちいい。
視界いっぱいに広がる青空なんか、高層ビルの乱立する東京なんかではなかなかお目にかかれないのではなかろうか。
私が愛してやまない茨城県つくば市は東京三十六区まで都会ではないが、それなりに過ごしやすいところだと思う。
ありんこのようにうじゃうじゃと人がひしめき、そわそわといつもどこかうずいている、あの大都会の空気に私はどうしても慣れることができない。遊びに行く分には楽しいが、そのたびに絶対住むことはできないなあと、いつも考えてしまう。でも、実際のところ東京の人口密度はダントツで高いのだから、あの空気を好む人たちが一定数、いや、かなりの数いることを示している。つまるところ、私は地方ラブを標榜するマイノリティなのである。
茨城県は住みやすい県ランキング最下位を毎年いただくという大変不名誉な看板を背負っているわけであるが、決してド田舎というほど田舎ではない。
私の住むつくばにはコンビニも一定数あるし、スーパーだって選べるくらいにはそれなりに数が揃っている。大型ショッピングモールだって駅の近くにあるし、循環バスもそれなりの本数が出ている。何より、2016年に開通したつくばエクスプレスは秋葉原までなんと片道45分でつないでくれる。なかなか郊外の街としては優秀なのではなかろうか。確かに、知名度が低いだの目立つ観光スポットがないだのマイナスポイントはあるが、それでも住みやすい街には違いないのだ。
ただし、これだけはどうしても譲れない点がある。
道路が汚い。
段差は多いし変なところで陥没していたりする。まだ免許を持たない高校生の身だと、移動手段に自転車は欠かせないのだが、月一回の自転車点検がかかせないほどである。
買い物袋が荷籠から飛び出しかけるのを必死におさえながら、私は自転車を疾走させる。
頼まれた買い物に卵が入っていなくて本当に良かった。もしも卵を荷籠に突っ込もうものなら、たぶん今頃全滅している。今回おつかいの内容はそれなりに丈夫な根菜や調味料類ばかりだったので、どんなに籠が上下しようが問題はない。
夕飯はなんだろうかと思いをはせながら曲がり角を曲がった、そのときだった。
突然、目の前に黒い影が映りこんだ。
自分の目線とほぼ同じ高さ。
人である。
(危ない!)
私は軽く手を添えていただけのハンドルを反射的にぎゅっと握りしめる。
耳障りなゴムのスリップ音がして、自転車は大きく前につんのめった。
ワンテンポ遅れて、派手な音を立てて荷籠に乗せていた買い物袋が地面に放り出される。
やってしまった。
その人物―――男は驚いたせいなのか、尻もちをついていた。その足元には買い物袋から飛び出した野菜たちが転がっている。
私は自転車を道路の隅に止め、慌てて男の下に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
ぶつかったような手ごたえはない。
だが、それでも自分をきっかけに相手を転ばせてしまったことには変わりない。
私はその人物の足元に転がっている買い物袋を拾いあげながら、手をさし伸ばす。
すると、男は私を見上げると、
「すまない。久しぶりで慣れなくてな。」
男は差し出した私の手を取らず、自分でよろよろと立ち上がる。
見た感じ目立った怪我はしていなさそうだ。
とりあえず、私はほっと胸をなでおろした。
「こちらこそすみません。病院までお送りしますから・・・」
「見つけた。」
「え?」
立ち上がった男は、目を大きく見開いて私のことを凝視していた。黒目がちな瞳には、困惑する私の姿が映っている。
そして、突然腕をかかげ、私のことを指をさす。
「お前は7日後、トラック事故に巻き込まれて死ぬ。」
・・・何言っているんだコイツ。
もしかして危ないたぐいの人間かしらと思い、二、三歩距離をとる。
「き、急に何ですか?」
「いや、まあ確かに急で悪いんだけどさー、確定事項だから許してよ。こっちもこっちで説明するのも億劫だし、何より結論から言うのが最近の流行りでしょ。だから結論から言わせてもらったってわけ。」
「はあ?」
「俺は、死神だよ。」
男の口元が三日月にゆがんだ。
「・・・・・新手の詐欺ですか?」
「詐欺じゃねえよ。正真正銘、俺は本物の死神さ。」
「ほんとかよ」と、思わず口悪く呟いた。
しかし、そう言わずにはいられない。なにせ、この男が“死神”などという、いかにも御伽噺の住人には見えなかった。
頬はげっそりとこけ、顎に無精ひげを生やしている。ぼさぼさとした硬質そうな髪は何日も風呂に入れていないことを物語っている。
死神と名乗るわりに、どうも人間臭い。売れない小説家といった方がしっくりくる。そもそも死神はこんな勤務疲れしたサラリーマンのような、くたびれた顔をしているのだろうか。
「警察を、呼びますよ。」
私は男から半歩後ずさる。右手をこっそり鞄の中に伸ばし、スマートフォンを探った。
「そしたら、証拠を見せれば信じてくれるか?」
男はそういって、通行者の前にふらりと躍り出る。
そして、通り抜けた。
「は?」
思わず声に出してしまうくらい、私は驚いていた。
ホログラムとかではない。
まして、私が寝ぼけているわけではない。
一方で、「男」は、「ほらな?」とでも言いたげな顔をしている。
「信じてくれたか?」
「あなたが人間じゃないって事だけは確実に分かったわ。」
「そりゃ良かった。」
「でも、それだけよ。」
目を見開く。
驚いた男の表情を見て、少しいい気分になった。
「人を通り抜けるだけならただの幽霊でもできるでしょ。私はまだ自分の余命が七日なことまで信じてない。」
「あー・・・思ったより面倒だな。」
男はぼりぼりと頭をかきむしる。
そして、ぐるりと周囲を見渡し始めた。
大通りに面したこの場所は、それなりに人通りもある。けれど、
「今、横断歩道をわたっている爺さんがいるだろ?」
確かに老人が歩いている。五、六十歳くらいだろうか。しかし、まだまだ足腰はしっかりしているようで腕を大きく振りながら歩いている。
「あの爺さんはあと五秒で死ぬ。」
「は?」
その瞬間である。
老人が、その場にうずくまった。
ごとりという鈍い音をたて、頭から道路に崩れ落ちる。
「嘘・・・」
音で気づいた歩行者が、わらわらと虫のように集まってきた。
どさりと、鞄が地面にずり落ちた。
でも、私はそれをすぐに拾うことができない。
「信じてくれたか?」
「・・・・・嘘でしょ。」
その男に対する私の認識は、得体のしれない男から、人外というものに変わった。
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