act.6 The burden of knowledge

6-1:……居ないよ

 選考会開始から二日目。

 新たな朝に眠い目を擦り、顔を洗い、身支度。セレーナと共に談笑をしつつ朝食を摂り、紅茶の味わいを楽しむ。


 平穏で優雅な、朝のひと時。

 しかしそれは、突如として幕を閉じる。


 ドンドンドン、と荒々しいノックの音が耳に障り、出入り口に集まる視線。花菱とセレーナの部屋を知っているのは、家政婦メイド二人かイズミ、あるいはクリストヴァルの四択である。

 藍色の瞳とアンバーの瞳が交錯し、頷き合う。ゆっくりと部屋の扉へと近づき、花菱が戸を空ければ。


「イズミ?」

「……ミス・花菱」


 そこに仁王立ちしていたのは、昨晩別行動を取り決めたイズミ。花菱の言葉に引き寄せられたセレーナが、背後にそっと近づく中。


「ミスター・カーディルナルは、時間にルーズな人なのか?」

「いや、違うけれど。何があったの?」

「簡単な話だ、集合時間を過ぎているのだが一向に来ない」

「フレッドが?」


 驚いたように見開かれる藍色の瞳に、イズミはこっくりと頷きで返す。


「集合時間は?」

「八時。俺の部屋に来るようにと」

「お部屋にまだいらっしゃるのでしょうか?」


 のほほんとしたセレーナの、お寝坊さんなのかもしれません、という言葉に、花菱は脳内で否を唱える。


「分からん。場所を知らないからな」


 過去に仕事をした中であるフレッドだが、花菱が見ている中では集合時間を破ったことは一度もない。むしろ集合時間の五分前には花菱を回収に来るような男である。生活もある程度規則正しく、毎日三食しっかり食べる健全な食生活。


(……胸が、ざわつく)

「部屋に行ってみよう」


 嫌な予感ほどあたる花菱の第六感が、気を急かす。

 窓の外では青い空が所々に雲を遊ばせている。長い廊下を速足で進む花菱を先頭に、イズミ、セレーナがその背中を追っていく。

 サーキュレーター階段を横目に、二回角を曲がる。爽やかな朝の陽射しが差し込む東側廊下を、無言ですたすたすたと進んでいく一行。


「此処だ」


 ぴたり、先導する花菱が立ち止まる、見慣れた扉。昨日何度か訪れたフレッドの部屋の前である。握り拳を作って三回。扉をノックする音が響く。


「フレッド、私だ! 寝ているのか?」


 返事はなく、部屋の中から物音もしない。ドアノブに手をかけて回そうとするが、施錠されているようでガチャガチャと金属音を立てるのみに終わる。

 もう一度、扉を叩く花菱。


「フレッド!! いるなら返事をしてくれ!!」


 強めに叩かれた扉の音と、荒げられたメゾソプラノが廊下にこだまする。

 振り返った花菱と、イズミ、セレーナの視線が交錯する。三人の瞳が同じ思いを物語っていた。

 ――これは、おかしい、と。


「私、管理鍵マスターキーがないか尋ねてきます!」


 そう告げるとすぐさま来た道を戻るように、セレーナはスカートを翻し走っていく。止める間もなく突っ走る金髪ブロンドへ、手を伸ばせどもすり抜けていく。


「俺が行く、

「頼んだ!」


 イズミが追いかけていく背中を見送り、視線を戻すは目の前の扉。蹴破ってやろうかという思いは見透かされていたらしい。


Correct.呼応せよ


 励起させる魔力、体内で熱のようなエネルギーの塊が循環することを知覚する。展開するのは、探索魔術。目を瞑り、魔力を眼球に溜め込む。


Scan for.精査せよ


 目を開ければ、藍色の瞳はほんの少し黄色みを帯びる。意識を扉の向こう側へと集中させれば、扉や壁の存在が薄れて透視するかのように部屋の様子が浮かび上がる。昨日見たままの調度品の配置、円卓テーブルに置かれた本、開けたままになっているフレッドの手荷物。

