5-4:それだけは、確かよ
「ただいま戻った」
三階、順に回る書斎の七部屋目。花菱がこえを掛けながら中に入れば、本棚に向かって立つフレッドの姿。読んでいたらしい、書物から顔を上げるとブラウンの瞳が花菱を捉える。
「お帰りなさい。……何かあったんです?」
「まあ、ちょっとな」
後ろ手で扉を閉め、はあと溜息を吐く。その様子は明らかに、何かしらあっただろうことをフレッドに想像させた。書籍をパタリと閉じて、本棚へと戻すと。
ただじいと視線を向けて。喋りたいなら聞きますよ、と、馴染みのある瞳が花菱へと語りかける。
『――以前言ったでしょ? 情報交換してくれると嬉しいって』
真贋を見極めるように、冷え切った藍色の眼。その視線に耐えきれなかったクリストヴァルが、諦め交じりにそう続けた。
以前とは勿論、晩餐会の前での
『ああ、あの事ですか』
『貰った分の情報の対価って訳。今のは信じるも信じないも好きにして』
くいっと首を傾けながら、張り付けられた笑み。その仕草には、道化のような物悲しさが漂っていて。ただの虚言や攪乱と断定するには、まだ情報が揃っていないと花菱は脳内でリマインドする。
『お言葉、有難く頂いてきます』
『ええ。……そうして
そこで話がひと段落し、クリストヴァルは背中を花菱に向けて歩き出す。日陰に入ったアッシュグレーは暗くその色を深め、数歩で立ち止まると。
『アタシはね、【コルテンティアの遺産】を継ぎたいと思ってる。けれど』
振り向くこと無く、ハスキーな声だけを花菱に寄越した。
『この選考会は何かがオカシイの。それだけは、確かよ』
「――ちょっと、他の相続人候補に会った。それだけ」
明らかにそれだけではない表情をしていながらも、“それだけ”で通そうとする花菱。そんな不器用なところを微笑ましく思いつつ。
「その言い方となると、俺と同じくらいの背の、紫メッシュが印象的な……」
「うん、その人。ってそうか、名前知らないんだっけ」
身体的特徴で絞り込んでいくフレッドに、思い返せば昨晩の途中から来たんだったかと気が付く。話の場に居なかったならば知らないのは当然。
「クリストヴァル・ギャレラント。本人曰く、流れの魔術師だとさ」
花菱の紡がれる名前を、何度か
「ギャレラントか……、聞いたことないですね」
「
視象主義に新参者が集まるというのは、積極的に派閥へと魔術師を受け入れていることに起因する。つまり、伝統や血筋を重んじがちな自然主義や精霊主義に弾かれる流れの魔術師の受け皿になっているのだ。
「かもしれませんね。かといって断言はできませんけど」
勿論、魔導書管理局や魔術法省のような中立機関も受け皿にはなっているのであるが、どうしても入局・入省時の判定が厳しい。これらの理由から派閥に入る方が有り体に言ってしまえば楽であり、サラダボウルがごとく様々な素性のものが居るとか居ないとか。
「なあ、フレッド。この選考会をどう思う?」
ソプラノボイスが、静寂なる書斎に響く。
選考会が本格的に開始されて早半日が過ぎる。シーファとの昼食、ノイシュとの問答、そしてクリストヴァルの忠告。それぞれの後継候補者の言動もさることながら、それ以前――ベルリッジに手紙に着いて話した時についてもである。
「誰かに踊らされているような、行動を起こすように仕向けられているような、変な違和感が拭えない」
「……確かに、道理が通らない部分は多々あります」
同意するように頷いたフレッドは、片手を顎に当て、もう片手その肘を支えるような考えているポーズを見せた。
「俺自身、レイラ・コルテンティア様とは面識もなければ、生家に関わりがある訳でもないですし」
「……一方的に“羽筆の魔術師”を知っているが、知られているとは思えない」
「そうです。それに、後継者を手ずから育てるでもなく、死後に選ぶような非合理性。あとはあの、二人の
途中まで同じ予想であった中、急に予想外の人物の名がするりと出る。
「クレアと、クロエか?」
