5-3:そういうことじゃよ

 結論から言えば、シーファの料理の腕は中々であり、そして作る量は計算間違いをしているかというぐらいに多かった。


「いや、そなたが来てくれて助かったぞ」

「ご相伴に与れて光栄でした。料理がとても美味しかったです」


 それはノイシュが花菱とフレッドを連れて来れなかったらと思うと、お弁当の約七割程が残ったであろうというほど。まだまだ若い花菱と、特に成人男性であるフレッドの胃袋があったからこそ、平らげられたようなものだった。


 お腹も膨れ、ぽかぽかとした昼下がり。


 ピクニックセットは片付けられ、元通りとなったガゼボの中には花菱とノイシュのみ。フレッドはといえば年の離れた兄として懐かれたらしい、シーファに誘われて辺りを追いかけっこしている。


「あの、シーファ君は晩餐会のときにはいませんでしたよね」

「嗚呼。その通りじゃ。ほれ、あの子ものう」


 ノイシュが視線を遣る先をみれば、きらきらと太陽の光で白銀に煌めく髪。


「見ての通りいるじゃろう? 妖精が連れてきてしまったらしくてな」

「……合点がいきました」

「うむ。彼等の悪戯いたずらきは困ったもんじゃわい」


 そう囁くノイシュの顔は、言葉とは裏腹に楽しげに見える。悪戯をするのも、手を貸すのも、彼らが認めた存在じぶんたちだけであるからということだろう。


「ところで」


 切り替えるように声の調子を変える、最も妖精に近き人。


「何か聞きたいことがあるのではないかの?」


 ちらり、と日陰で見るオパールは、陽の下で見るのとはまた違った輝きを放っている。ふふふと笑みを浮かべるその姿は少女そのものであれど、中身は魔術界を一度派閥を背負って立ったこともあるやり手の魔術師。


「やはり、お見通しですよね」

「まだまだ若人わこうどには負けていられんよ」


 言ってみろ、というように軽く首を傾げるノイシュに、花菱は意を決する。


「ノイシュ卿は――この後継者選考会を、どうお思いでしょうか?」


 ガゼボの中に凛と響いたメゾソプラノに、ほう、と少女の笑みが深められる。


「どう、とは。またあやふやな問いであるよな」


 そこで確定する、最初の駆け引きにおける花菱の敗北。わざと曖昧に聞き好きなように意味を解釈させたかった花菱だが、ノイシュ相手には通じない。


「もう少し詳しく話してみよ」


 やはり相手が一枚上手。下手な小細工はやめるか、と潔く花菱は口を開いた。


「私達候補者、そして課題の内容。記名のない手紙、更に選考会自体を今、開催する理由。そのどれもに、のですが……」

あしはどう思っておるか、ということか」


 ただしっかりと、頷きで返す。

 笑みを浮かべ、ふむと視線を泳がせて考える素振りを見せる。静寂の中、小鳥がピチチとさえずる声だけ。


「もし」


 ふわりとガゼボを吹き抜けた風が、髪を攫って靡かせる。


「もし、そなたが後継者候補を選ぶなら、どうする?」

「……自分の魔術を継ぐに相応しい者を探します」

「具体的には?」


 間髪入れずに重ねられた質問。質問の意図を頭の片隅で考えつつ、花菱はもしもの話に少し逡巡して。


「自分に引けを取らない知識力。行動力。似た魔力の質を持ち、それらを正しく使うような人柄を持っているとか――」

「――嗚呼、もう良い、もう良い。想像力が豊かなのは分かった」


 つらつらと提示されたもしもの話に言葉を並べていると、飽きたかのように待ったを掛けられる。口を噤んで花菱が顔を見つめれば、真っすぐと見据えるオパールの瞳。



 湛えた微笑は一枚の絵画になりそうなほど鮮やかで美しく、そして有無を言わさぬ迫力を以て言葉の意味を花菱に訴えた。


「おひいさまー! もうそろそろ、お館を見て回るお時間ですよー!!」

「あいわかった。すぐに行くぞ」

?)


