4-3:全く以て不思議ですね

 目に見えない何かに喉を掴まれたかのような、そんな幻覚さえ感じる中。一同に衝撃が走ったのは、言葉にする必要もない。

 開いた口が塞がらない者、目を見開くに留める者。それぞれ反応に差はあれど、胸中が驚愕で満たされていた。


「……理由をお聞きしても?」


 一番ノイシュの威圧に耐性があるだろうイズミがそう尋ねれば、すぐさま弱められる圧力プレッシャー。吸った空気が正しく肺に送り込まれる感覚に、花菱はようやく深く息を吐く。他の面々も同じように、水を得た魚のように深く酸素を体に行き渡らせつつ視線を向ける。


「なあに、簡単なことじゃ。隠居の身であるからには、無闇むやみ矢鱈やたらと魔術界に波風立てたくはないのよ」


 しみじみと閉じられた瞼に、オパールが隠れる。

 ノイシュは、八十歳を超えた頃から少しずつ表舞台に教え子を立たせ、本人は孫やひ孫にあたる魔術師の育成に努めていた。年齢と釣り合わぬ見た目は、人の世を生き辛くする。そして魔術師にとって長き生は、知識の蓄積と共にをもたらす。


「このような身形であれど、ただの老いぼれよ。時代を築くべきは、そなたのような若人わこうどであるべきよな」

「……では、何故いらっしゃたのですか?」


 鋭い指摘に、眼が開かれた。響いたのはメゾソプラノ。視線を遣る先、声音の持ち主は、真っすぐとした藍色の瞳で見据えていた。


「手紙を受け取った時点で、この館を訪れないという選択もできたはずです」


 花菱の言い分は、真っ当なものであった。波風を立てたくないのであれば、この場に来ること自体しないべきである。されどこうして、文学の城castle of literatureへと足を踏み入れているのだ。


「うむ、うむ、良いのう。頭の回転が速い若人わこうどは、話が早くて好みじゃ」


 にんまりと心底嬉しそうに、笑みを浮かべるノイシュ。踏み込み過ぎた質問かと後から思った花菱だったが、機嫌を損ねていないようで心底安心する。


「ま、大層な理由ではない。物見遊山、は聞こえが悪いか」


 顎を指でつまむような仕草をし、首を捻りながら的確な言葉を探しているようで。白銀にきらめく髪を揺らしに揺らして最後。


「強いて言えば純然たる興味よ。――希代の魔術書執筆家たる、羽筆はねふでの魔術師への、な」


 ぱちり、とウインク交じりに告げるその様は、茶目っ気たっぷりなノイシュ自身の言葉であった。


「……お答えいただき、感謝致します」

「良い師に育てられたようじゃの、感心感心」


 椅子に座ったまま礼をする花菱を、微笑ましくも眩しそうなオパールの瞳が見つめる。どこまで知られているのかは分からないが、養父たるベルリッジに恥じぬ者であると認められた気がして。

 花菱は、むず痒くも温かな気持ちを必死に体内へと抑えつけた。


「という訳でじゃな」


 さっと椅子から立ち上がりロングスカートの裾を軽く払って、円卓テーブルを囲む面々を見渡す白に近い色合いの眼。


あし茶会ティーパーティーでもしつつ、選考会を静観しておるぞ。なお、茶会の参加者はいつでも大歓迎ゆえにな」


 いつでも来るがよい。

 そう言い残し、白い長髪はゆったりとなびかせながら大広間を後にするノイシュ。彼女の退室を皮切りに、今度こそ残りの面々も流れ解散となったのだった。



 * * * * * * * * * 



 所変わって、イズミの私室プライベートルームにて。


「美味しかったな」

「どの料理も美味しかったですね……!!」

「絶対にすべきコメントはソウジャナイ」


 寝台ベッドに腰かけるイズミ。そしてその近くに持ってきた椅子に座る花菱とセレーナが、三人で顔を突き合わせていた。


「無論、冗談Jokeに決まっているだろう」

「そんなことを言う人だとは思いませんでしたー」

「えっ。イズミ様、冗談だったのですか……?!」

「あーあー! 他の参加者についての話をしましょっかー」


 混沌と仕掛けた部屋の中の会話に、強引に大幅な舵取りを行って話を取り戻す花菱。他の参加者、という言葉にもれなく反応したことから、二人も気に掛かってはいたらしい。


「あの、エルンディア様って有名な方なのですよね。物凄いオーラで、でもどこか愛嬌のある方で……」

「そうですね。不参加宣言をしたとはいえ、あんな大御所が来るとは」


 はぁ、と溜息を吐いた花菱を横に、セレーナはブラウンの瞳をイズミへと向ける。分かりやすい解説を馬車の中で披露したことから、この手の話題は彼に向けるべきという学習の賜物であった。


