4-4:え、わからない

「誰が何の御用でしょう?」


 無感情にイズミがそう尋ねれば、ひっ、と言う音と共に若干上体が逸らされる。

 ほんの少しだけ見上げる黒い瞳が捉えるは、ヘーゼルの瞳。年齢は同い年か年下のように見える。


「ふ、フレッド、フレッド・カーディルナルが、ウィリアム・ベルリッジ局長からの言伝というか、依頼? で……連絡コンタクトを取りに来ました」

「魔導書管理局の者か。階級ランクは?」

第一級ファーストです。これを」


 癖毛の男――フレッドが懐から取り出して見せるのは、管理局が魔術司書へと支給する徽章きしょうであった。魔術司書の階級によって少々違うデザインが施されており、どの階級であるのか一目でわかるようになっている。

 差し出された徽章は、第一級魔術司書の証明。普段は襟元など見える位置に付けるものであるが、選考会ということもあり外して持ってきたのだろう。


「……徽章は本物だな」

「あの」


 手に取り片眼鏡モノクルに近づけたり離したりして確認するイズミに、おずおずとフレッドが告げる。


「身元が気になるのでしたらミス・花菱に確認してください」

「――何?」


 予想外の言葉に思わず振り返り見れば、注意深く観察をする花菱と不思議そうな顔を見せるセレーナ。ベルリッジの養子で第零級オリジンたる彼女と、目の前の男にどのような接点があるのか不思議で堪らず、もう一度問い返す。


「アイツと知り合いか?」

「は、はい。以前いくつか仕事を共にさせていただきました」

「ふむ。……ミス・ハナビシ!」


 指先でこいこい、と送られた合図に、花菱は椅子から立ち上がり部屋の出入り口へと近づく。その途中、ちらりと来訪者に目を遣れば、視線が合う。


(癖毛の人が、何で此処に?)


 だが、それをおくびにも出さないのが魔術師である。何事も無かったかのようにイズミへと視線を戻して、花菱は口を開いた。


「どうかした?」

「フレッド・カーディルナルという名に覚えはあるか?」

「カーディルナル……?」


 花菱の魔術界における交友関係はごく限られたものだ。仕事の関係においても、個人的な関係においても、そう多く知り合いが居る訳ではない。

 だからこそ悲しいかな、名前を聞いて思い当たる節を思い出すのには一分とかからない。そして焦げ茶の髪を見上げた花菱の結果はといえば。


「え、わからない。ごめん」

「だそうだが?」

「ちょっ?!?! 違います知り合いですよ?!」


 冷静なイズミの瞳には、あからさまに焦っているフレッドが映りこむ。ぶんぶんと首を振り、忘れたんですか、と呟く様は仔犬のように悲し気ですらあったが。


「ちょっと、知らないです……」

「嘘ですこの人嘘吐いてます!! ミス・花菱、何てこというんですか?!」


 続けざまに否定されて、緊張やらなにやらが吹っ飛んだらしい。

 扉枠にバンッと勢いよく手を突き、ブラウンの目を見開いたフレッドは花菱を指さして口走る。演技か、あるいは真実か、乱用するものではないが見極めようとイズミが片眼鏡モノクルに手を伸ばしかけたとき。

 喉で縮こまっていた靄のような記憶がせりあがって、あ、とメゾソプラノの吐息が零れる。


「その声、……フレディか?!」

「フ・レ・ッ・ドです!!」


 一音ずつ区切って発音する様はやけくそである。だがその言い方に、ぼんやりとした記憶の中の青年と、今度はピントが合ったかのように一致した。


「絵本に喰われた第二級セカンドのフレッド君!」


 間違えて名前を覚えてしまっていれば、脳内の友人検索にも引っ掛からないのも納得である。


「合ってますけど……ッ!! はぁ、いい加減名前覚えて欲しい……」


 見覚えがあったのはそれかぁ。

 ずっと喉に引っかかっていた小骨がとれたような、そんな清々しさに包まれた花菱はにっこりと微笑を浮かべる。あらぬ疑いはあらかた晴れたか、とホッとしつつも忘れ去られたショックがフレッドを襲う中。