 更に視線を向けるのは寝台ベッド。フレッドが寝ているかどうかだけでも確認したい、そう意識を集中させたところで。


「エリ様!!」


 耳に届くソプラノボイス。ジャラジャラという音からして、管理鍵マスターキーを持ってくることができたらしい。

 すぐさま駆け寄ってきたセレーナが、鍵を差し込んで回せば簡単に開錠される。

 開けられる扉。部屋の中の照明はすべて切られており、廊下から差し込む光だけが部屋を照らす。


「お邪魔、いたします」


 声をかけながら部屋の中に入っていくセレーナ。花菱は出入口で立ち止まったまま、目を丸くして立ち尽くしていた。


「どうだ?」

「……居ないよ」


 すぐ真後ろから聞こえるバリトンボリスに、花菱がそう呟く。その瞬間、セレーナの手によって寝台ベッドにかけられていた毛布が引きはがされ、露になる。

 

「フレッド、様……?」


 暗闇の中、わずかに照らされた寝台ベッドの上には、誰も居なかったのだった。


「フレッド・カーディルナル様が」

「居なくなった、と」


 その後、フレッドの部屋へとクレアとクロエが呼び出され、部屋の中にて顔を突き合わせる五人。花菱とイズミが黙って思考に耽っていると、顔を見合わせた双子の家政婦メイドは口々に考えを声に出していく。


「朝起きた後、どこかに出かけたままなのでしょうか」

「それとも、夜遅くにお出かけをしたとか」

「朝食を抜かれただけ、かもしれません」

「確かに。大いに可能性はありますね」

「――ですが、イズミ様との約束をすっぽかすようなお方ではない、と思います」


 双子の会話に割って入るように、力強くそう宣言するソプラノボイス。クレアとクロエがセレーナの深刻そうな表情を窺い見る中。

 花菱は再度、ゆっくりと部屋を見渡す。脳裏に思い浮かべるのは昨日の夜、フレッドと共に最後に入った時の景色。

 並べた本、部屋に置かれた個人の荷物だろうキャリーケース。ルームシューズの位置や椅子・円卓テーブルのような調度品まで。確認するはその、位置。


「これ多分、んじゃないか」


 花菱は言葉を紡げば、面々の視線が一気に集まる。


「昨日部屋に入ったときと全く、物の配置が変わってないと思う」

「驚くほど几帳面、という話では」

「ないよ。整理整頓は見た目が綺麗であれば是、の人だったから」


 手に取った物をミリ単位で調整するような人ではないし。

 そう言いながら視界の端。寝台ベッド脇におかれた足首まで包み込むような形状のルームシューズに気が付く。出入口近くを見れば、もう一つルームシューズが置いてある。何が違うのだろうか、花菱が歩み寄ってみると。


「これ、フットウォーマーか」


 フレッドは以前冷え性だと愚痴をこぼしていたことから、寝る前や朝方に使っていたと考えるのが妥当だろう。もし今朝方使ったのならば。花菱が手を入れるのを見て、イズミが尋ねる。


