act.5 Looking for only one book

5-1:おはようございます

 チチ、チチチチ、と遠くにさえずる鳥の声で、花菱の意識がゆっくりと浮上する。

 ほんの少しだけ開くまぶた。映るのは見慣れぬ天蓋。そこでやっと自分自身が何処で寝ているのか、寝惚け眼ながらも理解していく。


「……あさ、か」


 また閉じようとする目ををこすりながら、花菱は上体を起こして後頭部を掻いた。視界の左側、廊下に繋がる扉の隙間から漏れ出る光が明るく、眩しい。

 くわっと欠伸あくびを一つ零したところで、自然と視線は隣の寝台ベッドへ。静かな部屋の中、まだ寝ているのだろうかとルームメイトの姿を探せば。


「――え?」


 セレーナが、居なかった。


 見開かれた瞳と共に、急速に目が覚める花菱。再度見渡す部屋の中、パーテーションの向こう、ソファ、椅子、暖炉の前。


 部屋のどこにもその姿がないのである。


 朝早くから部屋を出る理由に、半覚醒状態の脳味噌は思い至れない。代わりに浮かぶのは、の二文字。

 キャリーケースの位置は変わっていない。部屋の調度品の整い具合からみて格闘があったとは思えないが、万が一のこともある。ルームシューズに足を突っ込み、どうか居てくれとシャワールームの扉を開くが。希望虚しく、誰も居ない。


(くっそやらかした!!)


 きつけ代わりに冷水で顔を洗ってから、円卓テーブルからひったくる、腕時計。七時五分過ぎ、ルームウェアのままドアノブを回し部屋の扉を引き開けると。


「きゃっ?!」

「っえ?!」


 急に開いた扉に驚いた声と、人が居たことに驚いた花菱の声が重なる。そして。


「あ、エリ様。おはようございま……えっ、ええっ?!」

「心配、したぁ……」


 扉の前に立っていた人物――セレーナの姿に、安堵した花菱は膝から崩れ落ちる。あんなにも二度寝へと誘っていた眠気は、もうすっかり弾け飛んでいた。


 寝癖を整え、軽くメイクを施して服を着替える。

 洗面所で最低限の身だしなみを整えて戻ると、セレーナがタンブラーからホットティーを注いでいた。円卓テーブルの上にはサンドウィッチの並べられた四角いプレート。


「すみません、エリ様」


 戻ってきたことに気が付くと、申し訳なさそうにソプラノが響く。


「あまりにも良く寝ていらっしゃったので、朝食を貰って来ていたのです」

「いえ、お気遣い有難うございます。……何事も無くて安心しました」

「本当にすみません……! 今度は事前に行き先を告げますので!」


 そんなやり取りをしていれば、ホットティーの良い香りが鼻を擽る。


「ディンブラ、ですか?」

「! よく分かりましたね。エリ様の言う通りです」


 自身の分も注ぎ終えれば、タンブラーをことりと置いてセレーナが座る。花菱も倣って座れば、様々な具材が挟まれたサンドウィッチを前にお腹がぐるると唸った。


「う……」

「さ、早速、食べましょうか! ね!!」

「ソウデスネ、食べましょう」


 いただきます、と花菱が告げる傍らで、セレーナが食前の祈りを捧げる。魔術師にだって信仰はあり、管理局の食堂などでも見慣れた景色である。


「それじゃ、まずひとつ」


 サンドウィッチはひとひとつが小さめに作られており、ベーシックなハム・レタスサンド、たまごサンドからツナ・アボカドサンド、パストラミビーフサンドと四種類。添えられているプチトマトとカットオレンジも相まって、見た目の彩りも考えられて盛り付けられているのが分かる。

 花菱が手に取ったのはたまごサンド。セレーナはハム・レタスサンドを選んで、それぞれ口に運ぶ。

 一口齧り、咀嚼もぐ咀嚼もぐ咀嚼もぐ嚥下ごっくん


美味うまっ」

「美味しい……!」


 思わず、といった様子で口から零れ出る賛辞の言葉。

 たまごは程よく甘みがつけられており、混ぜられたチーズの塩味と調和する味付け。ハム・レタスサンドもハムの味わいとレタスのシャキシャキ、さらにカリッと焼きあげられたパンとの食感が楽しい。