「魔術界が三つの派閥に分れた、と言ったのを覚えているか?」

「はい。そして争いが激化して、魔導書管理局のような中立機関が必要となったんですよね」

そうだGreat.。その三つの派閥のひとつ――精霊主義Spiritualismにおいて絶大な影響力を持つ生き字引。それが、ノイシュ・ファン・エルンディアだ」

「……なんだか、不思議な話ですね」


 淡々としたバリトンボイスに耳を傾けたセレーナは、思わず呟く。

 三人の脳裏に浮かぶ白髪の少女の姿は、そんな人物には思えないほど美しく、可憐で、幼い。だがそれだけで片付けられないような圧力プレッシャーと威厳を目にしてもいる。


「全く以て不思議ですね」

「それが魔術の根源たる神秘、ということだ」


 少し遠い目をしながら、肩をすくめてそう感想を述べる花菱とイズミ。

 若干やさぐれたような二人の表情に、セレーナが話が戻るのですが、と新たな話題を切り出した。


「えと、精霊主義Spiritualism、というのは妖精fairyとか精霊spriteとかに関係があるんですか?」

「嗚呼。主にそれらの存在や、それらとの交流を重要視している」


 人に取り憑く死霊の類は比較的視認しやすいものの、童話メルヘンに謳われる妖精や無害なる幽霊を無条件で認知するには素質が必要だ。

 それらの素質を無しに接触コンタクトを取ろうと考えると、それらと強制的にえにしを発生させることが必須。

 その縁を結ぶ技術たる召喚魔術シィヴィ・マギア降霊魔術レルム・マギアを中心に魔術を研究する魔術師一派、それが精霊主義Spiritualismであった。


「故に、妖精の血が色濃く出たノイシュ卿は、彼等にとって崇拝の対象にさえなり得るほどだ」

「名を呼ぶことすら恐れ多いと、“妖精に近き人”と遍く呼ばれているらしいよ。本人はどう思っているのは……知らないけどね」


 語られる言葉に、セレーナは金色の睫毛を伏せる。


「名前は、大切な物です」


 名前とは、その人の魂を縛る言葉にして自己認識の不可欠なアイデンティティでもある。“名は体を表すNames and natures do often agree.”、という諺が存在するように、実体と結びつく名は重要な意味を持つ。

 肉体じったい精神たましいを結びつける楔にして、呼ばれることで世界に存在を認識される記号ラベルなのだ。


「存在の証明であり、定義であり、曖昧な自我を自分足らしめる――唯一ゆいいつでもあるのですから」

(名前、か……)


 独白にも近いソプラノが紡ぐ言葉に、花菱の脳裏に浮かぶのは一人の男。誰かに成り代わる続ける弊害に、自分自身を存在を揺らがし失いかけているような、そんな魔術師であった。


「あ、すみません……!! ちょっと、思い入れがあったものですから」

「謝ることはない。面白い知見を得ることが出来た」


 そうだろう、と言いたげに黒い瞳がじいっと見つめる視線。それすらに気が付かないくらい思考に沈んでいる花菱に、むすっとしたようにバリトンボイスが響く。


「そうだろう? ミス・花菱」

「え? ええ、そうですね」


 意識をようやく思考から引き戻せば、セレーナが気まずそうにブラウンの瞳で様子見をしていた。最後の言葉とそれぞれの表情から、何となく文脈を判断して慎重に言葉を選ぶ。


「思い付いたことはどんどん口に出していただければと」

「……わかりました、色々な視点があるといいですものね!」


 ふわりと笑んだ顔は、花が咲き誇るように可憐。

 紡いだ台詞の選択に間違いが無かったことに安堵しつつ、目を向ければイズミが真っ黒な瞳で見ていた。


(会話と調停はお前の仕事だろう)