藍色の目が見開いたまま聞き返せば、頷きが返る。
「彼女たちの
「そうか、事実として仕える主を失っている状況である訳か」
「はい。でも悲しいというよりは、心配している、焦っているような?」
無表情で読みにくいので、確証はないですが。
付け足すように告げるフレッドの言葉に、思い出される双子の行動。館で初めて出会ったときから飲み物を貰いに行った時、そして晩餐会での取り仕切り。
思い浮かべれば、フレッドの言うように状態に対する行動の整合性が欠けているようである。
「フレッド」
「なんです、藪から棒に」
「確かに、
自分が気がつかなかったことにも気が付けるような、そんな観察眼を持つほどになったのだ。最初に出会ったときの、右も左も分からなかった迷子ではなく。
ブラウンの瞳はまるまるとして花菱を見つめる。小さく開いた口が笑んでいるように見えたのも束の間。
うおっほん! とわざとらしい咳払いを盛大にして見せると。
「俺を煽てても事態は解決しませんから。今はとりあえず、本を回収!!」
「え、ちょっ、背中を押すなって」
話は終わりだ、と言うように出入口の方にいた花菱を百八十度回転させ、フレッドは腕力のゴリ押しで書斎を出ようとさせる。足がもつれないように気を付けつつも踏ん張る花菱であるが、それなりにある体重は全くをもって歯止めを聞かせられず。
「この部屋には?!」
「ありませんでしたよ! 次!!」
* * * * * * * * *
窓の外。沈んだ陽の光が作り出すグラデーションも藍色に塗りつぶされた頃。
フレッドの部屋、
「よし、と」
「これで全部ですね」
西側の廊下に存在した合計十二の部屋全て。精査を終え、回収できた書籍の数は二十四冊。リストにおけるナンバリングの最後は五十六であったことから、約半分ぐらいを回収することができたと言える。
「今、何時だ?」
「ええと……午後八時四十一分、ですかね」
左手首を眺めたフレッドがそう答えると、花菱はぐぐーっと伸びを一つ。イズミとセレーナのペアがどのくらい回収できるか未知数であったこともあり、張り切って全部屋を精査したのだがさて。
「じゃ、合流するとしますか」
向かうは三階、東側の廊下。燭台の火がゆらゆらと照らす中、どこの部屋にいるのかはわからないということで、花菱とフレッドは片っ端から部屋の扉を開けていく。
「セレーナ嬢ー」
「ミスタ・カーティス、いますか?」
開けながら声を掛けるも、既に五つの部屋で反応なし。人感センサーで転倒する部屋の灯りが、無人の書斎を無情に照らし出すばかり。そのまま、開けては閉めて、開けては閉めてを繰り返す。
「全っ然いないな」
「……何処に居るんでしょう」
フレッドがガチャリ、と少し開けば、扉の隙間から灯りが漏れ出る。今までの部屋のように灯りが付くのではなく、付いたままになっている。
一瞬視線を交錯させた後にギイッと押し開く扉。部屋の中を見渡せば、視界の端の低い位置に見える、蜂蜜のような輝きの
「……ええ」
呻くようなフレッドの声が、頭上から降ってくる。
デスクの足に凭れ掛かるように背中を預けて、床に座っているセレーナ。それもどうかと思うところだが、それ以上に彼女は手元に本を開き。
本を、熟読していた。
「セレーナ、嬢?」
メゾソプラノが遠慮がちに声をかければ、アンバーの瞳が見上げる。ぼうっと本の文字列を追っていただろう目が、次第に焦点を合わせてしっかりと花菱とフレッドの姿を捉えて。
「……あっ」
さっと、背後に本を隠して立ち上がる。まるで親に悪戯が見つかったか子どものようなその行動。花菱もフレッドも最初は耐えていたもの、最終的にはくすっと相好を崩してしまい。
バレている。二人の反応からそれに気が付いたセレーナの頬が赤らんでいく。
「……すみません。ついつい、読んでしまいまして」
「珍しい本があったりするとつい、読んじゃいますよね」
フレッドのフォローに対し。申し訳なさそうな顔をしつつもぶんぶんと首肯するセレーナ。それに心の中で密かにわかるわかるよと相槌を打つメゾソプラノ。
