5-2:美味しく頂くんだろう?
階段を上がって、三階部分。
窓枠から
「まずはこの部屋ですね」
上ってきた階段に最も近い部屋の扉をフレッドが開ければ、乾燥した空気と紙の香り。嗅ぎ慣れた、安心感のある本独特の香りが漂う。
「うわ凄……!!」
「これ、ほとんど全部所有物とか……うわあ」
本の摩天楼とまではいかずとも、ざっと見ただけでも一五〇〇冊はあるだろうか。まだ一部屋目であるというのにこの冊数。イズミとセレーナのも同様の部屋を訪れていると考えると、かなりの日数が掛かりそうであるものだが。
「……“土着信仰と自然災害”、“口伝による土着信仰”、ですか」
「こっちは“抽象的概念としての自然”――
そこは二人の本職、司書の能力をもってすれば何のその。
「レイラ様が几帳面であったか、あるいは
「配置法則を見極められれば、数日で
「だね。……さっさと取り掛かろう」
その言葉を皮切りに、それぞれ行動を始める二人。
まず花菱はポケットから小冊子に閉じられたリストを取り出し、そして真っすぐと向かった先はデスク。冊子の最後、余白のページをビリビリと破り取ると、ポケットからボールペンを取り出す。
それから、リストの一番目から目を滑らせると、次々と書き留めるは目ぼしい書籍のリストナンバー。
観点は、この部屋にありそうか否か。
その傍ら、フレッドは部屋の中を一周歩き回り、本の配置を確認。アルファベット順に正しく並んでいるか、
「リストアップ、終わった」
「こちらも確認終わりました。
分析、分類、そして分業。
魔術司書の図書整理は基本的に多くの書籍を一度に取り扱う為、一人以上で対応することが殆ど。効率性が重視される為それぞれの能力を生かし、二人の場合は速読が得意な花菱がリストアップを、瞬間記憶能力の高いフレッドが把握をする。何度か仕事を一緒にした経験から、染みついた行動であった。
「何処まで置いてある?」
「I の途中まで」
「
淡々と。
粛々と。
読み上げられる書籍名と、積まれていく借用本。
機械的に。
合理的に。
背表紙を滑る指に、腕時計の音だけが響く。
「……あ、無いです」
「よっしゃ終わったー」
「終・わ・っ・て・な・い・で・す。本に
「冗談だっての。一冊だけ確認済み」
「ほらほら残り三冊、やっちゃいますよ」
確認手順は主に五つ。
カバーやスピンなどに傷が付いていないか。ページが途切れたり破れたりしていないか。落書きなどの汚れが付着していないか。内部に紙片など挟まれていないか。そして、魔術的な細工がされていないか。
「おっけ、
一冊だけの花菱が先に確認終わると、順に使っているデスクの引き出しを開けては締め、開けては締め。中身に何も入っていないことを確かめる。
「こちらも。二冊とも
「よし。じゃあ、持って次の部屋に行くか」
「あれ」
ぐーっと伸びをした花菱に、フレッドは片眉を上げて不思議そうに尋ねる。
「日記は探さないんですか?」
「あー。うん、日記ね」
魔導書管理局の仕事である、借りられっぱなしの本の回収。そして先日
その両方を行うと思っていたフレッドは不思議そうに見つめた先では。
「無いだろ、
あっけらかんとメゾソプラノがそう響いた。
「その根拠は?」
「勘」
「ミス・花菱のそういうところ嫌いじゃないですよ」
「有難う嬉シイナー」
視線を外しながら、四冊、この部屋で回収できた本を持つフレッド。
「で、本当のところはどうなんです?」
移動しながら背後を付いてくる花菱に尋ねれば、少しだけ間を置いた後に響く、確信を持った声。
「……そんなつまらないことをするような人じゃない、と思ったから」
隣の書斎。同じ
デスクに本を置いてから歩き回るフレッドに、メゾソプラノは淡々と続ける。
「日記を紛れ込ませる、ってのも可能性としてはある。それこそ森の中に木を隠すように」
「違うだろうな、と思う理由は?」
「……一冊ずつ調べていけば必ず見つかるといくような手法を選ぶかな、とね」
書斎フロアともいえる三階。そのどこかの部屋の本棚に存在する場合に問題となるのは、遺産が誰の手に渡るのかが運試しになる。
「課題というからには、何かしら能力を試す、ということが目的である筈だ」
「確かに、ただ探すだけで見つかるような場所にあるとは思えませんね」
「だから三階に日記は確実にないと考える。あるんだったら、日記に繋がる何かしらのヒントぐらいかな」
「成程、納得です」
部屋を七割くらい周りったところでちらりと視線を向ければ、花菱はデスクの引き出しを開けていた。もう一つの仕事である
「……貴女に会う度に、まだまだ高みには程遠いことを見せつけられる」
何故かベルリッジの御眼鏡に適ったこともあり、手腕を眺め能力を培い、勝ち取った今の
隣に並ぶには、まだ早い。
「そんな高みが近くに居るんだ。経験を貪り喰らって帰るといい」
「お言葉に甘えて、美味しく頂くとします」
書籍名をどうぞ、ミス・花菱。
フレッドがにっこりと笑ってそう告げれば、走り書きされたメモ紙へと藍色の目は視線を落とした。
それから順調に二部屋目、三部屋目の確認を終了し、計十四冊の書籍を回収したところ。時計の針は十二時半を指し、腹時計もその空腹を訴える。
「もーそろそろ一区切りにする?」
「ですね。昼食を摂りますか」
回収できた書籍はフレッドの部屋に運び込むことにし、身軽になったところで厨房へと向かう花菱達。その道中、思い出したかのようにテノールが尋ねた。
「そういえば、昼食は合流するか決めてないですね」
「あー、別々でいいと思うよ」
「その心は?」
「多分イズミは摂るつもりないんじゃないかな」
だからセレーナを付けたんだけどね。
ソプラノボイスの意味深な響きに、フレッドはどういう意味ですかと怪訝な顔をする。
「ああ見えて意外と押しが強くて。セレーナ嬢ならたぶん、昼食を摂らせることができるだろうなって」
これが、花菱がセレーナを付けた理由の一つ。そしてもう一つが、イズミとのアイコンタクトの理由。
「摂らせる、って……もうちょっと言い方あったでしょうに」
(……
依然として付きまとう襲撃者の影。それがフレッドに成り代わっていないかを確かめることである。
「いやー。きっと、摂らせる以外に形容のしようがないと思うけどね」
(消去法ではあるけど、ある意味ベストマッチだったのでは?)