 そんな声が聞こえてきそうな程であり、目は口程に物を言うというのは良く言ったものである。口の動きで小さくごめんよSorryとだけ花菱は伝えておいた。


「ところで、他の派閥の方はいらっしゃったのでしょうか?」

「……一応、俺の生家であるカーティス家は自然主義Naturalismだ。俺自身は魔導書管理局員であるから、中立ではあるが」


 カーティス家は比較的古くから存在する魔術家の一つであり、それなりに自然主義Naturalismの派閥内では名のある血統である。後継者たれと切望される長子が出奔して魔導書管理局に就職したというのは、当時盛んに話題されたとか。


「彼等にとっては自然を操る自然魔術ナトゥラ・マギアこそ原初の魔術に近く、重んじられるべきという考えらしい」

「確か、自然主義Naturalism精霊主義Spiritualismは、意外と魔術師同士で親交があるんじゃなかった?」

「嗚呼。自然と妖精や精霊は密接な関係にある。家系絡みでノイシュ卿とは顔見知りでもある」

「だからああしてお話されていたのですね……!」


 納得しました、とセレーナが独りでに首肯する。

 基底概念として四元素や五行思想を用いるなど、少なからず自然魔術と関連を持っている部分が召喚魔術にも存在する。元来、魔術というのは魔力を変換する術式体系でしかないことから、完全な線引き自体難しいのが実情であるのだ。

 故に、派閥横断的な魔術師同士の繋がりも存在する。イズミとノイシュの関係は、その一例であった。


「ただ、残りの二人の参加者についてはさっぱりだな」


 腕組みをするイズミの脳裏に浮かぶのは、アッシュブラウンに紫メッシュの男と、妙におどおどとした焦げ茶の癖っ毛の男。六名の参加者の内の、まだ名を知らない二人であった。


「あ、片方は知ってるよ」


 だがその片割れには、花菱は既に面識がある。軽く右手を上げれば、驚いたように視線が集まるのを感じた。


「エリ様のご友人なのですか?」

「いや。マッピングしてるときに会っただけですよ。あの、ラベンダー色のメッシュが入ってる男の方」


 そう告げれば、二人は視線を天井の方に移し、正しく顔を思い描いてから花菱へと視線を戻す。背が高くすらりとした体形の、芸術家肌を思わせる振る舞いの男である。


「それで、名前は?」

「クリストヴァル・ギャレラント。流れの魔術師らしいです」

「確かに、見たことはない。……名はどのくらいの信憑性が?」

「少なくとも差出人不明のあの手紙。その文中の名前の綴りとも一致してましたし、魔術行使をしているような素振りはなかったです」


 とりあえずは様子見でしょうかね。

 メゾソプラノがそう告げれば、意見の一致を表すようにイズミは黙って頷きで返した。セレーナの姓がコルテンティアであることはまだ知られていないだろうものの、ふとした拍子に敵意が牙を向くかは未知数である。


(気になる反応もしていたし、な)

「残っているのは私の右隣に座っていた、癖っ毛の方ですね」

「そうだな。……正直見たことがないので量りかねる」


 話題は移り、身元の割れない最後の参加者へ。花菱も晩餐会中幾度となく見たその姿を思い浮かべるが、いつも不思議と既視感を感じるのだ。


「どっかで見たことあるんだよなあ……」 

「もしかしたら知り合いだったりするかもしれませんね」

「かも、しれません」


 喉まで出かかってはいるものの、しっかりと吐き出すことができないもやもやとした感覚。花菱は無意識に眉間に皺を寄せたところで、コンコンコン、と部屋の扉を叩く音が響く。

 ただそれだけで空気がピンと張り詰める。来客であった。


「俺が出る」


 イズミが、すぐさま寝台ベッドから立ち上がった。花菱も出ようかと思ったが、直ぐにこの部屋の主がイズミであることを思い出して押し留まる。

 すたすたと扉まで進む背。セレーナを僅かに下がらせ、密かに魔力を励起させて様子を見る花菱。


 問答無用にガチャリと戸を開ければ、立っていた男がおずおずと口を開く。


「あの、イズミ・カーティス様、でいらっしゃいますか……?」


 噂をすれば何とやら。訪ねてきたのは、くだんの焦げ茶髪の男であった。

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