花菱だって魔導書管理局の局員であるのだ、本があれば読んでしまいたくなる気持ちはよく分かった。
「ところでエリ様、どうしてここに?」
「もう午後九時近くなのと、西側の探索が終わったので合流をしに」
「ええっ?! 終わったのですか?! まだ四部屋目なのに?!」
ちょっと仰け反るように体重移動をして、ソプラノボイスが書斎に響く。あまり捗らないであろうな、とは考えていた花菱の予想的中である。
「恥ずかしながら、私もイズミ様も本を探している間についつい読み耽ってしまって。本当に、申し訳なく」
「その、ミスター・カーティスの姿が見えませんね?」
部屋を一周見渡したフレッドの言葉に、おかしいですねとセレーナがきょろきょろと見渡す。並べられた本棚の死角などを花菱覗き込むが、書斎には影も形もない。
「おかしいです」
感情を失ったような声音で、呆然とセレーナが呟く。
「先程まで、一緒に居たはずなのに」
「――出てみましょう」
部屋を出て見渡す廊下には、揺らめく蝋燭の火だけ。人の気配はなく、質の良い絨毯もあって足音一つも聞こえない。
人は火を手に入れることによって活動範囲と活動時間を広げた。しかしながら、今尚人は昼間を活動の主要時間帯とし、夜間に眠りにつくのには理由がある。
夜は、人為らざる者が支配する時間だからだ。
「ミス・花菱、手分けしますか?」
「いや、
「別の部屋に間違えて入っているとか――あっ!」
響きの違うソプラノボイスにセレーナに視線が集まれば、本人は指差す先。四つ向こう側の部屋から出てくる、黒い長髪の男。
「イズミ!!」
「ミスター・カーティス?!」
「……ん」
声に反応して振り向く顔。柔い蝋燭の火を反射し、
「嗚呼。部屋、間違えたのか」
「まあそうでしょうよ」
バリトンボイスがポツリと呟く言葉に、呆れたように突っ込みを入れた花菱は悪くない。何が起こるのか予測できないこの状況で姿くらましとは、とんだお騒がせである。
「イズミ様もお茶目なところがあるのですね」
くすくすと笑みを浮かべるエレーナですら、どこかほっとしたようで安心が滲んでいる。こうして四人が合流出来たのは、結局午後九時を過ぎた頃であった。
「とりあえず、軽食を食べつつ明日の話をしよう」
花菱の言葉で場所を移して一階、食堂。
クロエの計らいで用意されていた夜食――おにぎりと漬物のワンプレートを運び込む。長方形の四角いテーブルを囲むように、花菱の隣にセレーナが、向かいにイズミとフレッドの二人が着席した。
各々が思うように食前の儀式をし、食事に手を付け始める。
「とりあえず、東側の部屋の図書は全て回収できました」
「私達が確認できた書斎は、私の居た部屋までの四部屋分だけです……」
左右対称な館の構造であることから、書斎の数は東側と西側に十二部屋ずつ。割合としては約七割の探索が終わったことになる。
「……残るは、西側の八部屋か。人数は要らないな」
「しかし、お一人で行動をされるのは余り、よろしくないかと思います」
「では、こうしましょう」
今朝と同じように、どのような配置が一番効率的であるか思考を完了した花菱が、提案する。
「私とセレーナ嬢で三階以外の探索、イズミとフレッドの二人で書籍の回収。で、どうですか?」
偶然にも隣に座っている者同士、となったが、パワーバランス的にも処理能力的にも最も効率が良いと考えられたのだ。ペアを変える理由としては、セレーナと共に行動することによるイズミの精神的な負担軽減などである。
「確かに、司書でもある俺達が書類整理をした方が早いですし」
「異論はないな」
「エリ様と
それぞれ肯定の意を示したところで、ものの数分で合意形成が終了。
「それじゃあ、これでいきましょう。朝から各自行動で」
そう纏めると、花菱は手元のおむすびをぱくっと口に放り込んだ。
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