 脳内で駆け巡るノイシュの声に、どういう意味だと意図を探る。顎に手を遣り、思考の海に沈む中。置かれていたピクニックバックをひょいと手に持ち、傍観者たる少女はガゼボを出る直前。


あしは、あしが何故呼ばれたのかだけは分かっておるぞ」


 花菱の耳元で、ただ囁く。

 ばっと面を上げれば、シーファの下へと歩みを進める白い長髪が見える。急いで立ち上がりガゼボを出れば、陽の光が日陰に慣れた目に眩しく刺さる。

 フレッドと並び、相対したところでノイシュは笑みを浮かべ。


「ではまた。次は、茶会ティーパーティーにでも来ておくれ」

「エリお姉さん、フレッドお兄さん、またね!」


 何事もなかったかのように、シーファと共に言葉を残して去っていった。


 その後、フレッドと共に三階へ戻り、書籍の回収作業を行う中。

 花菱はただひたすらにノイシュの言葉の意味を考えていた。


(そういうこと……、そういうこと……?)


 機械的に書籍名を読み上げつつ、脳内ではノイシュとの会話を何度も何度もリプレイする。挙動、声色、視線遣いに至るまで、たった数分間の会話を思い返す。


「――菱、ミス・花菱!」

「はっ?」


 花菱が気が付けば、フレッドのブラウンの瞳が覗き込んでいた。気心知れた相棒は、思考に没頭していただろうことを察して特に何か言う訳でもなく。


「ほら、この部屋は終わりましたよ。次に行きましょう?」

「あ、……ああ。分かった」


 さらりとそう告げて、回収できた書籍を持ち上げる。

 五部屋目が終わり、見つけられたのは二冊。それなりの順調なペースで集められている中、六部屋目の作業に取り掛かると。


「そういえば、最近はどうなんですか?」


 フレッドがそんな風に話題を切り出して来た。

 作業を続けながら癖っ毛の髪を見返すと、ちらりと視線だけが寄越される。


「どう、って……何が」

「あの男の人ですよ。黒い髪で、日に焼けた褐色肌で……紫色purpleの瞳の」


 視線を本棚に滑らせながら、つらつらと述べていくフレッド。記憶の中の人物をフレッドとの面識があり、更に特徴と合致する風体の男を絞り込めばただ一人に絞り込まれる。


「ああ。――遼煉リョウ・レンね」

「確か、そんな名前だったかと」


 “プロメテウスの樹”斥候役にして、花菱の因縁の相手・遼煉。ニヒルな笑みで、口から出る言葉もその存在感さえも薄っぺらな、花菱の唯一の幼馴染と言っても差し支えない男であった。


「アイツが、どうかした?」

「いえ。まだまとわれているのかなあと」

「付き纏われてるって……いや、間違っちゃいないか」


 語感に何とも漂う物騒さに訂正をしようとするが、思い返してみれば強ち間違っていない行動記録。花菱は溜息を深く吐くとともに、苦笑いを零した。


「さあな。二人で仕事していたときは活発だったけど、そういえばここ半年ぐらい見ていない」

「うわあ……ほんとヤバイじゃないですかミス・花菱……」

「アイツの頭がヤバイのは今に始まったことじゃないだろ」


 本棚のは位置確認が終わったらしい。ドン引きといった表情を見せたフレッドに、ソプラノボイスはばっさりと切り返す。花菱のヤバイとフレッドのヤバイの意味は少々違うものであるが、訂正を行う者はいなかった。


「“天体に見る神話 星の神秘”」


 一つだけの目ぼしい書籍の名前を伝えれば、本棚を指が伝っていく。


「いつだってふらりと現れては引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、尻尾を掴ませないんだよ、アイツは」