「どうだ?」

「いや、……冷たい」


 保温性の高いものであれば、少しばかりは熱が残る。冷え切ったフットウォーマーが示すのは、この直近に使われていないということ。


「昨晩、夜食を食べ終わって解散したのは確か……」

「午後十時半くらいでした。食器をお預かりしたので覚えております」

「となると、午後十時半以降から今朝に至るまで」

「夜間か。――厄介だな」


 花菱とイズミが視線を合わせてから、頷き合う。

 選考会というお誂え向きの閉鎖空間を利用した、何らかの事件が引き起こされつつある。そしてこのフレッドの失踪は、まだ序章に過ぎない、と。


「クレア、クロエ。選考会を中止し、外部から調査員を派遣してもいいだろうか?」

「何かしらがこの館に潜んでる可能性がある」


 畳みかけるようにメゾソプラノとバリトンボイスが告げる中、そっくりな顔の家政婦メイド二人は、無表情の中長い睫毛をほんの少しだけ伏せて。


「……申し訳、ございません」

「それは、致しかねます」


 きっぱりと、そして深く深く頭を下げる。


「理由をお聞きしても?」

「それが、――レイラ・コルテンティア様の意向ですので」

「何があろうとも、選考会の中止は致しません。この館へと入館できるのは招待状を持つお方のみ」

「外部との連絡も、新たな人員派遣も許すことはできません」

「「申し訳、ございません」」


 頭を下げたまま、そう告げるクレアとクロエ。進行役としての、そしてレイラ・コルテンティアの意思を尊重する者として譲れない一線なのだろう。

 魔導書管理局の局員として、同僚が行方不明となっている身としては受け入れがたい宣言であるが。


「頭を上げてください」


 花菱がそう告げれば、おずおずとおもてを上げる家政婦メイド二人。薄緑色の瞳が再度映した目の前の女性の瞳は。


「では、今ここにいる人員で何としてもフレッドの行方を突き止め、取り戻します」


 その藍色の瞳は、決意に満ち溢れたものであった。


「つきましては、館内にいる参加者全員にこの件について周知を。更に、セレーナ・コルテンティア嬢について、お二人の庇護下に置くことを求めます」

「エリ様?!」


 予想外に呼ばれた名前に、セレーナが驚きの声を上げる。


「そ、それはどういう……」

「すみません、セレーナ嬢。本来ならば付きっきりで護衛をするべきなのですが」


 申し訳ございません。

 花菱はそう告げながら、斜め四十五度に上体を折って最敬礼を行う。


 本来の契約は、“レイラ・コルテンティアの遺産相続人選考会の間、信頼できる者が護衛を務めること”である。信頼できる者、という部分に当てはまるのは、ベルリッジが正式に任務遂行を依頼をした花菱とイズミ。そしてこの場に居ないフレッドの三人のみ。


「増援が求められない以上、私とイズミの二人で事件解決に動かねばなりません」

「わ、私もお手伝いを――」

「――気持ちだけ、もらっておこう」


 ソプラノボイスを被せるように、みなまで言わせずにイズミがそう告げた。


「相手がどのような者であるのかわからない以上、帯同はさせられん」

「わかり、ました」

「……居なくなったのは同じ候補人である以上、セレーナ嬢自身にも身の危険が及ぶ可能性があります。クリストヴァル、ノイシュ卿についても同様です」


 花菱がじっと双子を見つめれば、しっかりとタイミングを揃わった頷きが返ってくる。


「事件解決への捜査、身柄の引き受け、そして候補人への周知ですね」

「かしこまりました。更に、単独行動を控えるように連絡を行います。特に、夜間は」

「はい。よろしくお願いいたします」


 そう告げれば、セレーナの手から返されていた管理鍵マスターキーが、クロエの手からイズミへと差し出される。


「どうぞ、お使いください」

「嗚呼。借り受ける」


 沢山の鍵が通された鉄の輪を受け取れば、擦れた金属がジャラ、と音を立てる。腰のベルトフックへと輪を通し、いつでも使えるようにしたところで。


「それでは、私達は候補者様方にお話しをして参ります」

「お二人がこの事件を解決に導かれることを」

「「心から、お祈り申し上げます」」


 そう告げると、ついて来てください、とセレーナに呼び掛けてから、部屋の出入り口のほうへと進んでいくクレアとクロエ。

 振り向くことなくずんずんと進んでいくヴィクトリアンメイドを背に、ちらり、ちらりと振り返りながらついていくセレーナであったが。


「エリ様、イズミ様」

「はい」


 返事をする花菱と、視線だけを黙って向けるイズミ。出入口で振り返ったセレーナは、心配そうにアンバーの瞳を二人へと向ける。


「どうか、――どうか、お気をつけてください」

「嗚呼。気を付ける」

「セレーナ嬢こそ、お一人で行動されぬように」


 返答を聞き届ければ、今度こそクレアとクロエに連れられて、フレッドの部屋から出ていくセレーナ。扉は開けられたまま、静寂に包まれる部屋の中。


「それじゃあ、情報の整理から始めよう」

嗚呼ああ


 花菱の、イズミの目つきが鋭いものへと変わった。

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