「経歴詐称は重罪だが?」

「あの人のお蔭せいで鍛えられて、俺、階級ランク上がったんです……」


 冷静に尋ねるイズミに、諦め交じりの声を絞り出す。その蚊帳の外。ただ一人、部屋の中では一連の騒動にセレーナが首を傾げていた。


 ソファーに隣り合わせで座る花菱とセレーナ。その対面には、それぞれ移動させた椅子に座るイズミと。


「改めまして、第一級魔術司書のフレッド・カーディルナルです」


 椅子の横に立ち、無事入室の許可を勝ち取ったフレッドが一礼をする。

 花菱とフレッドの出会いは、とある絵本が魔導書グリモワール化してしまった事件であった。ベルリッジに依頼だまされて請負った事件caseだったのだが、無事に無力化に成功。その際に絵本に喰われたフレッドを助け出したのが、花菱だったのである。


「話は伺っております、“果ての図書館”司書のイズミ・カーティス様、そしてセレーナ・コルテンティア様。お初にお目にかかります」

「嗚呼。よろしく」

「初めまして、よろしくお願い致します!」


 どうぞお座りになってください、とセレーナが促せば、へこへこっと頭を下げてから姿勢よく椅子に座る。落ち着きを取り戻した穏やかな顔は、花菱にどことなく懐かしさを感じさせるものだが。


「……いやー、昇格していたとは思ってもみなかったな」

「貴女に俺がどれだけ振り回さつかいたおされたと思っているんです? 無茶な上司を持つと人は成長せざるおえなくなるんですよ」


 花菱に忘れられていた、いや厳密には間違えて覚えられていたことに拗ねているらしい。じとりとした目でヘーゼルの瞳に見つめられ、どうにも居心地が悪い。

 隣のセレーナをちらりと見遣れば、真面目な顔でゆっくりと、そしてしっかりと頷きで返す。言わんとすることは判っているのだ。

 花菱は後頭部をがりがりと掻きながら、ふぅっと息を吐いて。


「悪かったな、ごめんなさい」


 頭を下げながら、そう告げた。他者の名前を間違えて覚えているなど、一生の不覚である。


「名前、ちゃんと覚えるからさ」

「……次からは、ちゃんと名前で呼んでくださいよ?」

「勿論だよ。フレッド」


 にやりと笑って呼んでやれば、いともたやすく機嫌が直る。誰が言ったか、愛嬌のある仔犬みたいだとは言い得て妙であった。

 その傍らのやり取りに満足したセレーナが気が付いたのは、足を組み顎に手を当てるもう一人の魔術司書。


「イズミ様、どうかしたのですか?」

「嗚呼、いや」


 話しかければ、ふっと意識が引き戻されたかのように黒い眼の焦点が合う。そして横目でチラリと見遣るは、癖っ毛跳ねるフレッドの顔。


「……ん、何か御用です?」

「あまり聞いたことがない家名だなと」


 首を傾げながら呟くバリトンボイス。

 イズミ自身、ここ十数年は“果ての図書館”に引きこもっていた訳であるが、それでも少しばかりは情報のアンテナを張っていたのである。しかし、いくら記憶を漁ってもフレッドのファミリーネームについて情報がサルベージされないのだ。


「ああ~。俺の生家いえは最近ぽっと出の、魔術界末端の家系ですから……」


 知らないのも無理はないですね。

 特に家系や血筋に対して関心がないのか、そう告げるフレッドの顔は朗らかなものであった。同じ魔術師であっても、イズミとフレッドのように育つ過程は千差万別。それが如実に表れている反応であるといえよう。