「気に掛かりますか? 元第零級オリジンの、同僚が」

「そりゃ、……まあね」


 藍色の睫毛は伏せられ、その瞳に陰りが差す。


「魔術界にアイツを引き込んだのは、私みたいなもんだから」


 思い出されるのは、幼い花菱が差し出した掌を取る、少年の姿。全くの善意で、身近に仲間ができたと思った、ただただ無知であった頃の記憶。

 子どもの無邪気さは時に残酷さを伴なう、という言葉の真意。それを花菱は彼の離反によってようやく、理解した。


「それでも、選び取ったのは本人ですよ。魔術師の道も、斥候役という裏切りも」


 見つかりました、とデスクに置かれる本。部屋のコンセプトである天体魔術スゼル・マギアに関連する本は、この一冊だけ。


「そう、だな……。ところで、急にどうしてアイツのことを?」

「だって貴女と同行する依頼のほとんどで俺、襲われてるんですよ? 嫌な予感しかしないです今回も」

「さてどーだか。ま、そーゆーのを俗にフラグっていうんだけどな」

「やめてください洒落シャレになんねえ」


 さっと瑕疵きずがないかを花菱が確かめる傍ら、フレッドが一通りデスクの引き出しをあらためる。特筆すべきことはないもなく、六部屋目の作業も終了する。


「これでこの部屋も終わりですね」

「ああ。丁度区切りがついたしちょっと、お手洗いに行ってくるわ」


 時刻はおよそ午後四時五分前。殆ど休みなく作業をしていたこともあり、花菱はすっかりお手洗いに行くタイミングを逃していたのである。


「わかりました、お気を付けてー」


 フレッドの間延びした声を背に、花菱が向かったのは割り当てられた私室プライベートルーム。廊下の突き当りにもお手洗いがあることは知っていたが、やはり圧倒的にアウェイな空間でもある。

 不用意に不特定多数が利用できる密室空間に近寄りたくないという花菱の危険意識は、距離があれど使い慣れた自室に足を向けさせたのだった。


 誰ともすれ違うことなく、辿り着く私室プライベートルーム。無事に用を済まして部屋を出たところ。


「あら」


 丁度扉の目の前を歩く、アッシュグレーの男。見開かれたラベンダー色の瞳が、花菱を捉える。


「此処がアナタの部屋だったのね」

「ク、リストヴァルさんでしたか……」

「嫌ね。ヴァルと呼んで頂戴と言った筈よ?」


 ふふっと楽しげに笑みを浮かべるクリストヴァルに、すみませんヴァルさん、とメゾソプラノが訂正する。


「どう、日記探しは順調?」

「ボチボチでしょうか。かく言うヴァルさんはどうなんです?」

「さあどうでしょう? ……なんていうのは卑怯よね」


 意味ありげに笑みを深めた後、まるで独り芝居のようにクリストヴァルは肩を竦めた。意図する意味が分からず様子をただ見つめていると、すっと閉じられる瞳。

 何かを考えこむかのように数舜、時が流れた後。ラベンダーの瞳はじっと花菱を見据えた。


「ねえ、アナタ」

「? なんでしょう?」

「晩餐会で隣に座っていた女の子と知り合いかしら?」

「右隣の、金髪ブロンドの子なら知ってますけれど」

「へえ。……そう」


 ワントーン落ちた声の調子。外された瞳がすっと細められる様は、何かを危惧するようなそんな色合いに見える。

 窓の外から差し込む陽の光が、目に見えない空気の揺らめきを映しだす。

 身体ごと窓を向くクリストヴァルを、見定めるように静寂が訪れて数秒。


「何か、気になることでもあるのですか?」


 メゾソプラノが廊下にそう響き渡れば、ピクリと背の高い影が揺れる。

 顔だけを横に向けて、花菱の方へ向けると。


「ええ、あるわ」


 ハスキーな声は囁くように空気を震わせる。


「ほんのちょっとだけのあるアナタへ、忠告」


 一歩、一歩と距離を詰め、目の前に立つクリストヴァル。

 二十センチほど差がある身長が目の前でも、後退りすることなく見上げる花菱。それを、底の見えないラベンダーの瞳が見下ろして告げる。


「あの金髪ブロンドの子には、気を付けなさい。よ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る