これである程度の身辺整理はクリアとなり、考えるべき問題を選考会関連のみに減らすことができた。お昼ご飯にありつけることもあり、上機嫌にサーキュラー階段を下りているその最中。
「おお、そなた
響く声音は凛と、空気に染み入るように耳触りが良い。
一階、
「これから昼食を摂るのじゃが、やはり
視線をちらり、フレッドに向ければ、晩餐会ほどの緊張感を表層に出してはいないものの。バレないように数秒だけ交わされた視線には、恐れ多い、出来れば避けたい、自分には難しい、という意思が滲み出ている。
「なあ」
「なんです?」
「経験、美味しく頂くんだろう?」
「……墓穴を掘ったわ俺」
素の言葉遣いで遠い目をしたフレッドを隣に、花菱は微笑みを浮かべて。
「喜んでお伴致しますとも!」
眼下のノイシュへと快諾をした。
そこからはとんとん拍子に、では付いて来いとノイシュの先導で館を出て。歩いて行くのは、手入れの行き届いた
「天気が良いからの。外で食べようと思ってな?」
「確かに、ずっと館の中に籠っているよりいいかもしれませんね」
「じゃろう?」
爽やかな昼の陽射しに、青い空に映える白髪が輝く。花菱の後ろを歩くフレッドはといえば、覚悟を決めたのか引き締まった面持ちで付いてきていた。
こつこつこつと子気味いい音を立てながら、歩く、歩く。
しぶき舞う噴水を通り過ぎ、森に不思議と繋がっていたローズアーチを抜け、小川のせせらぎを渡り。
「会場は、此処じゃ」
到着した目的地は――白が印象的な、美しいガゼボであった。近くで見るとより細かな天井の装飾や、飾り柱の造形の美しさが鮮明に瞳に映る。その見事なガゼボの作りに見入っていると、ひょこりと視界の端で動く人の影。
先頭に立つノイシュに気が付けば、ぱあっと顔を明るくして駆け寄って来る。
「あっ、おひいさま! 準備、出来ましたよ!」
それはノイシュと変わらぬ背丈の、よく似た少年だった。白い短髪にオパールの瞳。紛れもなく、先祖返りの形質を持った妖精に愛されし子である。
「流石じゃのう! ほれ、
身体をずらしながら、腕全体を使って花菱とフレッドが指し示される。すると、行儀よく少年はピンと背筋を伸ばし、つま先を揃えて二人を見上げた。
「僕は、シーファ・ファン・エルンディアです。おひいさまから見たら、孫の、そのまた孫の子ども、かな?」
「そうじゃの。合っておるぞ」
「です! お姉さん、お兄さん、どうぞよろしくお願いします」
そう言って丁寧に一礼をし、上げた顔はにっこりと愛嬌のある笑顔で満ちていた。有り体にいってみれば来孫の関係という事実に衝撃を受けながら、何とか笑みを浮かべた花菱とフレッドは。
「ご招待くださり有難うございます、私はエリ・花菱。よろしくね」
「フレッド・カーディルナルです。ご招待くださり有難う、お邪魔します」
しっかりと挨拶をこなして見せたのである。
「それじゃあエリお姉さん、フレッドお兄さん、こちらへどうぞ!」
シーファの案内を受けて、花菱、フレッド、そしてノイシュはそれぞれガゼボに設置された
黄色いテーブルクロスが引かれた上に、開けられたピクニックバック。花菱とフレッドの分も皿、カトラリーが出され、シーファがまるでおせち料理のような二段構えのお弁当箱の蓋を開ければ。
「おお、良い香りだの」
「凄い、お洒落ですね!」
「……美味しそうだ」
思わず称賛の声が零れるほど、様々な料理が鮮やかに詰められていた。一口大のコロッケにハンバーグ、カップのキッシュ。フィッシュアンドチップス、たこさんウインナー、アスパラのベーコン巻き、卵焼きなど上げていけばキリが無い。
更に弁当箱とは別に、紙カップのチョップドサラダまで盛りだくさんである。
「久しぶりのピクニックということで、張り切って作りました!」
照れながらそう告げるシーファの言う通り、明らかに気合いの入ったピクニック弁当である。言わずもがな、ノイシュの為であろうそれらに、花菱は遠慮がちに尋ねてみる。
「あの、いいのですか? お呼ばれしてしまって」
「良い、良い。むしろ二人では……食べきれん」
ぐっと深刻そうに告げる精霊主義派の重鎮に、何とも言えない苦笑いを花菱は返した。概算でも、目の前のピクニック弁当は五人前ぐらいにボリューム感であったが故の表情である。
「それでは、頂くとしようかの」
「みなさんお召し上がれ!」
ノイシュとシーファの言葉で、変わった面々でのピクニックランチが始まった。
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