「しかも、視象主義Visionismに属しているから余計に」

「ということは。フレッド様の生家が属するのは、派閥の三つ目……?」

「その通りだ」


 こくり、と頷くイズミに、正解を貰えて笑みを浮かべるセレーナ。

 魔術界を占める三大派閥の最後の一角――視象主義Visionism


「自然主義や精霊主義とは一線を画している思想、いや一派だな。まあ、本人に聞いた方が早いだろう」

「確かにそうですね、じゃあ僭越ながら」


 古くより存在する自然信仰を基礎にしている魔術群とは全く違う、近代的な視点から始まったのが視象主義が是とする魔術である。故に花菱は少々齧っている部分はあれど、イズミにとってはあまり馴染みのないものだった。


「自然主義や精霊主義とは一線を画している思想に基づいているのが、視象主義ですね。根底の考え方が違う、とでも言いますか……」


 唸りながら言葉を尽くし、フレッドはどうすれば的確に言い表せるのか脳内で考えつつ話を進める。そこで思い出されたのは、父が口癖のように言っていた言葉。


「曰く。魔術とは観測する人間の、大いなる誤認によるものである、と」

「大いなる誤認、ですか?」

「はい。認識することによって初めて自と他が分けられ、外界の存在が確立するのであれば。――認識されない存在は、無いものと同じだと」


 フレッドの言葉を興味深そうに聞く三人。

 それは認知科学の知識のような、人間の科学的な分析を踏まえて上での概念定義。それを地盤として新たなフェーズと移行した最も新しい魔術の体系。


「なんやかんやと言いましたが、つまり魔術の真髄とは人間のこと、と主張しているのが視象主義Visionismという訳です」


 エネルギー革命を幾度と重ね、自然エネルギーから蒸気機関、そして電力機関へと科学が進化していくように。魔術におけるターニングポイントとともいえる一派、それが新参者の多い視象主義なのであった。


「成程……ご説明有難うございます、フレッド様!」

「いえいえ。俺の身の上話が役に立って、良かったです」


 ふんわりと金髪ブロンドを揺らしながら、座ったまま会釈をするセレーナにこちらも座ったまま会釈を返すフレッド。話がひと段落ついたところで、手持ち無沙汰に腕組みをしたイズミが思案してから声帯を震わす。


「ところで、局長はどのような理由で寄越したんだ?」

「あ、そうでした」


 すっかり忘れて情報の擦り合わせという名の世間話に興じていたフレッドが、ふわふわの頭を掻いた。取り繕うように、こほん、と一つ咳払いをして見せてから、面接志願者のように堅苦しく椅子に座り直す。


「俺が来たのは、俺自身興味があったのと、業務遂行のための単純な増員です。それと、回収する書籍名のリストを忘れていかれたので……そちらをお届けしに」

「あ。そういえば貰うの忘れてたや」


 真面目な顔つきで忘れていたことを自己申告する花菱に、フレッドは額に手をやってはあ、と息を吐く。胸中を占める何とも言えない心持ちは、付き人が如くペアセットで仕事をしてきた頃を彷彿とさせた。


「ミス・花菱。そういうところですよホント」

「悪かったって……! 色々と、忙しかったんだよ」

「……まあいいです。これが俺の仕事なので」

「となれば、今日話すべきことはこれで終わりか」


 たわいもない遣り取りに終止符を打つように、イズミがそう締めくくれば、残りの三人も異議なしと頷きで返す。見遣る腕時計は、時間はとうに午後九時を過ぎていた。


「とりあえず解散ってところ?」

「そうだな、明日から長丁場だ。早く休むに越したことは無い」

「明日は何時を目途に集まりましょう……?」

「うーん、九時ぐらいが丁度良いんじゃないですかね?」


 順に花菱、イズミ、セレーナ、フレッド。面々が視線を交わし、提案された九時という集合自国へと合意したところで。


「では支度を済ませ、明日の九時に俺の部屋ここへ」


 バリトンボイスのまとめを最後に、それぞれが与えられた居室へと帰ったのだった。

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