 他の二種のサンドも計算された味わいがどれも美味であり、ひとつ、またひとつと胃の中へ消えていく。

 美味しい朝食を平らげるまでそう時間は掛からず。一杯目のホットティーが冷めきる前に、お皿は空っぽになったのだった。


「美味しくてつい、食べてしまった……!」

「本当にその通りです! あ、ホットティーはまだありますよ?」

「お、じゃあ頂いてもいいですか?」

「勿論です」


 追加で注がれるディンブラから、ゆらりと小さく湯気が立つ。アーリーモーニングティーとまではいかないが、優雅な朝のひと時には違いない。


「セレーナ嬢は昨晩、よく眠れましたか?」

「ええ、それはもう。エリ様こそ、身体は休まりましたでしょうか?」

「お陰様で。疲れもとれて、しっかり活動できそうですとも」


 そんな世間話を楽しみながら、紅茶を楽しむこと二十分程。タンブラーも空になれば、二人はそれぞれ手を合わせ、十字を切り、食事を終える。


 それからの二人で食器類を返しに行き、歯を磨いたり、セレーナの髪型をアレンジしたり、花菱の寝癖を再度直したりと時間は過ぎ。


 時刻は九時丁度。コンコンコン、とイズミの部屋の戸を叩けば、バリトンボイスが入室を促した。遠慮なく扉を開くと、中には既にフレッドも揃っている。


「おはよう、イズミ。フレッド」

「おはようございます、イズミ様、フレッド様」

「嗚呼。おはよう」

「お二人とも、おはようございます」


 昨晩と同じように椅子に座るイズミとフレッドに、自然とソファーへと二人の身が収まる。宣言通り四人が集合したところで、切り出したのはフレッドだった。


「とりあえずミス・花菱にはこちらをお渡しします」

「ん? ……あ、回収する本のリストか」

「そうです。ミスター・カーティスにはもうお渡し済みで、俺と貴女の三冊分しかないので紛失されませんよう」

了解りょーかい。肌身離さず持っておこう」


 ポケットサイズの小冊子にまとめられたリストをパラパラと流し読みしたが、ざっと見ても五十冊以上は有りそうであった。レイラ・コルテンティア自身仕事で忙しかったなどの理由があったとはいえど、集めきるには骨が折れそうである。


「昨晩も仰っていらっしゃいましたが……本を回収、するんですか?」


 花菱の手元を覗き込みながら、不思議そうに尋ねるソプラノ。話すか話さぬか一瞬迷った挙句、まあいいかと花菱は口を開いた。


「あー、本って言っても、魔導書管理局からレイラ様が借りたままの本、ね」

「間違って相続されてしまうと困るから、選考会に参加するついでに俺達が回収するってことです」

「そういうことですか! でしたら是非、手伝わせてくださいな」


 フレッドの解説もあり、合点がいったと同時に協力を申し出るセレーナは相変わらずというかお人好しというか。断る理由もなく、本探しのついでということで人手が追加される。


「今日の日程だが、とりあえずは本の探索だろう」


 まずそう口火を切ったのは、イズミだった。


「書斎から見て回るべきだと思うが」

「それならとりあえず、三階部分が全部だね」

「ミス・ハナビシは館の構造を把握しているのか?」

「まあね。昨日君が寝ている間にマッピングを」

「三階全部……ってこの館、かなり広いですよね?!」


 うへえ、という顔をしてフレッドが首を落とした。元々途方もない作業であることは理解わかっていたものの、具体的な指標を出されると現実味が出るというものである。


「手分けして探した方が、効率がよいかもしれませんね」

「うん。……人数も四人いるし、二人組ツーマンセルで動こうか」


 セレーナの提案もあり、そう告げた花菱はちらりとイズミへアイコンタクトを送る。片眼鏡モノクルがじっと見つめれば、言わんとすることを察したらしい。


 嫌そうな顔をした。


 だか尚も藍色の瞳がイズミを見つめ続ける。無言の遣り取り、いや無言の圧力の掛け合いである。たっぷりしっかり三十秒、フレッドとセレーナがいぶかしがり始めたところで。


「わかった、それでいい」


 渋々ながら折れたイズミが頷きで返す。


「じゃあ、私とフレッド、イズミとセレーナ嬢で初日は動こうかと思うけど」


 いいかな。

 にやりと笑みを浮かべた花菱の提案に、異議を唱える者はいない。沈黙を肯定とみなし、ペアが決まったところで。


「ところで、部屋の割り振りはどうしますか?」


 フレッドが思い出したかのように軽く手を上げてそう告げる。


「どちらのペアがどの辺りをやる、とか決めておかないと、競合する……ことはないと思いますけど。ほら、一応」

「確かに、決めておかないとですね」


 尻すぼみになるフレッドの脳裏に浮かぶのは、イズミの部屋に来るまでに見た多くの部屋の扉だった。館の西側に私室プライベートルームが与えられた花菱達とは違い、フレッドの私室プライベートルームは館の東側。

 ぐるり、と館内を大回りして来ていることから、間接的に部屋の多さを認識しているのである。


「三階は二階と同じような構造で東側と西側の二手に分かれてたから……、私達が東側の、二人が西側の部屋でどう?」

「まあそれが無難だろう」


 唯一、館の構造をしっかり把握しているであろう花菱がそう告げれば、バリトンボイスが了承をする。

 それぞれの相棒と担当場所が決まった所で、腕時計の時刻は午前九時半前。


「それじゃあ、始めますか」


 花菱の一言で立ち上がった四人は、選考会の課題へ取り組むべく書斎に向かったのであった。

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